ノート:日本海海戦における連合艦隊幹部

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掲載基準の不統一について

このページが最初に作られた際には、ページ冒頭に述べられた掲載基準に従って掲載する人名が選定されたものと思いますが、その後、掲載基準に従わない編集が行われた結果、掲載基準と掲載人名の間に齟齬が出ているように思います。一例ですが、戦艦三笠乗組みとして掲載されている普門卯之助少尉(当時)は、掲載基準に合致しないように思います。ウィキペディアには名前がありませんし、陸海軍将官総覧は確認していませんが、普門氏は中佐で退役されており、将官総覧に名前があるとは考えられません。一方、のちの連合艦隊司令長官山本五十六は、当時「日進」乗り組みの少尉候補生でしたが、彼の名前は当然ウィキペディアにありますし、陸海軍将官総覧にも当然載っているでしょう。彼の親友としても知られる堀悌吉氏の名前は三笠乗り組みの少尉候補生として掲載されていることに照らしても、掲載基準がバラバラという印象をぬぐえません。

私も掲載基準を理解せずに人名を補うような投稿を一度しましたが、掲載基準が明確に示されているのに気づき、投稿を取り消しました。掲載基準をこのままにするのであれば、掲載された人名が基準に合致するように整理しなおす必要があると思いますがいかがでしょうか。 --お山の大将会話2017年5月10日 (水) 04:04 (UTC)[返信]

記事タイトルとの関連での掲載基準の適切性について

本記事のタイトルは「日本海海戦における連合艦隊幹部」となっています。連合艦隊及び各戦隊司令部、および各艦艦長をはじめとする上級士官がここに含まれるのは適切と思いますが、堀悌吉のように、当時少尉候補生であったような人物を、「日本海海戦における連合艦隊幹部」に含めることは果たして適切でしょうか。堀悌吉が本当の意味で「幹部」と呼べるような立場になったのはもっと後のことで、日本海海戦時点での堀や山本は駆け出しの少尉候補生にすぎません。その意味で、この記事のタイトルを前提とする限り、冒頭に述べられた掲載の基準は必ずしも適切とは言えないと思いますがいかがでしょうか。

もちろん、自衛隊がそうしているように、「幹部」という言葉を広義に解釈して、士官ないし准士官以上を指すと考えるならば、少尉候補生も含まれるということになるでしょうが、もしそうであれば、日本海海戦当時参加各艦艇に乗艦していた准士官以上をすべて掲載するという方針に切り替えるべきと考えますがいかがでしょうか。水雷艇などについてきちんとしたデータがあるかどうかはわかりませんが、少なくとも第一から第七戦隊の各艦については、アジア歴史資料センターのウェブサイトで簡単に資料をダウンロードできるのですから。(例えば https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14120033400?IS_KEY_S1=%E7%AC%AC1%E6%88%A6%E9%9A%8A%E5%90%84%E8%89%A6%E5%A3%AB%E5%AE%98&IS_KIND=SimpleSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD& を参照)

私は個人的には、のちに海軍を指導する立場になった堀や山本のような人物が日本海海戦当時どういう地位を占めていたのか、ということに関する情報は、ウィキペディア利用者にとって興味のある情報であり、「幹部」を広義に解釈することには反対ではありません。ただ、そうするならば、准士官以上で分かっている人々を全て掲載するのが筋だと考えます。全員を掲載しても、その数はそこまで多くはないので、情報過多で読みにくい記事になる心配はあまりないと考えますがいかがでしょうか。 --お山の大将会話2017年5月10日 (水) 04:04 (UTC)[返信]