ノート:池田屋事件

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池田屋事件の維新志士の陰謀が捏造とする説も併記しないと不公平です[編集]

池田屋事件は捏造の可能性があります。京都を火の海というのは、拷問されて自白した人物が言っていたとされるだけで、その人物も速攻で処刑されており、事実が不明です。 幕府側の記述にはありますが、志士側の記録には、京都に火をつけて、天皇拉致なんて計画は残っていないです。 木戸日記にも、このときの池田屋で計画されていたのは、新撰組に上記の拉致監禁され、拷問されている仲間を救うための会合と残っており、 新撰組が主張する理由ではないです。 新撰組が拷問により吐かせた、その後その人は口封じで殺されている。このようなものしか、証拠がないのだから、捏造説は有力と言わざるおえません。なんにせよ、池田屋事件には維新志士側にそのような陰謀があったという証拠がなく、事件後は結果として新撰組・佐幕派をイメージアップさせ、 長州の維新志士をトンデモない連中に貶める効果がありました。さらに新撰組への名声が増し幕府からの予算も増額されたといいます。 こういう陰謀は池田屋事件を自白したとされる維新志士の拷問を担当した策士の土方歳三の考えそうな策だと思います。--ちょーばみ 2008年12月13日 (土) 12:03 (UTC)[返信]

「異説」という表記はどうかと、小説家などの影響が大きい、世間的な認知は兎も角、学術的には体制側というか、 その一派であり、当時は弱小組織でしかなかった、新撰組の権限拡大の為の工作と見るのが妥当な見解ではないでしょうか?--218.223.197.212 2009年10月5日 (月) 07:38 (UTC)[返信]

殉難七士という呼称について[編集]

池田屋事件#影響に、「のちの新政府により彼らは俗に「殉難七士」と呼ばれる」という記述がありますが、これは事実でしょうか。国会図書館サーチでは「殉難七士」は徳山七士のみであり[1]、編集履歴はいずれもウィキペディア初期のIPユーザーによる無出典記述です(特別:差分/282261で「彼らは俗に「殉難七士」と呼ばれる」と最初に記述され、特別:差分/7504296で「彼らは後の新政府により俗に「殉難七士」と呼ばれる」と加筆されている)--1ennyspire会話2022年1月3日 (月) 10:33 (UTC)[返信]