ノート:始皇帝

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呂不葦とか子楚とかの話[編集]

呂不葦とか子楚とかの話をつけたしたいのだけれど、どのように書いたらいいのか難しいですね。--以上の署名のないコメントは、Yukichin会話投稿記録)さんが 2003年11月3日 (月) 16:13‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

==始皇帝に関連する人々==とかでもいいんじゃないですか? このあたりの話はどんどん書いていただきたいですね。私も大好きなので。0null0 16:16 2003年11月3日 (UTC)
なるほど。では、来週あたりにチャレンジしてみたいですね。Yukichin 16:46 2003年11月3日 (UTC)
もまだまだ足りないので、こちらと絡めてかかれてもいいかもしれませんね。0null0 16:49 2003年11月3日 (UTC)

もうちょっと分かりやすく[編集]

始皇帝とは、、、。もうちょっと分かりやすくならないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、218.133.229.173会話/Whois)さんが 2007年6月23日 (土) 13:36‎ (UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。[返信]

始皇帝が病弱[編集]

史記の抄訳や、漢楚の戦争(項羽と劉邦)関連の小説をかなり見ていますが、始皇帝が病弱という記述は見たことはありません。逆に晩年に仙薬で体調を崩すまでは、燕の刺客を長剣で惨殺したり、統一後全国をくまなく行幸を行い堅強であるような記述が多いです。もしソースがありましたら、ご提示いただけないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、Rikuzen gun会話投稿記録)さんが 2009年12月3日 (木) 15:33‎ (UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

始皇帝」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月1日 (日) 08:24 (UTC)[返信]

表現と構成について[編集]

表題の通り、表現と構成について他の皆様のご意見をお伺いしたいです。まず、経緯から説明させていただきます。7月6日からIP:240b:252:2c2:5f00::/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんによる編集が断続的に続いていました。私は当初それを意識することなく、その間に、『趙正書』についての加筆と見出しのタイトルとレベルの変更を行う編集特別:差分/84487112、編集意図は後述)をしたのですが、IPユーザーに「全体的に改悪されている」として差し戻し特別:差分/84511140を受けました。そこで私は履歴を確認したところ、IPユーザーによる一連の編集により不自然な表現になってしまっている箇所があると判断し、その修正を行った特別:差分/84518315のですが、それもIPユーザーにより差し戻しを受け、更に編集を行われました特別:差分/84518315/84529634

この間、先方の会話ページで私の意見を述べたのですが、私の会話ページに頂いたご意見を見る限り、先方は私の表現こそ不自然だと思われており、二人の話し合いで意見対立を解消させることは難しいと判断しました。編集合戦になるのは望むところではなく、またWP:VANWP:DEとも言い難そうであり、ここで皆さんの意見を伺おうと思った次第です。

かなり冗長にはなりますが、私が思う不自然な表現のうち、主なものを以下に挙げておきます。差分ページも参照。)

  1. 導入部:「秦王政として即位したのち、勢力を拡大し他の6国を攻め滅ぼして紀元前221年に中国史上初めて天下統一を成し遂げると、歴史上最初となる新たな称号「皇帝」に即位し、「始皇帝」と名乗った」→「即位して秦王・政に成った後、勢力を拡大し他の6国を攻め滅ぼして中国を紀元前221年に初統一すると、即位して史上初の皇帝「始皇帝」と名乗る」
    「初統一」としてしまうと、始皇帝個人や、秦という国にとって初めての統一、という意味にも取れてしまう。また、元々ある表現だが「新たな称号「皇帝」に即位」にも違和感がある。「即位」は称号に対して行うものではない。また始皇帝が「即位」したのは秦王になった時点であって、「皇帝」となったのは称号を改めたという意味が大きく、「即位」とは言い難いのではないか。「秦王・政」という部分もわざわざ諱を記さず単に「秦王」でよいのでは。
  2. 称号「始皇帝」節:「「皇帝」は、神話的な三皇五帝より二つの漢字を抜き取って作られた」→「神話上の三皇五帝を合成して「皇帝」と造語」、「嬴政は二つの文字「皇」と「帝」を合わせて新たに「皇帝」という言葉を作ったため」→「嬴政は「皇」と「帝」を合成して「皇帝」と造語したので」
    「神話的な」→「神話上の」は適切な修正だと思うが、「合成して「皇帝」と造語」は「合わせて作られた」くらいのほうが日本語として自然な表現に思える。また、「ので」は口語的な表現であり、文語的な「ため」のほうが百科事典の文章としては適切。
  3. 司馬遷が著した『史記』において、「秦始皇帝」と「秦始皇」の両方の表記を見ることができる」→「『史記』において司馬遷は「秦始皇帝」と「秦始皇」を遣っている。」、「「秦始皇」は「秦始皇本紀」章題で使われる」→「「秦始皇」は「秦始皇本紀」章題にて遣っている」
    「遣う」は使役の意味になるため、せめて使用の意味を持つ「使う」にすべき。加えて後者は、「「秦始皇」は」が主語なのだから「使われている」と受け身にしないと主語と述語が対応しない。また、司馬遷が行ったは著述というより編纂なのであるから「司馬遷が編纂した」のほうがよいのでは。
  4. 生誕と幼少期節:「秦の公子であった父の「異人」」→「秦の公子・父「異人」」
    記事中で初めて登場するのだから、これが荘襄王であることを補足したほうが親切。
  5. 「秦王を継ぐ可能性がほとんどない異人は」→「秦王に成る確率がほぼ無い異人は」
    「確率が無い」は文法的に不適切。

また、私の見出しに関する編集特別:差分/84487112も意図を説明しておきます。

  1. 生誕と幼少期節-その後節の見出しレベルの変更
    他の人物についての記事の多くで、こうした伝記的部分は「生涯」節に編入されており、それに合わせるため。また、読者にとって読み易くするため。
  2. 血筋に対する議論」→「呂不韋父親説」
    より内容を的確に表した題にするため。もっとも、「呂不韋父親説」にも我ながらやや違和感がある。他の候補は「実父に関する議論」など。
  3. 始皇帝王朝」→「統一王朝」、「経済その他」→「経済など」
    「個人名+王朝」、「〇〇その他」という表記に違和感があったため。
  4. 大土木工事」→「大土木事業」
    規模が大きく、「事業」のほうが適切と考えたため。
  5. 暴虐なる始皇帝」→「暴虐な君主として」
    この場合固有名詞より一般名詞を用いるほうが適切なように思ったため。
  6. 文化への影響」→「登場する作品」
    「文化への影響」だと、「始皇帝が、同時代や直後の時代の文化にもたらした影響」とも取れるため。

かなり長大になってしまい恐縮ですが、皆様のご意見はいかがでしょうか。--下北ソフィア会話2021年7月16日 (金) 04:50 (UTC)(2021年7月16日 (金) 05:24修正、2021年7月16日 (金) 07:31 (UTC)再修正)[返信]

報告他にも同様の事例が複数あることを確認したため、Wikipedia:コメント依頼/240b:252:2c2:5f00::/64を提出致しました。--下北ソフィア会話2021年7月16日 (金) 10:14 (UTC)[返信]
  • 導入部のみ意見します。
    • 即位は「位につくこと」なので、「秦王政として即位」も「即位して秦王・政に成った」もどちらもおかしいです。「秦王として即位」あるいは「即位したことで秦王政と記される」なら通じます。また皇帝も「ついた」よりは「名乗った」という方が正確でしょう。
    • 「初統一」ですが、これは史実として問題があります。秦が初となるのは中央集権国家としての統一であり、封建制ではなどが統一しています。導入部ではという文字は不要だと思います。
--たびびと551会話2021年7月17日 (土) 01:59 (UTC)[返信]
返信 (たびびと551宛) 前者については同意見ですが、後者に少し引っかかる点があるので(長さの割に大したことは言わないですが)意見させてください。それは「史実」ではなく「認識」の問題で、白黒はっきりつけられないのではないですか。つまり、殷周の体制を「統一」とみなすか否かは見方が分かれるところだと思われます。「周が統一した」という見方もわからなくはないですが、管見の限りそう書いた文献はなく、それほど一般的ではないように思います。(私見を述べれば、長江流域にあまり支配力が及んでいない殷周を中国の統一とみなすのは苦しいと思っています)対して、鶴間和幸『秦の始皇帝』(吉川弘文館、2001)では、「中国をはじめて統一した有能な君主像(p.1)」「中国史上はじめて成立した統一帝国(p.78)」とされており、また松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』(講談社、1985)では「中国史上はじめての統一国家が誕生した(p.154)」とされています。
(おそらく)一般的な「秦の統一が史上初」という見方をとれば、それは中国史の一大画期で、始皇帝を代表する業績といえます。そのため、導入文に「初」があってもよいように思います。その場合、鶴間本p.78に近い「史上初の統一帝国」のような表現をすれば、その前に統一があったという見方にも配慮した文になりそうです(「集権国家としての史上初」と解釈することもできるため)。もちろん、簡潔さを重視して、仰る通りに「初」を削るというのも一案とは思っています。--下北ソフィア会話2021年7月17日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

Infoboxの肖像画[編集]

Infoboxの肖像画を台湾故宮博物院所蔵の肖像画に差し替えました[1]。始皇帝は冕冠を廃止したので、冕冠をかぶる肖像画は本来は正しくはありませんが、以前のものは出典がいま一つ不明でふさわしくないと思います。--薔薇騎士団会話2024年3月12日 (火) 14:56 (UTC)[返信]