ノート:小澤征爾

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話題(1)[編集]

日本での音楽活動としては、1972年に楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニーを創立した。1991年に名誉芸術監督に就任し、1999年9月より桂冠名誉指揮者となっている。 --以上の署名のないコメントは、165.93.132.73会話/Whois)さんが 2004年11月18日 (木) 04:37 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

明らかに非客観的な記述が目立ちます。 下手云々、のりのりになる等、本来ならば閲覧者自身が判断すべき主観的内容を Wikipediaが公に掲載するのはあきらかに間違っていると思います。 極端な話、日本人が指揮しているのだから日本人に受けるのはある意味で当然といえるでしょう。 また、どうしても【下手】という記述を使いたいのであれば、 それを客観的に評価しうる基準を提示するべきだと思います。 (僕個人としても小澤氏の演奏に対して下手と評価する論評を聞いて見たいと思います。)----以上の署名のないコメントは、210.173.40.250会話/Whois)さんが 2005年8月30日(火)02:39‎ に投稿したものです。(署名し忘れていました。)H.souichiro----以上の署名のないコメントは、H.souichiro会話/Whois)さんが 2005年9月8日(木)12:17‎ に投稿したものです。

話題(2)[編集]

(このニューイヤーコンサートは日本にもテレビ中継されたので、ご覧の方も多いかと思うが、このコンサートに感銘を受け、のりのりになっていたのは日本人だけであった。地元の方は、こんな(下手な)演奏で何でのりのりになっているのか不思議そうに日本人を眺めていた。残された映像から、拍手や歓声からよく分かる。その証拠に1979年のウィリー・ボスコフスキー指揮のニューイヤーコンサートの録音や映像と比較すると、ドイツ・特にシーズンチケットを持っている地元のウィーンの人たちがどちらを高く評価し、コンサートを楽しんでいるかよく分かる(もちろん、小澤の指揮ではボスコフスキーに全くかなわない。)同じく小澤との比較では、2度ニューイヤーコンサートを指揮した、カルロス・クライバーの演奏(1989年と1992年)との比較でもよく分かる)

の部分を書かれた方(あるいは詳しい資料をお持ちの方)に質問です。

  1. 「のりのりに」とは何を指すのか明確にしてください。
  2. 「拍手や歓声からよく分る」とは? 日本人の拍手と、非・日本人のそれを弁別できますか?
  3. 「ドイツ・特にシーズンチケットを持っている地元のウィーンの人たちが」のドイツはオーストリアの間違いですね?

私自身も、小沢は(どちらかといえば)凡庸な指揮者だと思うし、ボスコフスキのもつ「味」、クライバーの「切れ」は彼らでないと出せないものだと思う点では人後に落ちないつもりですが、もう少し客観性をもった記事にできないのか、と思います。ウィーンの音楽評記事でもふたつ三つ読まれてから書いていただければ幸いです。--にごう 2005年9月8日 (木) 11:31 (UTC)[返信]

問題提起?をしたものです。ノートでの議論を経ずに書き換えが頻繁に行われたため保護依頼を出しました。保護する際には問題となる上記の部分がない状態にしていただくつもりです。僕もクラシックが好きでよくいろいろな人の指揮者で同じ曲を聴きますが、極端な話クラシックにおける指揮者の違いは演歌とJazzくらい違って聞こえます。(僕にしてみれば指揮者の上手下手云々言うのは無駄な話だと思っています。)いろいろな人のいろいろな曲の感じ方をいろいろなパターンで聞くことができるのがクラシックの醍醐味の一つだと思っています。小澤さんには小澤さんの曲の感じ方がベースになっているのですから、そこを云々言っても仕方が無いと思います。そしてそれがニューイヤーコンサートの指揮者たるものを持っていると(賛否両論あったとしても)認められたからコンサートを指揮したのであって、その事実を公平に記載するのがWikipediaの役割だと思っています。もし、下手とする論評を載せるのなら上手だとする論評も載せるべきですし、その論拠も必要でしょう。しかし、今回の《ピカソの絵を定規で測定する》ような定量的な判断がもたらされているというような記述は避けるべきだと思います。H.souichiro 2005年9月8日 (木) 21:18 (UTC)[返信]

私も問題の場所は主観的過ぎて問題があると思います。私はクラシック音楽はよくわからないので、その内容については何とも言えませんが、そもそも「論評」は百科事典に載せるべきものではないと思います。(私が revert した直後に保護されたようです。) Ohura 2005年9月8日 (木) 13:20 (UTC)[返信]

まあまあみなさんおちついて。ここでエピソードを一席。 http://deztec.sakura.ne.jp/x/02/uji/topic/shuudannsei.htm では。 (アドレスの貼り付けは違反ではないよな・・・?) --以上の署名のないコメントは、58.90.26.206会話/Whois)さんが 2005年9月21日 (水) 14:50 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

保護を解除しました。KMT 2005年12月9日 (金) 22:10 (UTC)[返信]

また、IPユーザーによる荒らし的編集が出てきたようです。半保護か投稿ブロックが適当と考えますが、皆さんいかがでしょうか?(署名忘れ訂正)H.souichiro 2006年9月8日 (金) 03:54 (UTC)[返信]

S kitahashi‎氏により半保護としていただきました。H.souichiro 2006年9月8日 (金) 20:54 (UTC)[返信]
  • このニューイヤーコンサートには確かに賛否両論あったようですが、叩き元?は、当時の「週刊新潮」の記事だったと思います。かなり主観的というか、その記事の著者の好き嫌いが前面に出ていた記事だと思います。それにウィーン・フィルは、指揮者が余程の強権を発動しないかぎり(ゲオルク・ショルティは、それをやって忌まれたそうです。)、指揮棒にあまり関係なく自分たちの音楽を奏でるのが常で、それを聴いた地元の聴衆が下手呼ばわり云々という点は、一個人の好き嫌いに過ぎないのではないでしょうか?それに下手だったら、ウィーン・フィルの母体のシュターツ・オーパーの音楽監督になれる筈がないでしょう。--Lemon pie 2006年10月21日 (土) 13:53 (UTC)[返信]

文化勲章[編集]

文化勲章を授与される予定であったが、授与式当日、昭和天皇の前で断り、辞退した。

との記述を挿入しようとされている方(あるいは詳しい資料をお持ちの方)へ質問です。小澤はこの文部科学省の広報にもあるように平成13年になって文化功労者認定されている位で、昭和の時代に文化勲章授章とは考えにくいのですが。何をソースにそうおっしゃっているのか、このノートで示して下さいませんか。--にごう 2006年4月29日 (土) 00:59 (UTC)[返信]
文化勲章は原則的に文化功労者またはノーベル賞受賞者から選ばれます。平成13年に文化功労者認定されていますので、全くのデタラメです。参考:文化勲章受章者の一覧--124.147.77.221 2006年9月6日 (水) 05:59 (UTC)[返信]

小澤征爾の記事全体ですが余りにも主観すぎます。好き嫌い・良い悪いを別にしても普通は一コンサートのいちいちプログラム全体を取り上げて書いたりしません。オケの常任の経歴も何度も書かれているのでしつこすぎます。もっと冷静な目でごく客観的に進められないでしょうか?--195.93.60.38 2007年1月12日 (金) 16:51 (UTC)[返信]

小澤征爾について[編集]

最近では、サイトウ・キネン・オーケストラとベートーヴェンの交響曲全集録音に取り組み、すでに2枚リリースされている。98年には、長野オリンピックの開会式で、ベートーヴェン交響曲第9番を演奏、その存在を、改めて世界にアピールした。 --以上の署名のないコメントは、58.93.84.138会話/Whois)さんが 2007年2月28日 (水) 03:13 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

近況について。[編集]

2007年4月、5月、ベルリンフィルにて指揮をされています。 --以上の署名のないコメントは、Kotosaka会話投稿記録)さんが 2007年4月22日 (日) 15:29 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

メイズルス兄弟のドキュメンタリー「OZAWA」について[編集]

2007.10.8時点でのWikipedia日本語版「小沢征爾」の項目では、N響事件の項に「1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー(2007年9月にサイトウキネンフェスティバルの企画として、NHKで放送された)」との記述がありますが、誤認した記載であるか、または誤認を招来する表現かと思います。 このフィルムは、当時コロンビア・アーティスツのピーター・ゲルブがエグゼクティブ・プロデューサーを務め、アルバート&デイヴィッド・メイズルスが16ミリ映画として演出・監督したもので、アメリカのテレビ局は直接制作に関係していません。共同制作に加わったテレビ局はフランスのAT2、ドイツのZDF、日本のNHKで、当時日本でもNHKが放送し、CBSソニーがパッケージ商品を発売していました。 また、ドキュメンタリーの映像も、主としてタングルウッド・フェスティヴァルでの若手の指導やマーラーの第2交響曲の演奏を軸に構成されており、齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったドキュメンタリーとは言えません。 ---- Kuzu --以上の署名のないコメントは、211.14.90.209会話/Whois)さんが 2007年10月8日 (月) 08:52 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

齋藤による指導[編集]

経歴のところで

秋山和慶、山本直純らと共に齋藤の下で厳しい指導を受ける。

という記述があるが、6才違いの秋山と、小澤のダブル時期はほとんど無く、あってもほんのわずかのはず。 小澤、山本とグループでレッスンを受けていたのは岩城宏之らです。

秋山を岩城に直したのにまた戻されてしまっています。 --以上の署名のないコメントは、210.166.19.240会話/Whois)さんが 2008年7月6日 (日) 01:11 (UTC) に投稿したものです(chocoyoshiによる付記)。[返信]

「共に」という表現に曖昧さを感じました。「同一時期に一緒に指導を受けた」という意味での「共に」なのか、「時期は異なるが、同一人物に指導を受けた」という意味での「共に」なのかが曖昧です。また、「のはず」ではなく、秋山と小澤が指導を受けた時期が異なるという出典、および、岩城や山本が指導を受けた時期が同じであるという出典を探し、それらを提示すべきでしょう。また「『厳しい』指導」という表現も如何なものかと。--Daddy t3 2008年7月6日 (日) 20:20 (UTC)[返信]
小澤、秋元、山本の3氏が齋藤秀雄氏の下で指揮法を学んだ記述は、山本直純氏の著作「紅いタキシード(東京書籍)」に書かれています。齋藤先生の指導法があまりに厳しく、指導中に怒ってしまった齋藤秀雄宅の窓から裸足で逃げ、その後、齋藤氏の奥様が靴を持ってきてくれた記述も書かれています。なぜ3人でのレッスンかというと、2人がピアノで連弾し、残りの1人がピアノを指揮する指導法をとっていた為、3人そろわないとレッスンがうけられないことからです。山本氏がよくサボったため、秋山氏が山本宅へ迎えに行ったエピソードが記述されています(山本氏は、齋藤先生があまりに怒るのでレッスンを半年ほどサボったとあります)。それゆえに、この記述は正しいです(山本氏の著作内容が正しければ)。情報源を付け加えておきます。--Fx4 2008年12月16日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

レジオンドヌール勲章の受章について[編集]

レジオンドヌール勲章記事にありました受勲者のリストを廃止することになりました。情報量を減らさぬため、リストに名前があるが、御本人の記事には受章の記載のないものについて、ノートでお知らせを致しております。あくまでリストに名前があったというだけで、本当に受章しているかの裏付けは取れておりません(これがリスト廃止の理由です)ので、ご確認の上で、記事に受章事実を記載するかなどをご検討頂ければ幸いです。以下はリストに記載されていた内容です。--Igitur 2010年4月15日 (木) 16:15 (UTC)[返信]

引揚者?[編集]

「日本の引揚者」のカテゴリに含められていますが、引揚者とは当該記事によると「日本軍の敗北に伴って日本本土に還った者を指す」とのことなので、1941年に日本へ戻ってきた小澤一家は「引揚者」に該当しないかもしれません。--Gordian Knot 2010年4月30日 (金) 16:24 (UTC)[返信]

昭和16年に引き揚げとあるが、本当にそういうのか疑問です。向こうで生まれたので帰国にもあたらないし。--Ichiro Kikuchi 2012年1月21日 (土) 22:10 (UTC)[返信]
追加、小生は昭和18年、家族と別れて単身で親戚に学童疎開をしたので、学童疎開かな。--Ichiro Kikuchi 2012年1月21日 (土) 22:16 (UTC)[返信]
Wikipediaによると:疎開(そかい)とは、軍事作戦において、集団行動している兵を散らし、攻撃目標となり難い状況を作りながら作戦行動を行なう事を言うのが原義である。日本語では第二次世界大戦中に日本政府が非戦闘員・産業を戦禍から免れさせる政策も含めて言う様になり、現在では一般に戦禍を避けて移動させる政策を指す。これでしょう。--Ichiro Kikuchi 2012年1月21日 (土) 22:26 (UTC)[返信]

著作権問題調査依頼[編集]

この差分で記述された内容が外部から転載に見えますが、念のため検索で確認したのですが、私による検索条件での検索ではどのサイトからのものなのかが確認できませんでしたので、可能でしたら別の利用者側で調査をお願いします。場合によっては特定版削除が必要でしょう。--海ボチャン会話2019年3月23日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

  • 著作権侵害では無いものと思量します。執筆者ご本人と思しきブログで同じ記述を確認することが出来ますが、ご自身でWikipediaに投稿したと言明していらっしゃいます。同ブログで他のエントリを確認すると〈タイム感〉と山括弧で囲む記法や必ず○○氏と書く等、書き癖は同じです。なおlivedoorニュースのパブリック・ジャーナリスト(同社の有料研修を受けた一般投稿者)としては比較的知られた方の様ですが、それ故に音楽等の専門家では無い方であるとも判ります。残すなら自著作物持ち込みの手続きをご案内するべき(多分WP:SOCK#NOTIFY必要かも)ですが、WP:NOTESSAYに基づいて除去で宜しいのではないでしょうか。
ついでにひとつ。依頼前に該当ノート頁で提議し、そちらへのリンクを付けてください。ここで提議されるとここで続けるしかないんですが、本来の進め方ではありません。--LudwigSKDiskussion/Beiträge2019年3月25日 (月) 06:57 (UTC)[返信]
返信 (LudwigSKさん宛) コメントありがとうございます。ところで確認したいのですがということはこれは自著作物の持ち込みと判断してよいのでしょうか?だとすれば当該投稿者に対してWikipedia:自著作物の持ち込みを案内する必要が出てきますが。--海ボチャン会話2019年3月25日 (月) 09:29 (UTC)[返信]
今回の場合、要らないんじゃないですか?今後を考えれば色々とご指導いただいた方が良いのでしょうけれど。ブログの当該エントリはそのタイトルからして「Wikidepiaに変更を書き込む。」というものですから、自著作物の持ち込みに必要な手続きは全うしていると看做して良いものと思量します。--LudwigSKDiskussion/Beiträge2019年3月25日 (月) 23:37 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。それでしたら今回は当面様子を見て新たな動きがあり次第コメントや依頼の必要があれば改めてそれをすることにします。--海ボチャン会話2019年3月27日 (水) 11:29 (UTC)[返信]