ノート:梶山力

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梶山力氏について[編集]

残念ながら現状の記事は、大塚批判のダシに使われているだけのような感じになっている。

  • 旧姓は田中だという(「プロ倫」巻末の広告より)。また、一高以来の恩師は(東京帝大)本位田祥男である(プロ倫訳者序文)。そこで、「東京帝国大学一覧」を見てみると、経済学部に1929年入学、1933年3月卒業の「田中力」(本籍岡山)がいる(昭和5年版P533、8年版P533を参照)。
  • 「ボルシェビズムとフアッシズムと民主主義」(フランチェスコ・ニッティ著、田中力訳、日本評論社、昭和8年)も同氏の訳書か。
  • 昭和11年-12年の間に、「訳者の身辺には種々の変化が起つた」、「生活上の窮乏は訳者に多大の苦痛を与えた」とのことである(プロ倫訳者序文)。その前は福島高等商業学校にいたのかもしれない?(高度資本主義訳者序) -- 2014年2月18日 (火) 14:00 (UTC) --忠太会話2014年2月25日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

「経済問題研究所」について[編集]

実態はどういう団体なのか不明。所長の設楽熊蔵も不明。活動期間は1934年-1939年? (梶山とは関係ないが)シュテルンベルヒ「獨逸と短期戰」の訳(1939年)は発禁になったようである。
1934年、梶山が入所したあと、同年12月に同研究所が刊行した「統制経済研究資料第1」[1]では、シュレーデル、ゾンバルト、パーソン、ローヴイン、コール、レーデラー、ランダワー、ミーゼスなどの経済学説を紹介している。時期や内容から見て、梶山が執筆に関わったのではないか? --  2014年2月23日 (日) 14:45 (UTC) --忠太会話2014年2月25日 (火) 12:18 (UTC)[返信]