ノート:建康 (都城)

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> 呉においては建業(けんぎょう)という名であった
となっているのだが、呉の場合、呉音であるから「建業」は「けんごう」と読むのではないだろうか。もちろん漢音で統一するならそれで良いが、おそらく同じ音で表記しようとして「建業」としたのではないかと思われる。言語学・中国史の専門家の意見を仰ぎたい。booze 2010年9月28日 (火) 07:29 (UTC)[返信]

慣例的なことをいえば、漢文の世界では漢音で読むのが原則なので「けんぎょう」と読まれていますし、中国史においても同様です。「呉の場合、呉音であるから」とありますが、呉音とはリンク先の説明にあるとおり、(王朝としての)呉の国の音ではなく、唐代以前に日本に伝わった漢字音の総称であり、「呉音が本当に南方系統の発音かどうかについて、それを実証できるような史料はない」のです。ですから、実際の呉の地域の発音をどの程度反映していたのかは実際のところ不明です。このようなことからわざわざ呉音で読む必要はないといえるでしょう。--Joffed 2010年9月29日 (水) 04:33 (UTC)[返信]
呉音と漢音では前者の方が歴史的に古いと考えられており、呉王朝の存在した三国時代に漢音(厳密にはその基になった中国語の発音)というものが華北(魏)・四川(蜀)地域を含めて存在していたものなのでしょうか?--水野白楓会話2012年10月20日 (土) 22:34 (UTC)[返信]