ノート:吉田松陰

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当時の古文書・原書によると「吉田松蔭」と表記されているのが一般的です。

これは文部省常用漢字編纂による影響に拠る処が大きく願わくば【吉田松蔭】と表記をお願いしたいです。

この写真は、松陰ではないと、渡辺こうぞうがいっています。確定していないはずです。

上記の箇所を修正した者です。 「真偽は明らかになっていない」という以前に、そもそも「近代日本人の肖像」は「掲載した肖像の一部には絵画を撮影したものが含まれています。」(ご利用について | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/contents/rights.html )と書いてあるように、この「写真」も絵画を撮影したものと言わざるを得ません。試みに、同時代に撮影された横井小楠の写真と見比べると、松蔭の写真の画質があまりに綺麗すぎるのが分ります。あと、松蔭の羽織のシワのあたりを見ていただくと絵画であることが分かると思います。

吉田松蔭(拡大画像) | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/217_1.html

横井小楠(拡大画像) | 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/345_1.html

こういった肖像画を写真に撮って複製するのは、いわゆる「御真影」(ファイル:Meiji tenno1.jpg - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Meiji_tenno1.jpg )にも見えますし、また旧家の仏間に掲げられている物故者の「写真」などもその一例です。

本来「写真」は、photographの翻訳語だけではなく、伝統的な用法では「肖像画」を意味しましたから、『近世名士写真』という表現も絶対的に否定は出来ませんが、なんとも紛らわしいところです。ちなみに、この写真を広瀬豊が渡辺蒿蔵に見せたのなら、彼もこの「写真」ということばに引っかかったクチなのでしょう。--だるまストアー122.132.59.136 2010年7月13日 (火) 01:18 (UTC)[返信]

吉田松陰とテロリズム[編集]

「尊攘派のテロリズムや対外侵略のイデオローグという見方も近年多い」との記載は、そのような見方があるのかもしれませんが、中立性を欠いた偏った見方で、その具体的根拠も明らかでない上、吉田松蔭に対する一般的な評価ともかけ離れているように思われるので削除しました。再掲を望むのであれば、最低限出典を明記した上で、表題部分ではなく、目次に「評価」などの項目を設けて記載してください。--Shu-miya7070 2010年5月18日 (火) 13:19 (UTC)[返信]

テロリストという評価自体が一般的ではありません。歴史学者でもない一部の作家が、個人の価値観から主張している内容です。これが学界の定説なっている、あるいは歴史学を専門とする学会や博士がそういう主張をしているのならともかく、ただの作家による個人的な主張です。--Doom2111会話2015年9月1日 (火) 09:46 (UTC)[返信]

話題となった著作であり(現在もamazonでベストセラー)明治維新や吉田松陰を客観視する材料として記載すべきと考えます。私もこの著作は読みましたが、学者の本ではないにしろ、明治維新を否定的にとらえる本は珍しく、考えさせられるところはありました。坂本龍馬の記事に司馬遼太郎の人物評価が記載されてあったとしても、問題にはならないと思います。--G0mao会話2015年10月3日 (土) 05:01 (UTC)[返信]

司馬遼太郎の人物評価を挙げてますが、ハッキリ言って、これは人物評価ではなく政治的意図を含んだレッテル貼りです。この本は私も読みましたが、所々に著者の政治思想を絡めた主張があり、参考文献の書かれていない主張もあるなど、学術的な資料だとは思えません。いくら売れたのかは知りませんが、作家のレッテル貼りをそのまま書く必要はないと思います。「吉田松陰を批判する作家もいる」という文面ならまだしも、定説でもないテロリストという別称をそのまま載せ、そのレッテルを貼っているのが学術誌・学者ではなく作家であることも伏せているのでは、記事の閲覧者に吉田松陰はテロリストという印象を与えようとしているようにしか見えません。やはり評価の定まっていない個人の主張は取り入れないほうがいいです。--Doom2111会話2015年10月16日 (金) 11:59 (UTC)[返信]

テロリズムとは「何らかの政治的目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと」とのことですね。正当な政治的手段を用いずに、幕府首脳の暗殺という暴力に訴えた吉田松陰はテロリストの定義にあてはまります。明治維新にかかわる反幕府の活動家たちはほぼ全員、テロリストの定義にあてはまるのでは?しかし、日本におけるテロリストという言葉は、日本赤軍やIRA、イスラム原理主義者のような、現代に限定してた集団を指すことが多いので、違和感を感じるのかもしれませんが、定義通りに受け取れば、吉田松陰も久坂玄瑞もテロリストであると思います。--G0mao会話2015年10月17日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるをお読みください。いわゆるトンデモ本に書かれている個人的主張を記すのはやめてください。WP:NOTSOAPBOX#ウィキペディアはプロパガンダ宣伝の手段ではありません--ぽてから会話2016年6月20日 (月) 19:11 (UTC)[返信]
吉田松陰(松下村塾含む)の行為がテロリズムではない理由を教えてください。客観的で、納得できる回答を頂けるのであれば、編集は行いません。--G0mao会話2016年6月28日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
吉田松陰のいた時代には、テロリズムという概念は生まれていません。吉田松陰は、テロリズムの価値観によって行動していたわけではありません。それは、彼自身の著作からも明らかです。現代人が勝手に今の価値観でいろいろ言ってるだけの、いわゆるトンデモ本の類にはいる主張を書かないでください(トンデモ本を批判しているわけではありません。非常に売れているということは大変結構。ただし、百科事典に歴史評価を書けるだけの本ではありません。)いちいち、戦争で負けた側の国の元首に「戦争犯罪者である」などと書いたらおかしいことはわかりますよね。それは、後世の人間が勝手に本で書いてる場合はあるかもしれませんが、百科事典に記すべき評論であるとはなりません。--ぽてから会話2016年6月28日 (火) 16:44 (UTC)[返信]
テロリズムの概念は古くからあり近代テロリズムの概念はフランス革命時にはありますよ。実際、ジョーイローニンによるテロは欧米では広く報道されています。オールコックは東禅寺襲撃事件というテロを実際に経験していますし、このときの実行犯の一部が坂下門で安藤老中を襲撃していますね。幕末の天誅行為がテロでないというのはさすがに無茶でしょう。で、吉田松陰がテロリストかといえばそれはどうでしょう?大きなことを言っても実際には何もやってないんだから。周囲も相手にしていないし。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:10 (UTC)[返信]
その頃日本にテロリズムの概念は輸入されてませんし、吉田松陰はテロの概念とは異なる思想に基づいて行動してます。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 01:20 (UTC)[返信]
そんなことはありません。小関三英がナポレオン伝を翻訳して何十年たってると思ってるんです?高野長英が兵学書を何冊訳していたと思ってるんです?それらは写本で多くの大名旗本に広まってます。そして佐久間象山に師事した吉田松陰はそれらに触れる機会もありました。松陰がテロリストかどうかはともかく幕末にテロの概念が無いなんてことはない。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 01:35 (UTC)[返信]
つきまといはやめてください。ナポレオンや兵学書をテロとみなす独自な主張はここまでにしてください。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 01:46 (UTC)[返信]
何を言っているのですか?何処で何を編集するかは個人の自由です。貴方は小関三英の「ナポレオン伝」も読んでないのでしょう?いや小関三英すら知らなかったんでしょうかね?じゃあ幕末にテロの概念がなかったなんて独自研究に基づく編集はおやめなさい。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 02:01 (UTC)[返信]
ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません。58.90.60.122さんも、吉田松陰は、テロリズムといえるか疑問だということです。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 02:44 (UTC)[返信]

インデント戻します。「ジョーイローニン」をテロリストとする出典は海外新聞が英字新聞がありますのでそれを元に保護解除になれば追記しますから独自研究ではありませんので安心してください。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 02:57 (UTC)[返信]

それを出典に書いたら、完全に独自研究となります。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 03:02 (UTC)[返信]
当時の海外新聞を出典として渡米した際に記録に残した幕府役人村垣範正の二次資料もありますからご心配なく。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 03:52 (UTC)[返信]
「>で、吉田松陰がテロリストかといえばそれはどうでしょう?」--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 04:23 (UTC)[返信]
個人の意見はいらないでしょう。当時の英字新聞がテロリストと書き、それを元にした当時の二次資料があればそれで出典としては足ります。まさか遣米使節団の副使が残した一級品の資料がダメとか言わないでしょうね?基本幕末の記事貧弱すぎます。この吉田松陰の記事がいい例です。中立的な海外から見た資料、それを元にした研究書を元に記事を充実させるべきです。証明する資料は多々ありますのでご安心ください。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 04:29 (UTC)[返信]
「ジョーイローニン」に関する批評はこの記事には不要でしょう。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 05:11 (UTC)[返信]
ご安心ください。吉田松陰本人にも触れた海外新聞を元にした出典はありますから。いやあペリーの艦隊に密航しなけりゃ海外に名前は出なかったんでしょうがね。松陰以外では高杉晋作や久坂玄瑞はテロリストとして名前が残ってますね。維新政府に参加できた人間には海外マスコミも少しは遠慮したようですが。--58.90.60.122 2016年6月29日 (水) 05:24 (UTC)[返信]
古代ローマでは奴隷がライオンと戦っていた。当時は娯楽だったが、キリスト教的価値観が広がった現在では野蛮と考えられる。古代中国では、親が立身出世のために子供を食材として扱っていた(子供は再生産できる)が、現在では野蛮と考えられる。吉田松陰も同様です、現在の価値観にあてはめると、彼はテロリストであった。明治維新を否定できる自由が日本にも生まれたということでしょう。私は両論併記というかたちで、wikipediaに記載してもよい内容だと考えます。ソクラテス的な考え方では、明治維新や吉田松陰に否定的な考えがあって当然だと思いますね。さて、私をブロックしたければどうぞ。良識ある人々が私をそのような状態にさせるはずがないと思います。--G0mao会話2016年6月29日 (水) 12:15 (UTC)[返信]
古代ローマの奴隷がライオンと闘っていたのは21世紀の価値観からは野蛮と考えられるとか、古代中国の風習は21世紀の価値観からは野蛮と考えられるとか、モーゼが海を真っ二つにしたとかいうことは21世紀の科学をもってしても原理が不明だとか、イエス=キリストの奇跡は21世紀の科学をもってしても原理が不明だとか、現代のなんとかという霊能者はキリストを悪魔とみなしているとか、いちいちそんな後世の価値観は書かないでください。21世紀、22世紀・・・と価値観は時代とともに変わっていきますが、毎世紀ごとの価値観の変遷による評価をしるしていくのは、WP:IINFOです。当時の価値観ではこのように考えられていたという史実を中心に記してください。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 13:59 (UTC)[返信]
WP:CENSORです。不快に感じるおそれのある内容についての議論は、それが不快に感じられるかどうかという点ではなく、その内容を記事に含めることが適切かどうかという点に焦点を当てるべきです。さらに言えば、「不快なもの」だというだけでは、内容を除去する理由としては一般的に不十分です。あなたにとって、吉田松陰がテロリストという内容が不快でも、不快なものというだけで除去する理由としては不十分です。--G0mao会話2016年6月29日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
不快だからという理由ではありません。いちいち、専門家でもなんでもない現代人の評価を書くことは、WP:IINFOだからです。古代ローマでは奴隷がライオンと戦っていたことを現代の動物愛護団体が批判しているとかいうことを、いくらその動物愛護団体の著書で主張していたとしても、いちいち書くことはWP:IINFOです。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 14:33 (UTC)[返信]
WP:IINFOに挙げられている4つの事例に当てはまりません。フィクション作品におけるあらすじのみの解説、歌詞のデータベース 、統計の過剰な記載、変更履歴やリリースノート 。--G0mao会話2016年6月29日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
また、歴史研究家の一坂太郎も松陰をテロリストと批判する著作を書いてるようですね[1]。この方は山口福祉文化大学特任教授。--G0mao会話) 2016年6月29日 (水) 14:44 (UTC) refを除去。脚注ではなく本文で十分示せる内容です--アルトクール会話2016年6月29日 (水) 14:58 (UTC)[返信]


(インデント戻す) 両方とも落ち着いてください。まず記述するべきだとする側は、今回争点となっている本以外の出典をしっかりと示してください。「英字新聞にある」というなら、検証可能な英字新聞の「出版日、版数、ページ、見出し」を提示してください。まず議論をするならWikipedia:出典を明記するを満たす必要があるのですから、これを「英字新聞があるから」と書いただけで済ませてはいけません。現に「トンデモ本」などと他の執筆者から言われているのであれば、その根拠となる考えを別の視点や別の著者・歴史学者が示している文献を示せばいいわけです。歴史的評価は書籍ひとつが作るわけではありません。記述するべきではない側は少し落ちついてください。記述するべきではないとするなら「その出典が使えるのかどうか」を議論するべきです。現に書籍はあって検証できるわけですから。情報を整理してコメント依頼するなりして様々な意見を聞いてください。--アルトクール会話2016年6月29日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

他での編集行為で非常に疑っているのですが、トンデモ本呼ばわりしている「ぽてから」氏はそもそも『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』を読んでおられるのでしょうか?まさか読みもしないでトンデモ本呼ばわりされるとは思えないので当然読まれているものと思いますけどね。まずは他のトンデモ本呼ばわりしている執筆者が何をもってトンデモ本呼ばわりしているのか意見を述べるべきですね。何の根拠もなくトンデモ本呼ばわりしての削除差し戻しであればそれは認められません。どんな出典だって自分の意見に沿わないから削除してしまえでは記事の破壊行為でしかありません。実際、「ぽてから」氏は日本共産党の記事において千葉麗子の「さよならパヨク」を読みもしないで何度も差し戻し編集をされた実績もありますし。表現で折り合いがつきつつあったのをトンデモ本の一言で全削除したのは「ぽてから」氏ですから当然お読みなんでしょうね。--220.96.245.11 2016年6月30日 (木) 05:54 (UTC)--124.96.225.133 2016年7月1日 (金) 07:38 (UTC)[返信]

コメント 本件は「吉田松陰」の話です。日本共産党の話を持ち込むのであればコメント依頼など適切な場所で行ってください。--アルトクール会話2016年6月30日 (木) 07:08 (UTC)[返信]
ポストセブンの著書の引用を見ただけで、「飛躍した論理で、論証もされていない仮説、考証のずさん」なトンデモ本の類であることが強く推測されます。「今風にいえば、東京から遠く離れた地方都市の悪ガキといったところで、何度注意しても暴走族を止めないのでしょっ引かれただけの男である」などは、考証のずさんなフィクションとしか言いようがありません。また、当時の価値観を勝手に現代風の価値観で解釈するという独自な視点は、Wikipediaには、いりません。決してトンデモ本の存在を批判しているわけではないですし、エンターテインメントとしては良いでしょう。しかし、Wikipediaの歴史分野における出典としては相応しくないということを述べているだけです。また名前を馬鹿にするのは個人攻撃にあたりますのでお気を付けください。--ぽてから会話2016年6月30日 (木) 07:22 (UTC)[返信]
なんだ読みもしないで適当なことを書いただけですか。これじゃあ話になりません。出典確認もせずに編集に参加し削除を繰り返すのならブロック依頼させていただきます。吉田松陰が何度も注意されても問題行為を繰り返しその度に藩から処罰を受けていたことは事実ですから。貴方は宮部鼎蔵長井雅楽も知らずに吉田松陰の編集に参加しているのかと疑いたくなります。--220.96.245.11 2016年6月30日 (木) 07:35 (UTC)[返信]
たしかに、「吉田松陰が何度も注意されても問題行為を繰り返しその度に藩から処罰を受けていたことは事実」なので、そういうことを記すことに反対しているのではありません。「貴方は宮部鼎蔵長井雅楽も知らない」などと決めつけることは、個人攻撃に当たる可能性があるのでご注意ください。--ぽてから会話2016年6月30日 (木) 07:40 (UTC)[返信]
ご存じでしたか。それは失礼しました。長井雅楽なんかウィキペディアの記事は酷く貧弱なものですけどね。しかしあくまで本も読まずにトンデモと決めつけ削除を繰り返されるのであれば「出典とされた本の内容も確認せずにその本の書評だけでトンデモと判断して削除」する行為についてコメント依頼をして広く意見を募りましょう。書評だけで判断できるのなら、なんの為に出典にページを示さなければならないのやら疑問ですけどね。--220.96.245.11 2016年6月30日 (木) 07:57 (UTC)[返信]
私は『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』を購入して、現在手元にあります。例えば、具体的に何ページのどういう内容がトンデモ本なのか、ご教示願います。--G0mao会話2016年6月30日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
その出典にどう書かれていてどのように記述されたいのか教えてもらえますかね。--ぽてから会話2016年6月30日 (木) 15:04 (UTC)[返信]

Wikipedia:検証可能性より引用

出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
吉田松陰に対する批判的意見として『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』を出典として挙げています。著作の引用文をここに載せて、議論のネタにしてもいいかなと思います。--G0mao会話2016年6月30日 (木) 21:17 (UTC)[返信]
考証がずさんではないという証拠を見せてもらえますかね。しっかりした考証に基づくのであれば、ほかにも二次資料があるはずですので、論拠や考察の参考になる二次資料の提示もお願いします。--ぽてから会話2016年7月6日 (水) 01:36 (UTC)[返信]

インデント戻します。参考文献を本書を読めば掲載されているのはわかるはずですが?「ぽてから」氏は書籍出典で今後そこまで求められるのですか?--58.90.13.149 2016年7月6日 (水) 02:05 (UTC)[返信]

書き加える側が出典を示す義務を負います。下記の一冊のみでは足りません。特別な主張には特別な証拠が求められます。しっかりした考証に基づいているのでしょうか。--ぽてから会話2016年7月6日 (水) 02:09 (UTC)[返信]
だから特別な主張だと思っているのは貴方だけでしょ。ちゃんとこの本を読めば、二次出典は多数掲載されていることは理解できるのでそんな主張にはなりませんわねえ。ようは二次出典をあればいいだけでしょ。ありますからご安心ください。不安なら当書をご確認ください。つうかね。吉田松陰をテロリスト扱いする書籍なんてなんぼでもあるのに。なんで特別な主張なんて思われているんだろ?岩波新書だけでも結構なもんですが。編集できる状態になれば出典付きで多々記載しますからご期待ください。--58.90.13.149 2016年7月6日 (水) 02:18 (UTC)[返信]
予告したとおり当時の海外出典での追記から編集をはじめましょう。まずは世界で最初の吉田松陰伝とされるロバート・ルイス・スティーヴンソン の「ヨシダトラジロウ」をもとに加筆いたしましょう。革命家として吉田松陰を語る書籍も多数あるわけですし、高須久子とのことにしても記事をもっと充実させたい。井伊直弼五手掛のうちの町奉行池田頼方の遠島判決を死罪と訂正したこととかも。今の記事は徳富蘇峰の書いた吉田松陰に沿いすぎでしょうね。講孟余話とかも内容についての評価も取り上げたいし、今の編集は一部に偏りすぎている。近年でも新しい吉田松陰像や明治期、大正期、昭和期、戦後で変わりゆく松陰像を書いたものは近年でも「吉田松陰 : 変転する人物像」とか「吉田松陰 : 久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」」とか「吉田松陰 : 異端のリーダー」とか多々ありますよ。何も『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』だけじゃない。--58.90.13.149 2016年7月6日 (水) 05:52 (UTC)[返信]
「松陰に感化された幕末志士たちの残虐行為」というのは、「松陰に感化された幕末志士」と「幕末志士たちの残虐行為」の情報の合成ではありませんか。幕末志士が吉田松陰に感化されたことを書くのは良いと思います。しかし、吉田松陰が残虐行為をするように教えたわけではありませんよね。コーランに人を殺すべし、と書いていないのに、イスラム教信者が残虐行為をしたことがイスラム教のせいだとはなりません。普通のイスラム教信者は残虐行為はしません。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 01:35 (UTC)[返信]
残虐行為というのが幕府要人や長州の穏健派(俗論党)への暗殺行為を指すのであれば松陰が指導していたのは事実でしょう。実際、間部詮勝の暗殺を企み、その罪によって斬首されたんだし。弟子たちがその意志を継ぎ、安藤信正久世広周の暗殺を計画し、実際、坂下門外の変において容疑者として桂小五郎伊藤俊輔が取り調べを受けてますし。松陰から名指しで批判され命を狙われた長井雅楽らを俗論党と呼んで暗殺を企んだりしたわけで。天誅を叫んだのは松陰も同じですから松下村塾の塾生による天誅が影響を受けた結果ではないとはいえないでしょうし、明治維新後の萩の乱に至るまで血で血を洗う長州藩内の内部抗争によって流れた血を残虐行為というならば、政治抗争でしかなかった藩内抗争に実力行使を主張導入した松陰がその祖であると言えなくもないでしょう。--219.162.249.180 2016年7月7日 (木) 06:26 (UTC)[返信]

『官賊と幕臣たち―列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』も出典とされたらどうでしょう?産経新聞に書評が載ってますしね。書評だけで判断される人もいるようですが。そうそう、2016年7月11日の産経新聞によれば『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』は24版目の増刷を重ね三省堂では歴史部門で1年以上トップの売り上げを誇る大ベストセラーだそうですね。--58.90.65.180 2016年7月11日 (月) 01:22 (UTC)[返信]

ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません。--ぽてから会話) 2016年7月11日 (月)

01:38 (UTC)

宣伝行為ねえ?侮辱する行為はおやめください。出典として『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』が広く読まれていることを証明する資料として提示しただけですよ。産経新聞は、客観的な出典として有効であろうと思いましてね。この本に関して、根拠もなく、本の内容も確認せず、トンデモなどという名誉棄損な意見が絶えないんでね。「幕末維新史の定説を斬る」、「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」、「賊軍の昭和史」なども出典にして記事をどんどんと充実させていきましょう。--58.90.65.180 2016年7月11日 (月) 02:38 (UTC)[返信]
歴史的な考察を経ていない俗本に書かれた現代人の現代的価値観による感想を書く必要はありませんね。プロジェクト‐ノート:日本史#吉田松陰で合意を形成してからにしてください。--ぽてから会話2016年7月11日 (月) 07:03 (UTC)[返信]
どこかで、信頼の持てる情報源とは言えない(編集者が確認もできていない)「千葉麗子」の文献を出典として無理やり記述を残そうとしている誰かさんのコメントとは思えませんね。何を根拠に俗本と判断しているでしょう。自分の推し進めようとする記述の出典も確認できていないように、こちらも確認せず、印象付けをしてるのでしょうか。まずは、根拠となる議論を交わすには出典や最低限度の知識を控えたほうがよろしいですね。--118.19.224.58 2016年7月11日 (月) 07:42 (UTC)[返信]
こちらの示した本の内容を(せめて著者だけでも)確認されたうえで「歴史的な考察を経ていない」とか「俗本」だとか主張されているのでしょうか?学術新書も一律俗本扱いですか?例えば半藤一利は多くの日本史記事で出典として利用されていますが、それを何を根拠に「現代人の現代的価値観による感想を書く必要はありませんね」と決めつけるのでしょうか?まあ、査読を受けた学術文献でも似た内容は多数ありますからそれを出典とするだけですけど。それだと検証可能性が大学の図書室等へのアクセスが難しい人には辛苦でしょうから、普通に手に入り易く公立図書館にも置いてある新書を出典として示しているのですけどね。論議が片付くまでは佐久間象山の吉田松陰評やスティーブンソンの「ヨシダトラジロウ」とかで記事を作りますかね。--58.90.65.180 2016年7月11日 (月) 09:24 (UTC)[返信]
存命する組織と同列に考えるのがそもそもの間違いです。一律俗本扱いはしていませんが、『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』は俗本でしょう。いちいち、現代人の感想の羅列を書くことなく、歴史的な考察を経た事項に絞ってください。また、吉田松陰の別名で重複記事を作らないでください。きちんとその出典をもとに何を書くのかという提案をし合意形成してください。--ぽてから会話2016年7月11日 (月) 15:45 (UTC)[返信]
「『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』は俗本でしょう」などと読んでもいないのに決めつけないことです。書評がお好きなようですから、歴史学者の書いた書評や学術論文への引用例を提示しましょう。「歴史的な考察を経た事項」で問題は全くありません。それで俗文でないことは証明されるでしょう。また、「吉田松陰の別名で重複記事を作らないでください」とは意味不明なご意見ですね。宝島を書いたロバート・ルイス・スティーヴンソン が「ヨシダトラジロウ(YOSHIDA-TORAJIRO)」を書いたことは歴史的事実で、現在の記事にもその事は記述済ですが。このスティーブンソンの「ヨシダトラジロウ」を元に吉田松陰の記事を充実させることには何も問題はないですね。だいたい吉田松陰や、その弟子の長州藩士をテロリスト、その行いをテロとみなす学説は1950年代からあります。歴史読本歴史と旅でも何度も取り上げられた説ですよ。これらも出典として追記しますのでご安心ください。まさかこれらまで否定はされないでしょう?そもそも長州が賊で会津が官軍であるという説自体は、明治からあります。孝明天皇の御宸翰をもとにした説ですね。だいたい合意形成と言われますが、どの程度幕末の歴史にお詳しいのですか?そのレベルに合わせた資料を準備したいのでぜひともご教授ください。--220.111.190.220 2016年7月12日 (火) 05:30 (UTC)[返信]

『幕末テロリスト列伝』『京都大戦争 ―テロリストと明治維新』『吉田松陰と松下村塾の秘密と謎』『愛国と信仰の構造』『[新訳]留魂録』『[新釈]講孟余話』『会津藩はなぜ「朝敵」か』『偽りの明治維新』『吉田松陰 留魂録』『明治維新という名の洗脳』『吉田松陰と長州五傑』『幕末維新を動かした8人の外国人 』『吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」』とか、図書館の検索システムにドンドン引っかかるので予約は入れて置き一部は素読しましたが、『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』とほぼ同内容ですね。証明されます。記事がドンドン充実されるわけで良いですね。--220.111.183.32 2016年7月13日 (水) 02:33 (UTC)[返信]

『留魂録』『講孟余話』は本人の書いたものだから二次資料にはならないよ。長州をテロリスト扱いする作品は多数あるけど一般的になったのは花の生涯以降じゃないかねえ?やはり戦後でしょ。戦前戦中は批判は無理だよねえ。--Miwa.SS会話2016年7月13日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』より引用[編集]

一般には知られていない吉田松陰や松下村塾塾生の尊皇攘夷に際しての思想・行為を『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』より引用します。彼らの行為が、善か悪か、現在の価値観から裁くことはせず、情報として本文に端的に記載する方向に持っていくのがよいと考えます。この引用文が歴史的事実と異なり虚偽であると判明するのであれば、掲載しないほうがよいと思います。さて、引用文のみここに記載し(私が記載します)、議論はもう1つ上の「吉田松陰とテロリズム」で続けてもらえると、見易いかと思います。--G0mao会話2016年6月30日 (木) 21:51 (UTC)[返信]

指摘ありましたが、二次資料が出典として明らかなものに絞ろうと思います。筆者の独自研究もかなりありますので--G0mao会話2016年7月7日 (木) 00:31 (UTC)[返信]
  • 松陰の外交思想が、大日本帝国の膨張主義に多大なる影響を与えていたこと
  • 松陰の思想が、226事件に多大なる影響を与えていたこと
  • 松陰に感化された幕末志士たちの残虐行為

また、吉田松陰をそもそも神格化したのは、山縣有朋であるとの記述もありますね。

松陰の外交思想と大日本帝国膨張主義[編集]

号の由来の出典例[編集]

川口素生『吉田松陰と文の謎』学研パブリッシング、2014年。ISBN 978-4059008859 「第1章 松陰と文の家族をめぐる謎」内の「松陰はどんな名前を名乗ったのか」に「二十一回猛士」の由来の記載がありました。現在、要出典が貼られている記述の通りです。また、同ページには海外密航未遂事件の際の変名「瓜中万二」の由来、「松陰」の号の由来も書かれております。--KoZ会話2016年7月5日 (火) 02:09 (UTC)[返信]

「大陸進出策の発案者は吉田松陰に遡ることが示唆される」という記載について[編集]

G0maoさんは、週刊ポスト2015年11月27日・12月4日号の記事にある原田伊織のコメントを根拠に「大日本帝国の無謀ともいえる大陸進出策の発案者は吉田松陰に遡ることが示唆される」と繰り返し記載されていますが、学者でもない人物が書いた史料価値の低い本を根拠に、歴史上の人物の影響を、それも「大陸進出策の発案者は吉田松陰」などと書くのは明らかに独自研究であり、不適切な記載であると言わざるを得ません。 G0maoさんは他のページでも副島隆彦のトンデモ本を根拠にして加筆していますが、記事の質が下がるのでやめてください。なお、G0maoさんは富永仲基文天祥で副島隆彦の著作をほぼ丸写しする編集を行ったため、削除方針ケースB-1による版指定削除依頼を出しました。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 13:08 (UTC)[返信]

副島隆彦氏の著書からの引用は、出典も明記していますし、ごく短文を引用したのみで、一般的な文献引用の体裁をとっているつもりです。--G0mao会話2019年1月30日 (水) 13:20 (UTC)[返信]
著名な学者でもない、ただの一般人でしかない原田伊織の見解を、百科事典の一番上に記載する必要性がどこにあります?全く不要です。そもそも、原田伊織の『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』は出典に司馬遼太郎の小説まで使っているような史料価値のない本です。二次創作も出典にしている本など学術的に何の価値もありません。こんなふざけた本でWikipedeaを汚さないでください。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 13:27 (UTC)[返信]
原田氏の著作はベストセラーになっており、原田氏をただの一般人とするのは賛同できかねますし、ふざけた本だというのは、貴方の独自研究かと思われます。--G0mao会話2019年1月30日 (水) 13:33 (UTC)[返信]

原田伊織の『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』の主な参考引用文献・資料には、司馬遼太郎『街道をゆく 長州路』、『街道をゆく 近江散歩 奈良散歩』、『街道をゆく 甲州街道 長州路』、『街道をゆく 陸奥のみち 肥薩のみち』、『街道をゆく 十津川街道』、『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』『街道をゆく 北のまほろば』、『幕末』、『アームストロング砲』、『殉死』、『明治という国家』、『昭和という国家』、『坂の上の雲』、『余話として』、 佐藤雅美『官僚川路聖謨の生涯』、『覚悟の人』、『大君の通貨』、『十五万両の代償』、綱淵謙錠『乱』など、司馬遼太郎の小説15冊、佐藤雅美の時代小説4冊、綱淵謙錠1冊など、小説をまとめてつくられた歴史本モドキであり、このような史料価値のない本を出典にして、歴上の人物の項目を編集することは甚だ不適切であると断言できます。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

ササニシキさんが個人的にそう思われているのは、よいと思いますよ。--G0mao会話2019年1月30日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

いいえ、このような史料価値の低い本を根拠にすることは許されませんし、問題にしていくつもりです。ほかの編集者の方々にも参加して議論すべきでしょうね。それと、勝手に他ページのテンプレートを除去しないでください。警告しましたよ。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 13:47 (UTC)[返信]

無駄な削除依頼やテンプレートを貼っていると認識しています。よって、差し戻しています。--G0mao会話2019年1月30日 (水) 13:51 (UTC)[返信]
G0maoさんの行っている削除依頼テンプレート除去は、悪質な行為です。Wikipediaの編集者としての自覚が足りていないのではありませんか?--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 14:03 (UTC)[返信]
どちらが悪質か、運営者の判断を仰ぎます。--G0mao会話2019年1月30日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

G0maoさんは1日ブロックになりました。ご自身の行動を反省してもらいたい。そもそも、「どちらが悪質か、運営者の判断を仰ぐ」ということがナンセンスです。自分本位で行動し過ぎです。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 14:23 (UTC)[返信]

江戸時代後期の経世家である佐藤信淵が文政6年(1823年)に著した『混同秘策』には、「凡ソ他邦ヲ經略スルノ法ハ弱クシテ取リ易キ処ヨリ始ルヲ道トス今ニ當テ世界萬國ノ中ニ於テ皇國ヨリシテ攻取リ易キ土地ハ支那國ノ滿州ヨリ取リ易キハナシ」と記してあり、満州を手始めに中国征服を世界征服の第一歩として捉えていました。また、軍事的及び経済的に満州以北を征圧した後に、中国本土へ台湾と寧波から侵攻し、そして南京に仮の皇居を定め、明の皇帝の子孫を上公に封じて従来の祖先崇拝を認めた上で、神社や学校を建てて教育せよと述べ、中国を征服した後は、周辺の国も容易に征服出来ると記してあります。つまり、吉田松陰が生まれる7年前には、すでに日本の大陸進出策が提起されていたわけであり、「大陸進出策の発案者は吉田松陰に遡る」という原田伊織の主張は事実に反します。
1931年に発生した満州事変において、事件を主導した関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀石原莞爾中佐は、板垣大佐が岩手県出身、石原中佐が山形県出身であり、彼らは非長州閥です。そもそも、大日本帝国陸軍では1921年に岡村寧次永田鉄山小畑敏四郎によってなされたバーデン=バーデンの密約により、長州閥打倒や満蒙問題の早期解決の断行が目指され、1929年には反長州閥の一夕会が結成されて、人事刷新、満洲問題の武力解決、非長州系三将官の擁立を取り決めています。満州事変直前の1931年8月には、陸軍中央の主要実務ポストを一夕会会員がほぼ掌握しており、長州閥は弱体化し、岡山県出身の宇垣一成が首領である宇垣閥に引き継がれている状況でした。つまり、満州事変や日中戦争などの、中国大陸への進出策を推し進めたのは非長州閥であり、長州閥は陸軍での影響力を失っていたわけです。よって、「長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として、松陰の主張した通り(中略)軍事進出して国家を滅ぼした」という原田伊織の主張は事実に反します。

結論としては、

  1. 『明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ 』は、主な参考引用文献・資料として、司馬遼太郎の小説15冊、佐藤雅美の時代小説4冊、綱淵謙錠1冊など、史料価値のない時代小説などのフィクションを史料として引用している信頼性の低い本であり、Wikipedia:信頼できる情報源ではない
  2. 吉田松陰が生まれる7年前には、佐藤信淵の『混同秘策』により、すでに日本の大陸進出策が提起されていたことが書かれていない
  3. 満州事変や日中戦争などの、中国大陸への進出策を推し進めたのは非長州閥であり、長州閥は陸軍での影響力を失っていたことを無視している
  4. 作家の原田伊織こと原正和は権威のある歴史学者ではなく、株式会社Jプロジェクトというマーケティング会社の代表者であり、歴史学を専門に扱ってきた人物ではない

以上により、「大陸進出策の発案者は吉田松陰に遡ることが示唆される」という記載は不適切であり、即刻削除することが望ましいと断言します。また、原田伊織の著作を出典にすること自体が不適切であることも断言します。--ササニシキ会話2019年1月30日 (水) 16:53 (UTC)[返信]

「トンデモ本」を出典に使用するのは不適切につき除去相当。--hyolee2/H.L.LEE 2019年1月31日 (木) 07:39 (UTC)[返信]
Hyolee2さん、コメントありがとうございます。私もそう思います。G0maoさんはブロック明けに原田伊織の「トンデモ本」を根拠とするデタラメな記述を復帰させようとするでしょうが、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点に反するデタラメな記述は、インターネット百科事典であるWikipediaの質や信頼を損なうものであり、到底許されないと考えます。--ササニシキ会話2019年1月31日 (木) 08:33 (UTC)[返信]

佐藤信淵は知りませんでした。松陰以前から大陸進出論が醸成されていたと。--G0mao会話2019年2月2日 (土) 01:20 (UTC)[返信]