ノート:日本学術会議

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「組織批評」の会員選出の部分について[編集]

変更された事実の説明に対して「方式に変わったととし」といった変な日本語表記があります。

現選考基準が変更した説明にわざわざ「海部宣男は」と入れる必要性は無いかと思います。 また歴史経緯の説明を「」でくくって特定個人の主張のように表記するのは、問題かとおもいます。


引用元にある「科学者の民主的な活動をつぶそうという政権との長いせめぎあいの中で学術会議が次第に追い込まれてきた歴史」 という記載を海部宣男の見解として取り込み、整理し直そうかと考えています。 [1] --ちーとす会話2020年10月3日 (土) 01:10 (UTC)[返信]

修正しました。--ちーとす会話2020年10月3日 (土) 02:01 (UTC)[返信]
「経緯」はほとんどの場合一つであることはありません。そして「経緯への見解」は各人の「解釈」ですので、「誰々がこう言っている、考えている」という書き方以外は編集者による独自研究的編集でしょう。何よりも、リンク先の情報は「海部さんの見解」以上の根拠がある情報ではありませんし。
それ以上の情報補強がしたいのなら特定個人の主張ではないという出典が必要。ただしその場合も「〇〇がこう言っている、書いている」という書式は不可欠ですよ
--Hephaestus20会話2020年10月3日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
この部分を、個人の意見表明と同列に論ずるのは不適だと考えます。この部分は、引用元でも「歴史」としているとおり、一定のコンセンサスがとれている話で、その議論は当てはまらないと考えます。根拠的な話をすると、中曽根政権時の国会追及などを傍証とすることもできますが話が拡散してしまうので、それは不適切だと考えます。いずれにしろ、現在の記述は文意が不明な形になっていますので修正する必要があると考えています。--ちーとす会話2020年10月3日 (土) 22:21 (UTC)[返信]
それが元会長の発言部を削除した理由ですか?ある人物が歴史と称していることはコンセンサスの根拠にはなりませんし、出来事の事実は多面的なものです。ひとつの観点からの認識・言及を全ての事実であるかのようにする編集は編集者の独自研究的編集と言えます。(私の前回加筆後、Yokeshumeさんが書き換えた文は、海部氏見解を否定する観点のみの編集ですしあれも独自研究編集と思います。)
2005年前後の改革当時の学術会議側主要人物たちの見解がウェブ上に残されていますが、それらを読んでも海部氏見解引用が一面的なものであることがわかります。
何事も多面的に併記することが大事だと思います。国会議事、私も少し目を通しましたが、海部氏の見解を補強する点もあれば異なる点もある。現状提示されてる範囲の海部氏の見解のみではやはり一面的すぎるなと思いました。とりあえず、折を見て改革当時主要人物たちの見解を併記していこうと思います。--Hephaestus20会話2020年10月4日 (日) 09:01 (UTC)[返信]
なにか勘違いをなされているようですが、大前提として引用部を多用したことで文意不明になっている事が問題です。問題がある表記等に関しては最初に指摘しています。また、これらが海部宣男の見解を反映している事を示すために「科学者の民主的な活動をつぶそうという政権との長いせめぎあいの中で学術会議が次第に追い込まれてきた歴史」という記載を分けて行いフォローアップもしています。もしそれが一つの観点でしか無いと言うのであれば、対応する形で別の観点からの記述の検討してみてはいかがてしょうか。--ちーとす会話2020年10月4日 (日) 19:58 (UTC)[返信]
追記 違う観点の有力ソースがあったため、差し戻し&加筆しました。--Hephaestus20会話2020年10月3日 (土) 05:39 (UTC)[返信]
保守系知識人による批判をひたすら積み重ねて印象操作を行い、中立的な観点を損なうような記述を削除しました。(参考:ウィキペディアは何ではないか。特にウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません)--Ryo 625会話2020年10月3日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
「会員やその選出方法について」に適応する形で、選考過程の変移の経緯を最初に上げて、変遷を明確化しました。多面的な視点の存在を指摘される場合は単に列挙するのでは無く、例えば対応する形での記述等で、文意が明瞭になるような配慮の検討をお願いします。あわせて「会員やその選出方法」とは関係が薄いと考えられる執行部批判の部分を削除しました。それらが重要であると考えられる場合は、別の項目を設定してください。--ちーとす会話2020年10月5日 (月) 18:54 (UTC)[返信]

ずらずらと評論家からの批判を並べることはしなくていいかと思いますが、中立的観点から、公人による外部からの批評があってしかるべきなので、「外部からの批評」という節で国会議員による批判を書きました。--みしまるもも会話2020年10月3日 (土) 11:51 (UTC)[返信]

公人は今回の件に関しては中立ではないので批評を削除しました。--Ryo 625会話2020年10月3日 (土) 12:19 (UTC)[返信]

「日本学術会議の任命拒否」の記事名問題[編集]

表題の件について「ノート:日本学術会議の任命拒否」で議論が行われていますので、念のためご案内申し上げます……。--Assemblykinematics会話2020年10月10日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

顔写真とそのキャプションにおける過剰な文章について[編集]

黒川清博士、仁科芳雄博士、朝永振一郎博士、茅誠司博士、吉川弘之博士の顔写真と、それのキャプションとして長文がだらだら書かれていましたが、写真を除去しキャプションは可能な限り本文に組み込みました。

黒川博士、仁科博士、朝永博士、茅博士、および、吉川博士いずれの写真も、日本学術会議に関連する写真ではなく、各先生がたの単なる肖像写真に過ぎません。会長在任時点での肖像写真ですらありません。もし各先生方の肖像について知りたいならば、本来はリンク先の各先生方の個別記事を見ればよいわけで、わざわざ日本学術会議の記事中にこれらの写真を掲載する必要性はありません。さらにキャプションに至っては、極めて長文がだらだらと書き連ねてありますが、ここまでの長文なら必要なものは本文に書けばいいし、不要なものは除去すればよいでしょう。たとえば茅博士の肖像写真のキャプションには、茅博士個人の原子力研究に関する記述がありますが、これは日本学術会議に関係するのでしょうか? 茅博士の個別記事に書くならわかりますが、なぜ日本学術会議のページに書くのでしょうか。また、茅博士の会員推薦方式に関する記述がキャプション内にありますが、これは記事本文の「選出方法とその変遷」セクションにでも書けば住む話でしょう。なぜわざわざキャプションに長文で書く必要があるのでしょうか。同様に、吉川博士の肖像写真のキャプションに長々吉川理論など改革に関する記述がありますが、これも記事本文の「2004年の法改正」セクションあたりに書けばよいのではないですか?

日本学術会議に直接的な関係があるわけでもない写真を掲載し、そのキャプションとして、本来本文に書けばいいことをだらだら長文で書いたり、挙句に日本学術会議と全く関係ないトリビア的なことまで書いているため、明らかに不要と判断しました。そのため、黒川清博士、仁科芳雄博士、朝永振一郎博士、茅誠司博士、吉川弘之博士の肖像画像を除去し、キャプション内の記述は本文に組み込むべきものは組み込んだ、つもりです。もし遺漏あればすみません。ただ、いずれにしても黒川清博士、仁科芳雄博士、朝永振一郎博士、茅誠司博士、吉川弘之博士が日本学術会議に関する活動をされているシーンのお写真なら掲載するのはわかりますが、明らかに関係ないシーンだったり、キャプションに超長文を書き連ねるのは看過できないと思います。--126.244.181.254 2020年10月23日 (金) 02:46 (UTC)[返信]

コメント 記事の調整ありがとうございます。時間がないため、ひとまず三点だけ補足しておきます。
  • 「茅博士個人の原子力研究に関する記述がありますが、これは日本学術会議に関係するのでしょうか?」
    「茅・伏見提案」は日本学術会議運営審議会1952年10月の第13回総会で提案されたもので、被爆者の広島大学の先生らの大反対にあって取り下げられます。ですが、これを契機に日本学術会議内に「三九委員会」など原子力に対応するための委員会が設けられ、これが原子力研究3原則につながっていき、原子力基本法にも反映されることになります。これらは初期の日本学術会議の活躍の中で原子力に関するものは大変重要なものであり、単独の節か小節を設ける予定です。ただ、当時の状況が複雑なため、資料の読み込み・理解・記事構成の検討に時間がかかっており、まだ書けていない状況です。
  • 「茅博士の会員推薦方式に関する記述がキャプション内にありますが、これは記事本文の「選出方法とその変遷」セクションにでも書けば住む話でしょう。」
    設立前史」節の最後に、どの勢力や人物がどんな提案をしていたのかまとめた段落を設ける予定でした。ただ、情報不足だったり自分の中で十分に整理しきれておらず、現時点では執筆に難航していたため、本文には組み込めていません。GHQ・ケリーが招聘した諮問団が非政府の組織を勧めていたのを注釈にとどめていたのも、同様の理由です。
  • 「吉川博士の肖像写真のキャプションに長々吉川理論など改革に関する記述がありますが、これも記事本文の「2004年の法改正」セクションあたりに書けばよいのではないですか?」
    ノーベル賞受賞者以外で選出されているのが吉川先生だけだったため、この方が日本学術会議にどのような貢献をしたのかを「栄誉会員」に節に書きたいと思っていました。ただ、吉川先生が栄誉会員に選出された理由を書いた出典が見つからず、選定理由が国際科学会議会長によるものなのか日本学術会議の改革によるものなのか、はたまた両方向かはっきりせず、下手に書いて発表済みの情報の合成のようになるとまずいと思い、あの場所にあの形式で記述したという事情もあります。
記事の書き方や記事「日本学術会議会長」とのすみ分けなどについても触れたいですが、今は取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2020年10月23日 (金) 22:21 (UTC)[返信]
報告 顔写真の計算自体も議論対象でしたので、議題名(節タイトル)を修正させていただきました。なお、先のコメントで「茅・伏見提案」は運営審議会での発言と書きましたが、正しくは第13回の総会のようでしたので、訂正させていただきました。出典は
  • 山崎正勝平和問題と原子力 ― 物理学者はどう向き合ってきたのか」『日本物理学会誌』第71巻第12号、2016年、848-852頁。
  • 伏見康治『時代の証言 ― 原子力科学者の昭和史 ―』同文書院、1981年(第1版第1刷)、207-216頁、ISBN 4810340333
になります。総会に先立って第四部会や1952年7月27日の運営審議会で原子力研究について議題されており、
といった文献ではそこも含めて「茅・伏見提案」であるように書かれていたため、誤解していたようです。伏見先生の『時代の証言』では、部会や運営審議会の段階で茅先生が関わっていますが、それらから総会までの間に伏見試案というものもあり、総会に提案した段階で「茅・伏見提案」という言葉が出てきています。--Assemblykinematics会話2020年10月24日 (土) 06:54 (UTC)[返信]