ノート:正雀川

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(*昨年、加筆したところ参考にしていただいてありがとうございました。もう一度追記します。これが最終です。)

正雀川出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 水系 一級水系 淀川 延長 一級河川区間 3.479 km 水源 千里丘陵(大阪府) 河口(合流先) 安威川(大阪府) 正雀川(しょうじゃくがわ)は、大阪府吹田市を流れる淀川水系の一級河川。(*正雀川は摂津市にかからない)

[編集] 地理

 源流は千里丘陵で、主に吹田市佐竹台、高野台、山田西、五月丘である。吹田市南正雀2丁目で安威川に合流する。吹田市と摂津市との市界は正雀川左岸である。同川の水が吹田市域で発生しているので、同川はすっぽりと吹田市域に属する。(*市界は出版社や市役所ファイルによって、川の中央に描かれたり、川岸に描かれたりします。固定資産税などに影響がないので不正確でも問題になりません。私は茨木市にある法務局の台帳で市界を確認しました)  一級河川としての開始点は、吹田市五月が丘3番地の北西角である。安威川合流点までの長さは3,479m。ニュータウン造成工事がおこなわれるまでの源流は佐竹台3丁目のぼだい池だったが、池からの水路が暗渠で不明瞭になり、源流点が変わった。  大昔の正雀川は摂津市千里丘辺りで山田川に合流していたと推測されるが、条理制地割施行時に規準線を設置する目的で現在の直線流路1930mが開削されたと考えられる。条理制の基準線だったから「正尺川」と呼ばれたと推測されている。条理制は、646年(大化2)に発した「改新の詔」に基づいて施行された。(*この段落は『摂津市史』を参照した)  「正雀」の初見は、1928(昭和3)に開業した阪急正雀駅である。翌1929年に摂津市域に大字正雀が制定された。正雀川への書き換えはその後である。(*この段落は摂津市民図書館発行の『ふるさとの昔話』を参照した)  正雀川中流部の付け替えが1965年頃におこなわれた。場所は岸部北5丁目14~17番地で、市界に沿って大きく迂回した河道を直線に付け替えて、100m短くなった。  ニュータウン用の正雀下水処理場が摂津市千里丘7丁目に1962年に竣工して、正雀川に処理水を放水した。処理水が大雨などの洪水で住宅地にあふれることを防止するために岸部北5丁目から山田川への放水路を開削したのは、前述の河道付け替え時である。  (*「水田に水を引くために、流路を人工的に変えられており、複雑に屈曲している。また、流域に多数のため池が存在する。」は間違いでもないが、不正確) [編集] 環境  正雀下水処理場の稼動と同じにユスリカが大量に発生した。対策として鯉が岸部南1丁目に放流されて、効果が見られた。鯉は河口までの800mで見られる。このほか、護岸の左右から島を張り出し、流れと深さに変化を持たせることによりユスリカの発生に適さない環境を整備した。南正雀1丁目8番地の右岸に電撃殺虫機3機を設置したが、地元民は殺虫機の効果を体感していない。水の色はきれいに見えるが、下水処理水特有の異臭が漂う。  2009年以降、吹田操車場跡地の再開発計画に伴い下水処理場の廃止が検討されているため、川の浄化が期待されている。  正雀川は岸部北5丁目34番地付近で直角に曲がる。この曲がり角に釈迦ヶ池の放水口があり、大雨のとき、造成されたニュータウンからの鉄砲水と池の水とがぶつかって水位が急激に上がり、ときどき道路冠水が見られ、床上浸水の被害も起こすことがある。1990年頃から川沿いのわずかな田畑も宅地化し、遊水地が消失したことが冠水に至るようになった原因である。 --古谷啓伸