ノート:日置流

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竹林派が主に近畿地方で活動していると記述されましたが、尾州竹林派が中京圏で盛んに活動しているように思います。また、近畿地方の竹林派の現状は良く存じ上げません。どなたか竹林派についてフォローお願いします。2006/10/12 yama

>尾州竹林派が中京圏で盛んに活動 私もそう思いますので修正しておきます。近畿に関しては確かに竹林派の大学や高段者がいますが、道場や流派団体が現在もあるのか確認できません。関西学院大師範の方の道場があると聞いたことがありますが、情報が少ないので確認してみます。MizunoH 2007年3月8日 (木) 07:10 (UTC)[返信]

印西派の項目で、「(つまり宗家又は師家)は、その世代にただ一人しか存在しない。」を、再修正しました。備前岡山の印西派では7つの弓術師家(吉田家・徳山家・竹内家・馬場家・永島家・山川家・牧野家)が存在しますが、備前岡山の印西派宗家はあくまでも、印西先生の弟にあたる「定勝先生」の家系1つになります。また、現在では、印西派宗家筋である全国の「吉田家」は消息不明で、家系的に連綿と続いてる師家筋は、備前岡山の「徳山師家」のみになっています。(参考文献:備前岡山藩の弓術 守田勝彦著)2006/12/03

各派加筆[編集]

はじめまして。新参です。 各派の記述が不足していましたので加筆しました。初投稿なので内容・形式にいろいろとミスがあるかもしれませんので、皆様のご協力お願います。あと、系図があったほうが分かりやすいと思うので現在作成中です。 山科派等を印西派の前に移動したのは、系図の位置関係を反映させるためです。MizunoH 2007年2月21日 (水) 22:07 (UTC)[返信]

本多流についてですが、既に本多流があるので、内容の一致を図ると共に、「日置流」にふさわしい情報にしぼるべきではないでしょうか。たとえば以下のように。
本多流
江戸竹林派の本多利実(天保7年(1836) - 大正6(1917))を祖とする。明治大正期に成立。利実は打起しを正面に改めるなどの改良を加え、現代の射法に強い影響を与えた。詳細は本多流を見よ。
また、以下の記述は1の「特徴」に移した方が良いかと思います。印西派は要前の特徴を強く遺しているとは思うのですが、日置流全体に当てはまると思います。
印西派は戦場で徒歩武者(かちむしゃ)(歩兵の意)が用いる射法である「歩射」であり、本来は馬上で弓を引く「騎射」の射法である小笠原流とは根本的にその土台が異なる。印西派の本来の射法は「割膝(わりひざ)」という膝立ちの体勢で弓を引くものであり、戦場で敵方から放たれる矢を避けて身を隠しながら、瞬間的に身を起こし敵を射るのに非常に適している。現代では、その割膝の練習段階とされる、立ったまま弓を引く「立射」の体勢が一般的である。
多人数で射る場合も一つの的を全員で射るのが本来正式である。
また、的は約15間(けん)(28m)先に設置するが、これは戦場での敵の位置を想定したものである。これは、直接攻撃用の武器の中で最も攻撃距離の長い槍が届かず、かつ遠すぎない距離である。現在もこれらに習い、近的の場合は流派を問わず、直径一尺二寸(36cm)の的を15間(28m)先の低い位置に設置するのが一般的である。
一週間ほど様子見しますMizunoH 2007年2月27日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
印西派以外の調査が不十分なので、見合わせます。失礼。MizunoH 2007年5月13日 (日) 12:27 (UTC)(追加)[返信]


以下「Shigekata」記述

MizunoH様→当方は異論ありません。

近年、太陽書房から「日置の源流」が出版され、日置吉田流の通説を覆す伝書の現代語訳がなされています(葛巻家と吉田家の関係や、日置弾正の事など)。また、樋口臥龍氏が根本だと思われる、雪荷派の通説についても再検証が必要なのではないかと。ただ、「日置の源流」に書かれていることを転載することも出来ませんし、一般的な通説に留める事が無難なのかもしれません。以上。

2007/03/01(木)

Shigekata様 ご意見ありがとうございます。仰るように雪荷派については樋口説を基本にしました。再検討が必要なことは全く同感ですが、発表から十分な時間が経ち、石岡氏らにも受け継がれているので、現時点では定説として扱うのが無難かと思います。
「日置の源流」、私も読みましたが、原本も公開されているそうなので、情報を載せることは問題ないのではないでしょうか。ただ「日置の源流」は活字化が主目的なのか、著者の考察が十分とは思えず、発表から日が浅く他の専門家の検証も不十分なため、未だ通説を覆す段階には至ってないと思います。(一般的に、江戸時代前期の系図に関しては「信じる物はほとんどない」とまで言われるそうですし、実際六角氏に関して相反する記述があるなど、疑問点が少なくないです。ただそれを言い出すと他の史料も信じられなくなってしまいますが…)
とはいえ興味深い情報ではありますので、記事では「~このような資料が発見された」程度に記述するのが良いと思います。MizunoH 2007年3月8日 (木) 07:10 (UTC)[返信]


以下「Shigekata」記述

MizunoH様

樋口氏の論文には折々推論と思われる箇所が散見されますが、現在では考証無しに引用されています。ただ、樋口氏の推論と思われる箇所を否定するような資料がありませんでしたので、仕方なかったと思います。そこに、「日置の源流」が登場しましたので、非常に興味深く見守っています。ただ、この頁で議論しようと思っていませんので、ご了承下さい。また、「日置の源流」における六角氏についての疑問点ですが、私は全く疑問と思っていません。現在では偽系図上の人物とされる、六角氏綱以降の屋形筋が登場しているところに意味があるように思います。次のサイトをご参照下さい。佐々木哲学校以上。

2007/03/08(木)19:20

Shigekata様 ご返答と作業が遅くなってしまい失礼しました。佐々木哲学校のご紹介ありがとうございます。「Heki_To_Ryu~日置當流の歴史~」経由で読んだことがあったので「日置の源流」を非常に興味深く読めました。ただ主要な事典等でこの説を採用しているものはありませんので、現時点では従来説に基づく記述に留めます。今後も加筆&ご意見よろしくお願いします。MizunoH 2007年4月3日 (火) 15:17 (UTC)[返信]