ノート:東方会議 (1921年)

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時系列の問題[編集]

日本軍が「4月4日夜に総攻撃をかけてウラジオストクやシベリア鉄道沿線部などを制圧」した結果、「国際的非難を浴びた上に尼港事件などの事件が発生した」となっておりますが、尼港事件が先に起こり、すでに3月18日にペトロパブロフスクの塩田領事館事務代理が、「ニコラエフスクの在留民およそ700名が殺され、100名が負傷し、司令部、領事館、その他邦人家屋はすべて焼き払われたようだ」(日本外交文書 大正9年』第一冊下巻 p746-747)と報じています。『ニコラエフスクの破壊 』本文 p88-94によれば、4月4日夜にはじまる戦闘で、日本軍が赤軍を武装解除しましたのは、尼港事件の結果です。なにを典拠に冒頭の記述になりましたのか、お教え願えれば幸いです。--Iratume会話2012年8月31日 (金) 07:39 (UTC)[返信]