ノート:大学

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2005年以前のノート[編集]

大学のノートに書こうと思ったらこちらにリダイレクトされたのだけど、大学についてはこっちに書き込んでいいのかな。
本題。「学部と学科に別れており、それぞれに教員と学生が所属する」とあるんだけど大学院重点化大学は教員は学部じゃなくて大学院に所属してるんじゃなかったっけ?

ノート:大学一覧に書かれたSetomankoさんの発言をこちらに移動。tanuki_Z 06:00 2004年2月18日 (UTC)
あ、ありがとうございます(Setomanko 08:36 2004年2月18日 (UTC))

なんで大学名に限って英語を併記する必要があるのでしょうか? そもそも日本語版なわけで。--以上の署名のないコメントは、61.199.109.135会話/Whois)さんが 2004年2月27日 (金) 10:21 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。[返信]

それもそうですね--以上の署名のないコメントは、61.119.136.30会話/Whois)さんが 2004年3月21日 (日) 08:44 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。[返信]


単位制の部分で、卒業に関してなんですが、経済学部でも卒論を課さないところが多いと聞いています。特に国家試験なんかないように思うのですが、何か事情があるのでしょうか。Setomanko 02:57 2004年5月24日 (UTC)

国家試験自体は、大学の外でやるものですから、単位にはなりません。卒論を単位として履修させるかどうかは、各大学のカリキュラムの都合なんじゃないでしょうか。単位数をつけても最低限の単位数にしたり、数ヶ月で卒論が終わったことにしてしまうとか、3年次から卒論のゼミに入れてしまうところもあるようで、全体の単位数をどのくらいにするかという枠とにらみ合わせてのことだと思います。Mishika 03:17 2004年5月24日 (UTC)
書き方がよくありませんでした。医学部歯学部獣医学部薬学部法学部において卒論・卒研を課さないことと国家試験とが、記事中(単位制の部分)で関連させて書いてあります。この記述の上でも、国家試験が単位になるとはもちろん読めないと思います。けれども、、、この記述では、卒業単位に含まれる卒論・卒研が課されない例外的な事例として上の五学部が挙げられており、そして、その理由として国家試験との関連が述べられているのですが、そうだとすると、同様に卒論が課されないことがある経済学部も何かしら国家試験との関連があるのではないか、という疑問の生じる余地があるように思えます。Mishikaさんのお返事があるまでは、その点がはっきりしないままでした。お答えによると経済学部が卒論を課さない理由と国家試験との間に何も関連はないようです。
それを踏まえると、今の記事は少し書き足したほうがいいかもしれません。卒業単位として卒論を課さない学部があって、その中でとりわけ国家試験との関連が理由でそれを課さない学部があるのか、卒論を課さない学部はすべて国家試験に関連する理由でそうなのか、をはっきりわかるように書いた方がよいと思います。今の記事だと後者に取れるような気がします。Setomanko 17:10 2004年5月24日 (UTC)
薬学部は卒業論文を書かないと卒業できないのですが……。

日本の大学の成立と変遷について[編集]

教育を初等、中等、高等教育に分けるのならば、初等教育は読み書き算盤、中等教育は高等教育もしくは実社会にでるための準備教育、高等教育は研究者や社会のリーダー予備軍を養成するための教育機関であると思います。 明治維新前の高等教育機関としては、昌平講、私塾、壇林もクローズアップされてしかるべきかと思います。昌平講は名実供に徳川幕府の最高学府で、緒方洪庵の塾、松下松陰の塾も高等教育を実施している大学と同一視してもいいでしょう。また寺院でも仏教を学ぶわけですが、ヨーロッパの大学の多くが神学部を要しているので、僧侶の学問所である壇林も大学と考えられるのではないでしょうか。--Tom1967 2008年7月20日 (日) 10:23 (UTC)[返信]

ヨーロッパ人の大学像[編集]

「尤も、(西)ヨーロッパ人が観念するところの厳密な意味での大学は、アジアには存在しない。」とありますが、読者の視点から見て、意味がよくつかめません。ヨーロッパ人の大学像に関する具体的な言及があるとありがたいです。朝彦 2005年6月5日 (日) 13:46 (UTC)[返信]

学生生活について[編集]

「現役で大学に進学できた人の多くは2年次、1年浪人した人は1年次に成人式を迎える。ただし、わが国では難関校や医・獣医学部を中心に2浪以上して入るケースも珍しくなく、成人式に出れないまま大学生になる人は現在でも多い。」とありますが、大学に入学するのは18歳と定められているわけでもなく、20歳を過ぎてから大学で学ぶ人も大勢いるため、この記述はまるで18歳で入学しなかった人が劣っているかのような印象を与える、そうではないにしても一面的で不適切な記述だと思います。 また、「3年次からは、卒業後の進路を決めるための就職活動に入り始めることとなる。3年次に入ると、業界や企業の調査・研究・応募(エントリー)が本格化し、4年次に入る頃までに複数の有名大手企業の採用内定を得る運の良い人もいる。就職活動は4年次に入るとほぼ終了し、内定を得た学生は卒業論文・研究(に相当する作品)の立案・作成に力を注ぐこととなる。一方で、なかなか内定を得られない人もあり、卒業までに正社員としての職が決まらず、フリーター・ニートとなる人も増えている。」とありますが、これも、大学を卒業したら会社に就職するものと決まっているわけではなく、たとえば大学院へ進む人も多いですし、会社員として勤めながら大学に入学・卒業する人もいるわけですから、一面的に過ぎる記述ではないかと思います。 私は現在高校生であるゆえに大学について無知に等しいので、みなさんの意見をうかがいたいです。Four seasons 2006年2月21日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

不要な語(成人式など)を削り、例外的なことを省いて再構成してみました。MIsogi 2006年3月10日 (金) 12:19 (UTC)[返信]

日本の代表的な大学・学部の歴史変遷について[編集]

まだ出来ていないようなのでぜひ作っていただきたく書きました。 年表にしていただけると面白いと思います。もちろん主要大学に限りますけど、 例えば、年表を軸にこの年にこの大学ができて…、この学部はこの年にできたから 看板である、伝統がある…など、まとめていただけるとうれしいし、有益だと思います--以上の署名のないコメントは、219.11.198.71会話/Whois)さんが 2006年7月19日 (水) 15:58 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。 [返信]

一応、主要大学の起源について年表を軸に調べて載せました。まだまだ一部しか載っていませんので、他の大学についてもどんどん載せていただけるとありがたいです。--以上の署名のないコメントは、219.11.198.71会話/Whois)さんが 2006年7月22日 (土) 01:31 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。[返信]

スペースが限られている以上、この項目の中では一部の大学の変遷しか記述できず、それでは不公平になったり、無闇な編集合戦の契機を提供してしまうことにもなりかねませんので、「2.2 日本の代表的な大学・学部の歴史変遷について(年表)」についてはこの項目からは全て削除し、別項目を立てることを提案します。この項目では百科事典として「大学」一般を説明するものであるべきだからです。--86.31.204.30 2007年5月7日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

私は、この「日本の大学・学部の歴史変遷(年表)」を独立させ、すべての大学の年表をまとめたページを作るべきとの考えに賛成です。それは、このページが「大学」について、一般的項目を記載するところです。
また、この年表について、法令に基づいた大学の設立に限定すべきであります。つまり、専門学校(旧専門学校令に基づく学校)は年表から外すべきです。--兵庫大将 2007年8月16日 (木) 06:36 (UTC)[返信]

大学#日本の大学教育の節における主観や独自研究が疑われる編集について[編集]

Wikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:言葉を濁さないならびにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんに基づけば、大学#日本の大学教育の節は主観による内容や独自研究が疑われる内容が多く含まれているように思います。これらの記述に根拠があるのであればそれを提示するべきです。提示がない場合は、該当箇所は削除されるべきと考えます。具体的には、「「大学は遊ぶところ」というイメージが強い」というような明らかに主観的な記述、「遊び惚けても卒業できる」「卒業論文は、コピー&ペーストでも基準に達する」というような出典がない個人的主張、「〜といえる」「〜と考えられる」というようなWikipedia:言葉を濁さない#曖昧な言い方の典型例に該当する表現が見られます。--Nichibi 2008年12月29日 (月) 01:05 (UTC)[返信]

だったら、そこいらじゅうに出典タグを貼りまくったりせずに、あなた自身が問題と思われる当該部分を削除編集するか、まとめてコメントアウトして、反応がないなら後日削除するなどしてください。間違いだと思うなら、あなたには当該部分を削除する自由があります。要出典タグは、指摘して他人に削除させることで、削除に関して他人から批判を受けるリスクを都合よく回避するための免罪符ではありませんし、指摘するだけ指摘して、削除や編集を都合よく他人任せにするためのタグではありません。Chanchan2020 2009年1月17日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
他人に削除させて免罪符とする目的で要出典タグを貼っているのではありません。もちろん、私には削除編集する自由がありますが、Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へに書かれている趣旨「本件に関する利用者との議論」および「出典提示の機会を与えること」に基づいたものです。信頼できる出典が提示されれば(例えば、○○という書籍にそういう内容の記述がある、等)、独自研究ではなくなるのですから、そうなれば削除しなくてもよいのです。ずっと出典が提示されないままであれば、削除編集を行うつもりです。--Nichibi 2009年1月17日 (土) 11:04 (UTC)[返信]

レジャーランド化について[編集]

「大学の授業は私語が絶えない」のは、「大学のレジャーランド化に歯止めがかからない」にあたる。真面目に勉学に励めば、私語を発しない。学ぶ意志がないから、私語をする。私語を発する大学生が退学になった事実はない。退学どころか卒業できる。ご都合主義も甚だしい。--Wakayada 2009年1月18日 (日) 13:56 (UTC)[返信]

「総務省の調査で授業以外の勉強時間ゼロが53%」というのは産経新聞2007年11月26日付に掲載されている。」「大学の授業は私語が絶えない」というのも2007年05月21日読売新聞大阪版に掲載されている。「教育にも熱心にならざるを得ない状況」がこれである。週刊新潮2009年1月15日号に「私学助成は文部科学省の天下り対策」と述べているから、「質の高い大学教育推進プログラム」もやっぱり、天下りであり、教育力向上につながらない。--Wakayada 2009年1月19日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

3月5日付の日経には、大学進学の理由について「専門学校だと実習もあって忙しそうだから」。専門学校より大学のほうが楽なのは明らかです。--Wakayada 2009年3月15日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

何故、「レジャーランドから脱却しない」を削除するのか、理解できない。大学のレジャーランド化は事実なのに。--Wakayada 2009年3月23日 (月) 13:30 (UTC)[返信]

タグのベタ貼りについて[編集]

言葉を濁している等と明確な基準のないことをあげつらうタグを情緒的に貼るのはやめてほしい。どのような記述が言葉を濁しているのか?指摘するべき。また言葉を濁すとは、曖昧な表現で感情的な衝突を避けるために使う一つのレトリックなのだから、タグの表現として、そもそも変だろう。こういう、記事の信憑性を疑わせるタグを頭に貼るなら、少なくともノートで議論して合意を得てからにしてほしい。書いた人への礼儀じゃないのか?自分の意見の表明はタグではなく、先ずノートでしてもらいたい。--KAGEROU 2009年4月26日 (日) 16:23 (UTC)[返信]

各国の大学教育について[編集]

大学#各国の大学教育は、高等教育機関とごっちゃの部分があると思います(高度職業教育機関、たとえばグランゼコールは大学ではない)。該当節について高等教育#各国の制度日本の高等教育に転記を考えています。ご意見あればお願いします。--Soren Bradley会話2015年11月16日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

転記しました。--Soren Bradley会話2015年11月25日 (水) 11:17 (UTC)[返信]