ノート:吉良満義

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本稿の「観応の擾乱では終始直義側に立ち」の記述について[編集]

亀田俊和ほか(2021)『南北朝武将列伝 北朝編』p.123や『足利将軍と御一家 吉良・石塔・渋川氏』(2022)において谷口雄太氏は、観応2年正月に吉良満義が尊氏に自邸を宿所としてを提供したことから観応の擾乱の時の吉良満義は息子の満貞とは異なり、尊氏側であったと述べています。また西尾市の「吉良氏の歴史」のp.89「観応の擾乱と吉良氏」でも谷口氏と同様、吉良満義は尊氏ら将軍側だったと述べられています。こちらの「終始直義側」とする記述について削除・追記修正してもよろしいでしょうか。--会話2024年4月29日 (月) 03:33 (UTC)[返信]