ノート:大友皇子即位説

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秀逸記事選考[編集]

当記事は現在、秀逸記事選考で高評価を受けていて、賛成4票+条件付賛成1票+保留・反対なしの状況です。 条件付賛成の方からは、最終段・第二次世界大戦後、の「皇国史観を護った田中卓」を例えば「皇国護持の立場を貫く田中卓」と改訂することが提案されています。ご提案のとおりに改訂しても差し支えないと思いますが、いかがでしょうか?Coleus 2006年9月14日 (木) 00:25 (UTC)[返信]

「皇国護持の立場を貫く田中卓」は、大友皇子即位説とは関係ありません。田中卓は、皇位の所在は歴史の中心問題であるという認識(こういう見方が皇国史観です)から、この問題に取り組みました。皇国護持につながると考えたからではありません。「皇国護持の立場を貫く」としたり、耳慣れない「皇国護持史観」という言葉を使うと、そのあたりに誤解が生じかねないと思います。Kinori 2006年9月14日 (木) 01:20 (UTC)[返信]
私は皇国史観に関しては造詣がありませんので軽い気持ちで提案しました。いろいろな判断があるようですね。私はこれ以上立ち入りませんが、良い記事ですから何らかの解決策で秀逸入りできれば良いと感じています。Coleus 2006年9月14日 (木) 03:57 (UTC)[返信]
ご説明ありがとうございます。なるほどそういう意図でしたか。そうなると田中卓は確かに「皇国護持」には留まらない、より積極的な立場ですね。「皇国史観」という言葉は避けて通れないと納得しましたので、これから条件付きを外しにまいります。--monja 2006年9月14日 (木) 09:56 (UTC)[返信]

通過しました。 →Wikipedia:秀逸な記事の選考/大友皇子即位説

要約の「20世紀まで」という表現は不適切だと思います[編集]

「秀逸な記事」を見て覗きに来ました。私もこの説の支持者なので、「20世紀まで」という書き方には、引っかかるものがあります。現在は21世紀なので、この書き方だと「昔はこういう学説もあったが、現在では誤りと考えられている」というようなニュアンスです。しかし、本文を見る限りそういう趣旨ではないようです。わざわざ、「21世紀まで」と書くのもおかしいので、「江戸時代からとなえられている学説」とするのがよいかと思います。通りがかりで変更するのも失礼と思うので、そのままにしておきますが、よろしければ常連の方で変更いただければと思います。Penpen 2006年9月26日 (火) 03:25 (UTC)[返信]

存命の歴史学者で大友皇子即位説を唱える人はいないと思ってそのように書きました。もし違うなら書き改めなければなりません。最近の著書、論文で何かあるなら紹介してくれませんか。Kinori 2006年9月26日 (火) 06:52 (UTC)[返信]
確かに「第二次世界大戦後」の節に「大友皇子即位説を支持する研究者はいなくなった。」という文章がありますね。見落としていました。節の最後が「決着はついていない。」となっているので、大友皇子即位説に決着はついていないと誤読していました。Penpen 2006年9月28日 (木) 01:22 (UTC)[返信]
(誤読は認めたうえで)「歴史」の節の「21世紀初めの現在では即位はなかったとみる見方が有力である。」という表現と「要約」の「20世紀に至るまで唱えられた学説」という表現はすこしずれているような気がします。「要約」も「21世紀初めの現在では即位はなかったとみる見方が有力である。」という表現を使ったほうがよいと思います。(繰り返しになりますが、「有力でない説」というのと「誤りと考えられている説」というのはかなり違うと思いますので)Penpen 2006年9月28日 (木) 01:33 (UTC)[返信]
ぼかした書き方ですのでそう読まれたのは無理もないです。そういう方向で書き直します。Kinori 2006年9月28日 (木) 08:07 (UTC)[返信]
「20世紀まで」を削りました。誤りと論証された説ではありませんから、明快な否定もしずらいところです。Kinori 2006年9月29日 (金) 18:29 (UTC)[返信]

要出典の張り付け[編集]

Reference Walkerさんが片っ端から張りつけた要出典テンプレートを外させていただきました。参考文献は掲示してあります。Reference Walkerさんは他の記事にも要出典を張り付けるのを仕事にしているようですが、これではほとんど荒らしです。せめて、ある程度の歴史知識の上で「あれ」と思えるようなものについて尋ねるようにしてください。この記事のベースは『研究史 壬申の乱』で、自分の考えではこの問題に関する最良の書です。全体的にはそれが出典になるものと思ってくださって結構です。--Kinori 2007年5月30日 (水) 06:41 (UTC)[返信]

これだけのもので脚注がないのは違和感を抱きます。とくに本文中に個々の学説がなにに依拠しているのかが不明です。references 機能で脚注によってもう少し詳細に出典を明示されてはいかがですか? 英語版のガイドラインですが weasel word を避ける、というのがあり「という説もある」「と指摘されている」と非人称的ないいかたはせず、「と○○は唱えている」「指摘している」と論者を明確に出すことを推奨しています。手元に資料がないときなどにはつい便利で私も weasel word を使うことはままあるのですが、このガイドライン自体は有益な内容を含んでいると思います。--Aphaia 2007年5月30日 (水) 14:39 (UTC)[返信]
誰の説、という書き方のほうがいい場合が多いことには同意します。私自身、refタグの実装は歓迎するところで、不改常典ではそういうのを徹底して進めてみました(その結果として該当記事ではわかりやすさが犠牲になったような気もするのですが、それは今はおいといて)。しかしReference Walkerさんがランダムにテンプレートを貼ったことで、はたしてこの記事は改善されたのでしょうか。私には、読者にとっての改善を見付けることができません。もし読者が、ここは出典を必要とするところ、ここはそうではないところ、と読み分けてしまうようだと、記事の改悪があったことになります。ですから、ない版の方がどちらかというと良いのです。
そして、どうでも理解していただきたいのですが、ここウィキペディアで私は自発的に書くことを好み、指図されて書くのは嫌いなのです。記事を書かずに機械的にテンプレートを貼る人の指図で書くことはないのです。よって、Reference Walkerさんの指示に従ってKinoriが出典を書き入れることはありません。忘れたころに、というのはあるかもしれませんが。もちろん、Aphaiaさんか誰か他の人が出典を調べて書くのであれば、その方が今の記事より良いと思います。しかし、それは要出典テンプレートに触発されたからなのでしょうか。たいていの人は、[1]で私がしたように、テンプレートと関係なく、その時自分にできるところ、したいところを補強するのではありませんか。--Kinori 2007年5月30日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
私が調べて、というのは少し違うように思います。私が書いたものが何に依拠するか正確に提示できるのは、おそらく私だけであるように、Kinoriさんが書いたものが何であるか提示できるのは Kinori さんだけではないでしょうか。少なくとも私には他の方が書いたところに「出典」としてある文献の具体的な頁付けをするのは憚られます。何かが何かに依拠しているということを正確に言うにはそれなりの考証が必要ですから。--Aphaia 2007年5月30日 (水) 16:36 (UTC)[返信]
それはまた別の論点ですね。ためらう気持ちはわかりますが、記事の文章の根拠として他人が出典を付けることは可能です。具体例は挙げられませんが、ウィキペディアの歴史記事の中には、一般受けを狙った雑誌を元にしたものがかなりあるようです。百科事典の参考文献としては感心しないのですが、内容的に正しいことは多々あります。そうした場合に、その問題について良く知っている人が、内容吟味の上でまっとうな参考文献に変えることも、記事の改善のうちでしょう。議論するならその箇所の根拠として何が良い文献かをめぐって議論すればいいのです。初めに書いた人がゲーム解説本を参考にしたらその後もずっとそれでなければならないということはないでしょう。学説についても、その学説がちゃんと存在しており、調べる人がちゃんと調べているなら、当たりでなくとも外れでもない、適当な場所に落ち着くはずです。一通り知っているつもりだがそんな事実や学説に接したことはない、本当にあるのかということになれば、その時こそ記事から取り除くなり、要出典を貼り付けるなりすれば良いのです。--Kinori 2007年5月30日 (水) 18:26 (UTC)[返信]