ノート:同君連合

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>具体的には、1867年から1918年にかけて、オーストリア帝国とハンガリー王国が同君連合になっていた例(オーストリア=ハンガリー二重帝国)があげられる。オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねていたのであるが、オーストリア政府とハンガリー政府の上に二重帝国政府が置かれて、同君連合全体の外交・軍事などを管轄した。

ここの部分ですが、オーストリア帝国からオーストリア・ハンガリー帝国になったのはハンガリーに対する大幅な自治権を認めてドイツ人とハンガリー人による連邦国家になったもので、オーストリアとハンガリーがこの時はじめて同君連合になったものではなかったと理解しております。又ハプスブルグ家の当主はde:Liste der Könige von Ungarnen:List of Hungarian rulersで示されている通り、代々ハンガリー王位を継承してきたと思われるのですが、国際法的に見た場合、同君連合の形成は1867年からになるんでしょうか?Juyukichi 2005年2月9日 (水) 02:21 (UTC)[返信]

Juyukichiさん、はじめまして。ご指摘の部分を加筆した者です。
まず「君主として複数の国家の元首となること」と「複数のタイトル(王位・公位など)を帯びること」が必ずしも同じことではないということが言えます。ハプスブルク家の例で言えば、マリアテレジアは、ハンガリー王というタイトルこそ帯びていましたが、当時国際法上の主体となりうる「ハンガリー王国」はなかったでしょう。(もちろん概念あるいは地域区分としてハンガリー王国というは存在していましょうが、それは実存ではなく、ハンガリー王というタイトルに呼応したものに過ぎません。)それで、アウスグライヒによって、ハンガリー王国が主権国家として登場しますが、登場するとともにオーストリア帝国と協定を結んで主権の一部を二重帝国政府に受け渡したということなのでしょう。
なお今手元にある国際法関係の本を見る限り、全ての本で「1867年」からということになっていました。Auf 2005年2月9日 (水) 12:06 (UTC)[返信]

Aufさん。ご回答ありがとうございます。こちらこそはじめまして。
それでもう一つ質問なんですが
「国際法上の主体となりうる主権国家」
というのはどの程度のものを指すのでしょうか?といいますのもハンガリー王国ではハプスブルグ家から王を頂くようになって以降も身分制議会が存在して、国王の選挙を行うなどその機能は停止しておりませんでした。ボヘミアやモラヴィアでも同じです。これら在地の身分制議会は一応国権機関として定義されうるように思われるのですが。Juyukichi 2005年2月10日 (木) 09:40 (UTC)[返信]

何が「国際法上の主体となりうる主権国家」になるのかを定義するのはなかなか難しいことですね。
言い換えれば、主権をもつ国家と言うことになりますけれど、主権に含まれる内容として「対外的に従属しない」ということがあります。主権の考え方を初めて使ったとされるジャン・ボダンなぞは、「対外的に従属しない」ことを説明して、「ローマ教皇、神聖ローマ帝国皇帝あるいは他の領主の支配を受けない」としています。
ボヘミアやモラヴィアにおいては、国権機関はあったのでしょうが、それが独立至高のものではなく、ハプスブルク家に従属している点で、主権を発揮していなかったと考えられます。(二重帝国の場合は、オーストリアとハンガリーがそれぞれ主権をしっかりともっていることを認め合った上で、主権の一部を中央政府に委ねている点で違いましょう)Auf 2005年2月13日 (日) 09:21 (UTC)[返信]

物的同君連合[編集]

物的同君連合が誤訳であるとして英語に書換えられていますが、不適切だと思います。この説の提唱者は誰で、史学法学等でどのような評価を受けているのか提示して頂きたい。誤訳説が通っているなら代わりの用語もある筈だと思います。物的同君連合も人的同君連合も否定された概念ではなく英語に置換えるべきでないと思います。johncapistrano 2008年2月28日 (木) 08:10 (UTC)[返信]

差戻しました。異論がなければ節自体除去します。johncapistrano 2008年3月2日 (日) 13:45 (UTC)[返信]