ノート:棋譜

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棋譜の著作権に関しての記述について、 現状では将棋連盟や日本棋院などのプロ組織の意向に重点を置いた記載がされていますが、 『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』(渋谷達紀著、有斐閣、2007年6月10日発行)の発刊以降 知財法の専門家の間では棋譜に著作権無しとするのが常識となった感があります。

該当部分を抜粋しますと、 「囲碁や将棋の棋譜は,例示外の著作物であり,対局者の共同著作物であるとする見解 (加戸・前掲逐条講義118頁)がある。 しかし,棋譜は,勝負の一局面を決まった表現方法で記録したものであるから, 創作性の要件を欠き,著作物ではない。それは事実の記録であり, 新聞などに掲載されているものは,事実の伝達にすぎない雑報(10条2項) と見るべきものである。 詰め将棋の棋譜は,これを創作することについて思想感情を要するから, 著作物であるかのようであるが,その思想感情は, 詰め将棋の創作に向けられたものである。表現の仕方は決まっており, 表現に思想感情が盛り込まれることはないから,詰め将棋の棋譜も、 やはり著作物ではない。それは数式で書かれた計算問題(18頁) が著作物でないのと同様である。」 知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法 渋谷達紀著 有斐閣 24頁

その後数年になりますが、知る限り有力な反証は出ておらないように聞いておりますし、 また現在、著作権情報センターに問い合わせると、棋譜はアイデアであり、 渋谷達紀先生の学説の通り棋譜は著作物には当たらないとの回答をされておられるそうです。

著作権は法律上の権利であり法律に即して権利の有無は決定されるべきものだと思いますので、 現状をフェアに描写するとすれば、法律家の定説は著作権が無いという事であるにも関わらず、 将棋連盟や日本棋院では(無法にも)著作権があると主張しているという感じですので、 少なくともこの説への言及の無い現状の記述は権利団体側に偏向しており、 中立的な観点に反しているのではないかと思います。

--YODA

そのような法律家による説があるのであれば、是非記載していただきたいと思います。ご説明からすると、加戸説と渋谷説があるようなので、両方が記載されるのがいいように思います。ただ言うまでもないと思いますが、棋士団体が棋譜の著作権を主張するのにもそれなりに歴史的経緯があることも理解いただき、「定説」や「無法にも」といった表現には気をつけていただきたいと思います。個人的な感想ですが、「詰め将棋の棋譜」といった表現は普通はなされないものなので(著作権が主張されるのは「詰将棋詰碁)の盤面図」です。)、ここについては何か誤解があるような気もします。--Sugitaro 2010年12月25日 (土) 00:57 (UTC)[返信]

加戸説と言われるものを抜粋しますと、 「本条(著作権法10条)は、この法律において保護の対象となるべき著作物をその著作物をその表現形態別に分類して例示し、できる限りその範囲を明確にしようとした規定でございまして、第2条第1項第1号の具体的解釈基準ともなるべき性格のものであります。 本条は、著作物の範囲を著作物の範囲を決めてしまったのではなくて、著作物とは概括的にいってどのようなものであるかという例示にしかすぎません。ですから、この例示が全てをカバーしているのではなく、例示では読めないようなものでも、著作物たり得るものがございます。 一つの例としては、例えば碁や将棋の棋譜というものがあります。棋譜も私(加戸説)の理解では対局者の共同著作物と解されるけれども、本条第1項各号のどのジャンルにも属しておりません。 あるいは数学の問題にしても、第1号から第9号まででは読めないような性格のものであります。もちろん、本条の例示は、著作物の定義を敷衍(ふえん)し、著作物たり得るものの概念分類を試みようとしたものですが、例示というものの性格上、それ以外にも第2条第1項で定義する著作物に該当し得るものがあり得るということです」(加戸守行「著作権法逐条講義・五訂新版」、118頁、2006年)。

となっており、私見と断った上で軽く触れられていますが、見ての通り棋譜自体の著作物性に関して真っ向から検討を行った文章ではありません。ですので、これをもって棋譜が著作物であるととなえる説があるとまでは言えないように思います。(せいぜい言えるのはやはり見解がある位ですか)

また、詰将棋の棋譜、盤面図に関する著作権に関しても長らくあるかのような慣行が行われていましたが、 渋谷説以降、やはり否定的な見解が主流であるように思います。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1348337033 著作権情報センターから著作権の盤面図について「このような図形は学術的な物ではないため著作物には入りません」との解答を得たそうです。 (ただ詰将棋に関しては長らく著作権がある前提での慣行が行われておりますので、その慣行との整合性からいかに取り扱うべきなのか正直迷います。)

ただ棋譜、詰将棋いずれにおいても、権威ある法学者の論文で真っ向から著作物性に否定的な見解が示されており、 現状では真っ向それに反対する見解を著す学者さんもおられないようですので、素人の説が幾ら両論あるからと言っても、 それをもって両論ありますと記述するのは間違えではないでしょうか? 結論から言って「棋譜に著作権は無いとするのが法律家の定説であるが、一部権利団体は著作権ありと主張している。但し、それをもって裁判が行われた事例も無いので、いまだ判例は存在しない。」という位のニュアンスが現状においてはもっともフェアなところでは無いかと思います。

--YODA

ご説明ありがとうございます。様子はだいぶ分かりました。どの説を記述するか、および各説の優位性の表現についてはYODAさんのご判断で記載されていいように思いました。詰将棋・詰碁については、あれは「棋譜」ではないので、この記事でなく、それぞれの記事に書くのがいいのではないかと思います。--Sugitaro 2010年12月27日 (月) 05:03 (UTC)[返信]

とりあえず編集いたしましたが、慣れない為注記のつけ方が今一分かりませんで^^そのままにしております。またチェスについては分からないので触っておりません。 将棋の江戸時代の棋譜云々の段はソース不明ですがそのまま残してあります。 著作権とは別の問題ですが新聞社の持つ優先掲載権についても記載してみました。

--YODA

加筆ありがとうございます。いい感じじゃないかと思います。リファレンスの体裁は整えさせていただきました。あとやはり「定説」と言うにはフォロワーがいないと不安なので、ちょっと表現をいじらせていただきました。将棋連盟や日本棋院などの見解や歴史的経緯(できれば中国や韓国も)の出典を提示できればいいのですけど、用意できてないので、申し訳ないですが見つけた時に追記ということでお茶を濁させてください。--Sugitaro 2010年12月29日 (水) 01:11 (UTC)[返信]
5年も前の議論ですが、この議論にはいささか疑問を感じます。「法律家の定説は著作権が無いという事であるにも関わらず、将棋連盟や日本棋院では(無法にも)著作権があると主張しているという感じですので、少なくともこの説への言及の無い現状の記述は権利団体側に偏向しており、中立的な観点に反しているのではないかと思います」とありますが、これはwikipediaで定められた中立的な観点にのっとっていないように見受けられます。
wikipediaでは編者が議論がなされているものに加わってはいけません。相異なる主張がぶつかりあっている状態で、片側の主張に肩入れするのは中立的な観点とは言えません。wikipediaでは「論争の余地のない主張」は事実として記載してもよいことになっていますが、渋谷氏の文献だけでそれを主張するのは道理が通らないでしょう。この場合記述できるのは「渋谷氏は著作権を否定する見解を示した」だけであり、それをもってして著作権なしの見解が主流になったというのは独自研究に当たり、中立的な観点とは反対の行為となるのではないでしょうか。もしそのような記述をしたいのであれば、それを示す適切な文献を示す必要があるはずです。
念のため申しておきますと、私は棋譜に著作権があると主張したいわけではありません。適切な文献があるようであれば、「著作権なしの見解が一般的」と記述してなんら問題はないわけです。私はwikipediaのルールにのっとって適切な記述がなされるべきだと考えています。
2012年に該当の部分に要出典がつけられて以降、適切な出典が示されているわけでもないので、全体的に表現を改めておきます。
なお、蛇足ですが電話取材などを編集の参考にすることは自由ですが、検証可能性を満たさないので、wikipediaでは出典としては認められません。--CIGO会話2015年2月24日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
「棋譜には著作権はない」という見解を含んだ参考文献が多数確認できましたので、表現を大きく改めました。--CIGO会話2018年12月24日 (月) 06:04 (UTC)[返信]