ノート:小和田哲男

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

小和田先生の仕事を良く存じませんけど、この「評価」の描き方は、問題あるのではないでしょか。今川義元を優秀な政治家であると評するとか、偽書とされてきた甲陽軍鑑を真書と評するとか、これらは「再評価」と呼ぶべき、あるいは再評価と評されているのではないかと思います。それと、なぜこれらの史観が勝者側の正史を否定するのかも、文面からは理解できません。

妥当性はともかくとしても、典拠文献に基づいて執筆する基本原則からすればやはり問題ありますよね。--でここ 2008年1月31日 (木) 14:48 (UTC)[返信]

彼は、地元贔屓の異説・珍説が多すぎ。ろくに出典も示して解説していないし。今川義元への過大評価は、目に余る。正史では、信長に惨敗した凡人にすぎません。--Oplkiuy7654322 2008年2月6日 (水) 05:49 (UTC)[返信]

横から失礼。小和田氏が今川氏寄りの書き方をしている事は否定しませんし、著述の方向性に疑問がないとも言いませんが、「ろくに出典も示して解説していない」とは何を指しての事でしょう? 確かに典拠を書いていない本もありますが、学会で発表している論文にはきちんと典拠を記しています。小和田氏の著作を全部読まれてのご発言でしょうか? --202.223.85.87 2008年2月7日 (木) 03:15 (UTC)[返信]

わたしは小和田氏が信用に足る研究者であるかどうかの妥当性を問題にはしていません。基本原則たる典拠文献に基づいて出典を示せるのかどうかを問題にしています。学会誌の記念号などに小和田氏の仕事を総括したような記事があれば参照して書けますし、もし「異説珍説」を発表しているのであれば当然論争があるはずだと思いますし。「ろくに出典も示していない」と批判的見解を記す文章に出典がないことが、問題であると思われませんでしょうか?存命中の研究者記事が書きにくいのは承知の上ですが、このような疑問点を感じます。--でここ 2008年2月11日 (月) 04:05 (UTC)[返信]