ノート:抜刀術/過去ログ1

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抜刀術、抜刀道、居合道

 こんにちは (^^)/。藤岡弘、さんの項目に「抜刀道」と「居合道」というのが出てきているのですが、これらは同じものの流派名のようなものと考えて良いのでしょうか? ご存知の方に加筆していただけるとありがたいです。--Kadzuwo 07:36 2004年3月25日 (UTC)

林崎甚助で検索してみたところ、それぞれの名前を用いているところがいずれも流祖としているようでしたので、別名と見なして加筆してみました。適宜修正していただけるとありがたく存じます m(_ _)m。--Kadzuwo 13:34 2004年3月25日 (UTC)

「韓国刀」の件

「韓国刀」云々は抜刀術についての記事としては必要性が無いと考えます。日本刀に書くのはまあ分かりますが、抜刀術という武芸・武術と直接的関係があるとは言えないでしょう。武器刀剣にわざわざ書くようなものではないのと同じことです。

古物屋さんが問題の節を戻されましたが、再度削除させていただきます。 -- NiKe 2005年5月11日 (水) 04:18 (UTC)

抜刀術という技術体系そのものが、日本刀と不可分のものであり、また同時に、その日本刀とともに、抜刀術そのものについても韓国内では自国起源との捏造が行われていたため、削除に相当するほど不適切とは思わなかった次第です。確かに、直接の関係が薄いとの見方も確かに有るかと思われますので、「抜刀術」に関する問題のみ、追記とさせて頂きます。<--古物屋 2005年5月11日 (水) 05:24 (UTC)

大道芸について

以前から、「一般には「居合抜き」と呼ばれることがあるが、これは客寄せのために三尺以上ある刀を抜いてみせる大道芸の事であり、武術のそれとは全く異なるものである。」 という記述がありますが、三尺以上の刀を抜くのは大道芸なのでしょうか。あと、一般的に「居合抜き」と呼ぶものなのでしょうか。Pluto 2005年10月10日 (月) 17:05 (UTC)

どなたも書いておられないようですので、私が答えさせていただきます。
「三尺以上の刀を抜く」ことそのものが大道芸なのではなく、武術とは全く違う、「居合抜き」と呼ばれる「三尺以上の刀を抜いてみせる大道芸」があったということです。
「居合抜き」という呼び方については、居合道や古流の居合のことを全く御存知無い方は、こう呼ぶこともあります。Himazin 2005年10月16日 (日) 14:01 (UTC)
丁寧なお答えありがとうございます。調整した記述を戻しておきます。Pluto 2005年10月25日 (火) 10:28 (UTC)

編集

居合の説明に万力鎖による居合へのリンクを貼りました。以上の署名の無いコメントは、219.205.154.125会話/whois)さんが[2006年6月3日 (土) 13:16 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

カテゴリ:居合

  • 万力鎖の項に槍などの長物などで出来ると書いてあるので

カテゴリ化した方が良いのではないかと--222.158.63.112 2006年6月9日 (金) 08:28 (UTC)

それは正木流での概念であって、一般的には日本刀を用いた居合を意味することが多いとおもいます。210.170.214.135 2006年7月16日 (日) 15:58 (UTC)

今更ですが

記事名を「抜刀術」に変更なさったのは、何故でしょうか。「居合」のほうが一般的と存じます。記事名を「居合」から「抜刀術」に変更した理由が解らないので、経緯を説明して頂きたくお願い申し上げます。Pluto 2006年9月5日 (火) 18:26 (UTC)

もともと合意があって「抜刀術」とした訳ではないのでしょうから、しばらく待って、十分な回答が得られない場合は、「居合」に戻します。Pluto 2006年9月9日 (土) 22:13 (UTC)

居合だと、刀以外の武器も含みますので、 この記事は刀によるものなので混乱を起こさないためにも 抜刀術の表示で良いと思います。 --124.25.231.237 2006年9月13日 (水) 08:35 (UTC)

刀以外の武器を含むのは、正木流など一部の、特殊な例と考えます。おそらく混乱は起きません。Pluto 2006年9月13日 (水) 08:43 (UTC)

>特殊な例<歴史から見れば特殊でも無い。 刀は抜き打ちが本来の名称なのだが、 居合とは元々流派における、術の中にある括りと言えば解るか、 平時における対処法を称して居合としており 字の意味からして君の言っている事はカナリ穴があるよ。--124.25.231.237 2006年9月13日 (水) 12:14 (UTC)

特殊な例です。普通、居合は刀によるものを指します。混乱は起こらないと考えることのなにが穴なのか、不思議です。"平時における対処法を称して居合としており字の意味からして君の言っている事はカナリ穴があるよ。"この文章では、何が穴なのか、さっぱりわかりません。いろいろと滲み出ているので、気を付けるように。記事の内容を考えた上で、混乱は起こらないと述べたまでです。Pluto 2006年9月16日 (土) 18:50 (UTC)

記事名を「居合」から「抜刀術」に変更したという履歴が見当たらず、意味がよく分からないです。履歴を見る限り今リダイレクトになっている居合は最初の版が「居合=抜刀術」という記述だけで、次の版が「'''居合'''=[[抜刀術]]」と強調とリンクを加えただけでしたけど。--220.212.74.112 2006年12月8日 (金) 12:16 (UTC)

そうですか・・・以前は「居合」と「抜刀術」の記事双方が存在していたと記憶しており、統合されたのだろうとばかり思っておりましたが・・・。一応依頼内容を変更しておきます。武術において一般的な呼称である居合に変更すべきであるという考えは変わりませんので、依頼は取り消しません。Plume (改名致しました。元Pluto) 2006年12月9日 (土) 17:16 (UTC)
記事名の「居合」への変更に賛成します。
記事名が「抜刀術」になっていたのは、あくまでも推測ですが、「居合」では「居合道」と紛らわしかったためではないでしょうか。Himazin 2006年12月15日 (金) 05:40 (UTC)

不賛成です。現にこの記事の内容が日本刀での技術のことだけである以上、刀以外のものでの技術を含めた名称である居合への移動はデメリットこそあれメリットはありません。一般的に居合と呼ばれているいうのは、一般の人間は武道にうとくて居合と言ったら刀のそれしか思い浮かばないという意味では事実とは思いますが、正しい知識を紹介するのが目的の百科事典がそういう一般人の誤解にあわせる事はないんじゃないでしょうか。--210.252.253.6 2006年12月17日 (日) 10:35 (UTC)

それについては既に述べておりますので、そちらの方 (上のほうです) もご覧ください。Plume 2007年1月7日 (日) 19:33 (UTC)
移動依頼を見ていて目に付いたのでお邪魔します。移動するしないに関わらず、今この状態は望ましくないと思うのですがいかがでしょう?
210.252.253.6さん、居合=「(武器・流派問わず)居るだけの状態から、抜き打つ事全般」、抜刀術=刀に限るということでよいのでしょうか? 今ウィキペディアは、残念ながら居合=この記事というリダイレクトの状態になっているので、現状では移動に関するご懸念の意味がありません。この項目を書き換えて、他の居合の説明も加えてから、居合に移動するという方向で加筆を検討しては頂けませんか?
あるいはこの抜刀術とは別項として居合を立てるという方向性もあるのでしょうが、刀以外の居合というのが、別項として立てられるほど書くことがあるのかというと、想像できないのです。210.252.253.6さんに「居合」という記事を丸ごと1つの記事を立てるだけの知識がもしおありでしたら、それはそれで読んでみたい気もいたしますが--すぐり 2007年1月8日 (月) 02:28 (UTC)

(移動に反対)居合とは、平静時から即座に刀(その他の武器)を抜き、敵に相対する事を指すと思います。そのさい、抜刀、足の運び、姿勢、目線など多くの点に妙味があります。それに対し、抜刀術は刀を抜く動作そのものにおける技術であり、むしろ居合の一部といえないでしょうか?つまり、全ての居合が抜刀術であり、全ての抜刀術が居合であれば、移動の議論もしようがあります。しかし、そうではなく、抜刀術が居合の妙味の一部に過ぎないのだとしたら、独立した項目をむしろ作るべきと考えます。武器が刀に限るかどうかは、むしろ小さな問題のように感じます。--レイキャビク 2007年1月11日 (木) 22:23 (UTC)

「居合」自体には暗殺術的な要素も含まれています。平静時だけではありません。また、居合と抜刀術は基本的には同じものです。関口流抜刀術は「せきぐちりゅういあい」と読むそうです。居合の別名と考えて差し支えないと思われます。Plume 2007年1月12日 (金) 14:33 (UTC)
なるほど、関口流抜刀術に関しては知りませんでした。しかし、それは関口流に関しては居合=抜刀術だとして、全ての流派においてそうなのでしょうか?つまり、全て(あるいはほとんど)の流派が居合=抜刀術であると認めるか、くらいでないと、統合は難しいのではないかと思うのです。居合⊇抜刀術であると考える流派は本当にない(非常に少ない)のでしょうか?お教え願えると幸いです。--レイキャビク 2007年1月12日 (金) 18:18 (UTC)
武術の一課としての居合術類の分類名として、最も多く用いられるものが「居合」です。"居合⊇抜刀術であると考える流派は本当にない(非常に少ない)のでしょうか"聞いたことは、無いです。自剛天眞流抜刀術のように、違うものとする話は聞きます。ここでは、『抜刀術は刀の扱い方を訓練し、手を慣らすのが目的』と。ただ、居合にもそういった効果はありますし、この流派の動きや、流派ごとに考え方は異なるものであること等を考えると、実質的には似たようなものです。Plume 2007年1月13日 (土) 01:59 (UTC)
なるほど、そう言うことであれば居合への統合が望ましいかもしれませんね。ただ、抜刀術と居合いの関係について、きちんと述べて誤解の内容にすべきでしょう。移動賛成に変わり身の術!--レイキャビク 2007年1月13日 (土) 22:12 (UTC)
移動に賛成して頂けてなによりです。Plume 2007年1月21日 (日) 19:40 (UTC)

「居合」と言った場合、居た状態、つまり座った状態から抜く事を基本としています。 抜刀術と言った場合、立位、歩きながらの抜刀なども包括されます。 その性格上、「抜刀術」と言った場合、居合より、実際に襲われたシチュエーションなどを想定した、実用性に重きを置いたものになり、学ぶ人間の目的意識なども必ずしも一致しません。 例えば、抜刀術の場合には、相手が近い場合、逆手での抜刀で、下から上へ切り上げるような動きもありますが、「居合」と言った場合、そういった刀の持ち方は正しい刀の使い方ではないとされるでしょう。 恐らく、諸流を学ぶ、教える人間の中にも居合と抜刀術を同じと考えたり、そういった名称の使い分けに意味が無いと思っている人間も多いと思いますが、百科事典としての正確な記述としては、完全に一致するものでないなら、記事名の変更はすべきではないと思います。以上の署名の無いコメントは、222.4.28.77会話/whois)さんが[2007年8月27日 (月) 10:57 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

「居た状態、つまり座った状態から抜く事」を居合の定義とするかどうかは、すでに指摘されているように、「流派による」としかいえないと思います。「居合」の中に立業を含むことが一般的であると言えるのであれば、百科辞典としての記述として、「居合」に統合することに合理性はあると思います。とはいえ、個人的には、記事名の変更が必ずしも必要だとは思いませんが、確かに正確性の追求という点からは、「居合」と「抜刀」あるいは「立会」等々を区別する場合があることは、付記すべき事項のように思われます。Minetani 2007年8月28日 (火) 14:52 (UTC)

しかし、本文中に、 >座位において大刀を腰に差す居合術を、とする流派は少ない という記述がありました。 制定居合などの大手メジャーを含む多くの流派が「座位において大刀を腰に差す居合術」をメインに学んでいることは、周知の事と思われます。ならば、大半の「居合」学習者はそれを実戦技法として捉えていないことになります。 だとすれば、「実戦技法」として抜刀術をやっている人間にとっては、自分達のやっていることを「居合」と括られるのは不本意ではないでしょうか。厳密には、居合と抜刀術は記事を分割しても良い事例と思われます。以上の署名の無いコメントは、222.4.28.77会話/whois)さんが[2007年8月30日 (木) 03:48 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

すいません、ご発言の趣旨が少々理解しにくく感じております。私は全剣連のいわゆる「制定居合」を学んでおりませんので、誤りがあればご指摘いただきたいのですが、全剣連の「制定居合」は座位からの抜きつけがメインなのでしょうか?形の本数からいうと半分以下になるとおもうのですが?。またその他の「多くの流派」も座位からの抜きつけが多数を占めるのでしょうか?さらに、以前のご発言では「抜刀術と言った場合、立位、歩きながらの抜刀なども包括されます」との御主張ですから、明らかに「抜刀術」は「居合」をも包含する、とお考えになっていると理解しましたが、そうであれば、「居合と抜刀術は記事を分割しても良い事例」というご意見との整合性が取れていないように感じますがいかがでしょうか?Minetani 2007年9月6日 (木) 17:11 (UTC)

>Minetani様 最初に出来た制定居合は七本。その内の四本が座位からのものです。半数以上が座位からの抜き付けです。 後に加えられた五本は歩行中を想定しての技法です。これは、複数の対手を想定したりしていますが、ちょっと考えれば、これを修練したところで、実際に「前進中、正面と左右三方の敵の殺気を感じ、まず右の敵の頭上に抜き打ちし、つぎに、左の敵を真っ向から切り下ろし、続いて、正面の敵を真っ向から切り下ろして勝つ」というような離れ業が出来るかというと、まったく無理でしょう。 これもやはり動作の美しさや、精神修養、正確さといったものを求めた競技で、「弥和羅(やわら、柔術)と兵法(剣術)との間今一段剣術有る可しと工夫」した「実戦技法」からは遠いものです。 これを書くとまた定義の問題が別に発生しそうで避けていたのですが、居合と抜刀術の差異は、居合が武道であるのに対し、抜刀術は武術であるという事です。では武術が武道を内包しているのかというと、それも一概には言えないのですが、やはりこうしたジャンルというのは厳密に定義していくなら修行者の意識の問題に回帰すると考えるのです。たとえば、「どこまでがポップスでどこまでがロックミュージックか?」というような事を厳密に定義しようとしても、難しいのではないでしょうか。それは演奏者の意識の問題でもあるし、聴衆の受け取りかたにもよるでしょう。ならば、「同じように見える人もいるから統合しよう」という考えより、できるだけ細分化したほうが、「百科」辞典の本義ではないでしょうか。

また、ご指摘の『「抜刀術」は「居合」をも包含する、とお考えになっていると理解しましたが、そうであれば、「居合と抜刀術は記事を分割しても良い事例」というご意見との整合性』について回答させていただきます。 これは、犬が哺乳類の一種だからといって、犬の記事と哺乳類の記事を統合するべきかと言えば、やはりそれは分割すべきだろう、という考えです。 ただし、抜刀術が居合を「包含」しているというより、一部分をリンクしあっているという方が正確だと思われます。動作や使う道具が似ていても、使う側の意識の差異で、それは別個のものになります。銀行強盗が銃で人を撃つのと、オリンピックの射撃競技は同一視できないでしょう。以上の署名の無いコメントは、222.4.28.77会話/whois)さんが[2007年9月7日 (金) 08:17 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

222.4.28.77さんの御流儀の思想が、「抜刀術」と「居合」を厳密に区分されている、ということについては理解いたしております。少し整理させてください。私の意見は、1)抜刀術と居合の二項目をどちらに統合するとしてもそれぞれ一定の合理性を持つと考えられる 2)したがって、上で議論されているように、居合術・抜刀術を包含する概念として「居合」が現在一般的に使われており、またWikipediaの利用者の間で合意が形成されているのであれば、種々の定義が存在することを注記した上で「居合」に統合してもかまわないのではないか ということです。既述のように個人的には記事名をどうしても「居合」に変更すべきである、とは考えておりません。222.4.28.77さんは、「抜刀術」に統合すべきと考えておられるのか、「抜刀術」と「居合」の二つの記事を立てるべきである、と考えておられるのか、どちらのご意見なのでしょうか?Minetani 2007年9月9日 (日) 12:08 (UTC)

形としては、二つ別に記事を立てて、リンクでつなぐだけで良いと思います。 「居合」に「居合道」を統合するなら分かりますが、「居合」の中に「抜刀術」があるとなると、派生の順番から言って「犬」の記事に「哺乳類」を統合するような奇異を感じますので。以上の署名の無いコメントは、222.4.28.77会話/whois)さんが[2007年9月10日 (月) 09:00 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

「抜刀術」と「居合」を別項目にするということになると、上の議論の方向性からかなりそれますね。「居合」という語が「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す(と仮に表現しますが)」形態一般を包摂する語として用いられる事は、江戸時代以前から存在するわけで、流派によって定義はさまざまでしょうが、私個人としては、「居合」もしくは「抜刀術」に記事を統合することは百科事典として採用しうる対応だと考えます。このあたりはウィキペディアの編集方針に詳しい方にご助言願いたいところです。Minetani 2007年9月17日 (月) 15:03 (UTC)

その、『「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す(と仮に表現しますが)」形態一般を包摂する語として用いられる事は、江戸時代以前から存在する』というのも、独自研究、特異な事例の拡大解釈に近いものではないかと思います。その当時の用語の「居合」と現在の「居合」の意味するところも必ずしも一致していないようですし。 武術系の記事では、たとえば「合気」の項目などは、元々の意味と現在の「合気道」で言う「合気」、そして大東流の技法の固有名称である「合気」が、実際には別のものなのに、同じ語として無理矢理一項目で説明しようとしているために、記事の項目同士で書いている内容に不整合が起こってしまっています。 こうした事態が起こったり、抜刀術という呼称への解説などを付け加えていくと記事を統一した場合、冗長かつ文意も通り辛いものになるのではないでしょうか。 別のものとして認識している人間がいて、わざわざ流名を抜刀術として表明している流派があるのに、無理に統合する必要は感じません。事典を見る人間は、その時点では調べる対象について知識を持っていない場合が多いわけで、「抜刀術」で検索して「居合」の記事しかない、という事態になると、それが正式な呼称ではない。亜流的なものであると受け取るのではないでしょうか。それはウィキペディアの精神から見てもあまり望ましい事ではないと思います。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年9月22日 (土) 14:30 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

まず、江戸時代以前に作成された諸流派の伝書において「居合」の語が「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般」を包摂する語として使用されていることは、ネットで伝書類を検索されたならすぐにいくつかはヒットすると思います。「制剛流」・「関口新心流」・「伯耆流」などにそういう用例があるようですね。ですから「居合」という語でそうした形態一般を包摂することには、すでに歴史があると考えてよいと思います。逆に「抜刀」の語が使用されている例としては、すでに指摘があるように、「関口流抜刀術」の例があり、また「竹内流」の場合も「抜刀」の語が使用されているようですが、読みはどちらも「イアイ(もしくはイヤイ)」だそうです。また、「抜刀」の語と「居合」の語が完全に違う意味で使われている伝書というものは見つけることができませんでしたが、この点、219.108.43.159 さんの御流儀以外でそのような実例をお示しくださいますでしょうか?次に、当時の「居合」の語と現在の「居合」の語がちがった意味を持つということについては、私は存じませんので、具体例をお教え下さればと思います。第三に「合気」の例に関してはおっしゃるとおりで、その定義が流派・会派によって多岐にわたるのでなかなか一筋縄ではいかないと思います。ただ、「居合」・「抜刀」に関しては、対象が刀を利用したものである限りはあそこまで混乱するとも思えないのですが。また、上のほうで210.252.253.6さんが指摘されているように、「抜刀術」と「居合」がどちらかに統合されている場合は、どちらを検索しても同じ記事に行き着くわけなので、ご心配のような事は起こりにくいと思います。Minetani 2007年9月23日 (日) 08:29 (UTC)

正確に言うなら、なぜ抜刀術という呼称を使わないといけないのかといえば、「居合」という単語がかつては、「抜刀術」の領域もカバーしていた用語だったのが、現代では分けなければいけない程、隔たっているからとも言えます。「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般」という定義は、現代では、抜刀術であって、居合いではありません。 例えば柄に手をかけてきた相手を逆を取って組み伏せ脇差しで首を切る、または、槍で突いてきた相手の柄を鞘で抑えて抜く、といった技術があります。これは、「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態」ですが、これも居合いでしょうか?「全日本剣道連盟居合」の項目では、

全日本剣道連盟居合の研究委員会では、居合の生命として、

   * 抜き付けの横一文字
   * 止めの縦一文字
   * 両斜めの袈裟切り
   * 返す刀
   * 撃突の一刀

に尽きるとした。

とあります。これでは、前述の技術や、抜剣したあと鍔競りに持ち込む技、逆手抜き、切り上げや、小手、股下への切り付けは、居合とは言えないということになります。 もともとの、「弥和羅(やわら、柔術)と兵法(剣術)との間今一段剣術有る可しと工夫」した技術という本義では、こういった技術も本道であるはずですが、今日、居合と言われているものは、柔術の体系からも剣術の体系からも断絶し、単体で学習する事が一般的な狭義の技術になっています。これは、現代と同じ用語で捉えられるものでしょうか。現代では居合だけを独立して学ぶことも少なくなく、同時に剣道を学んでいる人も、剣道と居合の間には上達が相互作用するような性質はなく、別個のものです。 「弥和羅(やわら、柔術)と兵法(剣術)との間今一段剣術有る可し」とは、前提として、柔術や剣術も出来るのが前提で、総合武術の一環として取り組んでいたということでしょう。居合だけの達人で剣術や柔術はまったく出来ないというのでは、相手が複数いれば、抜いてしまった後、何もできません。

実例を示せとの事ですが、そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には「居合術」ではなく「抜刀術」とつけた会派のほうが一般的です。そこから分派した田宮流は居合術を名乗りますが、その違いは、鎧武者を相手にしなくなった事、戦場刀法から、平時の護身へと想定を向けたこと、それによって、当時刀をみだりに抜く事は罪になったため、礼儀や心法に厳しくなったこと、と言われていますが、この分化が抜刀術と居合が違うものである象徴だと思います。 では、実践刀法、武術を居合、現在行われているもの、武道を新居合とでも呼ぶか?これはもう定着しているから無理でしょう。では、もともと居合だったものを古流居合とでも呼ぶか?それは、「古い」というのは周りが言っていることだけですし、新興の団体でも体術や実践刀法を主眼にした団体もあるので「古流」ではないでしょう。そうした検討の結果、じゃあ抜刀術と居合は別と考えるべきではないか、という事が言えるのではないでしょうか。また、>『「抜刀術」と「居合」がどちらかに統合されている場合は、どちらを検索しても同じ記事に行き着くわけなので、ご心配のような事は起こりにくいと思います。』ということですが、それが同じ記事に行き着いてしまう事=同一のものと思われること、を懸念しているのです。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年9月26日 (水) 08:22 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

しつこいようですが、ややご主張が変化してきているように感じられますので、行論の都合上、今一度確認させていただきます。上記のご投稿を拝見するに、まず第一に「居合」の語が「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般」を包摂する語として使用されてきた、という点については認めておられるということでよろしいでしょうか?第二に結局、ある流派が、「抜刀術」と「居合」を別個のものとして取り扱っている、という事象は文献上では確認できない、ということでよろしいのでしょうか? 第三に、「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には『居合術』ではなく『抜刀術』とつけた会派のほうが一般的」とのことですが、「一般的」と表現されるほど多くの会派が「抜刀術」の名称を使用しているのでしょうか?また、そうしますと林崎甚助(?)は、自らの武術を「抜刀術」という名称で呼んでいたと考えてよいのでしょうか?Minetani 2007年9月26日 (水) 13:36 (UTC)

Minetaniさんが、どこまで専門用語を交えて話をしても分かる方なのか、どこまで居合に造詣が深い状態で、居合いと抜刀術を同じと主張されているのかが分からない為、平易な言葉で小出しに情報を書いています。そのため、主張が変化しているように感じられるかもしれませんが、主張は一貫しているつもりです。 「ネットで検索した伝書」というものは、残念ながらソースと言えるほどの史料的価値はないと思われます。 武術の世界では自称宗家の乱立や、伝書のねつ造などは茶飯事で、それをそのまま信じるなら、大抵の武術の開祖は源の何とかやら大天狗やら、金比羅大権現になってしまいます。 また、林崎流に関しては、正統な免状、系譜を継いでいる団体で、居合術という呼称は、ほぼ無いと思います。林崎甚助自身がどう呼んでいたかは、知りません。しかし、その当時、「居合い」と呼ばれていたものが現代では「抜刀術」にあたるのですから、その質問は無意味だと思います。言葉があって現象があるのではなく、現象に言葉が当てはめられているのですから。誰かが蛾と蝶は別だと言ったから別のものとして認識するはずです。英語ではお湯はホットウォーターですが、日本人は温かい水はお湯だろうと思います。認識の数だけ、言葉は細分化していくのが当たり前で、細分化されていくものを記録せず、蛾も蝶もひとつにくくるなら百科事典は一科事典になってしまいます。 武術は生きた文化で、時代と共に変化していくものです。現在進行形で変化しているものの分類は、その時点での技術と思想でするべきです。 こちらからも、何度も書いている事へ反論が無いようなのでお伺いしますが、技術と思想が別である身体技法を同じと思う論拠、まとめる意味とは何ですか?また、それを同じものとした場合、別記事「全日本剣道制定居合」で定義される「居合」の中に、古流的、かつて本道とされた技術が当てはまらなくなる、といった事態をどうされるおつもりですか?以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年9月27日 (木) 07:58 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

それではまず、ご質問に答えておきましょう。1)「技術と思想が別である身体技法を同じと思う論拠、まとめる意味とは何ですか?」について。上記投稿を読んでいただければわかりますが、私は一度として「居合」と「抜刀術」が同じ技術と身体操作を持つ、と主張したことはありません。違うと考える流派もあるのでしょうし、同じと考える流派もあるでしょう。私は、そのどちらかのみを正しいとは考えていないだけです。
219.108.43.159さんは「ネットで検索した伝書に史料的価値はない」とのご意見ですが、江戸時代の年紀がある伝書の冒頭(巻子の題箋ではなく本文)に○○流居合(術)という題目があれば、その年紀の時点でその流派が広義の「居合」の語を使用していると考えてよいでしょう。もちろん伝書ごと捏造ということはあるでしょうし、そうしたことを商売にしていた、という人物のことも仄聞しますが、入手経路もさまざまな伝書類をすべてひとからげにして、信用ができない、というのは武断に過ぎると感じられます。百歩ゆずって、仮に私が今までに見た「居合」という名称を使った江戸時代以前の伝書がすべて偽物であったとしましょう(私には到底そうは思えませんが)、しかし、試みに岩波古典文学大系を参照してみると、井原西鶴の『好色一代男』には「この比は捕手居合はやりて」という文言があり、また、近松門左衛門の『国性爺合戦』には「ひらりと抜いたる居合の早業」の文言が、また『浮世物語』には「居合柔兵法なんど幼きより手馴れさせて」との文言が見えます。この他にも芭蕉等の俳諧にも「居合」の語が使われておりますが、逆に、「抜刀術」の語は見当たりません。やはり、「いあい」という語が、江戸期に「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語」として使用されていたと考えることは妥当すると思われます。
結局、このノートページで以前から問題になっているのは、「居合」という語が、「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する」語として用いられるという事象が現実にある、ということです。実際の技術の違いを問題としているのではありません。こうしたいわば広義の「居合」の用例は、江戸時代からすでにありましたし、現在も普通に行われているわけです。「抜刀術」と「居合」を別のものととらえる流派があったとしてもこの点は変わりません。
このような状況の中で、百科事典として、「居合」・「抜刀術」双方で検索して来た人が同じ記事に行き当たることには、充分に意味があると考えます。そもそもここまでは大体意見が一致していて、統合する際に、「居合」に統合するのか「抜刀術」に統合するのか、という議論だったと理解しています。219.108.43.159さんは「同じ記事に行き着いてしまう事=同一のものと思われること、を懸念している」とのことですが、同じ記事に行き着いても、たとえば、「『居合』あるいは『抜刀術』は、日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す武術の事を指す。ただし、流派によってその定義は多様であり、これらの語を違う技術、身体操作によるものとする場合もある」とでも注記した上で個別に説明を加えておけば、普通の人はこの二語が常に同じ範囲を指すと捉えるとは思えません。ここで、もう一度私の立場を明らかにしておきますが、私は統合自体には賛成ですが、どちらの語を使用するかにはとくにこだわっていません。このまま抜刀術に統合されていてもかまわないし、居合に記事名が変更されたとしても、既述のような注記がなされていれば百科事典として問題はないだろう、という立場です。そこはこれ以降の利用者・編集者の議論におまかせしたいと思っています。
次に、2)「それを同じものとした場合、別記事「全日本剣道制定居合」で定義される「居合」の中に、古流的、かつて本道とされた技術が当てはまらなくなる、といった事態をどうされるおつもりですか?」というご質問ですが、それは全剣連居合内部の定義であって、そのようないわば狭義の「居合」がどのような内容を含もうと、「居合」の語が「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する」語として用いられている、ということを否定する材料とはなりえませんし、仮に他の流派の記事中に、相反する「居合」の定義があったとしてもまったく支障は無いでしょう。むしろ、そういう場合を想定して、まず「抜刀術」なり「居合」なりに記事を統合して、そこに概略を提示しておく、というのが百科事典として記事間の整合性をとるための方法でしょう。
さて、私の方からも少々お聞きしたいことがございます。まず、219.108.43.159さんは、「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には「居合術」ではなく「抜刀術」とつけた会派のほうが一般的です。そこから分派した田宮流は居合術を名乗りますが、その違いは、鎧武者を相手にしなくなった事、戦場刀法から、平時の護身へと想定を向けたこと、それによって、当時刀をみだりに抜く事は罪になったため、礼儀や心法に厳しくなったこと、と言われていますが、この分化が抜刀術と居合が違うものである象徴だと思います。」と述べられています。また、「林崎流に関しては、正統な免状、系譜を継いでいる団体で、居合術という呼称は、ほぼ無いと思います。」とも述べられました。しかし、その直後「林崎甚助自身がどう呼んでいたかは、知りません。しかし、その当時、『居合』と呼ばれていたものが現代では『抜刀術』にあたるのですから、その質問は無意味だと思います。」と述べておられます。そうすると、田宮流の例を挙げて、「抜刀術」の語と「居合」の語の指し示す範疇は異なる、という主張をされながら、一方では、「抜刀術」と同じ範囲を含む語として「居合」の語が使用されていることを認めておられます。結局のところ、「林崎流」の系統では「抜刀術」の語句を使用するのが一般的だったのですか?それとも「居合」のごが使用されていたのでしょうか?
ところで、武術史に興味を持つものとして素朴な疑問なのですが、「林崎流に関しては、正統な免状、系譜を継いでいる団体で、居合術という呼称は、ほぼ無い」とのご主張ですが、この「林崎流」とはどのような範囲を指しているのでしょうか?ご投稿からすると現在も残っている団体、というようにもとれますが、そのような団体は、私は不勉強で存じませんのでよろしければお教え下されば幸いです。神夢想林崎流の系統が二系統残っていることは私も存じておりますが、これは田宮流を経由している系統で、上で219.108.43.159さんが「(林崎流から)分派した田宮流は居合術を名乗」った、と指摘されているので、この系統のことではないのですよね??
少し話がそれてしまいました。最後にもう一つだけ御意見をうかがいたいことがあります。219.108.43.159さんは、私の、「居合いという語が、刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語として用いられる事は、江戸時代以前から存在する」という主張に対し、「独自研究、特異な事例の拡大解釈」と切り捨てられたわけですが、それならば、江戸時代以前にそうした技術は一般的にどういう語で包摂されていたとお考えになるのかお聞かせいただきたく存じます。それは「抜刀術」という語なのでしょうか?しかし、「その当時、『居合』と呼ばれていたものが現代では『抜刀術』にあたる」とも述べておられるので少々理解に苦しんでおります。結局のところ、219.108.43.159さんが「抜刀術」と「居合」を分別し、特に武術的(といってよいのでしょうか?)技法を主に練磨することを「抜刀術」と定義される根拠はどこにあるのでしょうか?219.108.43.159さんの御流儀の伝承以外で、そのような例が歴史的用語として存在するなら後学のため御教示下されば幸いです。Minetani 2007年9月29日 (土) 14:43 (UTC)


「居合」と「抜刀術」のどちらを、この頁の題名とした方が良いか?と言う意見のやり取りが行われている様ですが、私は「居合・抜刀術」と両者を併記する事が望ましいと思います。 「居合」「抜刀」「抜き打ち」の呼称についてはどれが正式な名称であるのか?は流派ごとにローカルルールに拘るのはどうかと思います。ウィキペディアが辞典である以上は、最もオーソドックスかつ普遍的な呼称が記されていないのは問題だと思うのですが?

それと日本刀以外を用いた「居合」とは柔術の「居捕」などの事を指しているのでしょうか? 具体的な例を提示して頂けるとありがたいのですが。

2007年9月30日(日) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年9月30日 (日) 11:12 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

>Minetaniさん 「居合いという語が、刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語」という意味で今、現実に使われていないという事を再三指摘しています。 その定義では本部御殿手のように鞘や柄頭で制圧し、逆を取るものや、国井神流のように抜刀後、鍔競りから普通の剣術につなげるといった技も「居合」になります。また、小具足の技や甲冑柔術でも「刀を鞘に納めた状態から始めて技を施」しています。しかし、現在、居合と呼ばれるものは抜刀後、斬って、残心、そして納刀までで一つの型とされており、抜刀しない、または納刀しないものを居合いと共通認識していません。そういった半柔術、剣術的技術は、制定居合などには全く残っていません。Minetaniさんは全剣連居合は居合の中の一団体であり、その団体内で定義する居合が矛盾を起こしても取るに足らないとおっしゃりますが、全国的に「居合」の教室の看板を上げている場所で最も多いのは制定居合で、その他の英信流や無外流などでも自団体の段位、免許とは別に全剣連での段位も受験させている場合が多いでしょう。いわば半オフィシャルな団体であり、無視して良いという話ではないと思います。Minetaniさんの論拠の多くは、原則論ではなく、認識している人数の多少、ソースの量に拠るところが多いように思われます。「大半の人が居合と抜刀術は同じだと思っているから統合しても良い」と。なら、最大手である団体の視点から見た居合観を切り捨てるのは、奇異に思われます。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年10月2日 (火) 03:00 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

再度、主張をまとめさせて頂きます。 1・居合は元来、「捕手居合はやりて」「居合柔兵法なんど幼きより手馴れさせて」などと言うように、総合武術の一環であり、実用の技術であった。 2・時代が移るにつれ、実際の殺人の技ではなく、独立した分野になり、流派によっては対手も立てず、仮想敵を黙念するだけになった。必然、柔術性、剣術性は薄れた。また、居合「道」となると、もはやすでに弓道などと同じく、兵器を使って殺人する術であるという意識はほとんど消えてしまった。 3・しかし、現代でも本来の総合武術としての居合を追求している団体や、実際に据え物を斬る事に重きを置いている流派もある。だが、現在これは居合と呼ばれているものとは違いすぎる。 4・ゆえに、本来的な意味での「居合」を「抜刀術」として、「術」に重きを置いたものであると強調した。語としては「居合」の方が古いが、内容的には「抜刀術」が基である。これらは別のものだから記事は分割すべきだが、どうしても統合するなら、基である「抜刀術」に統合するべきである。 以上です。これ以上は堂々巡りなので後の人間の判断に任せます。 付け加えるなら、居合の定義が、刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す「形態」に冠せられた言葉である、というのが最大の間違いで、それは推し進めるなら刀を差してボクシングをしても居合いになってしまうような、結果的にそういう風に見える一面の説明しかないということです。 居合の定義とは何かといえば、形態ではなく、技術と思想でしか分類しえない、と思います。身体技術を形態で分けるなら、どこまでがクラシックバレエでどこからがモダンバレエなのか等、どこまで細かく定義しても、網羅しきれないのは明かで、それを定義し得るのは本来の成り立ち、精神性、思想を無視しては意味がありません。目に見える形態が本質であるというのでは衆盲象を撫でるといった、側面のスケッチの集合的記事を作るだけになることになると思います。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年10月2日 (火) 03:29 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

とりあえず、「居合」という語が、少なくとも江戸時代までは「刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語」として使用されていた、ということに関しては意見の一致を見たようで、議論もしてみるもんだな、と感じております。
「これ以上は堂々巡りなので後の人間の判断に任せます」とのことですが、私は、別に219.108.43.159さんを論破しようなどと思っているわけではないので、今後のこの項目の編集の一助となればと、思うところをぼちぼちと記させていただきます。
「居合いという語が、刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語という意味で今、現実に使われていないという事を再三指摘しています」とのことですが、私はそうは思いません。刀を鞘に納めた状態から技をほどこす技術体系は、「居合」の語で包摂されることは少なくないと感じております。
「最大手である団体の視点から見た居合観を切り捨てるのは、奇異に思われます」という御意見ですが、それでは全剣連の居合を学ばれている方に、一人形で刀を抜き、納刀する動画と、相手を置いて、納刀状態から抜刀し、技をほどこし残心、納刀という動画を見せて、これらはなんという武道ですか?と聞いた場合、前者を居合、後者を抜刀術と答える人がどのくらいいるでしょう?多くはただ「居合」と答えると思います。
もちろん、甲冑柔術や、竹内流でいう小具足の技を見て「居合」と言う人は少ないでしょうが、それを見て「抜刀術」という人もあまりいないでしょう。そういう技術は一応今は除外して考えてよいのではないかと思います。なにせ江戸時代でも「捕手・居合」や「居合・柔・兵法」と、そのあたりは区分して考えていたのですから。
今回ご主張をまとめていただき、ずいぶんわかりやすくなったと感謝いたしております。それぞれの点で私の認識とは違う点はありますが、一番問題と感じるのは4番目です。
まず、「本来的な意味での『居合』を『抜刀術』として、『術』に重きを置いたものであると強調した」という点については、いったい誰がそのように決めたのかが明確になっておりません。「抜刀術」という語が、歴史の中で、自然に、219.108.43.159さんのいう「本来の居合」を指す言葉として認識されるようになったわけではないからです。また、既述の通り、「抜刀術」という語を使用せねばならない根拠が示されておりません。一般には使用されていないが、仮に使用するというのであれば、それこそ「新居合」・「旧居合」と同様な語句であると言わざるをえません。
次に、「語としては「『居合』の方が古いが、内容的には『抜刀術』が基である」という箇所ですが、たしか、219.108.43.159さんは、「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には『居合術』ではなく『抜刀術』とつけた会派のほうが一般的」とか、「林崎流に関しては、正統な免状、系譜を継いでいる団体で、居合術という呼称は、ほぼ無いと思います。」と述べておられたので、この主張には首を傾げざるをえませんが、その点は今は問いますまい。
ともあれ、この箇所についても、やはり、なぜ「抜刀術」という語を使用しないといけないかが明確ではありません。
また、「これらは別のものだから記事は分割すべきだが、どうしても統合するなら、基である『抜刀術』に統合するべきである」という点も、「抜刀術」の語を使用する根拠が提出されていないのは既述のとおりですが、ある事象に定義を与えるのは、実際の用例、もしくは研究論文の役目であって、百科事典がある事象に命名するということは、本来の役割をやや逸脱していると考えます。
つけくわえの部分に関しては、正直意味を取りかねるところがあるのですが、「居合の定義とは何かといえば、形態ではなく、技術と思想でしか分類しえない、と思います」あるいは「それを定義し得るのは本来の成り立ち、精神性、思想を無視しては意味がありません」と述べておられますが、その定義が歴史的経緯に基づくものでないなら、やはりそれは百科事典の項目の定義としては採用しにくいと思います。
思うところはまだございますので、この項の改善に資するところがあるようでしたら、さらに後日意見を述べさせていただきたく思いますが、どうやら分量が多くなりすぎたようですね。次回はヘルプを参照して分割するやも知れませんが、その点はあらかじめお知りおきくださいませ。Minetani 2007年10月2日 (火) 16:32 (UTC)



>実例を示せとの事ですが、そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には「居合術」ではなく

>「抜刀術」とつけた会派のほうが一般的です。そこから分派した田宮流は居合術を名乗ります

>が、その違いは、鎧武者を相手にしなくなった事、戦場刀法から、平時の護身へと想定を向け

>たこと、それによって、当時刀をみだりに抜く事は罪になったため、礼儀や心法に厳しくなっ

>たこと、と言われていますが、この分化が抜刀術と居合が違うものである象徴だと思います。


と言う記述が上の方にありますが、林崎甚助の開いた林崎流の名乗りが「居合術」でなく「抜刀術」であったと言う意見の根拠や、林崎以降も林崎流の名乗りが「居合」ではなく「抜刀術」である方が一般的であると言う見解は、何を根拠に何処から来ているのでしょうか? 江戸期の林崎流系各派や、そこから分かれた多く流派の中では「抜刀術」と言う名乗りの方が一般的であったと言う何らかの根拠をご提示頂けるとありがたく存じますが。

古くから「居合の開祖は林崎甚助である」と言う記述や話は多く見聞きしますが、林崎甚助自身の流派の名乗りが「抜刀術」であったと言う話は個人的には聞いた事も見た事もないのですが。 また熊本の関口流の様に「抜刀術」と書いて「イアイ」と読ませる事や、「拳法」と書いて「ヤワラ」と読ませる様に、当て字を用いる事は江戸時代においては多く行われていた事です。 反対に考えるならば「居合」と書いて「バットウジュツ」と読ませると言う事例を私は知りませんが、どう言う見解をお持ちかお聞かせ願いたく思います。

因みに日本古武道協会http://www.nipponbudokan.or.jp/shinkou/html_1/index9.html の区分けでは「居合術・抜刀術」と併記の形になっている様ですが。

2007年10月3日(水) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年10月3日 (水) 13:46 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

いったん終わりにした話を再度説明するのも不毛ですが、林崎甚助が開いたとされる流派は基本的に林崎流、神明夢想流、神夢想流、重信流などだと言われており、「〜流」までが正式名称で、特に「居合術」とはついていません。抜刀術という語は林崎抜刀術兵法という名で伝承している会派が現存します。また、英信流の伝書には、すでに「抜刀術童蒙初心之心持」という語が出ていることからも、語彙としてマイナーであるとは思いません。そもそもこの記事はもともと居合だったのを誰かがわざわざ抜刀術に改訂しているようですが、誰も知らない単語であれば、そういった事もおこらないでしょう。 また、関口流に関しては、検索すればすぐ分かるように、「元々関口流は柔術を主とする総合武術で」「太刀の他に小太刀と懐剣の技が伝えられているのも特徴」「身体ごと相手の懐に入っていく荒っぽいもので、関口流柔術の色合いを最も濃く残した抜刀術であります。」とあります。これはむしろ私の意見を補強するだけというか、いわゆる世間一般でいう「居合」から懸け離れた半柔術的総合武術であるがゆえに、書き方と読み方をそう当て字したと見るべきでしょう。まさに、私が主張した「3・しかし、現代でも本来の総合武術としての居合を追求している団体や、実際に据え物を斬る事に重きを置いている流派もある。だが、現在これは居合と呼ばれているものとは違いすぎる。 4・ゆえに、本来的な意味での「居合」を「抜刀術」として、「術」に重きを置いたものであると強調した。」の好例だと思います。なぜ当て字せざるを得なかったのかを考えてください。 また、Minetaniさんは居合は居合、柔術は柔術と思われているようですが、本来的には日本武術の流派は柔・剣・居合を同一の術理で教え、併伝として槍、棒。多い流派では泳法、捕縛術、矢留、解毒、はては呪術や真言なども含んでいる事さえあります。一大流派である伯耆流居合術でも槍術、長刀術、杖術を含み、さらには柔術へ分派しています。ちなみに流祖片山伯耆は、「古伝十八刀ノ抜刀」を父から相伝された、とされています。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年10月3日 (水) 15:11 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

そもそもよく見れば、この記事のリンクの居合諸派、力信流、不変流、渋川一流、無限神刀流、立身流はどれも柔術、剣術を含んでいるようですが。本體楊心流も確かそうですし、林崎系以外の記事が書かれている流派はほとんどそうです。これでも「そういう技術は一応今は除外して考えてよいのではないかと思います。なにせ江戸時代でも「捕手・居合」や「居合・柔・兵法」と、そのあたりは区分して考えていたのですから。」と言うのなら少々、牽強付会すぎると思います。当時、それらの道場にバラバラに通って全てで初伝、中伝を得るまでにどれだけの時間と金銭がかかるとお思いですか?また、「初実剣理方一流甲冑抜刀術(昭和に初実剣理方一流の免許者によって創始)」ともあります。昭和に入ってからなぜわざわざ抜刀術を名乗ったのでしょう。これも甲冑武術であることから現代居合との差異を打ち出すためではありませんか? また、儀礼化した田宮流が居合術を名乗ったのに対し、殺人刀法に回帰した新田宮流が「抜刀術」を正式名称としているのはなぜでしょう?以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年10月3日 (水) 15:43 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

全体に根拠が示されていないので御投稿の主旨がどうもわかりにくく感じております。まず、「林崎甚助が開いたとされる流派は基本的に林崎流、神明夢想流、神夢想流、重信流などだと言われており、『〜流』までが正式名称で、特に『居合術』とはついていません」という部分については、219.108.43.159さんが先に述べられた「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には『居合術』ではなく『抜刀術』とつけた会派のほうが一般的」という主張は取り消されたものと考えてよろしいですね?それから、そのような多様な名乗りを持つ流派の「正式名称」に「居合術」という語が付いていないという根拠はどこにあるのでしょう?たしか、219.108.43.159さんは、伝書というものは捏造が付き物なので、信用できない、という旨を述べられておりますので、伝書以外の情報によるものかと推察いたしますが、それではいったいどのような史料によっているのかお教えくだされば幸いです。また、「正式名称(この定義も難しいところではありますが)」に「居合術」の語が付いていないとしてもそうした一連の技術が「居合」という語であらわされてきた、ということへの反証にはなり得ないことは一応確認しておきます。
また「林崎抜刀術兵法」を名乗る流派があるとのご指摘ですが、219.108.43.159さんは上記のように述べられているのですから、その流派の名称に「抜刀術」が正式に加えられたのは、後世のことであるとお考えだということでよいと思うのですが、その場合、江戸時代以前にさかのぼり得るものなのですね?
次に2)「(抜刀術の語は)語彙としてマイナーであるとは思いません」という部分と、「この記事はもともと居合だったのを誰かがわざわざ抜刀術に改訂しているようですが、誰も知らない単語であれば、そういった事もおこらないでしょう」という部分に付いては、抜刀術という用語が使用されていたこと自体を私は否定しておりませんので、この点も確認しておきます。もちろん、私自身も抜刀術という語が存在すること自体は存じておりました。マイナーかどうかという判定基準はないので、「抜刀術」の語がマイナーかメジャーかという命題に答えは出ないと思いますが、「鞘に刀を納めた状態から~」という武術一般を指す言葉としては、今まで見てきたように、どちらかといえば「居合」の語の方が用例自体は多いのではないかという感じを持っています。この理解自体が誤りであるということでしたら、「抜刀術」の語が、「居合」の語よりも、「鞘に刀を納めた状態から~」という武術一般を指している用例が多いという実例を挙げていただければと思います。
また、関口流抜刀術が「抜刀術(イアイ)」の名称を使用していることについて、「いわゆる世間一般でいう「居合」から懸け離れた半柔術的総合武術であるがゆえに、書き方と読み方をそう当て字したと見るべきでしょう。」というご主張ですが、どうしてそう「見るべき」なのですか?なぜ宛て字をしたのか考えろ、とのことですが、漢字自体と読みが相違する例は他にもあり、たとえば「体術」と書いて「ヤワラ」と読む例などはよく知られています。だいたい、一般的な「居合」とはかけ離れているから「抜刀術」という語を使ったのだとしたら、なぜ読みは「イアイ」のまま残したのですか?この関口流の例を、「本来的な意味での『居合』を『抜刀術』として、『術』に重きを置いたものであると強調した」例とされるのですが、そのように主張されるなら、最低でも関口流にそのような伝承があることを提示していただく必要があるでしょう。219.108.43.159さん御自身がそう考えるから、あるいは219.108.43.159さんのご流儀がそういう考え方をしているから他の例もそうなのだろう、というのではそれこそ「独自研究」の範疇を出るものではありません。和歌山の関口流の本家では「居合」の名称を使用しているようですが、これはどう理解されるのですか?
この点については、「初実剣理方一流甲冑抜刀術」が、昭和に入ってから抜刀術を名乗ったのが「現代居合との差異を打ち出すため」とのご主張についても同じく根拠が示されておりません。仮にそのような事情で近年に改名されているとしても、各流派個別の事情があって個別の呼称をすることは当然で、それが「居合」の語が「鞘に刀を納めた状態から~」という武術一般を指す言葉として使用されていることを否定する材料とはならないことはすでに述べたとおりです。
さらに「儀礼化した田宮流が居合術を名乗ったのに対し、殺人刀法に回帰した新田宮流が『抜刀術』を正式名称としている」というご主張ですが、このご意見が成立するためには、まず「田宮流が儀礼化したため(正式名称として?)居合術を名乗ったこと」と、「新田宮流が殺人刀法に回帰したこと」という二点の根拠を提示していただく必要があります。
次に、私が、「そういう技術は一応今は除外して考えてよいのではないかと思います。」と述べたことについて、「昔日の流派はすべからく総合武術であった」という旨の発言をしておられますが、私が申したのは、「短刀で突いてくる相手を素手で捌く武術を見て、これは『居合』だ、とか、これは『抜刀術だ』と考える人はほとんどいないだろうから、『居合・抜刀術』という語の問題を考えるときに、そういう技術は一応省いて考えてもいいのではないか」ということを述べたものであることは明らかでしょう。それが不都合でしょうか?昔日の流派が総合武道であるからといって、短刀で突いてくる相手を素手で捌く技を稽古するときに、「今日は抜刀術の稽古をしよう」と言っていたのですか?Minetani 2007年10月4日 (木) 15:35 (UTC)

もう正直、Minetaniさんの言っていることは言いがかりにしか感じられません。 林崎流居合術は存在しなく、林崎抜刀術兵法は存在すると書いているのに、どう解釈したら《『居合術』ではなく『抜刀術』とつけた会派のほうが一般的」という主張は取り消されたものと考えてよろしいですね?》になるんですか?反論があるならご自分で「林崎流居合術」が存在するという証明をしてください。存在しないことは証明できない、というのは悪魔の証明などと同じです。 また、「鞘に刀を納めた状態から~」という定義は間違っていると再四、再五と指摘しており、そんな話はしていません。「鞘に刀を納めた状態から~」が居合の定義なら、剣舞も居合です。武術の定義は形態ではありません。形態で定義するなら踊りと武術は見分けのつかないものもあります。それが「衆盲象を撫でるといった、側面のスケッチ」でしかないと書いているではないですか。「柔術と剣術の中間技術」が本来の居合の定義で、「鞘に刀を納めた状態から~」というのは勝手にMinetaniさんが再定義しただけのものですよね?これももう指摘し飽きました。それこそ「その定義が歴史的経緯に基づくものでないなら、やはりそれは百科事典の項目の定義としては採用しにくいと思います。」の類いでしょう。 ましてや《たとえば「体術」と書いて「ヤワラ」と読む例などはよく知られています。だいたい、一般的な「居合」とはかけ離れているから「抜刀術」という語を使ったのだとしたら、なぜ読みは「イアイ」のまま残したのですか?」》は、こちらがそれを考えろと言っているのに再質問してくるという不可解さに首を捻らざるを得ません。漢字は表意文字です。それに別の読み方を与えるのはダブルミーニングを与える時です。体術、拳法をやわらと読ませる場合は、柔と書いてやわらと読ませる一般の柔術よりもも体術、拳法的イメージに近い流儀ですよ、という表明でしょう。宛て字をするという事自体が、わざわざ作為的な行為なのに、《なぜ読みは「イアイ」のまま残したのですか?》というのは言いがかりです。居合と書けば良いところを、わざわざ抜刀術と宛てたんであって、《なぜ居合に「抜刀術」の字を宛てたのか》が大事なんでしょう。ご自分でも当時、抜刀術より居合のほうが一般語だったとおっしゃってたでしょう。だったら最初から居合と書けばいいはずですよね。あなたは「最低でも」関口流が百年以上、抜刀術と書くのをやめなかった理由を提示できるんですか?それに「各流派個別の事情があって個別の呼称をすることは当然で」というのも、もう自己矛盾ですよね。各流派個別の事情があって個別の呼称しているんだから記事は分割すべきだと言ったら、一般的に見て同じように見えるなら統合すべきだと主張していたじゃないですか。それを一緒くたにして同じものとして再定義することは、辞典の役目ではありません。これもご自分で書いていた事ですよね。もともと「抜刀術」という語が私の言うような意味で使われている例を挙げろと言って置きながら、「仮にそのような事情で近年に改名されているとしても、各流派個別の事情があって個別の呼称をすることは当然で」というのは何なんですか?それだったら、田宮流に関する「二点の根拠を提示して」も、各流派個別の事情があって個別の呼称をすることは当然で」としか思わず、ご自分に都合の悪いことは特殊な例外で片付けるだけでしょう。《短刀で突いてくる相手を素手で捌く技を稽古するときに、「今日は抜刀術の稽古をしよう」と言っていたのですか?》も論外です。「抜刀術の稽古には短刀で突いてくる相手を素手で捌く技も含まれている」ので、これは単なる言いがかりでしょう。何を言わんとしているのか分かりません。論理が飛躍しすぎてます。空手にはヌンチャクやサイ、棒術が含まれていますが、組手をする時に「今日はヌンチャクをしよう」とは言わないでしょう?抜刀術が形態だと思っているからそういう珍妙な事を考えるので、一つのジャンル、思想だと考えているならそういった奇天烈な発言はありえません。 このノートのやりとりを見た誰かが記事自体にかなり手を入れたようです。この方向で編集を進めるなら、改名、統合という提案自体がなくなっていくと思いますので、もはや、あなたと議論をする意味はありません。以上。以上の署名の無いコメントは、219.108.43.159会話/whois)さんが[2007年10月5日 (金) 03:29 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。



『林崎抜刀術兵法』なる名乗りの流派が存在するとの事ですが、調べて見た限りでは『林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流』となっており、土佐伝の英信流の系譜を引いた関係しか見つからないのですが、一体どこの団体なり師範の流れの流派の事を指していらっしゃるのでしょうか? 中山博道師範に始まる『夢想神傳流』系の流派の事を指しているのだとしたら、主張自体に無理があると思います。それとも私が知らないだけで、林崎甚助から始まり流名を途中で全く変える事なく現代まで連綿と伝わっている『林崎流』があるのでしょうか?本当にちゃんとした流れとして存在するのだとしたら、提示して頂きたくお願い致します。 それと『抜刀術』と書いて「イアイ」と読ませる流派はありますが、『居合』と書いて「バットウジュツ」と読ませる流派が現在もしくは過去に存在した事例があるのか?の質問に対する返答をお待ちしております。『抜刀術』が本当の意味で古い名乗りであるのなら、何らかの事例があると思うのですが。それでは失礼致します。

2007年10月6日(土) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年10月5日 (金) 21:54 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

>lotoさん 上記の中で回答ずみです。 《反論があるならご自分で「林崎流居合術」が存在するという証明をしてください。》 《漢字は表意文字です。それに別の読み方を与えるのはダブルミーニングを与える時です。体術、拳法をやわらと読ませる場合は、柔と書いてやわらと読ませる一般の柔術よりも体術、拳法的イメージに近い流儀ですよ、という表明でしょう。宛て字をするという事自体が、わざわざ作為的な行為なのに、《なぜ読みは「イアイ」のまま残したのですか?》というのは言いがかりです。居合と書けば良いところを、わざわざ抜刀術と宛てたんであって、《なぜ居合に「抜刀術」の字を宛てたのか》が大事なんでしょう。》以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月7日 (日) 06:06 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

なんだか勝利宣言が出たようですが、結局根拠は提出しないわけですね。
1)「林崎流居合術」が存在しない根拠を挙げろ、とは一度も言っていません。「林崎流、神明夢想流、神夢想流、重信流」という流派の正式名称が、「~流」までであるという根拠を教えてください、と言っているのです。根拠があるのでしたら、「○○という史料にそう書いています」と言えばすむことなのですが、おそらく今後も根拠が示されることはないでしょう。
「林崎流抜刀術」が存在する根拠が、「林崎抜刀術兵法」という一流派の名前を挙げるだけでよいなら、日本古武道協会には、「林崎夢想流居合術」という名前で登録されている流派がありますね。
ちなみにこの「林崎夢想流居合術」は、長大な刀で短刀を持った相手に対する技を含んでおり、古体を残しているのではないかと思われますが、この系統は田宮流の田宮平兵衛を経由していますから、田宮平兵衛の段階では、やはりこのような形式の稽古が行われていたのだろうと考えております。ですので、「分派した田宮流は居合術を名乗りますが、その違いは、鎧武者を相手にしなくなった事、戦場刀法から、平時の護身へと想定を向けたこと、それによって、当時刀をみだりに抜く事は罪になったため、礼儀や心法に厳しくなったこと、と言われています」というご主張には違和感があるわけです。この点も上記と同様で、「○○という史料に、田宮平兵衛は戦場刀法から平時の護身へと想定を向けたので抜刀術から居合術に改名したと書いてある」と根拠を提示するだけでよいのですが、これも今後とも提示されることは無いでしょう。
2)「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には「居合術」ではなく「抜刀術」とつけた会派のほうが一般的です」との主張は撤回されない、とのこと。では、これも林崎流の下に抜刀術をつけた流派が一般的であるという根拠を示してください。ただ一つの、しかもその系統も明らかでない流派の名前を挙げて「一般的」などといえるわけが無いことは明らかでしょう。だいたいこの主張は撤回された方が御自身の論旨が一貫すると思いますので、これに固執しなければならない理由がよくわからないですね。
3)同じく、「儀礼化した田宮流が居合術を名乗ったのに対し、殺人刀法に回帰した新田宮流が『抜刀術』を正式名称としている。という点についても、「○○という史料にそう書いてある」という形で根拠を提出していただけますか。
4)関口流が「抜刀術」という漢字を使用していること。「初実剣理方一流甲冑抜刀術」が抜刀術という名称を使用していることはわかりました。しかし、それらの流派が「居合」という名称を嫌って「抜刀術」という名称を使っている、という根拠は提出されていないですね。そのように「考えるべきでしょう」、という御自身の感慨があるだけなのですよね。
また、「体術、拳法をやわらと読ませる場合は、柔と書いてやわらと読ませる一般の柔術よりもも(ママ)体術、拳法的イメージに近い流儀ですよ、という表明でしょう」と言われるわけですが、たとえば「柔術」という名称を嫌って「剛身(コワミ)」と名乗った流派の例があり、その言葉を嫌っているなら、表記も読みも変えるのが普通だと私は思いますので、「体術」・「拳法」と書いて「やわら」と読むのであれば、それは「字は違うけれど、ヤワラと同じものである」という認識を持っていればこそ、そのような用例が生まれるのだと思います。「抜刀術」と書いて「いあい」と読むなら、それも、「抜刀術」とは書くけれど「いあい」と同じものである、という意識があってもおかしくはないでしょう。なお、「拳法」に関しては、あなたのおっしゃるような理由ではなく、「拳法」の語は新奇なイメージを与えることを狙った命名、という考察があったはずです。今すぐ出典は明示できませんが、あなたのお考えとは違う理解もありうるということの一例としては挙げられるでしょう。
5)「『各流派個別の事情があって個別の呼称をすることは当然で』というのも、もう自己矛盾」とのことですが、特に矛盾があるとは感じませんが?各流個別に名称は名乗っているけれど、百科事典の項目名としては、これらを統合して、そこで流派によっては名称は一定しないことを注記する、という方法がよいと思う、と言っているだけですよ。実際今は不十分ながらそうなっているわけで。本項目には「抜刀術(ばっとうじゅつ)、もしくは居合(いあい)とは、日本刀(打刀とは限らない)を鞘に収めた状態で帯刀し、鞘から抜き放つ動作で一撃を加えるか相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形、技術を中心に構成された武術のことである。」という定義がしてあるのですから。Minetani 2007年10月8日 (月) 15:40 (UTC)

あなたの相手は不毛です。木を見て森を見ない人に構造論や意味論が理解できるとも思えません。居合、抜刀術というカテゴリの枠組みそのものを議題としているのにあなたは終始、末端の現象面しか見ていません。ウィキペディアのノートはあなたを納得させる場所ではないので、納得していただかなくて結構です。「居合と柔術は無関係で別の道場で習うもの」「居合の定義は稽古の形態に依存する」「当て字とは言葉に字を当てるのではなく字が先にあって書き方を後から変えているもの」「制定居合は一マイナー団体にすぎない」こうした珍説、奇説を先にぶちあげて、違うというなら証拠を出せも何も、そういうトンデモ学説の類いは発表したもの勝ちです。そんなものは「居合いは宇宙人が発明して林崎甚助に伝えた」とかでも良いわけです。違うというなら証拠を出せと言われても出しようが無い。たとえどんな伝書だ何だといったものを持ってきてもそれが宇宙人がいない事を証明したことにはならない訳ですから。いくつ例を出しても最初から納得する気などないでしょう。あなたの造詣の深さが分からないので情報を小出しにしていた事の最大の危惧はそれだったのですが、前提となるような共通理解に一々ソースを求められるうっとうしさです。リンゴの記事を書く際に、リンゴが果物であるという史料を出せと言われるような無意味な議論です。居合と抜刀術が別ジャンルであることや、総合武術の一環としての位置、柔術との関連性、田宮流云々の歴史、こういったものは本当にこの分野において執筆、加筆、ましてや統合などという大それた事ができるくらいに関わっている人間ならば、当然、知っているのが前提のものです。正直、実際に刀を触ったこともない人ではないかと思っています。実際に携わっている人間なら武術の本質を名称や外形に求めたりしないし、「ネットで調べた伝書」を鵜呑みにするよりは、まだしも口伝のほうに信を置くからです。また、本当に居合、抜刀術というジャンルに対して敏感な人間なら、まず、本文中の『抜刀状態(=あとは斬るだけの状態)に対して、納刀状態で立ち向かう技術であり〜不利を有利に変えるべく研鑽された。』の部分にこそ違和感を覚えるはずだからです。この辺はほぼ甲野善紀の受売りです。最初に書いた人が誰なのか知りませんが、これを主張しているのは甲野氏だけで、普通に居合、抜刀術を学んでいる人間なら「居合の仮想敵は剣術」という頓珍漢な事は思いません。これは、「剣術家から見た居合観」です。そんな事が目的ならなぜ座って「居」たまま「合」わせるのか、相手が立って構えて切り掛かってくるまで座ったまま待っているのかという話です。そして座って居合うという事の意味が分っていれば、柔術と居合は別物などという珍説も出てこないし、「片手打ち[1]であるためどうしても諸手の威力には敵わない。」「ただし、体の運用によって、片手でも両手に匹敵する威力を発揮する事ができるとする流派や、相手の虚(動作の始まりなどの隙)を突く技術をもってすれば、剣術に対抗することも可能であるとする流派もある。」といった記述もおかしいと思ったはずです。片手だから威力があるとか無いとか、威力があれば剣術に対抗できるとか出来ないとか、じゃあ虚をつくのが妙締なのかという与太話の部分を、あれだけ何回も編集しているのに一度いじろうとしない。そういうレベルの理解から一歩も出ていない。そういう人だな、と思っています。だったら、居合いとは何ですか?抜刀術とはなんですか?と聞いても、「どっちも刀を鞘から抜くんだと思います。だから同じものなので一緒にすると良いと思います」という答えになるんだろうな、と。そういう人にいちいち証左を突き付ける不毛は何遍も味わってうんざりしていますし、そういう人が「ほら見ろ。証拠がないじゃないか」と勝ち誇るのを見るのも慣れています。しかし、あなたの再定義した居合観と、現在の記事の状況は、斯界に身を置く人間から見れば無価値です。 それそのものを知らない人が手探りで、断片的な情報を集めて作った間違った集積になっています。どんなにディティールを補強していってもよく似た別の事を書き記しただけになるでしょう。それこそ、「居合、抜刀術」の記事ではなく、「日本刀(打刀とは限らない)を鞘に収めた状態で帯刀し、〜二の太刀で相手にとどめを刺す形、技術を中心に構成された武術」という、居合や抜刀術に一見似た別の種目の記事です。まあそれでも「刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般」と言い張っておられた頃よりは多少の進歩ですが、案の定、思想や技術を無視したのでスケッチが細かくなっただけです。ではそれは何なのか、というのがようやく記事なんであって、これは定義でもなんでもなく、見たものをそのまま書いただけの小学生的な記述です。しかし、私はもう編集には参加しません。あなたに一々ソースを求められる不快を考えると、個人として、たとえこの記事が間違った方向に進み、斯界全体への理解や一つのジャンルが殺されることになろうとも、ひいてはウィキペディア全体の信頼性、専門的正確性が疑われようとも、もううんざりしすぎたからです。後はご勝手にしてください。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月12日 (金) 19:22 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。



名無しで書かれている方(私の1つ上で書いている方)に言わせて頂きたいのですが、貴方の立場は『史学』や『古文書学』の類の学問や『武道史』の研究と言う物を全く否定しているように読めます。現存する「古文書」や「伝書」の類が全て真筆とは限らないからと言って、全てを否定されるのだとしたら、武道史に限らず他の分野の歴史学全般を否定する事になってしまうと思うのですが。 歴史資料に限らず、偽書、偽造、偽伝の類はあるかと思いますが、全くまともに論ずる事も無ければちゃんとした反論もせずに頑なに否定するのは単に「否定出来るだけの知識がないか?文章表現能力に問題があるから」ではありませんか?と感じられます。 逆に貴方に問うとすれば「貴方の得た伝書は本当にちゃんとした師伝を経て来た物と証明出来るのですか?」「貴方の師がその又師から授けられた伝書や技術は本当に偽書や偽伝、変造をされていないと言えるのですか?」と言う、下らない問いを問わねばならなくなります。 仮に林崎甚助自身が「居合」の言葉や文字を流名として使わなかったとしても、もしくは今とは違う内容の技術が「居合や抜刀術」の原形だったとしても、ここにおいては今日における「居合」もしくは「抜刀術」について論じる必要性があると思います。 辞書とは「昔はこうだった」が主ではなく、今現在の「居合」なり「抜刀術」とはこう言うものであると言う解説がまずはなされなければ意味がありません。古伝なり古い形式については持論があるのなら、今の「居合」一昔前の「居合」、江戸期末の「居合」、江戸中期の「居合」、戦国期末の「居合」と詳細については詳しく追加詳説して行けば良いだけだと思いますが。 ただ現代において林崎夢想流(山形)や小野派一刀流に併伝されている神夢想林崎流(東京・青森)は「居合」を名乗っており読みも「イアイ」の筈です。土佐系の系譜を引く無双直伝英信流や夢想神傳流も多くは同様の筈です。 貴方が例示した『林崎抜刀術兵法』なり『林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流』については少数派と言うか、名乗りとしての正当性や何処の伝かすら定かではないと言うのが現状ではないかと思います。あえて違うと言われるのであれば皆を納得させるだけの解説なり証明をされるべきでしょう。

2007.03.07(月) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年10月14日 (日) 18:07 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

史学とは、ある意味、無意味ですよ。史学に武術を百科辞典的に編集する力があると思うなら、それは悲劇ですね。 すでに、『辞書とは「昔はこうだった」が主ではなく、今現在の「居合」なり「抜刀術」とはこう言うものであると言う解説がまずはなされなければ意味がありません。古伝なり古い形式については持論があるのなら、今の「居合」一昔前の「居合」、江戸期末の「居合」、江戸中期の「居合」、戦国期末の「居合」と詳細については詳しく追加詳説して行けば良いだけだと思いますが。』という誤謬が起こっている。 武術は死んだ文化ではありません。途切れずに、多方向に発展が続いているムーブメントです。それは、年表的、階層的に理解する類いのものではありません。一つの中心から外に向かって神経がシナプスを生成するように発展しています。そして、それらは個々にリンクしています。最も古いものと最新のものの間にも、段階的な進化ではなく、直結したバイパスが通じています。それゆえに、実際には「古い」とか「新しい」という区分けは無いのです。歴史のように終わった出来事を年代順に整理すれば良いというものではありません。そこに、歴史的「断絶」を見てしまうのが、実際に身体を通していない人々の書いた居合観の無意味さなのです。 東方見聞録やら、山海経には、見たことの無い動物や蛮族、奇妙な風習が沢山載っています。これらの価値は、「昔の人はこういうふうに想像していた」という事が分かるだけです。実際にバクやクジラを見た人間は、それらの史料の絵に描かれた珍妙な絵の怪物に史料的価値を求めないでしょう。あなたがたのやっている事はそういう事です。むしろ、ウィキペディアが史家、学者しか編纂できない辞典というなら、「抜刀術(ばっとうじゅつ)、もしくは居合(いあい)とは、日本刀(打刀とは限らない)を鞘に収めた状態で帯刀し、鞘から抜き放つ動作で一撃を加えるか相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形、技術を中心に構成された武術のことである。」という山海経的な解説でも良いかもしれません。 しかし、じゃあこれと同じ事を松平健がテレビの中でやっていれば居合でしょうか。いえ、殺陣です。志村けんがドリフの番組でやっていたら居合でしょうか。それはコントです。それが居合だとは、本当に居合をやっている人間は思いません。よく似た別のものだと思うだけです。居合の定義なんて乱暴に言ってしまえば簡単なんですよ。「その流儀を学んだ人間がそのメソッドを体現した動き」が結果として抜刀動作であれば、居合と呼ばれ、結果として相手が投げられれば柔術と呼ばれるだけの話です。だから大概の流派はわざわざ下に〜術とつける必要もなければ、林崎系から柔術の流派が生まれたりする事もある。そして「居合の仮想敵は剣術で」とかナンセンスなことを考えない。最初から、「弥和羅(やわら、柔術)と兵法(剣術)との間今一段剣術有る可し」と書かれているでしょう。剣術も柔術もリンクしているものなのだから、仮想敵は何かという問い自体が無価値です。対義語を置く意味がない。まあ、何度も衆盲象を撫でるの例を出すのもなんですが、あなたたちのように、象を知らない盲人が、尻尾を触っては「象は長いものだ」尻を触っては「いや、固くてゴワゴワしたものだ」といった断片を組み立てて、いびつなキメラを作っていけば良いのではないでしょうか。私は史家でもなければ編集に参加する価値もないようですから。しかし、私には『武道史に限らず他の分野の歴史学全般を否定する』どころか、あなたがたが武術という一つの学問体系に、よそから持ってきたやり方を持ち込んで無意味な解体をしているようにしか見えませんがね。哲学を知らない人間が、史学を以て、その本義を求めようとは思わないでしょう。哲学を知らない人間に哲学については書けません。史学の力で書けるのは「哲学史」であって「哲学そのもの」ではない。ならばなぜ、武術については史学のみで書けると思うのです?それは武術の持つ体系や思想を軽んじているからに過ぎない思い上がりですよ。これは、「武術史」ではなく、今現在の「抜刀術・居合」の記事なのですから。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月15日 (月) 14:24 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。


長文によるやり取りを行うと面倒な展開になるようなので要点だけを質問します。 『林崎抜刀術兵法』なる貴方が現存すると主張する流派はいかなる武術流派なのでしょうか? 過去にも書きましたように『林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流』などの土佐伝系の諸流派とは又別の伝承を経て来た流派なのでしょうか? この流派の名乗りは本当に古くから代々使われて来たものなのでしょうか? 以上の3点だけをお答え願います。

2007.03.30(火) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年10月15日 (月) 18:32 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

自分に都合の悪いことは「面倒」で片付けるような失礼な人間に語る言葉は持ちませんし、あなたの「要点」はズレきっています。少しは自分の体と頭でお調べなさい。ネットで検索して分かることだけ探すならウィキはただのまとめサイトですよ。 編集に参加する意志が無い以上、あなたに付き合う義理もありません。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月17日 (水) 16:11 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。


あなたが私の問いに具体的に答えられない事が判りましたので、それならそれで結構です。 一連のやり取りでどちらに実があるか?は此処を見ている方達が判断してくださるでしょう。他者が引き合いに出した伝書などの歴史資料としての信憑性を否定される割には、ご自分の主張や出典は何故か間違っていないと信じて疑われないようですし、私が無為に争点が広がらないように敢えて単純かつ3点だけに絞り込んで簡略化した問いにもろくに答えられず、言葉の揚げ足を取る事しか出来ないようなので。 私は此処の題名は『居合・抜刀術』とするのが適当であると思います。

2007.10.20(土) loto以上の署名の無いコメントは、219.188.178.200会話/whois)さんが[2007年10月19日 (金) 21:09 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

無為に争点が広がらないように?「言わせて頂きたいのですが、貴方の立場は『史学』や『古文書学』の類の学問や『武道史』の研究と言う物を全く否定しているように読めます。現存する「古文書」や「伝書」の類が全て真筆とは限らないからと言って、全てを否定されるのだとしたら、武道史に限らず他の分野の歴史学全般を否定する事になってしまうと思うのですが。」というのが最初にあなたが持ちかけたメインテーマだったはずですが? また、あなたのご主張は歴史性、根本性より、「ここにおいては今日における「居合」もしくは「抜刀術」について論じる必要性があると思います。辞書とは「昔はこうだった」が主ではなく、今現在の「居合」なり「抜刀術」とはこう言うものであると言う解説がまずはなされなければ意味がありません。」というものだったはずですが? それに関してこちらは何遍も語っていますし、上記で充分な回答をしています。あなたは言っていることが自己矛盾してますよね。歴史と現在の事実、どちらに重きをおいた主張なのかも分かりません。それに対する回答を「面倒」の一言で飛び越えて、次々と論点をずらし続けているのはあなたですよ。ご自分の恥知らずな言動を少し振り返ってみてはいかがですか。散々言い張っていた当て字問題にしろ、「だったら居合と書いて抜刀術と呼ぶこともあるはずだ」という非論理的な言いがかりをつけてたのをウヤムヤにしてますよね。あなたは「海豚」という字が先にあってわざわざ「イルカ」と呼んでいると思っているのですか?それともイルカを「うみぶた」と呼ぶ事例でもあるのですか?Minetaniさんですら、最後には「拳法」を「やわら」と読ませるのは「新奇なイメージを付与するため」に、意味に合わせて字を後から当てたことを認めていますよ。無駄に論争を散らかしているのはあなたです。ろくな反論もできない問題提起をするくらいなら、何も書かないほうが良いんじゃないでしょうか。少なくとも武術に対して敬意を払わない人間にその文化を語る資格があるかは疑問ですね。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月20日 (土) 02:42 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

少し見ていなかったうちに大変なことになっていますね(笑
「後はご勝手にしてください。」とのことですので勝手に述べさせていただきます。
結局あなたが、根拠が挙げられない、ということはよくわかりました。とりあえず、私は「居合と柔術は無関係で別の道場で習うもの」「居合の定義は稽古の形態に依存する」「制定居合は一マイナー団体にすぎない」「当て字とは言葉に字を当てるのではなく字が先にあって書き方を後から変えているもの」などということは主張していないので念のため。それがお分かりになっていないのはあなただけのようですが、というのも不毛ですか。「史学とは、ある意味、無意味」といわれてしまっては処置なしかもしれませんね。私が言っているのはごく簡単なことで、あなたの御流儀でそれが「常識」であるとしても他の流儀ではそうではないこともあるだろう、というだけのことで。そのこと自体を否定したことは一度も無いのですが。
個人的には「武術史」はもっと史学的に検証される必要があると考えていますし、そういう方向に向かうでしょう。「これは口伝であって公開できないから論拠も挙げられない」ということはあるでしょうし、それが悪いとは毛頭思いません。私自身そういう世界に身をおいている一人ですから。しかし、そうであれば論拠を挙げられない以上他人を納得させられないのは当然です。私だけでなく、他の人も、だと思いますが。Minetani 2007年10月23日 (火) 16:16 (UTC)

『全剣連の居合を学ばれている方に、一人形で刀を抜き、納刀する動画と、相手を置いて、納刀状態から抜刀し、技をほどこし残心、納刀という動画を見せて、これらはなんという武道ですか?と聞いた場合、前者を居合、後者を抜刀術と答える人がどのくらいいるでしょう?多くはただ「居合」と答えると思います。 』 『短刀で突いてくる相手を素手で捌く技を稽古するときに、「今日は抜刀術の稽古をしよう」と言っていたのですか?』『なにせ江戸時代でも「捕手・居合」や「居合・柔・兵法」と、そのあたりは区分して考えていたのですから。 』『結局、このノートページで以前から問題になっているのは、「居合」という語が、「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する」語として用いられるという事象が現実にある、ということです。実際の技術の違いを問題としているのではありません。こうしたいわば広義の「居合」の用例は、江戸時代からすでにありましたし、現在も普通に行われているわけです。』 『それは全剣連居合内部の定義であって、そのようないわば狭義の「居合」がどのような内容を含もうと、「居合」の語が「日本刀を鞘におさめた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する」語として用いられている、ということを否定する材料とはなりえませんし、仮に他の流派の記事中に、相反する「居合」の定義があったとしてもまったく支障は無いでしょう。』

これ、全部あなたの発言ですよ。まだ拾いましょうか?十分主張していたし、主張してないなら普通の脳の構造の人間なら、それを指摘された時、「そんな主張はしてませんよ」と書くでしょう。なぜあなたは自分の主張してない意見の弁護を延々していたのですかね?今さら言っていないとは、ほとほと卑劣さにあきれますね。もうあなたは実践者でも研究者でもないのだから、黙ってた方が良いと思いますよ。 論拠というなら、英信流伝書と田宮流だけでも、少なくとも1500年代には抜刀術で名乗る流派が登場していた事。関口流のように、わざわざ当て字してまで抜刀術と表記する会派があること、富山流などの試斬、立位での技術を重視する流派では抜刀術と呼んでいること、これでもう十分でしょう。あなたに到っては、ついぞ『抜刀術と居合は同じものである』という論拠は『そういう風に見えるから』という幼稚なものしか出せなかったのですから。 あなたは『そういう世界に身』を置いている人間なんかではありませんよ。『そういう世界』に身を置いていれば、後世の人間の勝手な解釈で動作一つでも型から削ったり、名前を変えるという事がどれだけの文化遺産を殺しているかは嫌というほど知っているはずです。少しでもグレーゾーンがあるなら九割同じ技でも別に伝承するのが伝統武術です。外形が一緒でもそれがカリキュラムに組み込まれている過程の段階によって、学習目標や要求が違うからです。それを改編できる資格は一流一派を開いた人間か、宗家だけです。『そういう世界』では当たり前の事ですけれどね。そして、本来なら、それをやってしまったら、流名には〜派、〜伝とつけて、差異化するのが 当然です。伝書が重要視されたり、偽造されるのは、それがどこまで原形質を留めているかの証明だからでしょう。伝書、伝書と騒いでおきながら流儀の思想を排して外形しか見ていない事自体、本末転倒なんですよ。 あなたは形態が似ていれば同じものとして捉えるでしょうが、何度もいうように武術の本質は理念や術理であって形態ではありません。わざわざ別の呼び方がされているなら、それはもう別のものです。蝶と蛾、水とお湯の例のようにね。これを統合しろという馬鹿はいないでしょう?一個の技ですらそういうものを、ジャンルごと味噌糞一緒にするようなことは、『そういう世界』に身を置く人間は思わないんですよ。 そして、「居合」と言った場合、端的に言えば剣の有る無しやら形やらでなく、「居て合わせる」という一点の意味こそが記事の主成分であるはずでしょう。それを書けない、柔術と居合の関係性も分からない人間が、何を経験者ぶっているのでしょうか?居合とは何か、という第一義に形態を挙げるような小学生的認識で。 そして、根底からあなたの考え方が愚かなのは、素人のイメージする居合観や、認知度で記事を統合しようとする非百科事典的発想ですよ。掘下げ、細分化していき、その差異や思想の違いを説明するのがウィキペディアの役目だろうに、大勢の人間がそう考えているだろうからという理由で統合しようとする。 よく分かっていない大勢の人間に対して、知っている人が説明文を書くから情報が意味を持つんで、分からない人間が集まって分からない分野の話を書いてもこのような大雑把なキメラ的記事にしかならないでしょう。正直、情報量、精度、細かさなどで、『モーニング娘』やら『ガンダム』やらの記事のほうがよく出来ていますよ。 また、武術史うんぬんは本筋と関係ない上に、あなたが個人的にどう思うかなどはどうでも良いことです。lotoとかいう、「言わせて頂きたいのですが」なんて書き出しで単に言いたい事を言うだけで、それは別に要点でなかった人と同じです。チラシの裏じゃあるまいし、といった感じです。史学というならもっと思想史にも目を向けなさいとしか言えません。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年10月28日 (日) 18:18 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

無双直伝英信流も信州の資料では抜刀術ではなく居合と伝書に書かれています。田宮流から分かれた林崎新夢想流や民弥流などなど多くの流派が居合の表記で伝承されている事実はどうお考えでしょうか?
あと関口流抜刀術の場合、肥後流居合という別称もありますし、さらに肥後の関口流抜刀術の元の元になった関口新心流の伝書では居合と書かれているのですが。
まぁ武術の技法としては、居合=座って立ちながら抜く、抜刀術=刀を抜く技術全般、と解釈する場合もあるとは思いますが。
--Hakusai 2007年10月30日 (火) 06:49 (UTC)

それだけ詳しければ、わざわざ「居合」表記が一般的とされているのに抜刀術と表記する場合もあるのかの、書き分ける理由も分かるでしょう。それが答えであり、統合できないゆえんです。 技法で分けるなら、居合は抜く、抜かないは結果であって、実質的には勝敗は鞘の内で終わっているのに対し、抜刀術は抜く事自体が目的であるというのが正しい解釈ですね。居合であれば、将棋で詰みまでの道筋が分かっていたら最後まで指さずに投了するのが普通であるように、相手がかかってこれなければ、こちらから抜く事もない。抜刀術ならば、すでに動き始めている相手に対しているから、抜かないという選択肢はない。また、制定居合が本流になってしまった最大要因である、GHQの武道禁止令で、「居合」は武道、武術性を薄め、争闘の為ではないことをアピールしてきましたが、「抜刀術」を標榜している団体はそれを「スポーツです」とは言わない。これに関する歴史の記述も全くないのは、記事的に片手落ちですね。武術史、史学うんぬんを語っていながら、最大の事件について書くだけの知識もない。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[ 2007年11月7日 (水) 13:03 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

なんにせよ、五百年近く、「抜刀術」の呼称にこだわり続けている流派が複数あり、用語が一般的にも市民権を得ている状況で、そのカテゴリを消滅させるというのは、無意味な文化の破壊でしかないでしょう。誰にもそんな権利はないし、ウィキペディアは文化の記録の為にあるのであって、文化を殺すためのものではない。 泡沫のように現れるテレビ番組ひとつひとつでさえ、記事が書かれ、しかも充実度では「抜刀術」の項目を上回っているというのに、現行のお粗末な記事内容に疑問を持たない「識者」に、一個のジャンルを殺して戦犯になる覚悟と自信があるのですかね。 そこまで統合を断行したい人がいるならご勝手にしてください。しかし、私なら抜刀術と居合を分割記事にしても、どちらの記事も現状よりは本質的に、かつボリュームで数倍のものが書けますけどね。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年11月8日 (木) 16:27 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

ですから私はそのように主張してはいません。「抜刀術」と「居合(術)」が、あなたの言うような意味で使われていない例がある、ということを指摘しているだけです。あなたのご流儀でどのような伝承があろうと、それに異論をとなえるつもりはありません。しかし、それを一般化して述べることは出来ないのだ、ということであって、それはすでに述べたとおりです。私は、柔術と居合を同じ道場で習っていますので、「居合と柔術は無関係で別の道場で習うもの」などと主張するわけはないのです。
史料が僅少な「林崎甚助」や「田宮流」について、「そもそもの開祖になる林崎流自体、その下には『居合術』ではなく「抜刀術」とつけた会派のほうが一般的です」とか、「林崎甚助が開いたとされる流派は基本的に林崎流、神明夢想流、神夢想流、重信流などだと言われており、『〜流』までが正式名称で、特に『居合術』とはついていません。」とか、「分派した田宮流は居合術を名乗りますが、その違いは、鎧武者を相手にしなくなった事、戦場刀法から、平時の護身へと想定を向けたこと、それによって、当時刀をみだりに抜く事は罪になったため、礼儀や心法に厳しくなったこと、と言われています」などという見解は、それが事実であれば、大変興味深く思いますが、その当否にはかかわらず、これらはおそらく証明は出来ないでしょう。
「わからない」ことは「わからない」という前提で話を進めるのが当然で、「わかっている」なら論拠を示していただきたいし、その上で私自身も自分なりに考え直して見たいと思ってもいましたが、提示できるような史料は無かったと。
ともあれ、このノートの履歴が、だれでも参照できる状態で残っていく事で、編集の材料を提示したことにはなるという意味はあった、ということでしょうか。Minetani 2007年11月11日 (日) 12:44 (UTC)

おやおや、〈居合は元来、「捕手居合はやりて」「居合柔兵法なんど幼きより手馴れさせて」などと言うように、総合武術の一環であり、実用の技術であった。〉という私の主張に対して、〈そういう技術は一応今は除外して考えてよいのではないかと思います。なにせ江戸時代でも「捕手・居合」や「居合・柔・兵法」と、そのあたりは区分して考えていたのですから。〉と言ったのはあなたですよ。 そもそも居合と柔術を同じ道場で本当に学んでいる人間なら、それらの根底にあるのはコンセプトであって、得物が何か、形態や名称がどうかではない事くらいは分かるはずです。柔術や居合が座り技、居取りから始めるのは、足さばきや、刀で刀を受け止める力勝負などの、動物的要素を排した、理によって勝つべくして勝つ為の方便であることくらいは分かるでしょうし、剣も柔も、同じ理にそって自分が動いた時、結果として相手が斬られる、投げられるだけで方法論は同じ事もわかるはずです。だったら、居合を、「刀を鞘に納めた状態から始めて技を施す形態一般を包摂する語」などという、外形のスケッチで定義とするような素人的な発言をしないし、『短刀で突いてくる相手を素手で捌く技を稽古するときに、「今日は抜刀術の稽古をしよう」と言っていたのですか?』なんて馬鹿な事も言わないと思いますがね。

そもそも、あなたの理屈で言うなら、『すでに「抜刀術」と「居合(術)」が、同一の意味で使われていない例がある、ということが指摘され、それは一般化して述べることは出来ない。居合と抜刀術が同一である事は証明は出来ないし、提示できるような史料は無かった』訳で、すでに統合、改名は出来ないという話になると思いますよ。あなた方が散々ひっぱり出した当て字問題だって、『提示できるような史料』ではなかったし、結局、「なぜ居合の語が一般的な時代から、抜刀術の語を用いる必要があったのか、それを守り続けているのか」について、誰一人、答えられていない。この時点で居合と抜刀術は別のニュアンスで使われていたのは間違いないでしょう。それこそ、あなたが本当に道場に通われているなら、自分の先生に「これは抜刀術ですか?居合ですか?」と聞いてみればいい。「それはどちらも全く同じものだよ」と言うとは思えませんね。まあ、あなたは口伝の類いはテキスト化してないから資料価値が無いと思っているようなので、先生の言葉など無意味な雑音だと思ってるんでしょうけど。

といっても、正当な武術を学んでいる人間が、『居合術・抜刀術を包含する概念として「居合」が現在一般的に使われており、またWikipediaの利用者の間で合意が形成されているのであれば、種々の定義が存在することを注記した上で「居合」に統合してもかまわないのではないか』などという非常識な発言はしないと思いますがね。 まともな修行者なら、一般的に使われているかどうかより、歴史的、本質的に厳密に区分すべきだと思うだろうし、一般人のイメージではなく、その道の最高権威、その時点で最も信用できる研究者集団の中での見解を取るはずです。居合と抜刀術の違いも分からない人間に合わせて、居合と抜刀術は同じものですと書くのでは、書く意味がない。知らない人間に真実を伝えるのが辞書でしょうに。ましてや、『Wikipediaの利用者の間で合意』があれば、数百年続いている名称のあるものを変えて良いというものでもない。それはただの衆愚政治でしょう。武術はWikipediaの所有物でもなければ、利用者の所有物でもない。勝手にあんたらが合意したら、「今日から抜刀術を名乗っている団体は、居合の一部になりました」「はい、そうですか」という話ではない。事の真偽と信じる人間の多さは無関係です。下らない例ですが、『ウルトラセブン』は、『ウルトラQ』や『ウルトラマン』の『ウルトラ〜』シリーズとして作られた。しかし、後にウルトラマンと作品世界がリンクした為、大多数の人はウルトラ「マン」セブンだと思っている。じゃあ、辞書にもそう書くかと言えば、そんなはずは無く、ちゃんと分けられている。それが当たり前の辞書です。 事実を事実として書くのには『合意』も『一般的』もへったくれも無いんですよ。意見が割れてる時点で完全に客観できるような科学的事象について書いてるんじゃなくて思想的な問題なのだから、別だと思っている人間が一人でもいる以上、別のものでしかない。それに、『抜刀術』で数分検索しただけでも、居合と抜刀術を別と認識している人間は一人や二人ではない。 http://www.interq.or.jp/sagitarius/ootarag/file/iai.htm http://www.members.aol.com/sogaseidoukai/contents3.html http://misogi.org/shinkage.htm http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2771111.html http://www.to-ku.com/midokoro/1488.htm http://www.geocities.jp/kuki_kei/iai.html ざっと目に付いたものを挙げましたが、普通にグーグルで「居合と抜刀術」で検索した場合、両語を含んだページ六割以上がその違いについての考察が出ます。あなたの、ほぼ唯一の論拠『一般的云々』ですら、私には牽強付会にしか見えませんがね。 それでも自分には強硬に改名、合併をする権利があると思っているなら、勝手にすれば良いと言っているのです。以上の署名の無いコメントは、125.54.158.107会話/whois)さんが[2007年11月12日 (月) 17:27 (UTC)]に投稿したものです(Dark Eyesによる付記)。

古流の武道を学んでいますが『居合術・抜刀術を包含する概念として「居合」が現在一般的に使われており、またWikipediaの利用者の間で合意が形成されているのであれば、種々の定義が存在することを注記した上で「居合」に統合してもかまわないのではないか』に賛成です。 但しここでいう"一般的"とは、一般人の間での事ではなく、現代居合道でも試斬道でもない、「古武道関係者の中での一般論」です。(『居合』と現代居合道は別物だと思っています) 「居合」と「抜刀術」を別のものとする見方があることは存じておりますが、上の方ほど"別のもの"と断言する方は初めて拝見いたしました。別のものとする見方は、基本的には「抜刀術は『居合』の一部」という見解がみられたり、単にイメージの見解であったり、「居合」と「抜刀術」の話ではなく「居合道」と「抜刀道」の違いについてであったり、後はその流派の細かな見解の違いなどと認識しています。

そもそもこの議論の始まりは「記事を『居合』に戻すべき」としたもので、統合の提案ではなく移動の提案なんですけどね。

「居合が実戦技法でなく抜刀術は実戦技法である」とお考えの様子ですが、居合には座居合だけでなく立居合もありますし、「実戦居合」と呼ばれる居合もありますし、居合と抜刀術を別とする見解を述べている自剛天眞流抜刀術では、『抜刀術は刀の扱い方を訓練し、手を慣らすのが目的』とあります)。

また、当該記事は実質「居合」の記事であり、この方がこれほどお怒りになる理由はありません。統合してもかまわないと考えますが、ここまで仰るのでしたら、実質居合の記事である当該記事とは別に、抜刀術の記事の草案を示して頂き、その上で別個の記事として両立する事を検討するべきなのでしょうか?どちらにしても当該記事を居合に移動する事自体には問題が見当たりません。--118.17.235.82 2008年5月5日 (月) 07:49 (UTC)

概要の文章について

概要後半の ~剣術の抜刀状態(=あとは斬るだけの状態)に対して、納刀状態で立ち向かう技術であり、これは~ 以降の文章はまとまりを欠いていると思うので、整理したほうがいいかとおもいます。 もしどなたかが行わないようでしたら、私がやってみようかと思うのですが、いかがでしょうか?--Hakusai 2007年12月25日 (火) 04:54 (UTC)

たぶんそこは4年ぐらい前に僕が「とりあえず叩き台として」書いた部分がかなり残っていたのだと思います。まだWikipdiaが有名でなかったころで、当時は「ちょっと極端なことを書いておいて、順次みなで整理して、良い定義・文章が整形されていく」プロセスが有用に働くと踏んでいろいろ書いたときのものでしょう。妙な形のまま残っているとはまったく思わず長期間スルーしていました。お手数をおかけしました。FeZn 2008年3月13日 (木) 00:04 (UTC)以上のコメントは、118.17.235.82会話/投稿記録/Whois)さんが[2008年5月5日 (月) 07:49 (UTC)]に投稿したものです(三畔 2011年4月26日 (火) 12:39 (UTC)による付記)。