ノート:沈まぬ太陽/過去ログ1

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疑問難問

//www.bekkoame.ne.jp/~jcau/yamazaki.htm での著者へのインタビューによると、日航側が取材を拒否したとの事なので、「取材を行わずに」というのは虚偽に当たるのでは?--61.21.205.43 2009年10月23日 (金) 14:35 (UTC)

やはり、「問題が多いとされる」などという断定形の表現は百科事典としては不適当であるため、当該追加部分を削除いたしました。--Tokacyan 2005年7月12日 (火) 13:11 (UTC)

当作品はあくまでもフィクションなので、主人公とそのモデル(とされる)人物のキャラクターの不整合や一方的な視点での描き方などは特に問題にする必要もないと思いますが。 しかるにそのような記述自体不必要かと思います。記述をするのであれば、そのような論調を具体的にまとめた書籍か掲示板などのリンク程度でよろしいのでは? あくまでも百科事典ですので。--Tokacyan 2005年7月8日 (金) 14:25 (UTC)

「いつ」出版されたかの記述が必要なのでは?2006年5月5日 (金) 00:27 (UTC)

フィクションではあっても、この小説は日本航空123便墜落事故をモデルとしています。 その上でモデルとなった小倉貫太郎氏が被災者の面倒や世話役をやったことが一日もなく、御巣鷹山へ先遣隊として行ったことがないのは事実であります。 映画が公開されるに至り、多くの人が事実誤認をする可能性があり、この部分の明記を削除するのは好ましくありません。--123.222.32.221 2009年10月24日 (土) 02:14 (UTC)

何故、映画が公開のこの時になって事実関係の詳細が何回も削除されるのか?不自然と言わざえません。--58.91.188.185 2009年10月24日 (土) 09:30 (UTC)

池田信夫氏のブログでは
>(小説での恩地元のモデルは)日共系組合の委員長として極左的な方針をとり、労使関係をめちゃめちゃにした元凶
としています。池田氏は123便事件当時はNHK在籍でした。--経済準学士 2009年10月26日 (月) 15:02 (UTC)
あくまでフィクションなのに、事実であるJAL事故がフィクションである国民航空の事故として描写されている。
この点は非常に重要である。この箇所は明らかに、フィクションを表面上装ってはいるがノンフィクションといっていい部分であり、この小説をあくまでフィクション小説とは呼べない物にしている。
本当に作者がこの小説をフィクションとして意図していたなら、JAL事故の犠牲者を実名で登場させる必要などなかったはずだからだ。恩地のように、あくまでモデルとしてとどめ、名前も別名にしていただろう。
作者の完全なフィクションという主張は訴訟などを避けるための言い訳にすぎない。
恩地など名前を変えている人物は、あくまでモデルなのだから、事実と食い違っていようが問題にする必要なしという意見には同意する。--以上の署名のないコメントは、210.130.48.107会話)さんが 2009年10月29日 (木) 08:20 (UTC) に投稿したものです。

参考事項

  • 元ライブドア社長の堀江貴文氏は、拘置所内あで「沈まぬ太陽」など200冊の書籍を読破したとされる。報道によると、同氏はこの小説に感動し、2006年5月21日には日航機墜落事故の現場を慰問に訪れた。--Seihonda 2006年5月23日 (火) 13:49 (UTC)
  • 「料理王国」誌2009年11月号の「料理王国経済」欄に、山崎氏が伊藤淳二氏と親しい間柄だったこと、伊藤氏が日航を辞任する際に山崎氏が、伊藤氏の恨みを私がはらすと発言、その後伊藤氏の汚名をそそぐ手段としてこの小説を書いたという記述あり。(無記名記事のようですが、当時伊藤氏と親しかった出版社に勤務していた人の記事となっています。) --60.38.41.161 2009年12月15日 (火) 20:26 (UTC)

出典求む

えー、無理やりにでも記載したいという方がいらっしゃるようですが、以下の出典を求めます。

  1. 「日本航空の労働組合が激しく対立していた経営陣への取材活動を行わなかった」事が明記されている出典元。
  2. 「多数の創作箇所があり一方に偏った視点から白と黒を別けるような書き方が目立つ点などがあり、論争を巻き起こした」とあるが、作品の評価と論争を巻き起こした学会等の出典元。
  3. 「実在の人物(一般社員)をそれと判るように批判的に書いているため、日本航空の労働組合同士の対立や経営上の対立に恣意的に利用された作品」という評価をなされた出典元。
  4. 「但し、社会的関心の強い「モデル小説」というものに対する理解があれば、上記の肯定論・否定論は当事者にとっての愉快不愉快はあるものの、文芸としての意義は否定できない」との評価をなされた出典元。

以上の4点です。個人的には面白い記述ではあるのですが個人の主張とも受け取れる内容でありこの場に掲載するには出典があるべき。特に「作品の評価」に関しては出典を掴めればよい作品の紹介文になるかと。宜しくお願いします。--FLHC 2009年10月24日 (土) 14:07 (UTC)

上記4点のうち、上3点は 関連ホームページ 論談余話  誰か昭和を思わざる で出ていますよ。
ここのところ、映画の出演者などが明細に記されているのに、小説発行当時から問題や論争がされている点が削除されているのはおかしいですよ。--123.222.79.2 2009年10月24日 (土) 19:28 (UTC) 
まず、議論が終わる前にコメントを外す事はお止め下さい。ここは個人の批評の場ではなく百科事典でありますので出典が必要です。
さて、ではそのURLを具体的にあげて頂けますか?出典は掲載をする側に求められます。例え個人のWEBサイトや掲示板で論争等が起きたとしても、原則的にそれは出典になりません。--FLHC 2009年10月25日 (日) 05:14 (UTC)
URLはhttp://www.rondan.co.jp/html/ara/yowa3/ 論談余話3 ですね。これを見てください。
無理矢理にでも記載したいという方 といいますが、あなたが、それ以前から書き込まれていたものを 無理矢理にでも 削除したいのではないですか?
それ以前から、書き込まれていたものを、映画の封切られる随分とタイミングの良い時期に削除されるのですね。とても不自然ですよ。--221.191.55.206 2009年10月25日 (日) 06:49 (UTC)
やむを得ないですが保護依頼をしました。掲載するのが妥当だとしても、問題点を指摘されているからにはまずこちらでお話しましょう。
さて、出典の提示ありがとうございます。この論談というサイトは個人のWEBサイトのように書かれていますが、Wikipedia:信頼できる情報源によりますと「個人のウェブサイトや自費出版業者からの出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。」とあります。このWEBサイトは自費出版業者が個人的に運営しているサイトのようにお見受けします。そのため当方が指摘した記述の掲載は現時点ではこの域から抜け出せないように考えられますがいかがでしょう?また、上記の論壇以外のサイト等の出典もお願いいたします。
ちなみに、当方は映画化されるという事で気になって参りました者です。それは当方の編集履歴から見ても明らかです。むしろこのような個人が書いたような出典のない批評がこれまでWikipedia上で存続されている事の方が不自然です。是非この機会に精査していきましょう。
また、議論のスムーズな進行のためにサインアップ・ログインされる事をオススメ致します。宜しくお願いします。--FLHC 2009年10月25日 (日) 07:11 (UTC)
出典を求めるというから出したのに、今度は議論なしで削除 しかも保護依頼 これって酷くありませんか?以上の署名の無いコメントは、221.191.55.206会話/Whois)さんが[2009年10月25日 (日) 07:07]に投稿したものです。
記述の掲載の可否と出典の有無を議論の焦点としているからには該当する記述をコメント化するのは妥当な行為です。保護依頼をしたのは既に編集合戦となっているためであり、酷い酷くないという問題ではありません。--FLHC 2009年10月25日 (日) 07:19 (UTC)
上 記の削除と復元のやりあいとなっている部分は、明らかに小説のモデルとなっている日本航空123便墜落事故の事実を恣意的に誤認させるに十分であると思われます。
小説及び、映画沈まぬ太陽がフィクションと名うってあるのであれば、此処の部分の明記になんら不都合の点もない筈です。--221.191.55.206 2009年10月25日 (日) 07:14 (UTC)

出典がないから何だって言うんだ?論談の話題だから日本国民全員が同意する内容で掲載しても大丈夫だろ!FLHCだけだろ反対してるのは!お前が居なければ何も問題ないんだよ!--SWitchMagi 2009年10月25日 (日) 07:29 (UTC)

FLHC氏の言い分は一応もっともらしくは聞こえますが、明らかに事実隠蔽するに十分な行為をしていると思います。他のみなさま、どうぞご協力をお願い致します。--221.191.55.206 2009年10月25日 (日) 07:58 (UTC)

あらたな出典として 週刊朝日 平成12年 2月11日号 及び 2月18日 に 小説沈まぬ太陽の問題点が出ております。--123.222.45.166 2009年10月25日 (日) 11:03 (UTC)

再度申しますが、ノートや要約欄に文献を書いても、それは出典を明記したことにはなりません。Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:独自研究は載せないに説明されている通り、記事中のある記述が、信頼できる情報源によって発表されたものかどうか、記述の内容が正しいかどうかを、他の編集者が確認するために必要なものであり、その機能が果たせなければ十分ではありません。どの記述か、どの出典に対応しているのかを、はっきりとわかる形で、本文中に脚注の形で明記して下さい。出典の明記の仕方については、Wikipedia:出典を明記するに従ってください。--Dr.Jimmy 2009年10月25日 (日) 12:18 (UTC)
出典の方、ありがとうございます。ようやく本来の問題に戻れそうですね。当方も暇が出来ましたら図書館に足を運んで読んでみたいと思います。ただ「上3点は 関連ホームページ 論談余話  誰か昭和を思わざる で出ていますよ。」と神奈川OCN氏は仰られているのに週間朝日が何故出てくるのかは疑いの余地がありますが、それはさておき。--FLHC 2009年10月25日 (日) 12:26 (UTC)
FLHCさん 私の所在地とプロバイダーを明記するとは、一体何事ですか?これは大変危険な行為ですね。削除しました。次やったら許しませんよ。--以上の署名のないコメントは、123.222.45.166会話/Whois)さんが 2009年10月25日 (日) 13:00 (UTC) に投稿したものです(Mitsuki-2368による付記)。
えー・・・IPアドレスを表示しないようにするにはログインしましょう。今回のような議論の際に大変便利で、当方のように統一されたアカウント名で投稿する事ができます。
これは蛇足ですが、IPアドレスからは大まかな住所とプロバイダが分かります(国内の大手プロバイダ等)。つまり、貴方が「~~町の~~さん」だという「明らかに個人を特定できる情報」は裁判所等の請求がなければ公開されませんのでご安心下さい。詳しくはIPアドレスの「IPアドレスと個人情報」をご覧下さいませ。--FLHC 2009年10月25日 (日) 13:33 (UTC)

FLHCへ 自分が何をやっているか分かっているのでしょうね?ログインしてないからといって住所とプロバイダーを表記して良い事にはならない。しかるべき処置をします。--123.222.69.122 2009年10月25日 (日) 19:31 (UTC)

コメント IP:123.222.69.122会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん、IPアドレスWHOISについてご存知でしょうか。IPアドレスから逆引きすることで、誰もが自由に相手のプロバイダやホスト名を確認することができます。この情報は非公開の個人情報などではなく、何人も自由にアクセスできる公開情報です。IPアドレスだけで識別できる情報ですし、しかも完全に公開されている情報ですから、それを記載したとしても個人情報の漏洩には当たりません。たとえば、自分のおでこに名前と住所を記載した紙を貼って電車に乗ってきたのに、居合わせた他の乗客に対して「俺の名前や住所は個人情報だから、それを知ろうとするのは許さない」と言いがかりをつけているのと同じことですよ。また、「次やったら許しませんよ」「しかるべき処置をします」など、他人に対して脅すかのような発言をなされていますが、そのような行為は慎んだ方がよかろうと思います。--探知機おけさ 2009年10月25日 (日) 23:37 (UTC)
それは屁理屈というものだ。IPアドレスを出せば、居住地、プロバイダーは判明するが、それを表記して言い訳がない。人としてのマナーというものが分からないのですか?--60.33.22.98 2009年10月27日 (火) 05:59 (UTC)
コメント IP:60.33.22.98会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん、IPアドレスWHOISについてご存知でしょうか。「IPアドレスを出せば、居住地、プロバイダーは判明する」と主張なさっていますが、当然のことながらIPアドレスだけで居住地まで特定することは通常できません。IPアドレスの仕組みについて、まずはご理解されてはいかがでしょうか。--探知機おけさ 2009年10月27日 (火) 10:11 (UTC)
ログインしましょう。--FLHC 2009年10月26日 (月) 03:42 (UTC)

話が脱線しつつありますが、ひとまず出典の方は週刊朝日に掲載されているという事ですので、それは当方が指摘したもののどれに該当するのかお教え頂けますか?(当方が指摘したものが全て出典必要かどうかも問題はありますが、さておき)--FLHC 2009年10月26日 (月) 03:42 (UTC)

出典として週刊朝日を取り上げられました神奈川OCN氏ですが、それ以上の具体的なお答えの方は頂けないようです。そこで、1週間を目処に主だった反対意見がなければ記述除去が適切と判断し保護解除依頼を行います。問題点等ありましたらご意見の方宜しくお願いします。--FLHC 2009年10月27日 (火) 06:17 (UTC)

FLHC氏 再度言います。居住地 プロバイダー名の表記をやめなさい。そして、今まで表記したものを自分で削除してください。これは警告です。--125.172.86.168 2009年10月27日 (火) 10:25 (UTC)

コメント IP:125.172.86.168会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん、IPアドレスWHOISについてご存知でしょうか。「居住地 プロバイダー名の表記をやめなさい」と主張なさっていますが、当然のことながらIPアドレスだけで居住地を知ることは通常できません。プロバイダ名、ホスト名などから居住地の推測は可能でしょうが、少なくとも居住地の特定までは不可能です。IPアドレスの仕組みについて、まずはご理解されてはいかがでしょうか。また、「今まで表記したものを自分で削除してください」とのことですが、版削除は権限のある利用者でなければできません。ところで、「これは警告です」とはどういう意味ですか。相手を脅すかのような発言は厳に慎んでください。--探知機おけさ 2009年10月27日 (火) 23:28 (UTC)

おもな登場人物・モデルの復旧

おもな登場人物・モデルの項目を復旧しました。IP:123.222.45.166会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんに映画版のキャストもろとも除去されていた項目です。登場人物は小説を百科事典的に記述するうえで、非常に有意義な情報であると考えます。また、本小説はモデルが存在します。したがって、それらを記述することもまた、作品の理解を深めるという点で、百科事典的に価値があると考えます。以上を鑑みまして記述を復旧しましたが、皆様はこの点について、どうお考えでしょうか。--Tekuno 2009年11月4日 (水) 04:46 (UTC)

復帰作業の方、お疲れ様です。これは元々の記述量の問題ではありますが、残念な事に「登場人物の紹介」というよりも「モデルとなった人物の紹介」になってしまっている印象が強いですね・・・加筆に期待したいところです。--FLHC 2009年11月4日 (水) 15:12 (UTC)
そうですね。「登場人物の紹介」が確かに現状ではお粗末ですね。とりあえず、節stubにしておきましたので、加筆に期待しましょう。私も、微力ながら(恩地だけ)加筆しました。こんな感じで書いていただけると助かるのですが…。--Tekuno 2009年11月5日 (木) 12:17 (UTC)


出典を求めます

おもな登場人物.モデル詳細にわたり実在の方の名前が明記されていますが、その根拠となる出典を求めます この小説と映画がフィクションであるにも関わらず、実在の方を容易に想像できることは当時から問題となっております。 宜しくお願いします。--Motobeatle 2009年11月7日 (土) 12:36 (UTC)

出典が明記されるまで、名誉毀損になる恐れもありますので削除しました。--Motobeatle 2009年11月7日 (土) 12:41 (UTC)

節冒頭に出典は書いてあります。出典が正しくないと考えられる場合には、まずその出典を実際に確認をしてから除去なり修正なりして下さい。なお、節を丸ごと削除せずに実在の名前のみ削除して下さい。それ以外の箇所は何も問題はありません。--FLHC 2009年11月7日 (土) 16:07 (UTC)

FLHC氏 過去の週刊朝日が出典元といわれていると思われますが、その号のどの部分に明記されているのか教えていただけないでしょうか?また週刊朝日などを元に作成  となどとは非常に曖昧でもあります。 明確なお答えを頂くまで、実在名は削除いたします。--123.222.79.125 2009年11月8日 (日) 00:22 (UTC)ログインのし忘れ--Motobeatle 2009年12月9日 (水) 06:18 (UTC)

神奈川OCN氏、これは異な事を仰られますね。当方が加筆したわけではないのに私が知っているはずがない、という事にお気づきになりませんか?出典としては既に書かれている内容で問題はありません。むしろ何が問題なのですか?
Wikipediaにとって重要な事は「貴方のお遊びに付き合う」という事ではなく「記事の物量を増やし質を高める」という事です。今のところ貴方はWikipediaにまったく貢献していないと言わざるを得ません。残念です。--FLHC 2009年11月8日 (日) 07:03 (UTC)
出典が極めて曖昧。 加筆した方の根拠となる出典を改めて求めます。関連ホームページで写真があります、週刊朝日2000年2月11日号及び18日号にその様な事細かな個人名の表も明記もありません。
FLHCさん Wikipediaが辞典である以上、記事の正確さは大変に重要です。ただ「記事の物量を増やしても」その記事に整合性と正確さがなければ機能しませんよ。
個人の尊厳とプライバシーに鑑み、再び削除しました。--Motobeatle 2009年11月8日 (日) 14:09 (UTC)
まず出典を明記する責任はこちらにありますように「除去を求める側ではなく、書き加えようとする側」となっております。しかし、この一連のモデルに関しては「週刊朝日2000年2月11日号および18日号の“『沈まぬ太陽』を「私は許せない」”という批判記事の対照表などを参考に作成。」と、既に出典が明記されています。そのため記述を除去する必要は現在のところありません。神奈川OCN氏とMotobeatle氏が仰られる「関連ホームページで写真があります」というものはWikipediaの出典とは何らの関係はありません(むしろ、著作権的に記事をネット上で閲覧可能にする行為は違法では?)。少なくとも現在のところは記載に関して何らの問題はないと判断致します。今後も記述除去が続くようであれば再び保護依頼をする事になります。--FLHC 2009年11月8日 (日) 16:58 (UTC)

FLHCよ、いい加減気付け。お前は誰からも支持されてはいない。出典がなければ記載してはいけないと言ったのはお前だ。お前の存在自体が迷惑だ。お前の意味不明な編集は良識ある人間が削除する。--SWitchMagi 2009年11月8日 (日) 18:11 (UTC)

FLHCさん 出典が正しくないのですよ。その週刊朝日にそんな事細かにモデルとなった実在人物の名は載ってないんですよ。 あたなが加筆していないのであれば、あなたがムキになって復元することはないでしょう。それでもしたいというのなら、出典が正しいというところを証明してください。どの部分にそのような事柄が書かれているか?上記部分は私motobeatleが書いたものです。--Motobeatle 2009年11月9日 (月) 13:58 (UTC)記入当時にログインと署名を忘れておりました。--Motobeatle 2009年11月9日 (月) 13:58 (UTC)

貴方はその出典を実際に確認されましたか?ネット上にある写真を元に『見た』とご主張なされているのではありませんか?先の議論においても「 週刊朝日 平成12年 2月11日号 及び 2月18日 に 小説沈まぬ太陽の問題点が出ております」と神奈川OCN氏がご主張なされてましたが、偶然にも同じ雑誌でありますね。
出典を出された人物を信用する事はWikipediaで編集活動を行う上で大切な事です。そうでなければWikipediaの現在の『出典を明記する』というシステム自体が機能致しません。そして出典のある記述を復帰させる事は原則として適切な対応であり、出典のある記述を除去する事は間違った行為です。それは先月より行っていた先の議論につきましても同じことです。しかし、その事がご理解頂けれないのであれば残念で仕方がありません。--FLHC 2009年11月9日 (月) 05:43 (UTC)

FLHCよ、いい加減負けを認めたらどうだ?お前の主張は誰にも認められていない。お前を擁護する人間は人っ子一人居ない。お前が居なければ何もかもスムーズに進むのだ。これ以上邪魔をするのであればお前は相当の報いを受けるであろう。--SWitchMagi 2009年11月9日 (月) 09:24 (UTC)

大量の除去は一旦差し戻しました。こちらで議論してからにしてください。--なるきっそす会話履歴 2009年11月9日 (月) 09:49 (UTC)

人権擁護の見地から三度目の実名削除を致しました。 さて、この沈まぬ太陽の映画の最後には  'この映画はフィクションであり、'実在の団体、人物とは関係ありませんと断りが入ります。 作品そのものですら、実在の団体、人物とは関係ない を述べているのです。 なのに、それを乗り越えてこのページでは実在される人物の名前を表記する。しようとする。それは一体何故なのか?なんのメリットがあるのか?動機は何なのでしょう?

この小説はフィクションとはいえ、実際に多大な犠牲者出し当時から多大な世間の関心を集めた事故をベースとしています。そして主人公と対立する人物はまるで悪の権化のように描かれています。そして、実際にその人と想定できる名前の変名が多々あります。そこに実在する人物の本名を明記したらどうなるか? 世間は正に、この人物が悪事を働いたと錯覚することとなりはしませんか。

実在する人物   もしかしたら故人となったかたもいらっしゃるのかもしれません。しかし、これら人々は我々と同じ日本人であり、我々と同じ空気を吸い間近で生活されている方々なのです。生活の為にもちろん働いていることでしょう。一歩外に出たら、そこには他人の目というものに晒されるのです。家族の人や親戚、友人などもいるでしょう。 その方々の名誉、人権はどうなるのでしょう。

それでもそれを乗り越えて、まだ実名を表記する方には大変な責任が掛かると私は思います。

長々と書きましたが此処に改めて、実名記載されたい方に

         1 数十名に及ぶ実名を表記をする根拠となる正確な出典 どこにどのように明記されているか?          2 人権侵害、名誉毀損の危険があるうえでの表記をする動機' の回答を求めます。

とくに出典においては人権の面からおいても十分慎重且つ正確なものが必要であると思います。--Motobeatle 2009年11月9日 (月) 14:43 (UTC)

大きなメディアや影響力のあるサイトから比べれば、個人の力というものは無に等しいものです。大袈裟ではなく一生リカバリーできないほどの痛手を人生において背負うことになるかもしれないのです。 公序良俗 ウィキペディアも辞典である以上、正確さとこれを守らないと、閲覧される方々から信頼を失いかねません。そして見捨てられる可能性すらあると思います。--Motobeatle 2009年11月9日 (月) 14:53 (UTC)

Tekunoさん どうやら貴方も週刊朝日を出典としているようですが、何ページのどの部分に明記されているか詳しく説明してください。--Motobeatle 2009年11月10日 (火) 14:32 (UTC)

この状態での保護に感謝いたします。明記されたい方へ 此処で9日に書きました通りです。しっかりとした出典をお願いします。曖昧でぼやけた表現でなく、どの文献の何処の部分に、どう描かれているか詳細且つ正確に説明ください。重ね重ね申し上げますが、これは人権保護と名誉毀損の回避をする為です。--Motobeatle 2009年11月10日 (火) 15:44 (UTC)

編集の方お疲れ様です。さて、図書館への所用の折に、今回の出典の確認をして参りました。確認してきた出典は以下の2冊です。

週刊朝日 2000年2月11日号
週刊朝日 2000年2月18日号

まずは結論から。2月11日号の24ページに「『沈まぬ太陽』の主な登場人物と推定されるモデル」と題しモデルとなった人物が記載されておりました。記載されていた人物は下記の方々です。週刊朝日2月11日号より、引用開始。

国民航空→日本航空
恩地元(主人公)→小倉寛太郎
行天四郎→特定モデルなし
桧山社長→松尾静麿・日航元社長(故人)
小暮社長→朝田静夫・日航元社長(故人)
堂本信介社長→高木養根・日航元社長(故人)
関西紡績→鐘紡
国見正之会長→伊藤淳二・日航元会長、鐘紡名誉会長
海野昇社長→山地進・日航元社長
三成通男副社長→利光松男・日航常任顧問、元社長
秋月純専務→萩原雄二郎・日航元専務、日航開発元会長
八馬忠次労務部長→吉高諄・日航元常務、空港グランドサービス特別顧問
川野秘書課長→平野聡・日航特別参与
細井“針金”課長→特定モデルなし
利根川泰司総理→中曽根康弘・元総理
道塚要運輸大臣→三塚博・元運輸大臣
十時官房長官→後藤田正晴・元官房長官、元副総理
永田元首相→福田赳夫・元総理(故人)
竹丸副総理→金丸信・元副総理(故人)
井之山代議士→井上一成代議士
“目白の女王”安西富貴→“越山会の女王”佐藤昭子
石黒・運輸省航空局総務課長→黒野匡彦・元運輸相航空局総務課長、前事務次官
龍崎一清→瀬島龍三・日本商工会議所元副会頭

引用終わり。上記のうち2009年11月10日 (火) 22:21 (JST)の版の一覧に記載されていらっしゃらない方は「細井“針金”課長」のみです。2冊を出典としていたモデルの中で、下記の人物につきましては出典が確認できません。

権田宏一(恩地と対立する新生労働組合委員長)
轟鉄也(新生労働組合副委員長)
岩合(新生労働組合の黒幕)
岡部貨物部長
永尾(国航常務)
田丸(国航常務)
和光(国航監査役)
青山竹太郎(運輸族の代議士)
不二(共産党委員長)
自由党
社進党
鷹名(日本新聞記者)
小野寺(国際総合開発会長)
三島(東京工商会議所会頭)
永井藤夫(レジャーランド社長)
新日本空輸(新日空)
極東国内航空
日本産業銀行
関西紡績
ニューヨークのグランドホテル
おすたか会
兵庫(ナイロビ在住・獣医)

以上になります。さて、週刊朝日より一部モデルに関する出典を確認出来たため、問題がなければ1週間程度を目途に再度の掲載を行いたく考えております。但し、出典元が週刊誌である事や作品自体に多くの評価がある事から「登場人物」節の冒頭に「週刊朝日2000年2月11日号および18日号の“『沈まぬ太陽』を「私は許せない」”という批判記事の対照表に基づく。」との一文を明記する事に提案致します(これは先の記載においても行われています)。なお、掲載を予定しているモデルは先に示したものとなります。また、登場人物紹介として上記モデル以外にも登場人物名を記載しますが、モデルの掲載は出典の明記が必要となります。

ちなみに雑誌につきましては現物が手元にありますので、何かありましたらこの際に。どうぞ宜しくお願いします。--FLHC 2009年12月1日 (火) 06:50 (UTC)

FLHCさん、なるほど約10年以上前の出典となる週刊誌を探し当てたということなのですね。大変な努力を要したと想像します。お疲れ様でした。 上記の引用を読むに、確かにそう書かれているのでしょう。 しかし、掲載は宜しくないと思います。掲載には反対します。掲載された場合編集対象と私は考えます。 理由は

  • 第一に人権上の問題
  • 第二に公序良俗の問題です。

その週刊誌に載っていたとしても、まさに「沈まぬ太陽を私は許せない」と題するように掲載対象となっている方が、このフィクション小説に対して憤慨し反論を唱えているものですよね。自身に身に覚えのない行動や、悪行を、容易に想像できる変名で小説に描かれているから、その様な事態となったと理解することができます。そして、前回も書きましたが映画ですら「実在する人物とは無関係」と述べているわけです。 そして、公序良俗の点  以前にも書きましたがWikipediaも多くの人々に利用し閲覧される辞典であるのならば、これに属するのは当然のことです。良心に基づくものでなくてはなりません。 そして、倫理的 道徳的なものでなくてはなりません。 FLHCさん その点をよく考えてくださいね。そして、人権というものを今一度しっかりと考えてください。 逆説的にいえば、「あなたは自身の実名や姿をさらして、この内容を書き込めますか?」ということです。--Motobeatle 2009年12月2日 (水) 14:02 (UTC)

>このフィクション小説に対して憤慨し反論を唱えているものですよね。
私にはそのような一方的なものであるとは思えないのですが・・・もう一度文献をご確認頂ければ幸いです。
>そして、前回も書きましたが映画ですら「実在する人物とは無関係」と述べているわけです。
はい、「実在する人物とは無関係」ですので人権上問題はありません。そもそもモデルとは「創作物の被写体やイメージの元」であり、Motobeatle氏が仰る通り実在の人物とは無関係です。その事から特定の人物の人権を侵害する事にはなりません。これがノンフィクションのドキュメンタリーであれば問題になるでしょうが。
>Wikipediaも多くの人々に利用し閲覧される辞典であるのならば、これに属するのは当然のことです。良心に基づくものでなくてはなりません。
少なくとも私が知る限り、公序良俗に従えというガイドラインを見たことがありません。ご教授いただければ幸いです。
>逆説的にいえば、「あなたは自身の実名や姿をさらして、この内容を書き込めますか?」
書き込めます。まずフィクションである点、そして出典がある点です。もしその作品がある方向に偏っているなどの問題があるとすれば、私は裁判を起こすでしょう。しかし、その裁判をWikipediaに持ち込む事はありません。何故ならモデルに起用したのはその作品自体であってWikipediaではないからです(WP:RSでも定義される一次情報源ではない)。更に、沈まぬ太陽やこの記事を書いた週刊朝日を訴える裁判が現実には一つもありません(私が知る限りにおいて)。その事からも現時点において作品やモデルに関してはノンフィクションとして受け止められていると考えております。以上より記載に関しては特に問題はないと判断しております。--FLHC 2009年12月2日 (水) 16:06 (UTC)
(追記)あ、ちなみに「約10年以上前の出典となる週刊誌を探し当てた」わけではありませんよ?何しろ出典は最初から明記されていたのですから。--FLHC 2009年12月2日 (水) 16:08 (UTC)
賛成 FLHCさんの見解と編集方針で問題ないと思います。Wikipedia上のルールに抵触するかどうか、以前の版でも問題はなかったように思いますが、FLCHさんの編集方針ならなお良いと思います。再度の掲載に賛成します。--Tekuno 2009年12月3日 (木) 09:18 (UTC)
公序良俗にしたがえというガイドラインがありませんか。しかし、Wikipediaにその決まりがなくとも社会全般にそれはあります。公序良俗があればこそ、我々の社会は円滑に営まれ生活できるのです。Wikipediaも多くの人が閲覧する公的なサイトですので当然これに属するもの従うものであるべきです。
また、映画はフィクションであり実在人物と無関係を述べていますが、この小説と映画の場合、1985年に発生した大勢の命が失われた未曾有の航空機事故をモデルにしてます。墜落した現場の山もそのものです。
当時生活されていた方々であれば、ほとんどの人が知っている出来事です。ただ、事故そのものはニュース等で分かっていても、その中で行われた色々な出来事や内情をいうものは実際に携わった人でなければ分からない部分が多い。
そこに、この小説はフィクションを盛り込んでいるわけです。そうなると、どこから何処までが事実なのか、フィクションなのか詳細を分からない人々には判断できません。そして、そこに社会を知っている人なら比較的簡単に分かる企業や人物の変名があり、該当者が心当たりのない行動や悪行などが表現されている。
そこが、この作品の問題なのです。
裁判うんぬんと申されてますが、それは大変に費用の掛かるものですよね。個人にはそれは大変な負担です。第一、そのような特定個人に名誉毀損ともとれることをするのは論外です。
公序良俗にしたがい理解できれば、そのような名前の列記はやってはいけないのです。
そのような訳ですので実名表記には反対します。最初から明記されていたのであれば、それは最初からいけないことです。表記は編集と削除の優先的な対象であると見なします。
あと、FLHCさん あなたには人権ということを考えてくださいと前回申し上げましたが、その点についてはまるで考えを述べられてませんね。そのような事は気にはならないですか?
是非、そこの部分の考えをお聞かせ願いたい。--Motobeatle 2009年12月3日 (木) 09:32 (UTC)
長文でのご返信ありがとうございます。ただ、Motobeatle氏は未だに勘違いされていらっしゃいます。
私が今回の記述を再掲載するに当り、求めているものは社会全般に関係する事ではありません。ここはWikipediaであり社会ではありません。「Wikipediaも多くの人が閲覧する公的なサイト」と仰られている事からも分かりますが、その事をご理解されていないのであれば今後とも話が噛み合う事はないでしょう。参考としてWP:WINWikipedia:内容に関する免責事項を提示致します。
さて、私は出典を確認して参りました。それはWikipediaのガイドラインに沿うためです。掲載してはいけないとご主張されるのであれば「掲載してはいけない」と明記されているガイドラインをお示し頂ければ助かります。個人的な事ですが、明日から数日空けますので当方からのご返信はその後に。--FLHC 2009年12月3日 (木) 12:39 (UTC)
コメントMotobeatleさん。Wikipediaの三大方針である検証可能性(WP:V)、中立的な観点(WP:NPOV)、独自研究は載せない(WP:OR)を満たす限り、モデルとなった人名を記載することは公序良俗に反するものではありません。また、『公序良俗にしたがえ』という曖昧なガイドラインは存在しないことを言い添えておきます。「沈まぬ太陽という作品に問題がある」としきりに仰っておりますが、「作品に問題があること」と「Wikipediaの記事として問題があること」はまったく関係ありません。「作品に問題があるから記事を書いてはいけない」というのは議論のすり替えも甚だしく、お角違いです。なお、『問題作品の記事を書いてはいけない』というガイドラインは存在しないことも言い添えておきます。さらに、『特定個人に名誉毀損ともとれることをするべきではない』と仰いますが、上記Wikipediaの三大方針を満たす限り名誉棄損にはあたりません。万が一仮に、「名誉棄損である」と名前を書かれた方が思われても、それはその当人と山崎豊子氏(および、出版・映画関係者)の間の問題であって、ガイドラインに従っている以上は我々Wikipedianが立ち入る性質の問題ではありません(Wikipedia:免責事項)。Motobeatleさんが主張するように人権は尊いものです。であるからこそ、FLHCさんはそれを守るべく上記の三大方針に従っておられるのだと思います。私も同感です。最後に、誤解のないように、もう一度申し上げますが、「三大方針が満たされる限り、Wikipediaの記事として認められる」のです。FLHCさんも仰ってますが、Motobeatleさんが掲載を拒むなら「掲載してはならない」としているWikipediaのガイドラインを示すべきです。私が知る限りそのようなものはありません。--Tekuno 2009年12月3日 (木) 14:48 (UTC)

申し上げました通り、Wikipediaの三大方針が満たされていようが、我々が生活する社会全判にある公序良俗に反しています。当人と山崎豊子氏の問題と言われてますが、山崎豊子氏も該当する方々の実名は書き記してはいません。 このページに掲載する責任は、それをその手で書き記した人間の責任となります。ガイドラインにないから何をやっても良いというわけではないのが分かりますか? あと、もう一つ伺いたいのですが何故にあなた方はそれほどにまでして、たぶんあなた自身が面識もなく迷惑や被害を被ったわけでもない方々の実名を表記するのに躍起になるのか?動機を教えていただけますか?--Motobeatle 2009年12月3日 (木) 15:18 (UTC)

FLHCさんには、前回質問したことに答えて頂きたいですね。 「人権」という点です。お願いしますよ。--Motobeatle 2009年12月3日 (木) 15:56 (UTC)

Motobeatleさん、まず初めに確認です。『ガイドラインにないから何をやっても良いというわけではないのが分かりますか?』と発言されました。つまりこれは、「Motobeatleさんは「掲載してはならない」とするWikipediaのガイドラインがないことを認めた」と理解します。これは大きな前進です。よろしいですね。さてここでひとつ問題です。Motobeatleさんはしきりに「公序良俗に反する」とか「人権を侵害する」と仰いますが、発言内容が抽象的かつ曖昧で要領を得ません。どうやら、私のイメージする公序良俗・人権とMotobeatleさんのものとでは齟齬があるのでしょう。そこで、どうして記事を書いてはならないのか根拠となる「具体的な法」を示して下さい(「一般常識」や「不文律」ではダメです(理解に齟齬が生じる可能性があるからです)。あくまでも「具体的な法」です)。そのような法はないと私は考えております。具体的な根拠を示せない場合は、FLHCさんが指定した一週間の期限でFLHCさんの編集方針に従い記述することに賛成します。なお、何故かMotobeatleさんが知りたがる、私どもの「表記する動機」ですが、本節の議論とは関係ないのでここでは私は答えません。#おもな登場人物・モデルの復旧を参照してください。--Tekuno 2009年12月4日 (金) 11:40 (UTC)


Wikipedeiaで「公序良俗」を検索してみてください。

    公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。  – 民法第90条 (公序良俗) このように日本国の法として存在するのです。

Tekunoさん 、私は記事を書いてはいけないといってません。巧妙に話をずらさないでください。実名を明記してはいけない と言っているのです。 何度も言うようですが、この小説は実在する当人達に身に覚えのない行動や悪行があたかも実際に行われ、それを分かる人には容易に特定できる変名で表現されています。それに、わざわざあなたがたは対象表を作って実名を書き表そうとする。これをいけないと申しているのです。 身に覚えのない行動に彼らは反論しているわけです。それを無理に書き込もうとするのは善良という言葉とは正反対の事です。

Tekunoさん あなたは実は自分がよろしくないことを行っているのは分かっているのではないですか?しかしながら、表記するというファンタジーがそれよりも優先するが為にガイドラインにあるか?法があるか?などと質問しているのではないですか?そして、あなたのノートでの語る部分を見ると、この小説を実はちゃんと読んでないと思える節がある。

私が、表記する動機を伺ったのは私の知らない部分で何かしらの良心や正義があるのか、又は表記しないことで重大なそれらに反する不都合があるのかとも感じたし、何か別な意味あいでも理解出来るのではと思ったのですが「関係ないから答えない」と言う。 やはり、善良さなどは無いと判断せざる得ません。

こういうのは失礼だと思いますが、あなたのまるで妙に弁護士のように決めつけたような言い方や、本文やノートでの編集の上の巧妙な細工(私は削除致しましたが)を見るにつけ、この議論は不毛に終わる気がします。 あなたは記述すること、またはする姿勢のようですが、私は上記の法則に照らし合わせ、その方の人権保護を兼ねて見つけ次第に実名表記は削除したいと考えております。復元しても、やはりまた削除することとなると思います。そうなると、また保護となるでしょうが、それも仕方ないと考えます。あとは善良な気持ちを持つ管理人さんにお任せするのが良いかと。お手数を掛けることとなるでしょうが。--Motobeatle 2009年12月5日 (土) 06:43 (UTC)

Motobeatleさんは「善良」とか「正義」といった言葉を使われますが、それらはすべてMotobeatleさんの主観です。同じように、Motobeatleさんの「公序良俗」も「人権保護」もすべてMotobeatleさんの主観です。個々人の主観の間には必ず齟齬が生じ得ます。それを解決するのが法です。さて、民法90条は一般法の記述です。解釈の幅が広すぎて理解に齟齬があります。より具体的な現実に即した特別法、すなわち、「Wikipediaでの実名の記載を禁じた法」はないのですか? どうしても掲載に反対と仰るなら、示して下さい。再度申し上げますが、そのような法はないと私は考えております。蛇足ですが、対象表を作って実名を書き表したのは、私どもではありません。週刊朝日です。百科事典としてその一部をWikipediaで利用するために、私どもは三大方針をはじめとするWikipediaのルールに従っているのです。Motobeatleさんも認めたように、それを妨げるルールはありません。最後に、私は私の良心と正義に従ってWikipediaでの活動を行っていることを申し添えておきます。--Tekuno 2009年12月5日 (土) 09:12 (UTC)

Tekunoさん やはり、あなたには何をいっても無理のようですね。「善良」「正義」「公序良俗」「人権保護」どれも私の主観ではありません。大方の人が持っている素晴らしいものです。またしても、妙に決めつけた言い方をされますね。ところで貴方はあなたの正義と良心に従うと、その人達に断りもなく勝手に実名を明記することができるのですか?それと「Wikipediaの特別法」ですか!

そんなことを言っているところを見ると、あなたはきっと子供なのでしょう。もしくは社会性や道徳心、他人の気持ちや立場を思いやる心を持っておらず分別の乏しい人と想像せざる得ません。

あなたの言い分は、まともな理性を持ったちゃんとした人だったら、相手にされないと思いますよ。あなたは、とても恥ずかしいことを言っていると思います。 失礼ながら、もう笑うしかないですかね。--Motobeatle 2009年12月5日 (土) 10:35 (UTC)

Motobeatleさん。言葉を返すようですが、Motobeatleさんが自分自身の意見が広く支持される多数派意見であると考えることも、Motobeatleさんの『決めつけ』であり、主観なのです(何か根拠があるなら話は別ですが、根拠を示して下さい)。私には私の意見(主観)があります。そして、今、それはMotobeatleさんの意見(主観)と対立しています。意見が対立したとき、それを解決するための礎となるのは法です。Motobeatleさんは御自身の意見を通したいのであれば、「WikipediaのようなWebサイトで、小説のモデルとなった人物の実名の記載を禁じた法」を示す必要があります。しかしながら、Motobeatleさんは一向にそのような法を提示しません。これは「Motobeatleさんには自身の意見を裏付ける法的根拠がない」と理解しますが、よろしいですね。それから、個人攻撃や人格否定は慎んでください(WP:WQT)。--Tekuno 2009年12月5日 (土) 11:34 (UTC)

さてTekunoさん、あなたのいわれる法を示す必要も今さら必要ないと感じますが、私は公序良俗の法をいってます。何度も何度もいうようですが、Wikipediaは既に多くの不特定多数の方が自由に閲覧できるものです。このことから社会性のあるものであると見なして間違いないところだと思います。ですから、これは 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。  – 民法第90条 (公序良俗)に属するべきものだということなのですよ。 Wikipediaの中のルールも多数あるのでしょうが、Wikipediaというもの自体が法治国家のルール ここでいう公序良俗という法にに従うべきものだということです。 今までの私の投稿をちゃんと読んでますか。そして、この小説自体も。--Motobeatle 2009年12月5日 (土) 12:06 (UTC)

既に書きました通り、民法第90条は総則の条文であり一般法です(従って、90条にのっとった特別法が多数存在します)。「公序良俗」の判断基準は曖昧で、私とMotobeatleさんとで異なるように、人によって異なります(私は、Wikipediaのガイドラインに従う以上、「実名の記載」が公序良俗に反するとは思いません)。したがって、民法第90条は「WikipediaのようなWebサイトで、小説のモデルとなった人物の実名の記載を禁じた法」として適切ではありません。もっと具体的な特別法を示して下さい。もし、示されないようでしたら、「Motobeatleさんは自身の意見を裏付ける法的根拠をもたない」と理解します。--Tekuno 2009年12月5日 (土) 13:24 (UTC)



公序良俗が一般法で軽んじいるようですが、何かおかしいんですか?判断基準は人によってことなるので、したがって適切ではない?それはあなたが勝手な言い分に過ぎません。国の法までも、軽視するのですか? 公序良俗の類型には人権も含まれています。あなたとの議論にはまったく取り留めがないので今後は一切致しません。

Tekunoさん 君の一見理論的な説明は、実に稚拙で幼稚です。 勿論、実名掲載には断固として反対します。掲載が見られた場合、早急に削除いたしまします。どんなに理論的な話し方をしても、元々の説に無理があるから納得もしないし心にも届かない。 そして君たちがやろうとしていることは、なんら落ち度の無い人の実名を、該当者が抗議しているのに無理矢理に書き込もうとしていることです。これは限りなくいってますが、公序良俗に反し名誉毀損にあたえるものと理解します。週間朝日が出典であろうとも、それをキーボードを叩いて打ち込んで表記した人間の責任と罪であるのは間違いありません。 Wikipediaは便利なインターネットの辞典だと思います。上手に使えば、とても素晴らしい情報が得られると考えます。しかし、あなた方のような公序良俗、道徳や倫理に反する行動、果ては名誉毀損をも平気で行いかねない姿勢の編集はWikipediaの信頼性と品位を汚し損なうに十分なものだと確信します。 極めて利己的で迷惑な利用者だと判断します。このような異常ともいえる編集を見逃すことは辞典としての自殺行為に等しいと考えます。'--Motobeatle 2009年12月6日 (日) 08:22 (UTC)

Motobeatleさんが特に否定・追加の意見提示をしなかったので、以下の2点については問題ないものと考えて良いと思います。1.小説のモデルとなった人物・組織の実名を記載するにあたり、FLHCさんの編集方針は三大方針をはじめとするWikipediaのすべてのガイドラインに沿ったものである。2.Wkipediaでの小説のモデルとなった人物・組織の実名の記載に際し、障害となる法はない。さて、Motobeatleさんに何点か申し上げておくことがあります。私は民法90条を軽んじているわけではありません。ただ、民法90条の解釈は幅が非常に広く、Motobeatleさんの説を裏付けるには拙いというだけです(Motobeatleさんは民法90条に反するとの見解ですが、私は民法90条に反するとは思いません)。だからこそ、もっと具体的な規定がある法を示すように申し上げたのです。ところで、『実名の記載を該当者が抗議している』ということに何か根拠(出典)があるのですか? あるなら、示すべきです。最後に、「議論をしない」、「自分の基準だけで判断し他人の意見をきかない」、「何としてでも断固として削除する」…このような行為を繰り返すと投稿ブロックの対象になることを御承知下さい。--Tekuno 2009年12月6日 (日) 09:59 (UTC)
コメント依頼を見てきました。ここまでの議論を見るにMotobeatle氏の主張には説得力がありません。そもそも氏は最初は「出典がない」を唯一の拠り所に実名掲載反対を唱えていました。ところが「出典」の詳細が明らかにされ、掲載されていないはずだった人物名が実は掲載されていたと示されるや、今度は一転して「公序良俗」だの「人権」などを持ち出して従来とは違う主張を始めています。すでに公知といってもよいモデルの企業や人物の実名が明記されることが人権侵害にあたるという主張は全く無理やりすぎます。このことは、「掲載阻止」の結論まずありきで、理由は後付けで無理やり探してきたに過ぎないのだろうと推測するに充分です。 2009年12月6日 (日) 08:22 (UTC)の発言はもはやWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに完全に抵触していると言わざるをえず、ここで軌道修正していただかないことには、Tekuno氏の警告しているような事態に至るのもそう先のことではないでしょう。
実在の企業・人物をモデルにしていることは本作品の特徴として重要であり、明記するのが自然です。ただし判明しているすべてのモデルについて長々しくリストアップする必要があるかは検討の余地があるかもしれません。--Kojidoi 2009年12月6日 (日) 10:51 (UTC)

kojidoiさん 確かに、その点での私の部分は矛盾しているのかもしれません。ただ、これは当該者達が、その週刊誌に反論として抗議している物ですよね。それを出典とするのは如何なものかと。それでも、確かに矛盾はあるでしょう。その点は私も良くなかったと思います。

では、何故それでも反対するか

実在の企業・人物をモデルにしていることは本作品の特徴として重要 とあなたは申されていますが、それが重要な問題点でもあるのです。内容がノンフィクションであれば問題はないかもしれない。しかし、この話は該当者の身に覚えのない悪行や行動を、いかにも本当はあったかの如く表現している。人によってはまるで悪の権化のように描かれている。これに問題はあると思いませんか?そして、その方々を簡単に特定できるような容易な変名で表現する。実際に起きた未曾有の航空機事故は当時を生きてきた方なら、ほとんどが知ってます。しかし、現場の内情などはごく一握りの人しか知らない。そこにフィクションを盛り込んだらどうなるか?内情の知らない人は、「ああ、実際はこういうことがあったのだな」と認識する可能性は高い。実際にネット上で書かれた、この映画のレビューにはそういう見事に誤解した感想をいくつか見受けました。 なんら罪の無い人が、事実無根の悪事を働いたいう誤解をあたえられてしまっているのです。そこに、その方々の実名が表記されたた...どのような事になるか想像はできますよね。

これはまさに人権の問題となるのです。それは公序良俗に反することになるし、この問題はその精神で排除しなければならないと考えます。 大きなメディアに比べれば、個人の力は無に等しいものです。その方々は亡くなられた方もいるでしょうが、多くの方は私達の側で生きているのです。当然、生活する為には色々な人と交あわなくてあならない。 そんな中で、このような誤解を大々的に表現されたら...個人の力では一生リカバリーはできず苦しみ続ける可能性だってあるのです。そこを分かってほしいのです。--Motobeatle 2009年12月6日 (日) 12:20 (UTC)

Kojidoiさん、有意義な御意見ありがとうございます。Motobeatleさん、ひとつ確認です。『(小説「沈まぬ太陽」に対して)当該者達が、その週刊誌に反論として抗議している』のですね。先に確認を求めましたが、これは即ち「モデルとなった人物・組織の実名の記載を、該当者が抗議しているわけではない」と理解します。よろしいですね。これは記載をするうえで、重要なファクターがクリアされたことになります。大きな前進です。--Tekuno 2009年12月6日 (日) 13:04 (UTC)
追加でコメントしておきます。Motobeatleさん、2009年12月6日 (日) 12:20 (UTC)にMotobeatleさんが説明されていたことは、「小説・映画「沈まぬ太陽」に対する批判」ですね。「Wikipediaでモデルとなった人物・組織の実名を記載することに対する批判」とは論点がずれており、違いますね。この論点のずれからMotobeatleさんが何を誤解されているか分かりました。それでは、このように考えられてはいかがでしょう。小説・映画「沈まぬ太陽」で悪役に描かれて苦痛を受けた人がいるとします。ならば、Wikipediaで「悪役に描かれたことに異議があると、名誉回復のために、週刊誌で名乗りを挙げた人がいる」と記述することで、モデルとなった方の名誉が回復されると考えるのです。彼らの「人権」が尊重され、「公序良俗」は保たれるのです。FLHCさんの編集方針はまさにそれです。Motobeatleさん、それでもFLHCさんの編集方針に反対し記載を拒まれるのですか?
最後になりましたが、Kojidoiさんが指摘された『モデルについて長々しくリストアップする必要があるか』についてですが、当該記事のあり方を#おもな登場人物・モデルの復旧で議論しております。よくよく検討したいと思います。御指摘、ありがとうございました。--Tekuno 2009年12月6日 (日) 14:02 (UTC)
議論への復帰が遅くなってしまい申し訳ありません、都内へ出張してきまして先程戻って参りました。先程まで長々と文章を考えていたのですが荒いものでしたので要旨だけ。
人権上の問題は、それを記事とした一次情報源(週刊朝日)に限られ、二次情報源(Wikipedia)は一次情報源が法的な規制を受けた場合にのみ、Wikipediaでの記載に関する問題としてここで議論をすべきではありませんか?つまり、一次情報源の内容をあーだこーだ議論する必要は最初から我々にはなかったのです。私はこのような結論に至りましたが、いかがでしょうか。--FLHC 2009年12月6日 (日) 16:35 (UTC)
フィクションをノンフィクションを誤解する人がいるといいますが、フィクションであることがしつこく念押しされているこの作品で、そのような「誤解」をするほうがおかしいのであって、モデルとして言及されることが人権問題になるとか公序良俗に反するとは全く思えません。確かに「作品中のXというエピソードは実在の人物YがかかわったZという事件をモデルにしている」などと書いたら「Yが……事件」までの箇所が名誉棄損とみなされる可能性は考えられなくもありません。しかし、Tekunoさんのコメントにあるように「雑誌Aでは登場人物BのモデルはCという人物だとされている。これに対してCの名誉を不当に貶めていると雑誌Dは批判している」などの書き方をすれば中立的であり、問題は全く起こりえませんし、wikipediaとは基本的にそのような記述を書き連ねていくところです。Motobeatleさんは、ここのところをよくお考えになるべきだろうと思われます。--115.177.50.59 2009年12月6日 (日) 17:40 (UTC)ログインし損ねていました。以上のコメントはkojidoiによるものです。--Kojidoi 2009年12月6日 (日) 17:42 (UTC)


私が、いくら人権や人間の尊厳、公序良俗の重要性を述べてもそれについての考えというものは誰も一向に述べることはないようですね。 そして、'なぜ人権侵害と名誉毀損の可能性があり、なんら罪や落ち度のない方々の実名を表記する'動機も。これら重大な表現をするという行為に対して、なんの理由も動機も認識できません。 私は以前から動機を伺っていますよ。 実名を表記するという目的の為に、言い方と表現を替えて投稿しているようにしか見えません。 Wikipediaには公序良俗の法はないと私に言う人がいました。図らずも私に投稿ブロックの対象者になると警告もしてきましたが、該当する内容事項には公序良俗に反するものもでているようですね。 あなた方は間違ったことを行おうとしていると考えます。人の尊厳や名誉を踏みにじり、苦悩する作用の行動をしようとしています。そこに善良の精神は見あたりません。表記した場合は公序良俗に反します。--Motobeatle 2009年12月7日 (月) 09:08 (UTC)

FLHCさん、Kojidoiさんの意見に賛同いたします。つきましては、FLHCさんの編集方針に合意することを改めて表明します。
Motobeatleさん。人権や公序良俗については、私もFLHCさんもKojidoiさんも意見を表明しています。そして、我々の「モデルの実名を記載することは、人権や公序良俗を守るにあたって問題ない」との主張に対して、Motobeatleさんは(持論を一方的に述べるだけで)議論を拒否されております。「実名を表記する動機」ですが、私が特に答えないのは、掲載の可否の議論において関係ないからです(#おもな登場人物・モデルの復旧に書いていますが)。これについては、Kojidoiさんは『実在の企業・人物をモデルにしていることは本作品の特徴として重要であり、明記するのが自然です』と明確に答えておられます。Motobeatleさんは、自らが提示した質問に対する回答においてさえ、議論を拒否されております。そして、何の根拠もなく「あなた方は間違っている」、「あなた方は善良ではない」、「あなた方は人権を蹂躙し公序良俗に反している」と繰り返し述べるだけで、Motobeatleさんは議論の正常な進行を妨害されております。以上の点について改めてください。改めるとお返事いただけない場合は、改める意思がないものとみなします。--Tekuno 2009年12月7日 (月) 13:58 (UTC)
  • 「いくら人権や人間の尊厳、公序良俗の重要性を述べてもそれについての考えというものは誰も一向に述べることはない」のは、話題の編集行為がこれらを侵害するものでない以上、述べる必要がないというだけのことです。
  • 私たちは上記の主張についてそれなりの論拠を示していますが、Motobeatleさんは当該編集行為が人権侵害だとの持論をただ繰り返すばかりで、我々の反論に対して反証を示していません。これでは議論の進めようがありません。
  • MotobeatleさんはTekunoさんやFLHCさんに対して管理者伝言板に投稿ブロックの依頼を出していますね。しかも「不適切な利用者名」という脈略不明な理由でです。これは、なりふり構わず論敵の口封じをしようという意図だと受け取られても仕方がない行為です。取り下げされることを強く勧告します。脅迫めいたことを言いたくはありませんが、こういうことをすれば被ブロックに近づくのは確実にMotobeatleさんのほうだろうと思われます。こんなバカなことに費やす時間があるのなら、私の発言に対する見解を聞かせていただきたいところです。--Kojidoi 2009年12月7日 (月) 17:10 (UTC) 

「私の発言に対する見解を聞かせて」ってKojidoiさん、私はあなたが投稿をする前から、それは説明してますよ。大丈夫ですか?しっかりしてください。

さてTekuno君 動機の説明は、またしても関係ないですか。関係あるのですよ。このページの本文説明は実名掲載が無くとも十分説明に足りうります。それを乗り越えて何ら罪のない方の実名や働いている会社名を明記するのだから、その動機や意味合いは説明しなくてはならないのですよ。だから、あなたは稚拙であり幼稚であり、狡猾だと思うのです。何ら罪のない他人の方の名を公表する意志は君自身が強固にあるくせに、その実行する気持ちの説明はまるでしない。責任も負おうとはしない。議論を拒否しているのではなく、君のような人には何を言っても駄目だろうと感じてるまでなのですよ。--Motobeatle 2009年12月8日 (火) 07:14 (UTC)

モデルの掲載がWikipediaのガイドラインに反するというご意見が現時点で無いことから、出典のあるモデルの掲載に関しましては「現時点において、Wikipediaのガイドラインに反するものではない」との信任を得たと判断致します。よって本日で1週間のお話合いを終えたとして、更に3日ほど猶予を取った後に下記の編集を行いたく考えております(すぐに編集しても問題はなさそうですが編集合戦を極力避けたいためです)。

  • 2009年11月10日 (火) 13:21の版より「おもな登場人物・モデル」節の復帰。
  • 復帰した節より、出典が明らかでないモデルの除去。モデルの経歴の除去。
  • 節名を「主な登場人物・企業」に変更。
  • ほか、細部の修正(子節名の修正や表記の修正等)。

表示上はかなり大きな修正になりますが如何でしょうか。モデルの経歴は、その人物の記事に掲載すべきものですので除去致します。--FLHC 2009年12月8日 (火) 10:13 (UTC)

FLHCさん、何を言うのですか!それは公序良俗と良心に反し、名誉毀損と人権侵害を犯すものです。Wikipediaの編集方針にも反します。そして、その編集を行う事はWikipediaの品位と信頼性を著しく損ねるものと確信します。その編集はされてはなりません。なんら落ち度や罪のない方の実名明記はされてはならないものです。強固に反対します。--Motobeatle 2009年12月8日 (火) 10:30 (UTC)

賛成 FLHCさんの編集方針に賛成します。FLHCさんの編集方針が、1.Wikipediaの方針に反しない。2.各種法令に反しない。なおかつ、3.モデルとなった人物は実名の記載に反対していない。そして、4.「沈まぬ太陽」は実在の企業・人物をモデルにしていることが特徴として重要であり、明記するのが自然である。以上の観点から、掲載は妥当であると考えます。
Motobeatleさん。2009年12月7日 (月) 13:58 (UTC)の私の質問に対して、「改める」と回答いただけませんでした。また、その後のノートでの態度をみるに、これまでと同様の姿勢を貫かれようとしています。さらに、あろうことか、私とFLHCさんを投稿ブロックの対象にしようとしました。以上の点を鑑みまして、「Motobeatleさんは私どもと対話・議論をする意思がない」かつ「Motobeatleさんは本ノートページにおいて正常な議論の進行を妨害している」ものと判断します。さらに、「Motobeatleさんは警告を行ったにもかかわらず、個人攻撃を行った」ことを確認しました。非常に残念です。--Tekuno 2009年12月8日 (火) 10:56 (UTC)
これはまたTekuno氏、おかしな事をいいますね。私は返答しているではありませんか。また、あなたのいうFLHC氏の四つの編集方針は全て間違っていると思います。図らずも、あなたが私に警告して教えてくれた投稿ブロックは、あなた方自身が該当すると確信を得ましたので投稿させて頂きました。でっち上げならいけないことですが、そうではないとも思いますし。あなたは自分のことは少しでも書かれると妙に反応するようですが、あなた方は、議論の対象となっている方々の実名を列記しようとしているのですよ。それはいけないことだとは思いませんか?--Motobeatle 2009年12月8日 (火) 11:57 (UTC)
Motobeatleさん。また、何の根拠もなく自らの主張を同じように繰り返すだけですね。非常に残念ですが、Motobeatleさんは対話・議論をする意思がなく、正常な議論の進行を妨害していることを私は確信しました。このような結果になるとは、本当に残念です。--Tekuno 2009年12月8日 (火) 12:35 (UTC)
賛成 これ以上やり取りを続けても無駄でしょう。FLHCさんの示した方向で問題ないと考えます。--Kojidoi 2009年12月8日 (火) 15:18 (UTC)

報告モデルとなった人物・組織の記載に唯一反対していたMotobeatle氏が、暫定的に1週間の投稿ブロックを受けました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Motobeatleにおいても、現在のところ、ブロックに賛成7票・反対0票で、かつ、長期的なブロックを求める意見が大勢です。Motobeatle氏は長期的な投稿ブロックを受けるものとみられます。--Tekuno 2009年12月9日 (水) 11:38 (UTC)

反対票一個入ってます、というか一週間のブロックは方針熟読のためですので各種方針を理解してくれることを願いましょう、正直いろいろな意味でかなり難しいとは思いますが。
方針上掲載可能ということには同意した上で、ちと質問があるのですが、議論中途を見ると登場人物のモデルとなった人物と"推定される"と週刊朝日では表現されています。一応週刊誌上に掲載されてはいますがあくまで推定であり、推定した人物の信頼性があるのか?という点です。日航に好意的・非好意的かを問わず中立的に見ているかという点でも若干疑問に感じます。
あと資料本体は確認していませんがウェブ上の情報で推定すると、週刊朝日(00'2/11,2/18)でモデルについて記述し日航関係者が擁護・否定的見解を述べ、恩地元のモデルとなった小倉氏が日航の体制を批判、次に週刊新潮(00'2/24)で抗議文・遺族の声を主にした反論記事を掲載、週刊現代(XX'6/10)で深田祐介氏が『沈まぬ太陽』徹底批判。この流れで多分よいと思うのですが間違いはないでしょうか。
現在の記事ではキャストに関して、役者の名前のみでは作品を見た人にしか役職や役割が分かりません、記事の充実のため記述は欲しいところです。で、ここから先は個人的な見解になるのですが、わざわざモデルの人名を連々と挙げずともキャストの役職役割を軽く触れておき、下にあるその他の場所で上で挙げた一連の週刊朝日・週刊新潮・週刊現代、(資料があれば)当時の日航の社内誌内に掲載された内容の概要を示しておけばいいのでは?とも考えます(モデルになった人物の名前が知りたい人はそこまで多数とは思わないし、詳細を知りたい方には日航機墜落事故のページをチェックするなり脚注の資料や関連書籍を図書館などで調査するなりして、より正確なところを調べて欲しいって考えは不親切なのでしょうか?)履歴で見た各人のモデル対応を見てると『沈まぬ太陽』を見てるのか『日航機墜落事故』を見てるのかと疑問に思えたことからの読む方の視点の一つと取っていただけると幸いです。--210.141.54.215 2009年12月10日 (木) 15:20 (UTC)
週刊朝日2000年2月11日号に掲載されている本文によりますと「(省略)。みんな肩書や状況設定がそっくり。主な登場人物の中では、山崎氏自身が、「モデルはいません。(省略)」と明かした「行天四朗」ら数人を除くと、ほぼモデルを特定できるように描かれている=左上の表参照。」と書かれています。この文章から週刊誌側で小説とモデル双方の検証を行っており、モデルはほぼ特定出来ている事から実際に表として記載されていると考えられないでしょうか。私はその事から信憑性に関しては問題はないと考えております。もしも新聞ではなく週刊誌である事を問題とされるのでしたら、出典元を本文中に明記する事で注意を促すのは如何でしょう。
マスコミの中立性をこの場で問うのは意味がないのではありませんか。どちらかの主張を本文に掲載するのであればもう一方の主張も掲載し両論付記する事で問題はなくなるかと思われますが、ただモデルに関しては両論があるとは認識しておりません。
フィクション作品と銘打たれていますがこの作品にはモデルが存在します。出典があり、ある程度の信頼性を確保できるのであれば掲載する事で記事の充実を図る事がよいと考えております。フィクションでありながらモデルが掲載されている作品としては例えばゴルゴ13があります。ただ、仰る通りこの記事は「沈まぬ太陽」であり「日航機墜落事故」ではありません。その事からもモデルの掲載は行いますがそれ以上の記述、つまりモデルの経歴や日航機墜落事故での対応といった作品に直接関係しない事柄は記載すべきでないと考えております。その考えから、先のご提案にて「モデルの経歴の除去。」という一文を入れさせて頂きました。
とはいえ、モデルを掲載した場合もしなかった場合も、どちらにしても記事量が明らかに少ないです。スタブからの脱却が編集者にとっての課題ですね。--FLHC 2009年12月10日 (木) 16:57 (UTC)
この編集ですが、日本語として少しおかしいように思います。しかし、急ぐことはないので、加筆修正は議論が落ち着いてからにしませんか。--Kojidoi 2009年12月10日 (木) 15:41 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。当該個所の編集を行ったTekunoです。「(以前の版の)『事実を小説的に再構築した』では意味合いが違う」と、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Motobeatleで指摘を受けたので修正をしたのですが、確かに日本語としておかしいというか妙に難解ですね(一応可読性を上げるために「」で囲っているのですが)。この個所は出典とした原典の文章も難解です。原典の巻頭の文章を引用しますと『この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基づき、小説的に再構築したものである。但し御巣鷹山事故に関しては、一部のご遺族と関係者を実名にさせて戴いたことを明記します。』とあります。もっといい表現があるのかもしれませんが、現段階では私には思い浮かびません。皆さまのお知恵を拝借したいところです。--Tekuno 2009年12月11日 (金) 12:35 (UTC)

報告 告知していた通り、主な登場人物・企業節を記事の方に反映させました。議論に参加頂いた多くの方々に御礼申し上げます。内容に関しましては問題のない最低限の部分となっておりますので空白が多くなっておりますので他の方々の加筆に期待したいと思います。--FLHC 2009年12月12日 (土) 13:40 (UTC)

外部リンクの「沈まぬ太陽 余話」を削除しました。wikipediaの規定にある「個人の独自研究の結果は載せない」「自費出版や個人のwebサイトを出典ソースとしない」旨に違反しています。124.27.23.242 2016年5月29日 (日) 14:13 (UTC)

出典のある記述の削除を行わないでください

2009年12月5日 (土) 08:51の版で、Motobeatleさんが出典のある記述を削除されていましたが、出典のある記述の削除はやめてください。これは現在他の節で議論している「実名を載せるか否か」の議論とは関係のない記述です。--Tekuno 2009年12月5日 (土) 09:32 (UTC)

  • 出典がどうこうというより、なんの文学に属するかを説明すればいいのだから原作者の意味難解な表現の言葉は不要です。また、これを見る人にも誤解や勘違いをあたえると思いますので削除しました。--Motobeatle 2009年12月19日 (土) 15:21 (UTC)
不要であるか、誤解や勘違いを与えるというのは、現在のところMotobeatleさんの主観が中心となっています。まずは編集除去を行う前に、他の利用者と話し合う姿勢を見せてください。--海獺 2009年12月19日 (土) 15:27 (UTC)

報告Motobeatle氏は無期限の投稿ブロックを受けました。(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Motobeatle)--Tekuno 2009年12月20日 (日) 02:22 (UTC)

モデルの実名について

この項目があくまで、小説、映画などの作品を対象にし、実話をもとにしたフィクションであると言うことであるならば、その旨だけ(たとえば「週刊朝日は何年何月何日号で登場人物のモデルを実名で併記した」という記載に留めるなど)を明記するということではまずいのでしょうか? 山崎豊子氏自らがモデルの実名を出していないならば、週刊誌の取材による憶測がどれくらい含まれているかわからず、その週刊誌によって名前が挙がった(この小説のモデルと目されるということ以外には)もともと著名な方ではない方で、且つご存命の方が迷惑している、またはそれを巡って係争が起こっていることなどを考え併せると、Wikipediaでことさら実名を記載して取り扱うことに疑問を感じます。これは「週刊朝日という出典が示されているから記載は可能である」という次元でなく、「週刊朝日という出典があっても、それを下に著名でない方の人名を記載することはWikipediaの役割であるかどうか」という次元のお話で、方針から言えばWikipedia:存命人物の伝記に記載されていることの解釈によるものです。(政治家などの公人と看做される人物を除き)実名が記載されている方々がご存命かどうかは別途調べる必要がありますが、実名記載の必要については疑問を感じましたので、Wikipedia:削除の方針の「B-2:プライバシー問題に関して」の解釈も含めて、 もう一度話し合いの機会を持たせていただければと思います。--海獺 2009年12月19日 (土) 05:29 (UTC)

まずWikipedia:存命人物の伝記ですが、これは「「存命人物の伝記」の執筆時」に使われる方針であって今回のフィクション作品におけるモデル名の掲載とは何ら関係のない方針だと思われますが如何でしょうか。もちろん存命人物の執筆時には細心の注意が必要とされる事は私自身も理解しておりますし、過去にも出典のない著名人の記述を除去した事があります。ただモデル名の記載が「伝記」に当たるのかと言われますと首を傾げます。「実話をもとにしたフィクション」であるのならば当然実話を基にしたモデルが存在するでしょうし、そのモデル名を記載する事はこの作品を語る上で必要な一つのファクターではないでしょうか。また、係争が起こっていると仰られていますが、この作品に対して行われた訴訟等があるという事を私は存じておりません。もし個人レベルでの批判等々を問題とされるのでしたら、それは各個人に対して別途対応すべき問題であり全てのモデルを掲載してはいけないという事にはなりません。最後に、モデル名として記載されていますがWikipedia上に記事のない方は7名です(1名は削除依頼中、1名は別人)。それ以外の方の記載に関しては問題はないように考えておりますが、この点については如何でしょう。--FLHC 2009年12月19日 (土) 07:42 (UTC)
私は以前「Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について」というお知らせというかご案内を書いたことがあり、記載されている内容によって派生するWikipedia及び記述者のリスクを考えました。今回の件での訴訟などの可能性は本項目の「映画」欄に書いてあり、実際の訴訟には至っていないものの、名誉毀損という語句を使った警告文が提出されているということになっているようです。現在進行の事象と捉えて差し支えないかと思います。
全てのモデルを掲載してはいけないとういう観点でお話をしているつもりはなく、週刊誌が取材した結果のモデルと目される人物について、現段階で記載する必要があるかというお話の際に、作品上では「重要」なファクターではあると私は思うものの、Wikipediaで記載する「必要」は感じません。この小説で取り上げられそのモデルはこの人物であると週刊誌が記載されたこと以外では、Wikipedia上では著名性があるといえない人物に関しては、モデル名の記載は避けたほうが良いのではないかと思います。そのためにモデルとされ実名が挙がった人物一人一人について考えていくべきだと思います。
Wikipedia:存命人物の伝記は、当該人物記事以外では適用されない方針であるとは私は考えておらず、なぜそのような文書が作られ公式な方針となったのかの経緯を考えれば、Wikipedia上では存命の方々に対してはより配慮してくださいねという文書であると捉えています。よってWikipediaでは事件記事の関係者の実名が伏せられることも含めて、私人のプライバシーについては、より慎重であるべきという考えを私は持っています。もしこのスタンスがFLHCさんと異なるとしてもWikipedia:存命人物の伝記が今回の件と「何ら関係のない方針」であるとは思いません。
FLHCさんにお伺いしたいのですが、週刊誌が取材した結果による、私人と看做される可能性がある存命の人物名を、Wikipediaで記載する「必要性」とはどういったものでしょうか?--海獺 2009年12月19日 (土) 08:17 (UTC)
Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について」を拝見致しました。なかなか厄介な問題のようですね、正直なところリスクに対しては楽観視していました。今回のケースのように「(私個人の考えでは)Wikipediaのガイドラインに沿った記載を行っていた」としても名誉棄損として情報開示を受け法的な問題になる可能性がある、という事ですね。
今回のケースでは雑誌を出典としたモデル名の記載だけでありそれがこの記事/作品を説明する上で有益な事で、その記述が名誉棄損の余地はないように考えておりましたが、それは訴える側の出方次第という事ですね。私は一サラリーマンであり社会的な生活を営んでおります。法的な問題になった際のリスクを考慮した上で、週刊誌の記述を出典としてモデル名の記載を行う事は難しいと判断せざるを得ません。著名人のモデル名掲載に関しても除去すべきでしょう。場合によっては削除が必要だと思われます。
ひとまず記事中からモデル名の除去を行いますが、その後のプロセスに関しては海獺氏のご助言を頂けましたら幸いであります。--FLHC 2009年12月19日 (土) 09:16 (UTC)
上記したように、私はその一人一人で対応を考えたほうが良いのではないかと思います。削除するかどうかについてはまた別の問題なのかなとも思います。「Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について」で書いたような、善意や記事の充実という気持ちでの行動が、あまり面白くない方向に行く可能性を考えると、私はこういった形で執筆者を守る方向のお話をせざるを得ないということをご理解いただければと思います。もちろん何も問題は起こらないかもしれませんし、杞憂である、私の考えすぎであるというご意見もあると思いますので(実際に「Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について」でのケースはその後立ち消えになっています)、今後はひとりひとりについて、実名記載の方向性をじっくりとお話し合いいただければと思います。選択肢の中には実名部分の削除もあるように思います。--海獺 2009年12月19日 (土) 09:33 (UTC)
資料(週刊朝日2000年2月11日号および18日号)の信憑性と当該人物の存命か否か、著名人か否かが、検討を行うにあたって重要かと思います。資料の信憑性についてはFLHCさんが詳しいと思いますので、FLHCさんにゆずるとして、まず議論の土台となる当該人物の現状についてまとめておきます。
    • 恩地元(のモデル)…存命、著名人
    • 八馬忠次(のモデル)…存命
    • 桧山(のモデル)…故人
    • 小暮(のモデル)…故人
    • 堂本信介(のモデル)…故人
    • 国見正之(のモデル)…存命
    • 海野昇(のモデル)…故人
    • 三成通男(のモデル)…故人
    • 秋月純(のモデル)…存命?
    • 川野(のモデル)…存命?
    • 利根川泰司(のモデル)…存命、著名人
    • 竹丸(のモデル)…故人、著名人
    • 十時(のモデル)…故人、著名人
    • 道塚(のモデル)…故人、著名人
    • 永田(のモデル)…故人、著名人
    • 龍崎一清(のモデル)…故人、著名人?
    • 石黒(のモデル)…存命?
    • 井之山(のモデル)…存命、著名人
    • 安西富貴(のモデル)…存命、著名人
以上にようになります(間違い等ありましたら、直して頂けると幸いです)。この中で存命で著名人でないのは、八馬忠次、国見正之、秋月純、川野、石黒(のモデル)の5名です(著名人であるかどうかは私の主観によるところが大きいですが)。以上の人物、特に最後に挙げた5名が、本件を検討するにあたり重要になるかと思います。--Tekuno 2009年12月19日 (土) 08:05 (UTC)
まず資料の信憑性はここでは問題点としてあげていないつもりです。ここは資料の検証を行う場所ではないからです。ご存命であるか、著名といえるかという部分を中心に考えていただければと思います。--海獺 2009年12月19日 (土) 08:23 (UTC)
Motobeatle氏の主張は全く論拠がおかしいし、お話になりませんが、このことと特筆性・検証可能性の話はしっかり区別して考えるべきでしょう。
  • 当該作品が実在の団体・人物・事件を下敷きにしていることは重要でありしっかり説明すべきである。
  • すべての固有名詞を排除する必要はない。
と思いますが、ここで挙げられている人物についてすべて列挙すべき特筆性があるかとなると話は別だろうと思います。主人公のモデルとされる小倉寛太郎氏はそのことを自著の中で事実上公認しているようですし、この人の辿った履歴が最重要なモデルであることは疑いようはないので、同氏について記事中に言及することは問題なかろうと思います。しかし、他のほとんどの人物については私の知る限りでは本人または作者が公に認めた事実がなく、雑誌の推測だけです。検証可能性は皆無とは言わないまでも小倉氏よりは弱いといえます。一方、記事としてのバランスを考えたとき、特にモデルとなった事実の個別の明示がなくても作品の解説は十分に成立し得るように思われます。こう考えると、記事中にモデルとして言及すべき固有名詞は日航・123便事故・小倉寛太郎の3者だけで十分で、わざわざ衝突の危険性を増してまで他の実在の人物の記述にこだわる必然性はなかろうかとも思います。原理原則を尊重することは良いですが、本質が揺るがないのであれば妥協も悪いことではありません。--Kojidoi 2009年12月19日 (土) 12:51 (UTC) リンク追加--Kojidoi 2009年12月19日 (土) 14:13 (UTC)
Kojidoiさんのご意見に賛成です。記事の構成から言っても、モデル名なしで、作品理解に支障はないと思います。--miya 2009年12月20日 (日) 15:37 (UTC)
コメント依頼を拝見してきました。まず「出典どうのこうの」は議論が終わっていると思いますので割愛します。二点目の実名記載に関しては、存命しているかどうかに関わらずモデルになっている方は全て「一般人」であり、そして「実際の事故の記事」ではないことに留意すべきだと思います。Kojidoiさんの考えに沿い、自称している方並びに法人名程度は記載しても差し支えないもの、その他の方は記載すべきではないものとすべきと考えます。(段組がうまくないですがご容赦ください。)--Springtide 2009年12月21日 (月) 12:21 (UTC)
Motobeatle氏との話し合いの流れで検証可能性と特筆性をごちゃ混ぜにしていた事は否めません。議論を複雑化してしまった事をお詫び申し上げます。改めましてKojidoi氏のご意見に賛同し、企業・基となった事故・ご自身で認められている方の3者の掲載に関しては問題ないと考えております。--FLHC 2009年12月22日 (火) 05:36 (UTC)

私もKojidoiさんの意見に賛同します。その上で特筆性がないという要素を考えたとき、「人名の除去」ではなく、記載されている版の「削除」について、皆さんはどうお考えか、うかがいたいと思います。--海獺 2009年12月22日 (火) 05:49 (UTC)

削除の方針の特定版削除に関する記述を読みましたが、そこに掲げられている条件に本事案が合致しているのかどうか、私にはしかと判断しかねました。過去に類似の案件があるようならそれを参考にすることもできると思うのですが、何かあるでしょうか。--Kojidoi 2009年12月23日 (水) 04:41 (UTC)
解釈によると思うのですがWikipedia:削除の方針の「ケース B-2:プライバシー問題に関して」に抵触するのではないかという見解を私は持っています。対象となるのは「実話をもとにしたフィクション」において「週刊誌にモデルとして挙げられた」、「それ以外に特筆性があると思われない」「実在する人物名」となります。この条件での類似案件は思い浮かびません。--海獺 2009年12月23日 (水) 05:36 (UTC)

長らく議論に参加出来ず、申し訳ありません。Kojidoiさんの意見にほぼ賛同します。他に敢えて、特筆性があるモデルがいるとすれば、山崎豊子小説の常連である龍崎一清(のモデル)くらいでしょうか。さて、特筆性と特定版削除の件ですが、しっかりと考慮しなくてはなりませんね。定期的に議論に参加出来ず、重ね重ね申し訳ないのですが、皆様削除相当との判断でしたら、削除にあたって私は特に反対しません。--Tekuno 2010年1月15日 (金) 10:45 (UTC)

Kojidoiさんの意見を踏まえた場合、海獺さんの削除議論提起も必然的に発生してしまいますね…。ただ、この二つは必ずリンクしなくてはいけないことではなく、書く書かないこと自体は記事ローカルルールとしての合意でも済むと思うのですね。ただ、削除に関して今回はガイドライン上グレーに近いと思うので議論が非常に難しい事になると思うのです。とりあえず版削除の結果を問わず、「人名記載は自称者など最低限のみとする」という合意をここで固めておいた方がいいと思うのですが、少なくともこの記事における記載に関してKojidoiさんの提言通りにするということで皆様よろしいんでしょうかね。確認が多くて申し訳ないです。--Springtide 2010年1月17日 (日) 17:17 (UTC)

≪「人名記載は自称者など最低限のみとする」という合意≫については皆さんのリプライを待って決着とするとして、海獺さんの削除議論提起の方は、今回議論に参加している人々の中ではいまひとつ決定的な見解を確立することが難しく、もう少しいろいろな人の意見を集約すべきであるような気がします。いきなり「削除依頼」にもっていって識者の判断を仰ぐ……というのはやっぱりオーバーステップでしょうかね。ところで、本件のモデルである日本航空123便墜落事故の記事の現状が非常におかしなことになっていてそっちの方が気になっています。--Kojidoi 2010年1月18日 (月) 15:49 (UTC)

Motobeatleさんのコメント

  • 海獺さんの言われることは非常に重要でまっとうなことであると思います。また、他の方で私に対する個人攻撃をしている人がいますが止めてください。--Motobeatle 2009年12月19日 (土) 15:03 (UTC)
問題点を拡散させないでください。現状ではMotobeatleさんの主張内容ではなく、議論姿勢も問題になっているということも意識していただき、内容についての合意を目指す方向で動いていただくことをお願いします。記事の編集についても急がずにお願いできないでしょうか?--海獺 2009年12月19日 (土) 15:24 (UTC)
  • 分かりました。そのように心がけるよう努力します。私は人権というものは、とても大事であると考えます。本人が望でもなく抗議していた状態での表記はあってはならないという考えは変わらずあります。

以前にも、度々申し上げましたが大きなメディアの前では個人の力というものは無に等しいものです。本人に身に覚えのない悪行や行動を小説にそれとわかる変名で表現されいるだけで大変な被害と苦痛を与えるに十分なものである筈です。一生本人がリカバリーをしようとしてもできないかもしれないのです。いや、もしかしたら亡くなった後もその方の家族がその汚名を背負う事態すらあるかもしれません。良識のある編集がなによりも必要不可欠であると考えます。--Motobeatle 2009年12月19日 (土) 15:58 (UTC)

報告Motobeatle氏は無期限の投稿ブロックを受けました。(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Motobeatle)--Tekuno 2009年12月20日 (日) 02:22 (UTC)