ノート:和田家文書 (和田喜八郎)

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編集初期の体制議論[編集]

独断をするな--日野智貴 2010年5月14日 (金) 06:29 (UTC) いかが独断版。ちなみに和田家文書と総称されるものは、単に偽作であるだけでなく、大部分は古文書学でいうところの「古文書」としての形式を伴っていない。また、和田喜八郎の没後、間もなくして彼の家の直系は絶えており、したがって現在では和田家に伝わっているわけでもない。したがって「和田家文書」という呼称は実情を必ずしも正しく説明するものではない。現在、和田家文書と総称されるものの現存分は、藤本光幸の妹である竹田侑子が管理している。[返信]


もともと和田喜八郎の家に伝わった古文書と称するものの総称とされていた語は 「東日流外三郡誌」であった。<r ef>藤本光幸「『東日流外三郡誌』発刊にあたって」北方新社版『東日流外三郡誌』第1巻・1983年</ref>しかし、その後の構想の拡大で、明確に「東日流外三郡誌」以外の題を冠した古文書(実際には偽書)が和田喜八郎の手元からぞくぞくと出てくるようになった。「東日流六郡誌絵巻」「東日流六郡誌大要」「東日流内三郡誌」「北鑑」「北斗抄」「丑寅日本記」「奥州風土記」などである。 ただし、「東日流外三郡誌」と題さないそれらの文書も『東日流外三郡誌』と同じ筆跡や共通の用語、重複した説話を含んでおり、内容的には『東日流外三郡誌』の姉妹編とみなしてさしつかえない[1]

真偽論争がさかんに行われていた頃には、「東日流外三郡誌」と題するものとそれ以外の和田喜八郎が発見した古文書と称するものを合わせた総称として、関係者ごとに東日流諸郡誌・和田家文献・和田家史料・和田家資料・東日流誌・和田文書・和田喜八郎文書などさまざまな名称が用いられていた。また、和田喜八郎が論文・写真の盗用で訴えられた民事裁判の判決文では青森地裁・仙台高裁とも、裁判に関連した文書群を「『東日流外三郡誌』等」と呼んでおり、「和田家文書」の呼称を用いることはなかった。

しかし、その後、『新・古代学』『なかった』など、古田武彦の支援団体が関与した刊行物および、それらの刊行物における古田の主張に反論する内容の著作・論文などでは「和田家文書」の総称が多用される傾向があったため、結果として現在、もっとも普及した総称とみなすことができる。

だが、現在でも「和田家文書」以外の総称が用いられなくなったわけではない。たとえば久慈力は「日高見文書」ないし「日之本文書」の総称を提唱し続けている。[2]

ちなみに、この語を最初に用いた藤野七穂は「(『東日流外三郡誌』等を)「古文書」と理解しているわけではない。・・・現在世間に公開されている和田家の資料は二次的編纂物であって、史料性の高い「文書」(もんじょ)とはおのずと区別して考えなければならないのである。ここでは、たんに和田家の書類【書き物】、すなわち「文書」(ぶんしょ)という意味で”和田家文書”と一括呼称することにしたい」[3]としており、この用語が学術的意義を持たない便宜上のものであることを認めていた。

  1. ^ 「『東日流外三郡誌」の姉妹編」という表現を最初に用いたのは『季刊邪馬台国』編集部である。「『東日流六郡誌絵巻』の種本があらわれた!」『季刊邪馬台国』53号
  2. ^ 久慈力『法隆寺ミステリーの封印を解く』現代書館・2009年
  3. ^ 藤野七穂「現伝”和田家文書”の史料的価値について」『季刊邪馬台国』52号

意移動の議論があるのに勝手にするな。--日野智貴 2010年5月14日 (金) 06:31 (UTC)[返信]

勝手にするなも何も、「東日流外三郡誌」ノートでこの項目を立てることを提案されたのは日野様なのですが(5月8日付のコメントにて)。--原田実 2010年5月14日 (金) 08:25 (UTC)[返信]

すみません。説明不足は認めますが、私が出した案は次の二つです。

1東日流外三郡誌をこの項目に移動

2この項目を新しく作ったうえで、東日流外三郡誌の項目を整理する

しかし、原田氏は東日流外三郡誌の項目の整理をせず、1の案の検討もしませんでした。説明あり次第反対はしませんが、1の案があるい以上は一週間前に予告が必要です。--日野智貴 2010年5月15日 (土) 05:26 (UTC)[返信]

ページ移動(改名)はなしの方向の合意ではなかったのですか。日野智貴さんの意図がはかりかねますが。 --ねこぱんだ 2010年5月20日 (木) 13:27 (UTC)[返信]

改名も必要ありです。・・・しかし、今は現状(猫ぱんだ氏の案に)に合意。因って議論終了とします。(モラズ氏やアンサイクロペディアんの意見が気になりますが--日野智貴 2010年5月21日 (金) 06:59 (UTC)[返信]

とりあえずウィキペディアのほかの項目のレイアウトに沿うようにしました。この問題には興味はあるのですが、所謂左右ネットワーカーが論争する項目よりかは軽度でしょうが、支持派からの攻撃がある可能性はあるとは思います。そのため逐次改善して行かなければならないと思います。--鯉華厨師 2010年5月27日 (木) 14:19 (UTC)[返信]

鯉華厨師様、修正ありがとうございます。--原田実 2010年5月28日 (金) 03:21 (UTC)[返信]

笠谷氏は「大学教授だった」ことはありません。国際日本文化研究センターは大学共同利用機関であって大学そのものではありませんね。それから、きちんとした論文でも著作でもないメモ程度のものに署名したというだけで信奉者扱いするのは、笠谷氏に気の毒です。--原田実 2010年5月31日 (月) 10:28 (UTC)[返信]

「中立的な観点」「独自研究」との指摘について、具体的な提示がなされないままなのでいったんテンプレートを外しました。--原田実 2010年6月28日 (月) 08:46 (UTC)[返信]

擁護派による原本発見の主張に関してですが「擁護派」「偽書派」などと言われたところで具体的に誰がいつどこを捜したのか(ペットボトル云々というのも推測ですね)これではわかりません。 明確にできない話で有れば削除も考えるべきかと思います。--原田実会話2012年3月9日 (金) 05:39 (UTC)[返信]


改名提案[編集]

()内は3文字程度が目安ですので、(喜八郎)はどうでしょうか。--112.70.46.44 2010年11月29日 (月) 05:53 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイドには「()内は3文字程度が目安」というルールは特にありませんね。実際問題として()が5文字の項目なら、瑞龍寺 (近江八幡市)慧照寺 (近江八幡市)東漸寺 (五所川原市)商店街循環バス (五所川原市) クルル (ケロロ軍曹)556 (ケロロ軍曹)ロビン (バットマン)と、すでにいくつもあります。田中芳樹 (プロデューサー)は7文字、奥田誠治 (映画プロデューサー) は9文字、ジョブ (ファイナルファンタジー)にいたっては11文字。さらに言えば、初恋の曖昧さ回避で()内5文字以上を数えようとしたら、きりがないですね。つまり3文字が目安だという主張はウィキペディアの実情と異なっており、その主張に基づく改名請求にはまったく根拠がない、ということです。 --原田実 2010年12月21日 (火) 05:29 (UTC)[返信]

それから「東日流系文書」は論外。いわゆる「和田家文書」には『北斗抄』のように「東日流」を冠しないものもありますし、そもそも、その呼称で呼んでいる人はいません。--原田実 2010年12月21日 (火) 05:33 (UTC)[返信]

連投失礼。試しに「東日流系文書」を””付きで検索してみたら、この項目の「改名提案」の個所しかヒットしませんでした。つまりは改名提案者以外に使う人はいないし、改名提案以前には提案者自身も使ったことがない用語ということですね(ちなみに私は紙媒体で見たことはありません)。--原田実 2010年12月21日 (火) 05:56 (UTC)[返信]

昨年12月に提議された改名提案に根拠がない、との指摘を行ってから1カ月以上たったわけですが、それについて特に反論がなく、また、新たな論点も出ていないようですのでそろそろ改名提案の削除を行ってもいい時期ではないでしょうか。--原田実 2011年1月23日 (日) 04:14 (UTC)[返信]

「古史古伝研究家」と同一人物。改名に賛成の理由を述べます。

  • 「和田家文書(x)」の形式の記事はすべてxの部分が三文字です。
  • すでに「和田家文書」とあるのだから、再び「和田某」と記す必要はない。

以上の理由で「和田家文書 (喜八郎)」を支持します。--異録文書研究科 2011年1月24日 (月) 06:31 (UTC)[返信]

  • 「和田家文書(x)」の形式の記事はすべてxの部分が三文字です。

たまたま3文字の地名が続いただけですね。 先にあげた「五所川原市」や「近江八幡市」のように地名でも三文字とは限りませんし、和田喜八郎関連の「和田家文書」は土地や和田家という家に帰属するものというより、和田喜八郎という古人に帰属するものですから個人名を挙げるべきでしょう。()内は見た目だけで無意味な形式にそってではなく内実に合わせた形で提示されるべきです。。

  • すでに「和田家文書」とあるのだから、再び「和田某」と記す必要はない。

和田喜八郎は天内家など他の家の古文書と称するものも偽作しています。ここでは和田喜八郎が特に和田家の古文書として作ったものである、ということを明確にするためにもフルネームで示すのが妥当です。 また、「古史古伝研究家」様と「異録文書研究科」様が同一人物であるとして、改名提案の内容がころころ変わるようではその意図さえ明確なものとは見えません。 そもそも、なぜ改名する必要があると考えたのでしょう。『東日流外三郡誌』関連では、無意味な改名や改名提案をくりかえして利用者に迷惑をかけただけでなく、 アンフェアーな行為を繰り返してブロックされた人物の前例があります。貴方はその人物の轍を踏まないように注意されるべきかと思われます。--原田実 2011年1月25日 (火) 06:54 (UTC)[返信]

そういえば、ムー大陸に関する記述が和田家文書にあるということですが、そのことが判明したのはいつでしょうか?原田氏の著作にあれば、教えていただきたいのですが。

改名提案を取り下げます。--異録文書研究家 2011年2月26日 (土) 04:01 (UTC)[返信]