ノート:木村裕子

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原本執筆者です。 アップ以来2ヶ月、こまごまと重箱の隅つつきのごとく変更されていく内容を黙って見ておりましたが、ここに来て「意味をなさない変更」が行われていること、またエピソードとしてやはり必要と考えることを、全く木村裕子を知らない第三者に改変されることを看過できなくなり、度々修正させていただいています。

前回までのこれらの修正に関して、その修正がなぜ必要なのか、こちらに記入していただけますでしょうか。 その内容が納得いくものであれば、こちらも従いますが、ただ「意味のないもの、ナンセンスなもの」という程度の返答でありましたならば、逆にこちらから保護依頼を掛けさせていただく所存です。

再三わざわざ「意味の無いと考えて良い」修正を行っていらっしゃるだけに、それだけの意味をそこにお持ちなのだとは思います。 納得のいく回答を御願い申し上げます。

また「はなわレコード」はGyaO上のバラエティー番組であり、「第何話」とくくれるようなドラマとは異なると考えます。それを「第何回」との意味で使用した「#」がおかしくて、わざわざ「第何話」と修正なされたことも、番組を見たことのあるこちらとしては、不可解です。

これに関しても、納得のいく回答を宜敷御願い申し上げます。—以上の署名の無いコメントは、Bkkc75会話履歴)さんが 2007年6月26日 (火) 04:56(UTC) に投稿したものです(秋月 智絵沙による付記)。

『一部のファンからは「テロリスト」との声がある』というのは、出典が乏しいため、存命人物の伝記の方針に従い除去し、テンプレートを貼りつけました。ファンの声として取り沙汰された出典が提示されたならば加筆してください。--秋月 智絵沙 2007年6月26日 (火) 05:21 (UTC)[返信]
Bkkc75氏に注意申し上げますが、貴方が初版投稿者であっても貴方にリーダー権はありませんので「原本執筆者」というステータス意識があるのであれば改めてください(ウィキペディアは、先編集主義ではありません)。それと度々修正されるのは構いませんが差分を見る限り、「契機/きっかけ」といった言葉尻まで編集かけているところを見ると、修正しようという意思よりもリバート(差戻し)の意思の方が強く感じられます。以上は、Bkkc75氏に対する第三者の私見なのですがWikipedia:ウィキケットを守るよう、Bkkc75氏だけではなく、この件に関する編集者(アカウントユーザーもIPユーザーも)全て守っていただけますよう広くお願いします。--秋月 智絵沙 2007年6月26日 (火) 05:21 (UTC)[返信]
「#」を修正した理由は例えば「~との由」と言う表現では解り難く(と言うより百科事典の記述としておかしい)、また「#10」とかの記述であると記号の意味を知らない一般の利用者から見たら解り難いのではないかと考え(当方は知っているが)修正したまでです。それからその後の別の方も削除されていましたが「先の進路で悩みに悩んだ末に」と言う文章は冗長である事、「掲示板からの急な失踪や、旅先からの急な「鉄道鬼ごっこ」を実施するなど、ファンの想像のつかない行動をとることがあり、一部のファンからは「テロリスト」との声がある。」に付きましては出所の無い事、あったとしてもトリビア的記述に過ぎない事を理由に削除しました(編集当初は「したがって当時から既に、相当の鉄道好きであったと考えられる。」)の部分の「考えられる」も執筆者側の憶測を述べているのではないかと思い削除も検討しましたがこれに付いては取り敢えず存置しています)。ついでに言いますがご存知とは思いますが「Wikipediaは百科事典でありファンサイトではありません」。尚「意味のないもの、ナンセンスなもの」とは思っていませんのでこの辺りに付いては今後に誤解が発生しない様に明確に言って置きます。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2007年6月26日 (火) 05:31 (UTC)[返信]
「注意申し上げ」られるようなリーダー意識なぞ持ち合わせてはおりません。 Wikipediaの主だったユーザーの皆様のご意見確認して、ズブシロの当方の判断は間違いであると確認しました。「旅先からの急な鬼ごっこ」等は木村裕子ブログ(現在進行中のもの)もしくは以前木村裕子が参加していたSNS上で実際にあった話であり、残しておきたかったのですが…「出典乏しく不要」と言われるのであれば、それも仕方ありますまい。ここで当方より遙かに執筆経験のある熟練ユーザーの方々と一人で議論を重ね我を通したとて、却って木村裕子自身のイメージダウンを招くだけと判断でき、それだけは避けたく思います(もう既にノートを作った時点でそんなこと言える立場には無いのかも知れませんが)。以後、皆様の編集方に準拠した書き方をすべく思います。わざわざコメント頂き有難うございました。お手数お掛けしました。--利用者:bkkc75 2007年6月26日 (火) 08:36 (UTC)[返信]
Wikipediaはあくまでも百科事典であり、ファンサイトやナレッジ・ベースではないのであまりそういう記録は好ましくないですね。あと他の方に編集されるのがいやでしたらご自分でサイトを開設してそこでやることがいいと思います。219.122.247.88 2007年7月4日 (水) 19:33 (UTC)[返信]
遅ればせながらそう思いますね。ここはファンサイトではないのだから書き換えられたくないのであればきつい言い方をしますがファンサイトないし自分でHP作成すれば良いだけです。過去の事を蒸し返す様で本当に失礼ですがこの辺りをご理解願います。--目蒲東急之介 2007年9月12日 (水) 13:39 (UTC)[返信]

「●お願い レラ①● ウィキペディアなのですが、プロフのジャンルの部分の「グラビア」を「タレント」とか「鉄道アイドル」と何度変更を知り合いにお願いしても「グラビア」に戻ってしまいます。今現在グラビア(水着)のお仕事は全て断っています。だって、赤制服じゃないと意味がないんだもん。。(´□`。) メディアの方は、ウィキを見て仕事を依頼したりイベント時のプロフを作成したりする方が多いので出来上がりチェックで、紹介文が『グラビアアイドル木村裕子』と書かれている事が多く、毎回毎回何度もその部分の訂正をお願いしています。なので、ジャンルを「鉄道アイドル」に統一してもらえると嬉しいです。よろしくねっっっ☆ 」 http://kimurayuko.blog95.fc2.com/blog-entry-200.html

ということでよろしく。----以上の署名の無いコメントは、222.14.102.222会話投稿記録)さんによるものです。2007年9月20日 (木) 13:24 (UTC)[返信]

9月5日の東海道線全駅下車の所、意訳的に文面換えております。 それと「グラビアアイドル」の所も、原因となると思しき箇所を消してますので、以後戻る事はないと思います。 Bkkc75 2007年10月28日 (日) 05:57 (UTC)[返信]

疑惑の掲載[編集]

百科事典に必要の無い疑惑の掲載が何故されているのでしょうか?Wikipediaは疑惑の暴露を行う場所ではありません。あと、検証可能性に抵触しています。--目蒲東急之介 2008年8月2日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

百科事典だからこそ、実際に起きている批判なども、記載すべきですね。「疑惑」と記載したのはあくまで善意でトーンを落としただけですが、記載した内容やボイコット運動は全て事実です。疑惑不要との事ですので「問題」と記載しなおしましたが消した理由は何でしょうか?

こういった問題を木村が起こし続けている事を公表する事は公益的な意味合いがあります。つまり、木村の実体を知らずに何かのイベントに呼んだとしましょう、そこで木村が問題発言や行動をして処分されるのは木村でも目蒲東急之介さんでもなく、呼んだ担当者です。 目蒲東急之介さん、あなたはそこまで責任が負えるのですか?

「検証可能性に抵触しています」と言いますが、そんなこといえば記載されている内容の大半は接触しますよ。例えば、「中学、高校時代の頃は目的なく列車に乗って遠方へ出掛けたり、駅のホームに立って車両を眺めることがストレスの発散方法だったという」というのも一体誰が検証したのでしょうか?

大体、「~という」という断定口調ではなく、いうなればこれも疑惑ですよね。 結局ここに記載されている内容の殆どは、プログや本人の発言をもとにしているだけで、「鉄オタ偽装疑惑」と全く同じ根拠と信頼性に基づいているだけですよ。 ですからあなたがあくまで検証可能性を根拠に鉄オタ偽装問題を削除するというのなら、同様の根拠に基づき、ここの記載の大半を削除しますが、よろしいですね。 当然、都合のいい所は認める、都合の悪いところは認めないなんて自己中心的な主張は認めません。 木村裕子といえば、病的なファンが他の鉄道系タレントさんに多大な迷惑をかけた事でも有名です。 これ以上の迷惑行動は、お止めになったほうがよろしいでしょう。--118.243.77.50 2008年8月2日 (土) 15:33 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記もお読み下さい。本人が公式に発表していることを紹介するのと、それを基に独自の論証を加えることは異なります。--Los688 2008年8月2日 (土) 15:41 (UTC)[返信]
だと言うのであれば出典を明記して下さい。出典が無い場合は独自研究としてみなされる場合もあります。それ以前に疑惑の掲載自体が百科事典的で無い為掲載自体は不要と思いますがね。--目蒲東急之介 2008年8月2日 (土) 17:21 (UTC)[返信]
それに「木村裕子といえば、病的なファンが他の鉄道系タレントさんに多大な迷惑をかけた事でも有名です。」とありますがだからと言ってこれを掲載するとWikipedia:中立的な観点に反します。--目蒲東急之介 2008年8月2日 (土) 17:28 (UTC)[返信]

本人が公式に発表している事自体に様々な疑惑がありますね。例えば時刻表検定に合格したとラジオで公言していますが、認定証を見たという人は誰もいません。サボ収集についても、引越し後公開しない事に様々な批判が散見します。趣味乗り鉄についても、「認めない」という意見が非常に多いですね。家出同然で大阪に出たと言いつつも、家電製品を買い込んでいるという矛盾行動などなど、本人の公式発言に多数の矛盾が付きまとっているわけです。

そもそもこちらは独自研究は何ひとつ掲載していません。あくまで今まで起きた事実を端的に並べただけです。 その記載内容についてそのような事実は無いという指摘が存在し、真実性に疑問があるため削除するというのなら分かりますが、不信任決議案などは実際に起きている問題です。それまで消す理由というのは、単に病的な取り巻きの方々が、都合の悪い情報をねじ伏せているとしか解する事が出来ません。 独自の論証を加えるとは「事務所側にはかなりのインパクトを与えた」などの記載ですね。事務所側に確認してい無い限り、検証可能性に抵触しています。

こういったことをやったところで、結局、木村裕子の甘えといい加減体質を助長しているだけですよ。こうやってチヤホヤするから一向に改善しないわけです。応援しているつもりなんでしょうが、問題を次々とお越し、不評や批判を生み続けている状況で、彼女にとってマイナス要素を拡大しているだけでは無いでしょうか? 木村裕子のやっている問題発言や行動は、有名タレントなら大問題になるような事ばかりです。

ここで、問題をねじ伏せてイベントなどの担当者が実態を知らずにオファーしたとしましょう。 それで問題を起こして「二度と木村裕子を呼ばない」となったときに、一番困るのは誰ですか?それは木村本人ですよ。クレームが入るのは木村本人ではなく、呼んだ企業やその担当者です。そういった周囲への迷惑も何も考えない、そういった態度が様々な不満に変わっているという事がまだわかっていないようですね。

以前にも取り巻きの異常行動で他の鉄道系タレントに対して多大な迷惑と不快の念を与えました。今回の都合の良いことは独自研究でも掲載して、都合が悪い事は事実でも削除するという姿勢に、更なる不快の念を与えた事でしょう。

Wikipediaをロックできても、ネットはロックできませんよ。--118.243.77.50 2008年8月2日 (土) 17:16 (UTC)[返信]

>あくまで今まで起きた事実を端的に並べただけです。
事実であっても100%掲載して良いとは限りません。WP:NOTを熟読して下さい。--目蒲東急之介 2008年8月2日 (土) 17:21 (UTC)[返信]
IPさんは、木村裕子氏を擁護するために取り巻きが本人に不都合な記述を削除したと考えているようですが、Wikipediaの編集をやっているほとんどの人にとっては、彼女のことなどどうでもよいのです。その記述が、Wikipediaの基準に則って不適切だから削除した、ただそれだけです。「木村が問題発言や行動をして処分されるのは木村でも目蒲東急之介さんでもなく、呼んだ担当者です」として、目蒲東急之介さんに責任を負えるのか問うていますが、これだってどうでもよいことです。木村裕子氏が、どのような発言や行動をしてそれがどういう結果を招こうと、Wikipedia全体としても編集者としても関係のないことですし、ましてや責任など負う必要もありません。IPさんは、問題が起きる前にこの記事で彼女の記述をすることで広く知らしめたいと思っているのかもしれませんが、Wikipediaを使って社会に影響を与えようとしないでください。Wikipediaは、それを使って社会に影響を与える道具ではなく、単に社会の現実のうち記録に値するものを、出典を示して記述していく場所なのです。--Tam0031 2008年8月2日 (土) 18:07 (UTC)[返信]
118.243.77.50氏は、単にWikipediaがどういうもので、そのルールをよくご存知でないのでしょう。まずは、Wikipedia:基本方針とガイドラインからお読みになることをお勧めします。--かるる 2008年8月2日 (土) 18:22 (UTC)[返信]

はい、WP:NOTを熟読しました。と、すると目蒲東急之介さんの行動も大いに問題ですね。「あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。」ましてご自身の自己紹介で「Wikipediaでも性急な事をする癖が露呈してしまう部分もあるが、これに付いては皆様方からのご意見を参考にして改めていこうと思っている」と、自らルールを守れないと言っている方です。自らルールを守れていないと言っている方に、ルールをかざされる筋合いはありません。一言で言えば、自分勝手にもほどがあります。

木村裕子にボイコット運動が起きるほど方々から批判が出た要因の一つは有言不実行ですよ。自ら言っている事を自ら実行できないのに、謙虚さの無い横柄な態度が激しい批判から抗議、ボイコットになったのです。目蒲東急之介さんが何者かは知りませんが、最低でもいえることはあなたはここの編集責任者でも、審判員でも無いということです。ルールをかざしながら、自らルールを守れていないという有言不実効ぶり、木村裕子とソックリですよ。それゆえ共感するのでしょうか?もっとも、WP:NOTを全て網羅すると肯定も否定も何一つ書く事が出来ませんが・・・

そもそも目蒲東急之介さんの自己紹介自体「自慢ではないが当方の専門知識はある事業者に正式に認められている」と書かれていますが、その根拠も何なんでしょうか?「正式に」というのは○○株式会社代表取締役名などで認定書などが授与されるのが正式です。単に担当者レベルが口頭で「認めるよ」などといったレベルは「事業者に正式に」とは言いません。こういった物の判断基準にいささかな疑問を感じます。

「Wikipediaの基準に則って不適切だから削除した」とありますが、そうは思えません。実際「単に社会の現実のうち記録に値するものを、出典を示して記述していく場所なのです。」と書かれていますが、その基準は何でしょうか?例えば問題発言で言えば倖田來未の「羊水が腐ってくるんですね」発言が有名ですが、Wikipediaの「倖田來未」の項目を見ても、若干記載方法に論議はありますが、この事を記載する事そのものに異論は無いように見受けられます。この基準に照らし合わせれば、木村裕子の問題発言や行動は記載に値しますね。まして、アイドルに不信任決議案が出てボイコット運動がおきるなど、聞いた事がありません。こういった珍しい現象こそ、まさに記載に値しませんか?

「出典を示して記述し」とありますが、好意的な記載の内、何割かは出典不明ですよ。先に記載したように「事務所側にはかなりのインパクトを与えた」というのも出典不明ですし、「古参のファンを驚かせた」というのも誰が確認したのでしょうか?「「鉄道ファン」的な人々からは比較的好意的に迎えられ」という根拠も不明です。「「テロリスト」との声がある」については1年以上前から出典が乏しいと削除されているのに、出典が提示されないまま消してもまた記載するというのを繰り返しています。つまり、従来の記載内容の随所に出典不明、根拠不明の独自研究が多数散見されるのに放置されるばかりではなく消しても再度記載し、明確な出典をリンクした不信任決議案などを徹底的に削除するという姿勢こそが中立性を欠いており、単に都合の悪いところを必死に消しているという結論にしか至りません。ルールをかざしてきても、そのルールに接触するか、あるいは合致するかの個別の判断の部分が主観的に都合の良い論理に根ざしているということです。だからこそ、好意的な記載はルール違反でも消さない、批判的な記載はルールに基づいていても消すという現象が生じているわけです。

思えば木村裕子本人も1年くらい前のプログでWikipediaの記載に誤りがあり、何度訂正してもまた元に戻されてしまうと苦言を呈していました。入れ込んだ病的なファンの方がよかれと思ってやっているのでしょうが、結果的に木村本人にも迷惑をかけているのではないでしょうか?木村のファンの異常行動で方々が迷惑していることもまた有名です。ルールを基に論議する事は否定しませんが、それであれば都合のいいところも悪いところも中立的に判断して欲しいものです。それが出来ないのなら、周囲の取り巻きの異常行動もセットで木村裕子批判が加速する事でしょう。--118.243.77.50 2008年8月3日 (日) 02:24 (UTC)[返信]

>そもそも目蒲東急之介さんの自己紹介自体「自慢ではないが当方の専門知識はある事業者に正式に認められている」と書かれていますが、その根拠も何なんでしょうか?
それとこれとは全く別ですが?ワシは利用者ページ内で敢えて行っているだけであり、記事本体で行っている訳では無いのだが…。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2008年8月4日 (月) 09:41 (UTC)[返信]
>自らルールを守れていないと言っている方に、ルールをかざされる筋合いはありません。
敢えてるまサイト的口調で。ワシのどこを指して言っているのか理解不能。と言うより個人攻撃にも見えるが…(これ以上は敢えて書かないが)。
それからもう1つ「もっとも、WP:NOTを全て網羅すると肯定も否定も何一つ書く事が出来ませんが・・・」とありますが、それであるならばもう1つ「(たとえば反対論/賛成論等を両方併記する)両論併記」をすれば良いのではないでしょうか?それならば問題無い場合もあります。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2008年8月4日 (月) 09:51 (UTC)[返信]

改めて出典のブログを見てみましたが、そのブログ自体が「独自研究」の域を脱しておらず、不信任決議案についても個人的なアピールであると感じました。確かにこういった所見があるのは事実ですが、ブログ管理人の独自研究、独自見解である以上、ウィキペディアに記述するための出典としては不適当であると思います。将来的にこれが大きな動きになり、本人の進退問題にまで発展するようであれば、記述の価値はあると思いますが、現状のように評価の定まらない段階での記述は、完全に勇み足であると考えます。--Kone 2008年8月3日 (日) 03:15 (UTC)[返信]

「そのブログ自体が「独自研究」の域を脱しておらず・・・」との事ですが、そういった論理に基づけば新聞報道もあくまで独自研究に過ぎません。ですから同じ事実の報道でも新聞社によってその論調が正反対になります。実際、北京オリンピックツアーの予約状況について、ある新聞社は「好調」と報道し、ある新聞社は「不調」と正反対の報道をしています。政治報道についてはその新聞が右派なのか左派なのかで日常的に異なった報道になっています。そう考えると、マスコミ報道すら独自見解であり出典根拠にはなら無いわけですから、木村本人がインタビューに答えた内容や、ましてブログで記載した内容など全く信頼に値しません。現に宇都宮駅での機関車故障の交換を尾久駅で見ていたと虚偽記載までしているプログです。そうすると、記載されている情報の半数近くは「出典根拠なし」で削除しなくてはなりませんね。つまり、記載されている内容の多くが、報道やブログに基づいているわけですがその真実性の裏づけを誰も取っていないのにそのまま掲載しているわけで、それはいうなればあくでそういう報道やブログ記載があったという事実に限定して記載しているわけですよね。この基準に照らし合わせれば、不信任決議案が発出されているという事実についてまで記載する事はなんら問題がなく、その内容の真実性についてまでここで論じる必要性がありません。「評価が定まらない事」といいますが、こちらも随所に評価が確定しておらず、根拠や出典や不明箇所が多数散見されます。年末に入院したという話もあくまで本人がブログでそう書いたに過ぎず、診断書を見たわけでも、お見舞いに行ったわけでもありません。この点についても話に矛盾点があり虚偽説があります。そして、このような指摘をしても完全無視ですよね。

要約すると、鉄オタ偽装記載を認めないとする連中の判断基準はいずれも中立性がなく、自ら提示した基準で自ら肯定したことを否定するという事を繰り返していませんか?一言で言えば「自分はいいけど人は駄目だ」でしかないわけです。木村の言葉を借りれば「自分ルール」と言う奴です。こういった自己中心的な行動がここまで問題を拡大させたのに、周囲の取り巻きも同じ思想だから共感しあえるんだなぁと関心するところです。 どれほど宗教的に木村を崇拝しているか知りませんが、木村の言っている事は全部正しい、他の言っている事は信頼性が無いという判断基準は、病的、宗教的で気持ちが悪いです。進展問題に発展していないのは、単に知名度が低いからマスコミが取り上げないだけであり、有名タレントなら大問題になる言動を連発していますよ。むしろ大マスコミが取り上げない事を取り上げる事こそ、インターネットメディアの性質を存分に発揮できるでしょう。--118.243.77.50 2008年8月3日 (日) 04:13 (UTC)[返信]

個人のブログは出典にできないというのは、Wikipediaコミュニティにおいてほぼ合意されています。一方、当該記事に関する公式ウェブサイトは一般に出典として認められています。この場合、特定の個人に関する記事なので、その個人のウェブサイト・ブログは公式ウェブサイトの扱いになり、例外として出典にできます。したがって、木村裕子氏本人のブログであれば出典にしてよいのですが、ファンサイトは駄目です。一般に肯定的な評価は出典を示しやすいのでWikipediaにも書きやすいですが、否定的な評価はなかなか出典がないので書けないということは普通にあることです。倖田來未氏に関しては、当時メディアでも報じられましたので、出典の存在を満たしていてこの件とは全く異なるかと思います。「木村の言っている事は全部正しい、他の言っている事は信頼性が無いという判断基準」とのことですが、今のところ本人のウェブサイトが公式ウェブサイト扱いで出典にできる以上、どうしようもないのです。
新聞報道もあくまで独自研究に過ぎない、とのことですが、一般に新聞・雑誌・書籍は出典として認められています。出典として認められている媒体における評価を紹介するのがWikipediaにおいて求められていることで、出典として認められていない媒体における評価が独自研究になります。新聞によって評価が全く異なることは普通にありますが、「A紙では○○、B紙では××のように評価された」のように紹介することで、出典間の中立性を保つことになっています。
また、Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去をご覧いただければわかりますが、Wikipedia全体の方針として個人に対する出典のない肯定的な評価よりも出典のない否定的な評価を優先して取り除くことになっています。したがって、目蒲東急之介さんの記述除去は方針に従っているかと思います。肯定的な評価についても出典がないのは望ましくありませんので、要出典タグ等を用いて出典の提示を促し、一定期間を経て後なお提示されないのであれば削除すべきかと思います。
「むしろ大マスコミが取り上げない事を取り上げる事こそ、インターネットメディアの性質を存分に発揮できるでしょう」とのことですが、インターネットメディアの役割を期待するのはIPさんの御自由です。しかしながら、Wikipediaはそういうことをしないということで合意されて運営されています。合意なく、Wikipediaの方向性を変えようとしないでください。--Tam0031 2008年8月3日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
「大マスコミが取り上げない事を取り上げる事こそ、インターネットメディアの性質を存分に発揮できるでしょう。」とありますがWikipediaは真実や疑惑の暴露を行う場ではありません。何か勘違いされていますがね。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2008年8月4日 (月) 09:51 (UTC)[返信]

「個人のブログは出典にできないというのは、Wikipediaコミュニティにおいてほぼ合意されています。」との事ですが、それはその情報に関する信頼性についてであり、個人のブログの存在そのものを否定するという趣旨では無いと解されます。不信任決議案については、その内容の真実性については今のところ言及しているわけではなく、あくまで運動が起きているという件については、いうなれば不信任案決議という公式サイトにリンクを貼っているわけですから、出典として認められるべきであり、適性を欠くものではありません。例えば、出演番組に関するリンクも、あくまでそのような番組があるという事実についてリンクしているに過ぎず、その番組構成やヤ内容の妥当性について論じるものではありません。よって、中立的な視点に立てば、そういった番組があるとリンクしているのと同様に、そういったボイコット運動があるとリンクを貼る事も同様に可であると言えます。 「木村裕子氏本人のブログであれば出典にしてよいのですが、ファンサイトは駄目です」というのであれば、肯定的な意見についても全て削除してください。特に「来歴・人物」の項目は随分と、客観的事実を逸脱した枕詞を付与し、持ち上げている記載が見受けられます。まして木村本人までもが謝罪している東海道本線全駅下車については「「自分ルール」は時刻表の表記に忠実に従ったと解釈できる)」と本人がコメントすらしていない事まで勝手な解釈で記載されていますね。

「今のところ本人のウェブサイトが公式ウェブサイト扱いで出典にできる以上、どうしようもないのです。」との事ですが、それ自体を私は否定しているわけではありませんが、当然、それがウソやデタラメであると指摘する事も当然の事でしょう。仮にそれを否定するのなら、木村がどんな捏造記事をプログに記載してもここでは真実として扱わざるを得ず、否定見解や事実誤認の指摘すら出来ないという矛盾が生じますね。当然それが評価の必要な論議がある事でしたら、保留でもいいですが、メディア報道を出典として、虚偽発言などを記載する事もルールに逸脱しているとはいえません。実際あなたも出典として認められているとおっしゃっていますよね。このように、常に鉄オタ偽装問題をねじ伏せようとする人は、自らの主張で自らの首を絞めるというおかしな状況を繰り返しているわけですね。逆説的に言えば、私個人としては掲載、削除基準に興味がありません。どういった基準でもかまいませんが、常に「自分はいいけど人は駄目だ」基準になっている事に呆れています。「それは駄目だ」という事が好意的な記載の随所にあり、出典根拠なしの指摘で削除しても、根拠を示さないまま復活させている点についても、完全に無視していると指摘しても、無視を続けますよね。

ですから、基準やルールをかざすのなら、それに基づき好意的な記載に対しても厳しい判断を下してくださいということです。従来からそのような厳しい判断に基づき、今回の偽装疑惑もルール違反だと削除したというのならまだ納得出来ますが、従来からルール違反を放置どころか復活までさせ、賞賛書き込みを維持し、批判書き込みが出た途端、病的に骨髄反射する対応は、木村裕子はやはり鉄オタ=キモイをより助長させていると判断されるでしょう。そして、そういった周囲の異常な取り巻きのせいで、もともとのファンもアンチに転じ、他の鉄道系タレントからも批判が受ける状態になっているという点について、病的な取巻きの皆さんもそろそろお考えになった方がいいでしょう。

それと私はどこかの誰かさんのように仕事中までせっせと書き込みをする中毒症状があるほどの病的なユーザーではありません。 「合意されている」とか「ルールだ」というのなら、それこそ出典を提示してください。 あと、書籍等が根拠妥当のなら簡単な事ですよ、週刊誌などにネタ提供しますが、それでよろしいですか。(木村程度の知名度で取り上げるかは疑問ですが)--118.243.77.50 2008年8月3日 (日) 05:58 (UTC)[返信]

好意的な記述は、検証可能性について比較的留保されるというのはWikipedia全般に見られることです。個人的には、志のある人間が逐次記述内容を発展させていけば良く、問題ないと考えますが、この点についてはIPさんの主張も一理あり、「要出典タグ等を用いて出典の提示を促し、一定期間を経て後なお提示されないのであれば削除すべき」というTam0031さんの提案を妥当と考えます。
もっとも、Wikipediaは特定の誰かが執筆するものでなく、ルールと合意に従えば誰でも記述することができるものです。IPさんも、Wikipedia:基本方針とガイドラインと、そこからリンクされているガイドラインを理解し、同意すれば、記述に参加することができます。好意的な記事についても、よりWikipediaという百科事典の完成度が高まるよう、参加されてみては如何でしょうか。
ただし、IPさんの「疑惑を記述すること」についての主張には、ユーザーのひとりとして、ほとんど同意できません。ノートでの記述内容から自分の意に沿わない執筆者を全て「木村裕子の病的な取り巻き」と判断されているように感じられますが、自分が見る限りあなた以外の執筆者は、記事をWikipediaのルールに則ったものにしようとしているだけです。世の中は、「木村裕子のアンチ」と「病的な取り巻き」しかいないわけではありません。「週刊誌などにネタ提供しますが、それでよろしいですか」とあることからも、他の執筆者について勘違いされているように思います。それは個人の自由で、Wikipediaとは全く関係ないことですから、誰も関知しないと思いますよ。
ちなみに、IPさんの記述のうち、『「個人のブログは出典にできないというのは(中略)個人のブログの存在そのものを否定するという趣旨では無いと解されます。』についてはその通りです。「情報に関する信頼性」が確保できないから出典にできないのです。Wikipediaが、そのようなブログは存在してはならないとしているわけではありません。--かるる 2008年8月3日 (日) 06:42 (UTC)[返信]

「個人的には、志のある人間が逐次記述内容を発展させていけば良く、問題ないと考えます」との主張には大変賛同できます。であれば、批判的な記載についても同様に志のある人間が逐次記述内容を発展させていけば良い事です。私が書いた内容が完全だとも言っていませんし、全てだとも言っていません。他にも色々な批判もありますが私として裏づけの取れないものについては記載していません。それは裏づけの取れた方が記載をしていけばいいのではないでしょうか?今回のここの対応はそういったことすら認めないという対応になっていますね。今回は「要出典」要請が出ましたので随時リンクを進めていた矢先、突然「疑惑はいらない」と削除し、ならばストレートに「問題」と記載しても削除と、削除ありきの対応ですね。その後出てきたルールや基準を現状の記載内容に照らし合わせても、好意的記載の随所でルール違反や独自研究、挙句は木村本人が非を認めている事まで正当化する記載まで出ているというありさまです。ルールに基づき、中立的に判断するのならこういった部分について直ちに削除しておくべきですね。そういった事は漫然と放置し続けて、批判記事が出たとたん、猛反発という姿勢は、大変中立性を欠いていますし、この問題を何度指摘しても完全に無視していますよね。それは木村裕子とそっくりの行動で、都合の悪い事は無視してなかった事にするという姿勢です。そういった行動は社会からバッシングを受ける言動だというのを認識すべきでしょう。

「 Wikipediaのルールに則ったものにしようとしているだけです。」との事ですが、好意的記載の随所にルール違反が散見され、それを指摘しても無視しているというのはどういうことでしょうか?要するに、ルールを盾にして不都合な情報をねじ伏せようとしている事はみえみえです。先にも書いたとおり、好意的記載についても同様の対応があり、今回の件であればこちらはとやかく言いません。しかし、独自研究すらも超えた、勝手な正当化まで一切問題にしない対応はなんら中立性がありません。それをなぜ今まで一切問題にしなかったのか、「ルール」というのなら、ルールに基づき釈明をしたらいかがでしょうか?

木村裕子といえば過去に「鍋蔵事件」というのが有名です。そのときも、常軌を逸したファンが他の鉄道系タレントに多大な迷惑を及ぼし、木村のファンの多くが呆れて離れてしまい、喧嘩売られた側も木村裕子を敵視するという図式も生まれています。結局今回の中立性を欠いた異常な削除と、都合の悪い事を完全に無視するという姿勢に、鉄オタ=キモイをより助長しているのは木村裕子だと言うのがより濃厚になったと感じます。「ルールに基づき」という原則論は、中立性が著しい状況で指摘も無視しているので聞き入れられません。いずれにしろ、次にコメントされるなら、ルールをかざしながら好意的記載のルール違反については一切言及しない理由と今後の対策についてお聞きしたいところです。それについて、コメントできないのなら、聞く価値がありません。--118.243.77.50 2008年8月3日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

色々と不満や独自の意見はあるようですが、「Wikipediaのルールに沿って、記述内容を発展させていく」という点については、IPさんからの賛同も得られたようです。独自研究に対するWikipediaのあり方や、執筆者全般については、まだ誤解があるようにも思いますが、基本線では意見に相違はないようですので、現状の記事の出展不明部分については、「要出典タグ等を用いて出典の提示を促し、一定期間を経て後なお提示されないのであれば削除する」ということでよろしいでしょうか>各位

IPさんに重ねて申し上げますが、Wikipediaの執筆者、限定すれば項目「木村裕子」の執筆者には、当該人物について好意的に思っている人間もいれば、批判的な人間もいます。そして、最も多いのは木村裕子という人物について特に何とも思っていない、Wikipediaの理念に賛同し、記述活動をしている人間です。この点は誤解のなきようにお願いします。

様々な価値観、解釈を持った人間が、立場を越えて客観的な百科事典を作っていこうというのがWikipediaの精神です。Wikipediaプロジェクトでこれまでに積み重ねられたガイドラインや合意事項には意見もあると思いますが、どうぞ今後ともよろしくお願いします。疑問や提案がある場合は、当該ガイドラインのノートなどで提案・質問していただくのが良いかと思います。できれば、ユーザー登録をしていただいて、ハンドルをつけていただくと、意見の交換がやりやすくなると思います。--かるる 2008年8月3日 (日) 15:17 (UTC)[返信]

かるる氏に同意いたします。
IPさんへ。好意的記載についても出典が記載されていないということは、私も既に指摘しています。ただ、存命中の人物の記述の規定上、否定的な記述は即時除去なのですが、肯定的な記述は出典がなくても即時除去ではないのです。ですので、好意的な記載については、1文ずつチェックして出典を明らかにして、ないものは削除、ということをすべきかと思います。なお、本人のブログの信頼性について疑念を呈されていますが、その場合、「本人のブログでは○○であるとしている」のような形で記述して、断定的な記述を避けることで信頼性の担保を本人に「押し付ける」のがWikipediaでのやり方です。ノートにおいて、ここはこう改変すべき、ということをまず具体的にまとめて、その上で保護解除を依頼して本文に反映させるという手順になるかと思います。--Tam0031 2008年8月3日 (日) 15:25 (UTC)[返信]

議論を行っていたIP氏はブロックされています。これ以上こう言う様にコミュニティを疲弊させるのであればwikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#方針文書の要熟読に送る事を検討します。「それと私はどこかの誰かさんのように仕事中までせっせと書き込みをする中毒症状があるほどの病的なユーザーではありません。」とある様に、ワシや勤務中にWikipediaを執筆しているユーザーまでをも侮辱した発言もあるのだから。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2008年8月4日 (月) 09:51 (UTC)[返信]

>「むしろ大マスコミが取り上げない事を取り上げる事こそ、インターネットメディアの性質を存分に発揮できるでしょう」

おやおや、ウィキペディアは事実の暴露や週刊誌のゴシップ的ネタを取り上げて告発するところではありませんよ?告発したいのなら自分でサイトでも立ち上げるように。それとコメント依頼に出しました。221.188.246.40 2008年8月7日 (木) 10:35 (UTC)[返信]


また同一人物と思われる仕業でしょうが、疑惑の記述が書かれています。保護依頼を掛けて来ます。--目蒲東急之介 2008年10月17日 (金) 17:02 (UTC)[返信]

半保護されました。こういう類の荒らしだけに無期限半保護でも良かった気がしますが。--目蒲東急之介 2008年11月18日 (火) 02:33 (UTC)[返信]

雑誌・テレビやラジオ出演・イベントなどの記述について[編集]

「グラビア・記事」やテレビ・ラジオ出演歴について、多数「鉄ドル」として取り上げられたという実績を示すものではあるかも知れませんが、ちょっと内容過剰な気がします。レギュラー(或いは連載)、メインゲスト出演(これもPJ:芸能人的には甘い扱いだとは思いますが)程度にとどめた方が良いかと思います。イベント出演歴にしても然りです。ただ、一気にコメントアウト(或いは除去)すると、さすがに反発を招きそうなので、ここで軽く提案しておきます。--なっしゅびる 2010年7月31日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

  • ひとまず「グラビア・記事」の見出しを全面的にコメントアウトしました。まだ整理できると思います。--なっしゅびる 2010年8月25日 (水) 15:11 (UTC)[返信]
  • 「鉄ドル」というジャンルが目新しい頃は、逐一記載されるのは、意義はあったと思います。いまだ「非鉄」の者としては、このページから教えられることはありました。よって基本的には上記意見に賛同するのですが、ここ数年ははたから見てみると順調のようで、すべてが記載されているわけではなく、すでに選択されたものしか掲載されていないような気もします。2009年、2010年は、ページに記載されたものだけではく主なものだけが記載されているように感じますので、まだ除去・整理する段階かというと違うような気がします。ただし、ページ全体での整理の必要を感じています。倒れたあと数日で復帰した記事などは、もう必要ないような気がします。--めいじん 2010年8月30日 (月) 10:35 (UTC)[返信]

記事全般について[編集]

執筆者の皆様、ご苦労様です。先ほど、記事内にテンプレート、コメントを挿入させて頂きました。以下、記事全般について指摘させて頂きます。

  1. 出典皆無
    出典がほとんど示されていない事が、記事の内容以前の問題です。この人物の場合、ブログ、ツイッター、雑誌記事等、出典に足り得る物が容易に見つかるのでは? 出典がない記述は削除されても止むを得ません。
  2. 重要でない記述
    さほど重要でもない記述が多過ぎます。この人物の一挙手一投足を記述する必要はありません。例えば、「来歴・人物」の節に、ホームページの名称変更の回数を記述する必要はないと思います。
  3. 曖昧・伝聞表現
    「〜という」などの曖昧な表現が多いです。出典がないので、この様に書かざるを得ないのでしょうか? 「人気を博す」の表現は、主観的表現です。避けたい言い回しです。具体的な事実(例:100人超のファンが参加した)を示せば、人気度合を記述可能です。
  4. 読み易い記事か?
    この人物を知らない読者が記事を目にした際、理解の一助となるでしょうか? 簡潔で、分かり易い人物像があると、読者も理解しやすいでしょう。

折角手間隙かけて、皆様が作り上げた記事です。出典がないとの理由で削除されてしまわない様に、まずは出典明記を心掛けましょう! 生意気を書き連ねて、申し訳ありません。--The Shogun会話2013年5月17日 (金) 11:00 (UTC)[返信]