ノート:日本航空

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2012年1月13日 (金) 03:10‎ (UTC) に日本航空から日本航空 (持株会社)への移動、2012年1月13日 (金) 12:47‎ (UTC) に日本航空インターナショナルから日本航空への移動が行われました。移動以前の「日本航空」に関する議論はノート:日本航空 (持株会社)を、「日本航空インターナショナル」に関する議論はノート:日本航空/過去ログ1を参照下さい。

日航とフラッグキャリア[編集]

日本航空が「フラッグ・キャリア」であるかどうかについて、関連する書籍の記述がどうなっているか調べてみました。調査したのは、1984~2010年に発行された書籍で、日本航空あるいは日本の航空事業に関するもの14冊です。このうち、12冊に日航とフラッグ・キャリアを関連付ける記述がみられました。日本航空がいつフラッグキャリアだったか、その根拠は何かを調べた結果が以下の表です。書籍はamazonにて「日航」ないし「日本航空」で検索して得られた結果のうち、当方の都合で入手しやすかったものに限っています。(1990/11発行の中田重光著『日航のグループ戦略』の記述を追加。--EsCape The Fate会話) 2012年10月28日 (日) 09:25 (UTC))(1985年発行の『迷走』を追加。ISBNを追加。署名の一部を訂正。--EsCape The Fate会話) 2012年10月29日 (月) 14:08 (UTC))(2012年発行の『JAL再建の真実』からとりあえず追加。--EsCape The Fate会話2013年8月2日 (金) 15:51 (UTC)[返信]

発行年月 著者 書名 根拠 出典
1984-10 山田智彦 日本航空の選択 ISBN 4-334-01172-1 日航法 『旧日本航空が設立されたのは、昭和二十六年八月、日航法が公布され、日本航空が国際線の航空便運航を国からまかされ、ナショナル・フラッグ・キャリアとして出発したのは、昭和二十八年十月であった。』(p21)
1985-12 秋場良宣 なぜ日航だけが…!? ISBN 4-7669-0388-9 日航法 『日航をナショナル・フラッグ・キャリア(日本を代表する航空会社)とした根拠法の日航法』(p163)『日航が民営化し、「ナショナル・フラッグ・キャリア」の資格を失って、全日空と同じ一民間航空会社になる』(p89)
1985-12 石飛仁 竹田遼 迷走 ISBN 4-7673-0244-7 国有(日航法) 『民営化によって失なわれるのは”ナショナル・フラッグ・キャリア”という、あまり意味のないイメージだけではないだろうか』(p238)
1986-05 山本雄二郎 全日空が日航を追い抜く日 ISBN 4-06-192718-3 不明 『日航はナショナル・フラッグ・キャリア(国旗をつけた航空会社)』(p23)
1987-04 片山修 日航の運命 ISBN 4-89036-043-3 国有(日航法) 『完全民営化されても、日航マンには、ナショナル・フラッグ・キャリアとしての誇りをもってもらいたい。』(p261)
1987-09 佐藤朝泰 第4の成長産業・航空三社 ISBN 4-7612-5221-9 国有(日航法) 『運輸省は日航完全民営化の反対論についてもふれている。(略)(2)国策上必要な路線の維持、緊急時の輸送手段の確保等に対応するためには、ナショナル・フラッグ・キャリアを存続させる必要があるのではないか』(p60)
1987-11 吉原公一郎 日本航空 ISBN 4-8226-0252-4 (記述なし)
1990-11 中田重光 日本航空のグループ戦略 ISBN 4-478-31070-X 国有(日航法) 『一九八七年の完全民営化によって、日本航空は、自由企業の仲間入りをした。”ナショナルフラッグキャリア”、あるいは”インペリアルエアライン”としての栄光は、もはや完全に過去のものとなった。』(p24)
1992-11 小島郁夫 3年後の航空業界 ISBN 4-8314-9169-1 日航法 『JALは日本を代表する航空会社である。だから社名も「日本航空」とある。五二年の「日航法」施行以来、「ナショナルキャリア」として日本の国際線運航を担ってきた。』(p45)
1995-06 渡辺国温 日本航空の挑戦 ISBN 4-8207-1109-1 日航法 『日本航空は一九五一年に純民間会社としてスタートしてきた。ところが五三年の日航法制定とともに政府の五〇%出資の特殊法人となり、それ以後三四年間いわゆる半官半民の「ナショナル・フラッグ・キャリア」の道を歩んできた。そして、押し寄せる航空自由化の波のなかで八七年一一月、再ぴ民営化の道を選択することになったのである。』(p56)
1996-08 杉浦一機 JAL VS ANA 2 ISBN 4-88732-026-4 日航法? 『八五年以前には「日本唯一の国際線航空会社」であり、「フラッグキャリア」であった』(p252)
1996-08 大橋英五 日本のビッグ・ビジネス 13 日本航空 全日空 ISBN 4-272-10213-3 (記述なし)
2010-04 屋山太郎 JAL再生の嘘 ISBN 978-4-569-77699-6 日航法 『特殊法人だった日航を民営化した際、ナショナル・フラッグ・キャリアを外資に乗っ取られる心配がある』(p77)
2010-06 森功 腐った翼 ISBN 978-4-344-01849-5 日航法 『五三年十月一日、日本航空株式会社法(日航法)が施行され、JALが半官半民の特殊法人として再出発する。(略)そうしてナショナル・フラッグ・キャリアは、スタートする。』(p26)『かつてのナショナル・フラッグ・キャリアは』(p9)(p17)
2012-09 町田徹 JAL再建の真実 ISBN 978-4-06-288176-0 『JALはかつては日の丸を背負い、日本という国を代表する航空会社として、尊敬と親しみの念を込めて「ナショナルフラッグ・キャリア」と呼ばれていた。』(p22)

こうしてみると、ほとんどすべての論者が、フラッグキャリアを、法(日航法)によって規定された航空会社、とみていることがわかります。これは、フラッグ・キャリアの原義であろうflag carrier、たとえばBusiness Dictionaryでは、"Airline or ship-line registered under the laws of a country whose government gives it partial or total monopoly over international routes. In maritime law, all vessels (aircraft or ships) are required to prominently display the national flag of the country of their registry."((適当に訳すと)国際線の一部または全部の独占をその国の法律で認められた航空会社)とほぼ同義になります。

以上から、日航とフラッグキャリアの関係は、

  1. 日航法が適用されていた1953年から1987年まではフラッグ・キャリアであった。
  2. 民間企業であった1951年~1953年以前と1987年以降はフラッグ・キャリアではない。

ということになります。

(とりあえず調査結果のみ記述)--EsCape The Fate会話2012年10月20日 (土) 09:30 (UTC)[返信]

  • 転記ありがとうございました。私も暇を見つけてここに投稿いたします。少なくとも6ないしは10の投稿が集まり次第ということではいかがでしょうか。貴方は全日空よりの意見を多く記述してきた過去があるようですので、貴方と私とでは議論が不十分です。両方の主張が一定数そろってから判断すべきです。Wikipediaは早急に更新する必要はありません。それでは追って。
  • まあ、お願いですからとりあえず署名をしてください。どなたの発言かわからなくなります。さて、Wikipediaは百科事典ですから、出典に基づいて編集をしなければなりません。Wikipedia:出典を明記するとかWikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性などをお願いですから読んでください。Wikipediaはあなたがお考えのような、「編集する内容を執筆者の合意で決めるようなもの」ではありません。そのような編集をなさりたいのなら、ご自分でBlogなりwebページを立ち上げてなさってください。繰り返します。出典を付した記述を削除しないでください。出典が不適当であるなら、まずその理由を述べてください。また、相反する出典があるのならそのような出典をまずご提示ください。くれぐれもよろしくお願いします。以上のように、あなたが行ったこのrvには理由がないことがわかりましたのでrvします。編集合戦防止のため数日待ちますがご意見があればどうぞ。--EsCape The Fate会話2012年10月28日 (日) 07:25 (UTC)[返信]
  • 繰り返します。「出典」の質に言及しております。不足しているのは、フラッグキャリアについての出典と、なぜ国内出典しか出さないのか、です。この点を私が補足します。また、故意に選出した「出典」をご自分のBlogのように更新してきた歴史が他項目に見られましたので、いったん考える時間を置いてみては?というアドバイスです。文面に感情的な部分が出てきましたので、ますます焦りが見られます。まずは落ち着いて。この項には来週また来ます。他の方の意見を待ちましょう。Tanktank3会話2012年10月28日 (日) 08:28 (UTC)[返信]
  • Tanktank3さん。あなたの質問にお答えする前に、「Wikipediaは編集する内容を執筆者の合意で決めるようなものではない」ということをご理解いただけたことを嬉しく思います。さて、
>フラッグキャリアについての出典
ここでは「日本航空がフラッグキャリアであった期間」を問題にしていますので、私が挙げた出版物で十分です。いやそうでない、とおっしゃるなら、何が問題か、何を問題と捉えているのか、ぜひ具体的にご指摘ください。
>なぜ国内出典しか出さないのか
WP:SOURCESをご覧ください。日本語の情報源がある限りそれを引用すべきであることがご理解いただけるでしょう。
>故意に選出した「出典」
そうお考えになりたい気持ちはわからないでもないのですが、上に書いたとおりこちらの検証は無作為にやっていますので、あなたも含め各々検証をなさってからそのような発言をいただければと考えます。
>来週また来ます
Tanktank3さんのご主張について私が理解できないのは、「日本航空は今でもフラッグ・キャリアである」と主張されているのに、私の「民営化によってフラッグ・キャリアの資格を失った」との調査結果に対し、ここで直ちになんらの具体的な反例ないし反論を示せない点です。ない、なら、ない、と今ここで表明し、あるなら今すぐに根拠を提示してください。このような状況で来週また来ますといわれても、出典を提示しているこちらが、出典も提示しないあなたの都合に合わせる理由はないのでrvは行います。もし共存すべきないしは反対する出典を見つけたのであれば、そのときに対応してください。以後、今回のような根拠のないrvをなさらぬようお願い申し上げます。--EsCape The Fate会話2012年10月28日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 私の出典を付した編集がTanktank3さんによって上記にコメントのないまま再びrevertされました。さて、Tanktank3さん、議論の前提として、あなたの「フラッグキャリア」の定義を述べてください。参考までに、あなたの編集に表れた、それを推察させうるものを抜粋すると、

となりますが、これらはいまだ「フラッグキャリア」の明確な定義とは言えず、加えてTanktank3さんご主張の根拠となる出典が全く提示されていない現状では、あなたの主張は独自研究ないし同義反復であるとの疑いを持たざるを得ません。Wikipediaの信頼性向上のためにご協力をお願いいたします。また、この上にある、あなたのご質問に対する私の回答にもコメントをください。よろしくお願いします。一週間ほど待ちます。--EsCape The Fate会話2012年10月29日 (月) 14:08 (UTC)[返信]

明日11月4日の正午まで待ちます。--EsCape The Fate会話2012年11月3日 (土) 14:21 (UTC)[返信]
異論がないので反映しました。--EsCape The Fate会話2012年11月8日 (木) 16:45 (UTC)[返信]

只今見解をまとめておりますのでしばらくお待ちください。--EsCape The Fate会話2012年12月8日 (土) 04:43 (UTC)[返信]

1995年以降に発行された収録語数50000語以上の国語辞典21冊を調べてみましたが、日本のナショナルフラッグキャリアを日本航空とするものは大辞泉第2版のみでした。他の文献と悉く矛盾する大辞泉第2版のこの記述は本文としてではなく、補説、つまり、補足的事項あるいは諸説のある問題点として書かれていることから、これは同辞典の独自の見解であると思われ、これのみでは典拠として不適切であって除去されるべきと考えます。なお、大辞泉第2版はインターネットからも採録しているので、Wikipedia:信頼できる情報源の観点から典拠とするには警戒が必要だと思われます。--EsCape The Fate会話2013年1月6日 (日) 14:52 (UTC)[返信]
しばらく待ちましたが異論がないようなので、11月9日当時の「1953年の日本航空株式会社法の施行から1987年の同法の廃止まで日本のナショナル・フラッグ・キャリアであった」という記述に頃合をみて戻そうと思います。--EsCape The Fate会話2013年1月23日 (水) 16:43 (UTC)[返信]