ノート:小川博司 (社会学者)

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妻との死別に関する記述について[編集]

妻との死別の件についての記述が、IP氏により「たんなる私生活一つ一つを立項してはキリがありません。:Wikipediaは情報を無差別に収集する場所ではありません。」とのコメントとともに削除されました。しかし、この件について、小川は典拠として示したサイトにおいて実名で経験を語っており、またそれは、社会学者という立場と無関係ではないと考えます。記述は復活させましたが、もし、この除去の編集を行なわれたIP氏に限らず、この部分について除去が必要であるとお考えの方がおいでになるようであれば、なぜ「単なる私生活」についての「情報を無差別に収集」する行為にあたると判断されるのかご説明ください。よろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年3月7日 (木) 22:01 (UTC)[返信]

「小川は典拠として示したサイトにおいて実名で経験を語っており、またそれは、社会学者という立場と無関係ではないと考えます」というのは単なる思い込みです。百貨辞典の記述としてなぜふさわしいのか示す必要があるでしょう。実名で語ったことを情報を無差別に収集する場所ではありません。
ひょっとしたら、老いた妻を捨ててせっせと新しい女と再婚した人にとっては美談に見えるのかもしれません。しかし、ウィキペディアはほかのサイトや文献の丸写しして成り立たせるサイトではありませんし、そのような行為で質の高い百科事典は作ることはできないでしょう。
ウィキペディアは遊び場ではありませんし、あなたのメモ帳でもありません。しかしあなたが一度編集ボタンを押せば、それは誰でもが閲覧できる状態になります。しかも基本的にあなたが削除することは出来ません。編集がウィキペディア上に反映されることは、もしかするととても楽しいことなのかもしれませんが、一度立ち止まってここがどういう場所なのかお考えいただくほうがよいと思います。--182.249.242.156 2013年3月10日 (日) 14:24 (UTC)[返信]
編集合戦になるのは本意ではありませんので、ここでは編集は控えた上で議論を優先したいと考えます。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」には「この方針の冒頭でも説明したように、単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。ウィキペディアの記事は以下のようなものであってはなりません。」とあります。以下に例示されている4項目のうち、「フィクション作品におけるあらすじのみの解説」「歌詞のデータベース」「統計の過剰な記載」は本件とは明らかに無関係です。問題とされているのは4番目の「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」であるはずです。そこに記された全文は次の通りです。「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです[11]。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」つまり、IP氏が仰ることに理があるとすれば、山田が出典を示して行なった記述が<適切な分量で配置>されていない、ということでしかあり得ません。もし、IP氏のご趣旨が、山田の記述が過剰である(量が多すぎる)ということであるなら、なされるべきなのは、冗長な記述の圧縮であって削除ではないはずです。
一週間ほど待って特にご異論がなければ、記述を復帰させます。また、他の方々のご意見を伺うために、コメント依頼に本件を出しておきます。--山田晴通会話2013年3月17日 (日) 15:47 (UTC)[返信]
編集履歴を見ても、小川博司氏への嫌がらせ目的での投稿と推測されます。Wikipedia:存命人物の伝記の観点から除去されるべきです。
ひょっとしたら、老いた妻を捨ててせっせと新しい女と再婚した人にとっては美談に見えるのかもしれません。しかし、ウィキペディアはほかのサイトや文献の丸写しして成り立たせるサイトではありませんし、そのような行為で質の高い百科事典は作ることはできないでしょう。
ウィキペディアは遊び場ではありませんし、あなたのメモ帳でもありません。しかしあなたが一度編集ボタンを押せば、それは誰でもが閲覧できる状態になります。しかも基本的にあなたが削除することは出来ません。編集がウィキペディア上に反映されることは、もしかするととても楽しいことなのかもしれませんが、一度立ち止まってここがどういう場所なのかお考えいただくほうがよいと思います--182.249.242.168 2013年3月17日 (日) 16:14 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から来ました。記事内での著書から判断するに、この記述と社会学者としての活動は関係が薄いように判断できます。また、WP:BLPより「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」が該当するように思えます。出典は明るいニュースでなく「がんサポート情報センター」なので、「積極的に公開」というよりは「公開しても構わないが慎重を要する」ものと判断します。この人物の特筆性は「社会学者」のみだとすれば、社会学者としてのこの人物を知るのに、絶対に必要である記述とは判断できません。本人がこの記事を読んだ際に、死別した家族の記述があった方が良いのか、無い方が良いのか、それは私にはわかりませんが。182.249.242.168様へ、「嫌がらせ目的」と判断する根拠は何でしょうか?Wikipedia:個人攻撃はしないなど案内するまでもないはずですが。--JapaneseA会話2013年3月17日 (日) 16:28 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます。JapaneseAさんのコメントを読み、自分との見解の相違があることに気付きました。もちろん、山田の方がこれまでの慣習的なルールから逸脱しているかのもしれないと認識した上でのことなのですが、仰るように、<この人物の特筆性は「○○」のみだとすれば、○○としてのこの人物を知るのに、絶対に必要である記述>以外は無差別に収集された情報にあたるのでしょうか? もしそうであれば、芸能人などの人物記事にしばしば見える血液型などの情報は、その人物の芸能活動とどう関わるのでしょうか? あるいは、例えば「山田晴通」の記述に見える、容貌や父親に関する記述は山田の特筆性とどう結びついているのでしょうか? 少なくとも、山田はJapaneseAさんと同じようには考えていません。あるいは、何か重大なルールなり、どこかでの合意を見落としているのかとも思いますので、お考えの根拠とされているルールなり合意の記述がありましたら具体的にご教示いただければ幸いです。よろしくお願いします。--山田晴通会話2013年3月17日 (日) 19:29 (UTC)[返信]
      • 誤解を招くような発言ですみませんでした。程度問題だと考えています。野球選手の記事で、野球1割でそれ以外が9割ならおかしいですし、かといって野球10割でないとダメ、とも考えていません。以上、答えになっているでしょうか?--JapaneseA会話2013年3月18日 (月) 10:25 (UTC)[返信]
        • コメントありがとうございます。当該リンクをたどっていただければお分かりのように、リンク先の記述は,公開の重大性を十分に理解した上で一般的にはプライバシーに当たる内容を公開しているものと思います。情報公開や、インターネットの特性といったことも含め、メディア研究者である人物が公開の危険性に無理解でこうした情報の公開に同意したとは考えにくいと思います。確かに、現時点で、同人がこうした経験を踏まえた論文を公表しているといった事実は確認していませんが、一般人ではなかなか踏み切れない情報発信をしているという事実が社会学者/メディア研究者としての活動と無関係ではないと山田は考えています。ちなみに、IP氏によるこの編集で、問題とされた箇所が削除される前の初版の記事は3,339バイト、削除された分量は642バイトでした。野球選手の記事で、野球8割でそれ以外が2割ならおかしいでしょうか?--山田晴通会話2013年3月18日 (月) 11:20 (UTC)[返信]
          • 野球8割でそれ以外が2割なら別に問題ないと思います。話こんでしまってすみません、私などより他の方の御意見の方が参考になると思いますので、この辺にして、後はコミュニティの決定に一任します。--JapaneseA会話2013年3月18日 (月) 11:35 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼を拝見してまいりました。編集除去が望ましいと考えます。
今回の件は、記事主題の人物の配偶者についての記述ですが、出典元を見る限り亡くなった事実そのものについては公開されており、プライバシー侵害には該当しないと考えます。しかし、当該配偶者は著名人ではありませんし、記事主題となる人物本人の業績に密接な関係もないのであれば、記述自体が不要でしょう。この記事は小川博司氏を主題としており、小川氏の奥様を主題としているわけではありませんから、わざわざ記載する必要性はないと思います。たとえば、『そうか、もう君はいないのか』を著した城山三郎氏ですとか、あるいは、江藤淳氏のような場合は、記載することも理解できますが、そうでなければ原則不要でしょう。出典さえあれば何を書いてもよい、というわけではありません。
また、ここは小川博司氏の記事について議論する場ですから、直接関係ない議論をなさる場合は別の場所でやったほうがよいと思います。たとえば、山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さんの「芸能人などの人物記事にしばしば見える血液型などの情報は、その人物の芸能活動とどう関わるのでしょうか? あるいは、例えば『山田晴通』の記述に見える、容貌や父親に関する記述は山田の特筆性とどう結びついているのでしょうか?」という指摘については、ここでの議論に関係しないことだと思います。記事主題の人物の著名でない配偶者の生死について記述してよいか、という論点と、記事主題の人物の血液型について記述してよいか、という論点は、特にリンクしていないでしょう。血液型の記述が許されるからといって、著名でない配偶者の生死についての記述が許されるわけでもありません。他の記事を引き合いに出したところで、単なるスピード違反者の論理に過ぎないと思います。同様に、IP:182.249.242.168会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは「小川博司氏への嫌がらせ目的」というのは明確な根拠があるわけではない主張ですし、話が脇道に逸れてしまいますので、その点ご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi会話2013年3月19日 (火) 00:17 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。どうやら山田は基本的に包摂主義に傾いていますので、Nnkrkrhhdiさんを含め、皆さんよりも、どんな記述が盛り込まれてよいかという判断の範囲が広いようです。特に、ルールを無視して無差別に情報を盛り込んでいるつもりは全くありませんが、今後また山田が記事を作成した場合には、同様のことがあるかもしれません。その都度また議論をしていただくかと思いますが、よろしくお願いいたします。
Nnkrkrhhdiさんのご意見も踏まえ、当面、性急に記述の復活を求めることはしません。ただし、除去された部分の出典であるリンク先の記述には、医療社会学分野の研究論文等を発表していた妻の論文を本にまとめると最後に約束したといったくだりがあます。仮に近い将来にこれが実現して、小川本人が明確に関わる形で書籍化されるといったことがあれば、城山や江藤の例に準じるものとして記述の復活を提起することもあるかもしれません。その場合には、またご議論いただければ幸いです。--山田晴通会話2013年3月20日 (水) 20:26 (UTC)[返信]
コメント 山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さん、コメントありがとうございます。ご説明なさっているような書籍化等が実現された場合は、記事主題となる人物本人の業績にも関連する可能性はあるでしょうから、その際はまた改めてご検討していただくことになると思います。
ただ、山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さんは包摂主義に近い考えをお持ちとのことですが、そうであったとしても今現時点の状態でこのような記述を掲載するのは難しいと思います。当人についての記述であれば、包摂主義を唱える方々が存続を主張なさるのもわかります。しかし、当人ではなくその配偶者についての記述だということならば、記事主題についての記述ですらないわけですし、包摂主義をお考えの方であっても存続を主張なさるのはかなり無理があると思います。議論の中で血液型が例として挙げられましたが、たとえば記事主題の人物の血液型についてなら(いい悪いは別として)残せと主張なさる方がいてもおかしくないとは思いますが、記事主題の人物の配偶者の血液型についてなら、当人に纏わるよほど何らかの事情がない限り書く必要はないでしょう。今回の事例は、記述主題の人物の配偶者の生死や死因についての記述ですが、今現時点では記事主題の人物本人の業績に密接な関係があるとは言いきれないようです。ですので、山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さん仰るように、書籍化等が実現された際に、改めて検討するということでよいかと思います--Nnkrkrhhdi会話2013年3月30日 (土) 12:59 (UTC)[返信]
コメント人物記事に家族構成があるのはありふれたことじゃないですかね。私も、「私生活」節などとして結婚しているかどうかとか、子供が何人かとかよく書きます。特に家族に有名な人がいる場合はそうですね。こういう情報は新聞なんかのインタビュー記事なんかでも確認できることがありますので、そういう第三者による言及がWP:RSにある場合は特に書く価値があるかなと思います。それで、この記事に関して考えて見ますと、ざっと新聞・雑誌の記事を検索した限りでは、そういう情報は確認できませんでした。というか、コメントなんかの類ばかりで、小川さんを大きく取り上げている記事がありませんでした。そういう状況を反映しているのかもしれないですけど、記事自体はまだ短くて、そういう状況で、奥さんのことを書くのはちょっと取り上げ方が大げさすぎるような気がしました。小川さんの在宅ホスピス体験があちこちの媒体で取り上げられてたら書く価値があると思いますけど、「がんサポート情報センター」でしか取り上げられてないとしたら、わざわざ取り上げるようなことなのかどうか、いまいち判断が付かないと思います。--Bugandhoney会話2013年3月26日 (火) 19:31 (UTC)[返信]
コメント 現時点で記述を復活させるべきではないという皆さんのご意見に同意した上で、一点のみコメントしておきます。山田が記述したのは、小川が「末期がんとなった妻を2か月以上も在宅看護した」という点に重点があります。こうした介護体験は誰もが経験することではなく、また、その経験が小川の研究者としての姿勢に関わりがあると考えて記述をしたということです。「当人ではなくその配偶者についての記述」をしたわけではありません。この点については、ご理解をいただければ幸いです。--山田晴通会話2013年3月31日 (日) 11:27 (UTC)[返信]
少なくとも私はその点を理解してますよ。メディアが小川さんを「奥さんをホスピスで看取った学者さん」というような扱いをすることは十分にありえますし、そういう文献がいくつか見つかるのであれば、そういう観点を記事に盛り込むべきでしょう。そうじゃなくても、本人がブログなどで積極的に公開していればプライバシーの問題はクリアできるかなと思います。もうちょっと文献を探してみるといいんじゃないですかね。--Bugandhoney会話2013年4月2日 (火) 18:13 (UTC)[返信]
コメント Bugandhoney会話 / 投稿記録 / 記録さんの仰るように、単なる家族構成にとどめた記載ならありふれているかもしれませんが、今回は著名でない配偶者の死因についての記載ですからかなり異例の記述だと思います。家族構成を列挙した記事は見かけますが、家族の死因を列挙するような記事はあまり見かけませんよね。記事主題の人物の死因なら当然可能でしょうし、記事主題の人物を説明するうえで欠くことができないのであれば著名でない家族の死因を記載することも可能だろうと思います。しかし、現時点では特にそういう状況ではありませんので、山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さんが仰るような書籍化が実現したタイミングで、また検討すればよいでしょう。また、山田晴通会話 / 投稿記録 / 記録さんから2か月の介護体験について異例なことだとの指摘がありますが、現代日本においては特段珍しいとも言えないだろうと思います。もちろん俗にいう「ピンピンコロリ」で亡くなる方もいますが、年単位で介護したり介護されたりという話は特に珍しいものではなないと思います。誰でも経験することではないと仰いますが、それはただ単に身の回りの存命中の方々がまだ健康なだけでしょう。介護体験についても、たとえば岡野雄一氏のような事例なら当然記載可能でしょうが、現時点ではまだそのような状況ではないと思います。記事主題の人物を説明するうえで欠くことができないのだというならその根拠が必要でしょうから、Bugandhoney会話 / 投稿記録 / 記録さんの仰るようにもう少し文献を探してみるというのも一つの方法だと思います。--Nnkrkrhhdi会話) 2013年4月7日 (日) 20:47 (UTC) あれ、岡野雄一氏ってまだウィキペディア日本語版では記事化されていないのですね……。--Nnkrkrhhdi会話2013年4月7日 (日) 20:52 (UTC)[返信]