ノート:市原悦子

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Wikipedia:表記ガイドより「箇条書きは、単語や短い文を並記するときに用います。長い文になると、箇条書きにする意味が薄れます」。--二宮光 2008年1月16日 (水) 16:58 (UTC)[返信]

早稲田大学卒業の件[編集]

早稲田大学卒業の記述を削りました。この記述は、どういう経緯で早稲田大学に進んだのか、本人のコメントで裏付けることが必要だと思います。

早稲田大学卒だという記述は結構見かけます。たとえば2019年のデイリーの記事は、Web版には載っていませんが、紙の新聞には「早稲田大学を卒業後、俳優座養成所に入り」という記述があります(2019年1月14日付)。ネットで検索すると、二文だとか、二文の演劇専攻といった記述も見つかります。ただ、市原氏の経歴を簡単に取り上げた中での一文であったり、芸能関係の人で早稲田出身の人はこれだけいる、と列挙した中だったりと、市原氏が早稲田に在籍したことがある、という事実に触れた短い言及にとどまっています。

一方、市原氏自身の発言で早稲田大学進学に言及した例は全く見つかりません。氏に取材した本では「高校卒業後、大学に行く気はなかった」(沢部ひとみ『いいことだけ考える 市原悦子のことば』文藝春秋、2019年、96ページ)とあり、銀行に就職が決まっていたが俳優座養成所に進んだのだといいます。養成所は昭和32年卒の6期生で(佐貫百合人『役者烈々――俳優座養成所の軌跡』三一書房、1995年、15ページ)、養成所を出た後は「あれこれあったけれど」(市原悦子『ひとりごと』春秋社、2001年、47ページ)俳優座に入ったことになっていますが、初主役の『りこうなお嫁さん』は1957年の舞台ですから、「あれこれ」にそんなに長い期間があったとは思えません。俳優座時代の15年間は、「稽古に明け暮れていました」「ただひたすら、稽古場と家を往復」(『ひとりごと』37-38ページ)と描写されています。二文ですから別のことをやりながら学んだ、ということはあり得るにしても、本当に進学したのなら、こんなに何も言及がない、ということは考えにくいと思います。

真相はよくわかりませんけれども、早稲田大学進学を書くなら、単に年表的な言及ではなくて、本人が進学経緯を説明しているくらいの強い文献がいると思います。--西村崇会話2022年6月7日 (火) 09:55 (UTC)[返信]

情報 これは「長期荒らしにより記事に加筆され、鵜呑みにしたメディアによってウィキペディア外にも拡散された虚偽内容」だと思います。◆「早稲田大学卒業」が最初に加筆されたのは2016年3月5日 (土) 14:31 (UTC) の版番58852277で、その加筆者Bobmarley1123LTA:KOIZUMIとして無期限ブロックされています(ログ)。◆このLTA:KOIZUMIは、人物記事の学歴職歴情報に意図的に虚偽内容を埋め込む長期荒らしで、尊敬しているらしい人物の記事には実際よりも高い学歴を「授与」します(例1例2例3例4)。◆LTA:KOIZUMIが埋め込んだ嘘情報の中には、長期間放置されてウィキペディア外にも汚染が及んでしまったものもあります。例えば田原俊彦を勝手に放送大学に入学させた2012年の編集(差分)は、加筆をしたアカウントが早期にブロックされた(ログ)後も記事に残り、2019年に私が記述を除去する(差分)まで7年以上も掲載されていました。この7年間に、虚偽情報を真に受けた一部のメディアが「放送大学在学」と書いてしまい、嘘が拡散されています。本件の「市原悦子は早稲田大学卒業」も同様の事例と思います。--侵入者ウィリアム会話2022年6月20日 (月) 16:09 (UTC)[返信]
私は、早稲田大卒業説がウィキペディア発で拡散していったとは思いません。もともとこの時期の市原氏に関しては不確かな記述のある文献が多く、富士銀行には入行して事務員の経験がある、と書いているものもあります。今の人には県千葉を出て大学に進学しない、というのは違和感があるうえ、市原氏の経歴をたどると「早稲田」という単語が何度も出てくるため、資料を斜め読みしている人が「早稲田大の演劇を出ている」と誤解しやすい状況があります。
ただ、早稲田大卒業説がどこからどのように広がっていったにせよ、もう活字になっている以上、それを出典として早稲田大卒だと書かれるのは止められないわけです。書くなら強い出典が必要、というのは、年表程度の言及を持ってきて早稲田大卒業説を書かれることに注意が必要だ、という意味で書きました。--西村崇会話2022年6月30日 (木) 11:56 (UTC)[返信]