ノート:死に装束

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無題A[編集]

天冠から宝冠への編集について 以前掲載されていた「天冠」の呼称は聞いたことがありましたが、出典が不明(民俗学の本には出てきません)です。調べていくうちに昭和28年に所沢(埼玉)で「天冠」と呼称している資料(岸田緑渓:日本の葬送儀礼)を見つけましたが、その他の資料では見つけることができませんでした。元々呼ばれていた「宝冠(ほうかん)」から「天冠」と伝言ゲームのように変化したものと考えられます。まず「宝冠」ですが、五来重の「葬と供養」では三角布が陰陽道・修験道の被り物から意味付けしたと論じています。特に修験道では大日如来を自然そのものの大根本と位置づけ重んじます。この大日如来が被っているのが「五智の宝冠」です。修験道の被る頭巾(兜巾)と宝冠が同化する理由は、山伏が即身成仏して大日如来と同体になると考えられていたからに他ならないと論じています。そしてこれが語源となり「シカン(紙冠)」「シホウ・シハウ(紙宝)」などの呼称に繋がっていきます。しかしながら「天冠」の呼称は柳田國男の「葬送習俗語彙」にも文化庁の「日本民俗地図」にも出てきません。それではなぜ三角布が宝冠から天冠と呼ばれるようになったのでしょう。これは前出の資料で所沢(埼玉県)で呼ばれていたことに注目点があります。元々「天冠」とは能楽や舞楽で使用されていた被り物の呼称のようですが、ひな人形のお雛様が被っている冠の呼称に現在でも使用されているようです。そして埼玉県には岩槻市(現さいたま市)という人形の一大生産地があり、戦後のベビーブームには周辺都市(所沢を含む)でその人形に使用する部品生産が盛んに行われていた事実があります。そのころ地区の葬儀を仕切る村組織や自治会の「とうや」が呼びはじめたのか、地元の葬儀社が名付けたのか、仏衣生産者が名付けたのかは分かりませんが、戦後すぐに埼玉県南部で「天冠」と呼称されていた事と重ね合わせれば合点がゆきます。どちらにしても「天冠」で編集された方に出典を明らかにしていただければと思います。--無動明兼会話2014年8月11日 (月) 03:24 (UTC)[返信]

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