ノート:新京阪鉄道P-6形電車

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新京阪線超特急について疑問[編集]

新京阪線の「超特急」が省線特急「燕」(つばめ)を抜き去ったエピソードについてですが、以下のような疑問があります。

1930年10月の「汽車時間表」(「燕」運転開始)から

  • 「燕」 大阪1300→京都1336、京都1644→大阪1720
  • 新京阪「超特急」 
    • 天神橋発700、800、900、1700、1800、1900発で所要34分
    • 西院発700、800、900、1700、1800、1900発で所要34分

1934年12月の「汽車時間表」(丹那トンネル開通)から

  • 「燕」 大阪1300→京都1334、京都1626→大阪1700
  • 新京阪「超特急」
    • 1930年10月時刻表と同じ運転時間帯・所要時間(ただし京都側の駅は延伸した京阪京都駅、現在の大宮駅)

1940年10月の「時間表」から

  • 「燕」 1934年12月時刻表と同じ
  • 新京阪「特急」
    • 天神橋駅・京阪京都駅共 700~830は10分間隔、930~1630は15分間隔、1700~1830は10分間隔、1900~2330は15分間隔発車 天神橋~京阪京都間所要40分

と運転時間帯が違っているため、少なくとも「超特急」が抜いたのは“造られた話”のように思えるのですが、いかがでしょうか。新京阪線には「超特急」の運転しない時間帯には当時の時刻表を見ると天神橋駅・京阪京都駅共に0分、15分、30分、45分発と15分間隔で所要38分の急行も走っていたため、そちらの話と混同された可能性も考えられますが。Shinkansen 2005年10月1日 (土) 06:48 (UTC)--一部訂正Shinkansen 2006年3月28日 (火) 02:44 (UTC)--再度一部修正Shinkansen 2006年4月16日 (日) 00:29 (UTC)[返信]

当時においては「燕」も「超特急」でしたし、実際の列車種別と、高速・駿足を意味する形容詞としての「超特急」が混同されたのかも知れませんね。P-6が大山崎で「燕」を追い抜く示威行為を行ったというのは史実として扱っていいでしょうが、そこに「超特急」を絡めるのは避けた方が無難かなと思います。金沢 2005年10月1日 (土) 12:19 (UTC)[返信]

一応、参考までに当時設定されていた特急の「櫻」(さくら)・「富士」・「鴎」(かもめ)の時間帯も記しておきます。

  • (1930年10月)
    • 「櫻」京都2118→大阪2154、大阪730→京都806 
    • 「富士」京都2129→大阪2205、大阪740→京都816
  • (1934年12月)
    • 「櫻」京都2124→大阪2200、大阪800→京都836
    • 「富士」京都2248→大阪2322、大阪655→京都729
  • (1940年10月)
    • 「櫻」京都2124→大阪2300、大阪800→京都835
    • 「富士」京都2253→大阪2329、大阪648→京都724
    • 「鴎」京都2045→大阪2120、大阪900→京都934

1934年の「櫻」については、新京阪線の「超特急」が追い抜いたとしても時間帯に合致します。--Shinkansen 2006年4月16日 (日) 00:29 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

このページの題名を「新京阪鉄道デイ100形電車」に改名する事を提案します。理由は鉄道プロジェクトで決定している「(登場時の事業者名をつけ)事業者名が変更されるごとに記事名を変えないというルール」に基づくものです。ご意見やご反論をお待ちしています。--目蒲東急之介 2008年7月9日 (水) 15:08 (UTC)[返信]

  • (賛成)依頼理由に同意。でもこれが通ったら1形も「箕面有馬電気軌道1形電車」になりませんか?(もっとも、私も叡山電鉄での赤リンク・執筆依頼や東急3000系電車 (初代)の分割では最終在籍社の項目名を設定していますが…)--七之輔/e56-129 2008年7月9日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
  • (賛成)依頼理由には賛成します。ただし、「新京阪鉄道デイ100形電車」というのは昭和4年のNos.527 - 539が新造された際に鉄道省から形式称号に関する照会があって初めて付された形式称号ですので、竣工時の形式称号ということであれば記事名は「新京阪鉄道P-6形電車」とするのが妥当です。江若のC4形キニ4や南海の電第九号形311、という風に当時の関西私鉄では形式称号と車番がバラバラに付されるケースが少なからずあり、後にそれらの形式称号が車番に従うように改められたケース(この場合はデイ100形に改称)が多いため、意外と知られていないのですが、「P-6」は単なる社内呼称でも愛称でもなく、少なくとも竣工当初はこれが形式称号でしたので。--HATARA KEI 2008年7月9日 (水) 21:17 (UTC)[返信]
    • (コメント)京阪電気鉄道の何かの資料(何の資料かを失念した為現時点では出典として使用不可能であるが)にも「P-6」が正式である様な書き方をしていたのを覚えています。形式名の出典はかなりある様であるので又見て置きますが「P-6」も記事題名の候補として挙げて置きます。--目蒲東急之介 2008年7月11日 (金) 10:34 (UTC)[返信]
      • (コメント)気になったので手持ちの資料を幾つかチェックしてみましたが、P-6系の竣工第1陣となったNos.101・103・104・106 - 110・112・113の竣工届出日が新京阪線開業直前の1927年12月15日、新京阪における「デイ」「フキ」「フイ」「デロ」「フロ」「デハ」といった形式称号の付与は1929年6月実施ですので、いずれにせよ第1陣新造時の形式称号が「デイ100形」あるいは「デイ形」(ちなみに1929年6月の称号付与時の形式称号は「デイ形」、京阪時代に「デイ100形」となっています。従って百歩譲って「デイ」の称号を使用するとしても新京阪の社名と組み合わせるのであるならば新京阪鉄道デイ形電車とせねばなりません)ということだけはありえず、さらに厳密を期すならばサフィックスの部分を含めて新京阪鉄道P-6-A形電車とすべきかも知れません(個人的には「P-6形」で充分と思いますが)。なお、鉄道ピクトリアル誌などで阪急関係者が書かれた記事では「P-6」は「部内呼称」であった旨くどい位しつこく記されているのですが、であるならば1929年6月以前に用いられていたはずの形式称号についてはそれらの記事はすべて沈黙を守っており、不可解な空白が生じています。なお、形式称号の変遷について「P-6」の形式称号の使用を明示している公刊資料としては、『新京阪鉄道車輛構造図集』(鉄道史資料保存会編、鉄道史資料保存会、1984年)巻末の車両経歴表(ただしこれにも新京阪への営業譲渡後に新造されたP-4・5形について北大阪電鉄としての形式があったかのごとく記するという、恐らくは単純に新京阪と取り違えたミスが見受けられますが)を挙げておきます。--HATARA KEI 2008年7月11日 (金) 23:06 (UTC)[返信]
  • (賛成)私も賛成いたします。記事名の付け方ルールに従えば阪急100形では違和感がありますし。「新京阪鉄道デイ100形電車」か「新京阪鉄道P-6形電車」でどちらがいいのかですが、候補となる記事名2つをフルネームで検索をかけると前者と後者では大差がつかず、試しに「新京阪鉄道デイ100」と「新京阪鉄道P-6」でかけると、後者のほうが遥かに多くなるという結果が出ます。で、本文を読んで考えると本系列にはフイ500形やフキ500形も含んでいることもありますので、デイ100形としてしまうよりは、P-6(ただし、形にするのか系とするのか?ですが…)にしたほうが良いのでは?と思います。To-emon 2008年7月19日 (土) 05:21 (UTC)[返信]
    • (コメント)実は新京阪の場合、後のフキ500は「P-6」、フイ500はデイ100と同じ「P-6-A」あるいは「P-6-B」が形式称号(フキ500の場合は「形式P-6」として原図にその旨明示があったことが確認できます)です。つまり、電動車も制御車も車体構造が共通であれば同一形式扱いで、車体構造の相違はサフィックスで、電装品の有無は車番で区別していたということで、これが後の鉄道省側からの形式称号に関する問い合わせ→形式称号の変更の主因となっています。なので総称としては「P-6系」ではなく「P-6形」が妥当ではないでしょうか。--HATARA KEI 2008年7月19日 (土) 06:14 (UTC)[返信]
  • (賛成)私も改名に賛成です。記事名については、「新京阪鉄道P-6形電車」でよろしいかと思います。その理由としては、手元にある『車両発達史シリーズ 4 阪急電鉄 京都線』(藤井信夫著、関西鉄道研究会 1995年)の58ページに、「これらの車両の製造時には新京阪ではP-1,P-4,P-5,P-6といった呼称が用いられていた。」という記述があり、1929年に鉄道省から照会(という名の行政指導)でデイ100などの形式名をつけるようになった(かなりはしょってまとめてますが)、と続いているので、当初形式名ということであれば「P-6形」が妥当ではないかと思料した次第であります(詳細につきましてはHATARA KEIさまが先に綿密な考証をされておられるので、そちらに譲りたいと思います)。--彩雲館主人 2008年8月7日 (木) 15:08 (UTC)[返信]
  • (コメント)色々とご意見ありがとうございます。尚各種のご意見が交錯していますのでもう少し議論をしたいと思います。--目蒲東急之介 2008年8月26日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
  • ついでなんでここでお尋ねしますが、だとしたら阪急200形電車は京阪200形電車になるってことなんでしょうかねぇ・・・。そんな車両があるかどうか確認してませんが、京阪神急行時代の京阪線新造車両は京阪神急行○○形になったりするんですか?定規杓子に統一も大事だと思いますが、分かりづらくなるというのも考えものですね--あな@34 2008年9月6日 (土) 17:03 (UTC)[返信]
    • (コメント)現状のルールに従う限りは、そうなりますね。従って、1943年10月の京阪神急行への合併前に製造された201-601や300形301 - 305は項目を独立して起こすのであれば、それぞれ京阪200形電車(新京阪線)京阪300形電車(新京阪線)とでもすべきでしょう。車両として設計が阪急のものとは明らかに異質ですし、実際にも継子扱いでしたし。後、京阪線の車両で京阪神急行時代の新規設計による新造車に該当するのは、小生の理解する限り、1300形1301 - 1310・1600形1601 - 1605だけの筈です。これについては新造途中で分離独立しており、かつ京阪神急行時代が1年に満たないことを勘案して、例外扱いにしておけばそれで済む話です。本当のところをいえば、阪急についても箕面有馬電気軌道・阪神急行・京阪神急行・阪急の4つを厳密に区分する方が正しい気はします。--HATARA KEI 2008年9月6日 (土) 17:30 (UTC)[返信]
      • (コメント)となると京阪1300系電車京阪神急行電鉄1300系電車になってしまいますね。--目蒲東急之介 2009年1月17日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
      • (ここで議論するのは項目違いと承知の上で)北大阪、新京阪、京阪時代の京都線車両については神戸、宝塚線との歴史的経緯の違いからそれでいいとは思うのですけど、阪神急行、京阪神急行まで区分するというなら、東急は東急時代と東京急行時代(及びそれ以前)に分けなければならないでしょうし、名鉄や近鉄も現段階で名古屋鉄道、近畿日本鉄道○○系と変えなければならなくなると思いますが(そうしないと将来、阪急や東急のように名鉄や近鉄を正式な会社名にした場合、それ以前の車両をそうかかざるえなくなりますから)--あな@34 2008年9月8日 (月) 07:26 (UTC)[返信]
        • 近鉄の場合は一部ですが伊勢電気鉄道モハニ231形電車等の記事名で書かれている例もあります。尚阪急の記述に付いては(議論が進展しなかったのは当方が様子を見る事と他の記事作成等で多忙だった為半ば放置(と言うよりもう少し他の方のご意見を待っていたと言うのもあるが))厳密区分が良いと私は思っております。--目蒲東急之介 2009年1月17日 (土) 03:45 (UTC)[返信]
  • (コメント・インデント戻します)個人的には、合併を繰り返した私鉄の場合、一体いつの形式をもって記事名とするのか、という厄介な議論に一線を引く意味で現行のガイドラインが存在していると考えています。その意味では、記事名が綺麗に揃わなくなる、という問題はあるものの、初号車竣工時点での形式称号および社名を記事名とする、というルールは議論の余地を無くする意味で厳守されるべきと考えますし、その点での不便を回避するためにその後の社名・形式名でのリダイレクトを作成するのは許容されるべきとも考えます。後、近鉄関連の項目に関しては、少なくとも小生が作成した記事(大阪電気軌道デボ1400形電車吉野鉄道モハ201形電車など)についてはこのルールを厳守しています。大東急に統合された各社線の車両のケースもそうですが、最初の形式称号や社名をろくに調べもせずに安易に立項される例が多く、その結果改名の手間が増大しているように思います(個人的にはその程度の調査・内容で記事を作らないで欲しい、と思います)。そういう意味で特に古い車両記事の立項に際しては旧形式称号のチェックを厳守して欲しいところではあります。--HATARA KEI 2009年1月17日 (土) 04:03 (UTC)[返信]
    • (追記)目蒲東急之介氏は「近鉄の場合は一部ですが」と書いておられますが、現在項目が存在する近鉄の各車両記事で、当初の在籍社名が異なっていたもので、なおかつ記事名が近鉄としてのもの、というのは何を指して書かれたものでしょうか?少なくとも小生がざっと見た限りでは、旧大鉄・吉野鉄道系も、大軌・参急系も、伊勢電・関急系も、それから三交の各車も、現在存在する記事で近鉄としての形式を記事名としているものは状況が特殊な近鉄680系電車(ただしこれについても前身の奈良電気鉄道デハボ1200形電車の項が別途存在します)と昇圧後の状況を中心に書かれている近鉄400系電車(これが大阪電気軌道デボ600形電車として立項されていないことも、実をいえば大問題ではあります)のみで、状況としてはこれらが多数を占めるとは言い難いように思いますが。--HATARA KEI 2009年1月17日 (土) 09:57 (UTC)[返信]
      • 回答が大幅に遅くなり大変失礼しました。あの時点では一部のみしか確認してませんでしたのでああ言った言い方になり、言葉足らずで失礼しました。再度確認してみた所、HATARA KEI様の仰られる様に大半の近鉄記事が1号車落成当時の社名になっていました。お知らせに感謝すると共に確認不徹底を深くお詫び申し上げます。--目蒲東急之介 2009年3月3日 (火) 02:00 (UTC)[返信]
    • (追記その2)ノート:京急400形電車でも提案しているのですが、帝都電鉄・京王電軌・小田原急行鉄道・京浜電鉄・湘南電鉄・京阪電鉄・南海鉄道といった第二次世界大戦中に政策によって半ば以上強制的に企業合併を強いられ、その後分離・再独立を果たした各社の車両で、かつ合併期間中に新造が開始された車両については、ガイドラインの例外規定として「会社分離独立後最初の形式称号をもって記事名とする」などとした方が記事名の競合抑止や混乱防止の観点、それに既存記事名の移動工数削減の観点で望ましいのではないでしょうか。そうすれば、上記の京阪1300系電車にかかる問題も回避できますので。--HATARA KEI 2009年1月18日 (日) 00:38 (UTC)[返信]

移動を実施しました。遅くなり失礼しました。--目蒲東急之介 2009年7月26日 (日) 10:58 (UTC)[返信]