ノート:国会議事堂

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日本の国会議事堂、中央塔部の部屋でダンスパーティーが行われた話とか、最近落雷で欠けた話など・・・

アメリカ合衆国連邦議会議事堂国会議事堂 (ドイツ)等への記事分割の手続きについて当方の不備があったこと陳謝いたします。以降、国会議事堂の記事の正確性と発展のためご理解とご協力をお願い致します。219.37.104.91 2005年9月1日 (木) 14:38 (UTC)[返信]

コメント頂きありがとうございます。自分も当初はLos688様の言われる通り考えてました。しかしドイツ語のサイトを読んで頂ければわかるのですが、ドイツでは建物自体のことは「Reichstagsgebäude」と呼んでいます。ドイツ語で「Reich」は「国」を意味し、「Reichstag」は「国会」または開設された帝政ドイツ時代(当時の国号はドイツ国)を反映して「帝国議会」とも訳されます。(ちなみにドイツ語で帝国は「Kaiserreich」。)この「Reichstag」は、ヴァイマル共和政を経て、1945年の終戦までそのままの名称でした。そして戦後ドイツ連邦共和国(西ドイツ)において開設されたのが「Bundestag」です。ドイツ語で「Bundes」は「連邦」を意味しそのため「Bundestag」は「連邦議会」と訳されます。しかし西ドイツ時代のボンにある議事堂のことは「連邦議会議事堂」とも呼ばれているそうで、それと対照的にベルリンにあった旧議事堂なので「Reichstagsgebäude」と呼ぶそうです。以上の歴史的背景とドイツ語の正確な翻訳性を考えて「国会議事堂」というタイトルに致しました。219.37.104.91 2005年9月11日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
了解。勉強になりました。本文中にもそのような注釈つけると良いですね。--Los688 2005年9月11日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

GHQのダンスパーティについて[編集]

注釈の中で「GHQが日本占領時に国会議事堂の中でダンスパーティを開いた事実はない」とありますが、もし可能であればその根拠となった文献などをお教え頂けないでしょうか?と言うのも、以前NHKで再放送された番組「NHK特集 国会議事堂」 (1985年製作)を最近見返しまして、その中で「国会議事堂の中にある展望室には終戦時にGHQの兵士が中に入り、英語の落書きを壁などに彫っていった。今でもその落書きは残っている」というコメントと、落書きの画像(あいあい傘など)が紹介されていました。ダンスパーティの事実までは分かりませんでしたが、少なくともGHQが国会議事堂の中に入っていたという事実はあったようです。--Newsliner 2007年8月25日 (土) 15:23 (UTC)[返信]

国会の衛視はダンスパーティーが行われたと国会見学の時に話をすることがあります。--立志堂 2007年11月5日 (月) 20:55 (UTC) 国会の衛視OBが国会内の参観のガイドをしているが、ダンスの練習をしていた。そして、現在は修復されたが英語で書かれた落書きを確かにこの目で見たと証言した。(2008年7月17日に自分自身の耳で聞いた)--立志堂 2008年7月17日 (木) 21:07 (UTC)[返信]

玉座[編集]

天皇が衆議院議長席上の玉座と参議院傍聴席の玉座についたことがない、という記述がコメントアウトされていますが、コメントで反証としている「写真」で天皇が着席されているのは参議院議長席上の玉座であって、記述の玉座とは別物です。--Extrahitz 2008年1月23日 (水) 00:47 (UTC)[返信]

転載元書籍についての検証[編集]

Wikipedia:コメント依頼/IP群による2005年の剽窃案件関連です。これも『実録首相列伝』(ISBN 4-05-603151-7)からの盗用でした。◆2005年9月13日 (火) 13:32 (UTC) の版番2950434で加筆された「現在、永田町に建つ……地鎮祭から17年が経っていた。」という文章は、『実録首相列伝』20-23ページ掲載の編集部著「国会議事堂 憲政の礎」のうち21ページ途中から23ページ途中までの部分をほぼ丸写ししたものです。◆転載元の「十七年が経過していた」を「17年が経っていた」に改変したり、転載元の複数段落を1段落にまとめたりするような些細な違いはありますが、転載元と版番2950434とでほぼ一文ずつ対応が取れます。以上ご報告まで。--侵入者ウィリアム会話2020年9月17日 (木) 23:44 (UTC)[返信]