ノート:武田信虎

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信虎の評価[編集]

評価の部分ですが、ちょっと信虎を再評価「すべきである」という論調が気になって、定説俗説と再評価傾向を並列にする形で訂正したのですが、戻されてしまいました。「大きな遺産」軍事的才能は「特筆に価する」、武田家の基礎を築いたのは「間違いなく」信虎であり、といった表現がどうも気になるのですけど、どうでしょうか。--でここ 2006年8月19日 (土) 08:30 (UTC)[返信]

「再評価するに値する≠再評価すべきである」です。戦国武田氏を語る中で信虎が残した事績は非常に大きなものですし(大きな遺産)、寡兵で数倍の今川軍を打ち破ったことは、信虎の能力の一つとしての軍事的才能が非常に優れていたことを裏付けるものであり(特筆に価する)、また国人衆の隷属化・居館の遷移・今川との婚姻政策等といった武田氏が勢力伸張させる為の基礎を築いたのは「間違いなく」信虎です。名将と言われる信玄の陰に隠れがちな信虎ですが、その事績から武将としての能力は非常に優れていたのではないでしょうか?(=再評価に値しませんか?)という意味の文章なので、特に問題無いと思いますが如何でしょう。定説俗説と再評価傾向を並列にする形で訂正したとありますが、逆に事実かどうか解らない俗説を本文として記述する方が本当は問題で、俗説は傍証とする方が良いのではないかと思います。でここさんが、異なった意見を併記し中立的な記述になる様に配慮なさった結果だろうという事は理解しております。Nubolari 2006年9月19日 (火) 07:36 (UTC)[返信]
わたしは最近の武田研究の動向を深く知りませんが、昨今の信虎の再評価傾向を記事中でフォローするのは良いとして、そちらが妥当であるみたいな価値判断の入った表現に主張っぽさを感じたわけでして、果たして信虎が優れた君主であると断定してしまうのは百科事典の役割であろうかと、気になった次第です。日本史人物記事の評価部分にはどうも価値判断の入った人物評価OKみたいな傾向にあるようで、いちいち目くじら立てていてもキリが無い状況なのですが。
出来れば古い研究から最近の研究にまでアクセスして人物評価の変遷がまとめられれば良いのだろうと思います。従来の暴君評価にしても、そう評価したのは誰なのか、再評価は誰がはじめにそういう指摘をしたのか。どちらが妥当であるかは利用者が判断する問題で、個人的には記事中で偏るべきではないと思います。--でここ 2006年9月19日 (火) 12:24 (UTC)[返信]

人物の項で内容の重複や「~は信虎の功績である」のような表現の繰り返しが気になったので調整しました。内政について、「内政を顧みなかったと言われるが~」の後に続いたのが甲斐統一と本拠の移転だけで、それらは内政とは言えないと思うので削除しました。何か彼が行った具体的な政策は残っていないんでしょうかね。

上の議論についてですが、偏った評価がなされてきた人物に対する再評価云々では日本史の人物に限らずもめやすいですね。「再評価に値する」というのが「歴史上の人物は常に再評価され続けるべきである」という一般的な原則のことをおっしゃっているなら、わざわざそう書く必要はありませんし、もし「従来の評価は覆されるべきである」という意味でおっしゃっているなら書き手の主観、意見になってしまいます。

信虎が武田家の繁栄にはたした役割はあるとして、それがどの程度大きいのか、小さいのかは評価する人によって異なりますよね。大きいか小さいかを客観的に証明することができない以上、できるだけ事実を記載するにとどめて、「特筆すべき」かどうか、「大きな遺産」かどうかはそれを読んだ利用者一人一人の判断にゆだねるべきでしょうね。もし敢えてそのような記述をするなら、どの学者がそう主張しているかを書かなければいけません。「事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」だそうです。--222.3.86.96 2007年2月19日 (月) 07:00 (UTC)[返信]

信虎の子について[編集]

武田信顕が追加されていましたが、少なくとも甲斐武田氏の側の資料では信虎の子という裏づけはとれていないはずだと思いますので、一度除去してもいいのではないかと思います。なお、信顕は武田上野介を名乗ったので、武田信友(あるいは武田信基)との関係で研究があったような記憶もあります。今度探しておきます。--Kangoshiyouichi 2010年1月29日 (金) 16:14 (UTC)[返信]

「主な家臣および偏諱を賜った人物について」[編集]

最近、武田氏研究者の平山優氏がツイッターで武田家中における偏諱について言及されていて、武田家中では信玄の曽祖父にあたる「昌」字が信玄・勝頼の代になっても家臣に与えられているのと同様に、「虎」字も信虎当主期だけでなく、信玄・勝頼の代になっても与えられていることがあると指摘されています。

「主な家臣および偏諱を賜った人物」節においては武田家中における「虎」字を持つ家臣の名が並んでいますが、このあたりをきちんと区別されているのでしょうか?また、家臣団の実名が文書で確認される確実な実名なのか、それとも『甲陽軍鑑』はじめとする後代の編纂物によるものなのか、そのあたりも曖昧である印象がいたします。

武田家中における偏諱に関する考察は、柴辻俊六氏がどこかの論文で言及されていたと記憶しているのですが(後日、確認致します)、「主な家臣および偏諱を賜った人物」も、きちんと文献に則って再考する余地があるのではないでしょうか。--でここ会話2014年3月14日 (金) 02:11 (UTC)[返信]

(追記)上記の問題が解決されるまで、正確性テンプレートを貼らせていただきます。--でここ会話2014年3月14日 (金) 04:16 (UTC)[返信]

「言葉を濁さない」について[編集]

「言葉を濁さない」が添付されましたが、具体的にどの部分の表現が問題であるのか指摘してください。でないと検討のしようがありません。--でここ会話2015年5月23日 (土) 04:18 (UTC)[返信]