ノート:天領

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「北海地方」?[編集]

「北海地方」という表現はあまり耳慣れないのですが、当時の史料等による表現、あるいは日本史のなかである程度オーソライズされているような表現なんでしょうか。北海地方地方総監府へのリダイレクトになっています。(それが適切なのかどうかもわかりませんが。)--零細系統保護協会会話2013年2月9日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

「数値が明らかにおかしい」か[編集]

この編集については、一度リバートしました。

  • 元禄時代に400万を超え(『世界大百科事典 第2版』)
  • 元禄時代に400万に達し(『大辞林 第三版』)
  • 元禄年間には約400万(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
  • このように「400万」という数値は、(いくつかの条件付きではあるものの)一つの基準値として様々な辞典類で言及されていることからも、冒頭部での説明としてはそれほどおかしいものではないと考えます。もちろん、江戸時代といっても長く、その間にはいろいろ変遷があることも書かれているので、そこらへんは詳しく解説するべきです。が、まあ冒頭部でざっくり述べるぶんには悪くないと思います。
  • 「天領の規模の変遷と分布」節では「1842年(天保13年)」に「420万石・14%」という数値が、別系統の情報源をもとに示されています。冒頭部は「江戸時代」程度にしか年代を限定していないので、時期によって数値の変動はあるでしょうけれど、ある年における「420万石・14%」と、ざっくり「400万石・15.8%」というのは、「明らかにおかしい」といえるほどの齟齬ではないでしょう。

こうしたことから「明らかにおかしい」と言って出典付きの記述を除去できるとは断言はできない、と考え、リバートいたしました。利用者:Orichalcumさんは詳細なデータを加筆なさっていますので、これらの示されている出典の内容を「明らかにおかしい」といえるほどの情報源をお持ちなのであれば、それをお示しいただけないでしょうか。ただ、その情報源次第ではありますが、少なくとも上記の複数の出典からみると、「通説」として「400万」とすること自体は妥当そうであり、これと大きく食い違うような別の情報源があるならば、それは「新説」「驚くべき主張」「少数派の意見」になるかもしれません。そこらへんはWikipedia:中立的な観点を踏まえながら、バランス良く記述することに留意する必要はあるかもしれません。--柒月例祭会話2017年9月29日 (金) 16:37 (UTC)[返信]

石高の変遷の部分を編集していたため、リバートに気付きませんでした。明らかにおかしい理由は、日本の総石高と天領の石高が知られている時期は非常に限られおり(元禄郷帳(15%強)と天保郷帳(14%弱))、どちらも15.8%にはなりません。コトバクコトバンク(Britannica)がどこの数字を持って来て15.8%と書いたのか不明ですが、いずれにせよ、江戸時代の天領の石高は10%~16%と変動しており、15.8%と限定的に書いた部分を最初に持ってくるのは不適切です。同様に「全国68ヶ国中47ヶ国」というのも、江戸時代を通じてではないことは、それぞれの天領に関する詳細を当たれば間違いであることは明らかであり、このような詳しい分析はある史料、年度によったものとして別綱を立てて説明するべきであり、冒頭に持ってくるべき内容ではありません。あと、自分の編集は「元禄以降、幕府直轄領は全国で約 400万石あった。」ですから、むしろコトバクコトバンクから『世界大百科事典 第2版』、『大辞林 第三版』、『日本大百科全書(ニッポニカ)』に従った内容に修正したことになります。Orichalcum会話2017年9月29日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
手元の関連書籍を眺めたところ村上直『天領』(1965年)の引用から、15.8%のソースが安藤博嗣『徳川幕府県治要略』(1915年)であることに気付きました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980845/52
上によると、天保9年の天領が418万9171石5斗1升5合7勺に対し、大名・禁裏・公家・寺社の石高は寛文印知、旗本の知行は文化年間の数字を持って来て、合計で2224万3925石9斗6升2合、よって天領の割合は4189171.5157/(22243925.962+4189171.5157)≒15.8%
しかしながら天保であれば天保郷帳の3000万石以上が正しく、また寛文印知は1664年の数字であり、しかも多くの寺社領の抜けがあることが分かっております。よってコトバクコトバンクが引用した15.8%という数字は、大正時代の研究者が計算した結果でありますが、誤った仮定から計算されたものです。Orichalcum会話2017年9月29日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
なお大河内家記録に1651年~1715年の幕府直轄領の石高・年貢高の変遷の史料が含まれることが分かったのは1995年のことです。それまでは元禄時代の史料から漠然と江戸時代の早い段階から400万石だったと思われれいたのが、17世紀の大部分は400万石どころか300万石にも達していなかったという事実が判明したことにより、天領分布に関しては大幅な認識の改訂がなされました。よって1995年以降に出版された天領に関する書籍(大野瑞男、和泉清司など)と、それ以前に出版された天領に関する書籍(村上直など)では、江戸時代前半に関する部分の扱いに大分差が出ています。全国幕領分布に関しては正保・慶安段階では41ヶ国、元禄で48ヶ国、享保で47ヶ国、江戸時代を通じて天領が何らかの形で存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)のようです。Orichalcum会話) 2017年9月29日 (金) 17:48 (UTC)Orichalcum会話) 2017年9月29日 (金) 17:52 (UTC)Orichalcum会話2017年9月29日 (金) 18:07 (UTC)[返信]
情報ありがとうございます! お話はよくわかりました。ただ、
Wikipediaの大原則が「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」であることをご確認ください。
編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」
なるほど確かに「大正時代の」「誤った計算」だというお話については、私はOrichalcumさんを信用します。でも、ウィキペディアでは、「これは誤った情報なので書かない」としたり、我々執筆者が資料批判をすることは、ちょっと違います。
今回の場合には、少なくとも、たとえ誤りの可能性が高そうだとしても、信頼できる情報源で検証可能なのであれば、それは書くべきです。そのうえで、その情報と矛盾する別の情報源があることをも書くことで、あとは読者に判断を委ねるべきです。
ただし、どこにどう書くかは、考えどころです。確かに冒頭部で取り上げる必要はなさそうだ、ということにも同意します。「元禄年間に400万」という情報は、他の3つの辞典類が口を揃えて採用していることからも、この主題では冒頭で触れるに値するとみていいでしょうね。一方で、「15.8%」「国数」などは、他の情報源ではあまり触れられていないことから、いずれにせよ冒頭部で言及するほどのことではない、という判断は妥当だと思います。
それでも、どこかに「大正時代の研究では15.8%と算出されていた」などと書くことは、私は重要だと考えます。少なくとも『小項目辞典』で引用される程度には重要とみなされていた情報であり、書いておかなければ、読者が、関連情報源を眺めて「15.8%」という数値に行き当たった時に、「あれ?ウィキペディアの情報と違うぞ?」と疑問をいだくかもしれません。しかし「大正時代には・・・」と書いておけば、ああなるほどこれはそういう事情なんだ、と理解が深まるはずです。
その書き方については、いろいろ工夫の余地はあるでしょう。帰属化する、注釈を用いるなどの手法があります。ただし気をつけなければならないのは、我々執筆者自身の考察として書いてはいけないということです。「大正時代の研究ではこうだ」「一次史料ではこうだ」「近年の研究ではこうだ」と出典に基いて書くことはOKですが、「したがって大正時代の研究は間違いだ」と書くことはNGです。そう書くには、「大正時代の研究は間違いだ」と書いてある出典を示す必要があります。そういう資料批判を行っている情報源が無いならば、端的に事実(これこれにはこう書かれている)だけを並べ、あとは読者に判断させるという方式をとるしかありません。ちょっと難しいなと思うのは、お示しの『徳川幕府県治要略』(国会図書館)では、計算のもとになる数値は書かれていても、「15.8%」という書き方はされていないですよねえ。悩ましいです。ちょっとこれは厳密にはルール違反気味かもしれませんが、「<注釈>『小項目辞典』では15.8%[1]。『徳川幕府県治要略』にはこれこれと書かれており[2]、それを基に計算すると15.8%になる」みたいになっちゃうかなあ。
これは枝葉の話なのですが、示されている出典「ref name="kotobank"」は「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」だけを指す形で指定されています。なので、ここを修正しないままでは、「『世界大百科事典 第2版』、『大辞林 第三版』、『日本大百科全書(ニッポニカ)』に従った内容」とすることはできないです。(refの中身をちょっといじれば解決します)
それにしても、「郷帳」は一次資料、辞典類は三次資料なので、どちらも理想的な情報源ではないです(Wikipedia:信頼できる情報源)。二次資料を用いることが理想的とされています。私は直接確認していないので、これはOrichalcumさんだのみになってしまうのですが、いっその事、コトバンクを出典として採用するのをやめて、「1995年以降に出版された天領に関する書籍(大野瑞男、和泉清司など)」を出典に切り替える、としてはどうでしょう。そのうえで、注釈などを使って「大正時代の研究や『小項目辞典』ではこれこれのようになっている」と帰属化した書き方をするのがベストかなと思います。
これも本当に枝葉の話なのですが、「和泉清司『徳川幕府領の形成と展開』協友社、2011年」というのは、これですよね?だとすると、出版社は「同成社」ではないでしょうか?「協友社」でググるとモロにヒットするものがなさそうで、似たような名前の同人誌の印刷会社がヒットします。それだと「この文献は同人誌・自費出版の類で、信頼性が落ちるのではないか」と思われてしまうかもしれません。同成社ならばそこら辺の印象はだいぶ違うように思います。ご確認いただけないでしょうか?--柒月例祭会話2017年9月29日 (金) 18:42 (UTC)[返信]
項目の修正に関して、コトバンクではなくて専門書ベースを引用とする内容に修正することに同意します。ただ明日は一日中用事があるので、修正するとしても明後日以降になると思います。なお、15.8%ではなくて、15.9%という数字が村上直『天領』に表として登場します。あれ?と思い計算し直してみたら15.8%が正しく、丸め誤差次第で15.9%にも15.8%にもなります。ただ筆者本人も本文で15.8%や15.9%に触れておらず、むしろ勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」の方の内訳の方に筆を割いています。Orichalcum会話2017年9月29日 (金) 19:19 (UTC)[返信]