ノート:民の安寧が至高の法であらねばならない

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暫定的な記事名で立項しました[編集]

ラテン語の語句「Salus populi suprema lex esto」についての英語版から訳出しましたが、記事名は暫定的なものです。

記事名とした「民の安寧が至高の法であらねばならない」は、内田樹のTwitter にあった表現です。

Wikiquote 法には「人民の福利を最高の法とせよ」とあります。

この語句の出典は、キケロの『法律について』3巻3章8の末尾にある「Ollis salus populi suprema lex esto.」という一文ですが、一般的に『法律について』の定訳といえる中村善也 訳(『世界の名著〈第13〉キケロ,エピクテトス,マルクス・アウレリウス』、1968年、p.205)では「国民ノ安寧ガ、彼ラニトッテ、イワバ至高の掟トナル。」、岡道男 訳(『キケロー選集〈8〉哲学I―国家について 法律について』、1999年、p.276)では「彼らにとっては国民の安全が最高の法律でなければならない。」となっています。

ラテン語の原文は、動詞が接続法であるところがポイントで、「〜である」ではなく「〜であるべきだ/〜でなければならない」といった含意で訳されるべきものです。その意味では、中村訳よりも岡訳の方が適切ですが、populi を「国民」と訳すのは、「国」が前提となっており、必ずしも好ましいとは思われません。

また、Wikiquoteに見える「人民の福利を最高の法とせよ」は、populi を「人民」と訳すことで左翼的色彩が加味され、また「〜せよ」と命令法調となっており、これまた必ずしも好ましいとは思われません。

以上を踏まえて、記事名を選んだということです。

なお、キケロの言葉として比較的よく見受けられる表現に「人間の善が最高の法である」というのがありますが、これは、厳密に言えば典拠が判然としないもののようであり、「Salus populi suprema lex esto」が誤解・曲解されたものであるようにも見えます。これについては、自分が承知していない別の語句による可能性もありますので、「Wikiquote のトーク:法」でのコメントしています。

いずれにせよ、諸般初版の記事名は暫定的なものです。より良い記事名についてご議論をいただければ幸いです。--山田晴通会話2019年4月5日 (金) 04:29 (UTC)[返信]

estoはsumの三人称単数命令法未来では?法によく見られる表現のようです。「民の安寧を至高の法となせ」といったところでしょうか。特にこの項目名で問題があるとは思いません。--プブリリウス会話2022年1月9日 (日) 10:40 (UTC)[返信]