ノート:助動詞 (言語学)

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助動詞 (国文法) について[編集]

貴方 (TAKASUGI Shinji) が作られたこの記事 (助動詞 (国文法)) には意味不明な点が多すぎます。

まず、定義が食い違っています。助動詞の方で、「国文法では助動詞は『補助動詞』と呼ばれる。一方、国文法でいう『助動詞』は、語尾や接尾辞と見なされるべきものである。」と書かれています。つまり普通に助動詞と呼ばれているもの(以後区別のため「普通の助動詞」)と国文法の助動詞はまったく別のものであり、国文法の助動詞は品詞ではなく接尾語ということになります。しかし助動詞 (国文法)では、「独立の語と見なしたものである。」と書かれていて先の話と内容にずれがありますし、別のものと言っておきながら普通の助動詞の表を国文法の助動詞に移動させては不自然です。助動詞の記事に書かれている事が正しいのならば表は補助動詞という記事に移すべきでしょう(必要があればの話ですが)。

また移動させたのはほぼ表だけのようなので、わざわざ分割する必要があったのかすら疑問に思います。このような場合、単に助動詞の記事に「国文法では・・・」と書けば良いだけで、この様な分割は逆に記事を分かりにくさせてしまいます。

そして何より分割に関しての議論を一切していませんね。これは「Wikipedia:記事の分割と統合」に違反しています。

以上のことから助動詞 (国文法)は削除すべきだと考えます。

一週間以内に意見が無い場合はリダイレクトにさせていただきますのでSEEK 2007年4月28日 (土) 11:35 (UTC)[返信]

定義は食い違っていません。
つまり普通に助動詞と呼ばれているもの(以後区別のため「普通の助動詞」)と国文法の助動詞はまったく別のものであり、国文法の助動詞は品詞ではなく接尾語ということになります。
違います。貴殿の言う「普通に助動詞と呼ばれているもの」が、国文法の「助動詞」です。言語学で言う助動詞 (: will, : avoir, : werden, 日: (-て)いる, : 可以, etc.) と、国文法で言う「助動詞」(-た, -ます, etc.) は異なります。前者が助動詞に載せられるべき物です。日本の一般人が学校で学ぶ文法(いわゆる学校文法)が、最新の言語学を全く反映していないので、このような無用な混乱が起きるのです。なお、補助動詞助動詞にリダイレクトする必要があります。
しかし助動詞 (国文法)では、「独立の語と見なしたものである。」と書かれていて先の話と内容にずれがあります
「独立の語と見なした」のは昔の国語学者であって、言語学者ではありません。助動詞の参考文献をご覧ください。分かりづらいのであれば、加筆修正をお願いします。
また移動させたのはほぼ表だけのようなので、わざわざ分割する必要があったのかすら疑問に思います。このような場合、単に助動詞の記事に「国文法では・・・」と書けば良いだけで、この様な分割は逆に記事を分かりにくさせてしまいます。
助動詞 (国文法)に載っている表は、元の記事のをそのまま残しただけなので、別に削除されてもかまいません。しかしそれを助動詞の記事に載せるのは間違っています。あの表に載っているのは類型論的、対照言語学的にいって助動詞ではないからです。 - TAKASUGI Shinji 2007年4月28日 (土) 15:55 (UTC)[返信]
分かりました。
ですが、やはり分割には賛成しかねます。
この定義が難解なのは「助動詞」というものがどの観点から見たものなのかはっきりしない事にあると考えます。つまり、言語学、国文法、学校文法という3つの観点から見た助動詞が完全に同一のもので無いという所に原因があります。そして、今後何処に基準をおいて助動詞の記事とするかが問題です。言語ですから何が正しいなんてものは無いのですが、だからと言って同じ日本語なのに味方の違いから助動詞という記事を複数作成するのはいささか変な感じを受けます。例ですが辞書(広辞苑)を引いても当たり前のように助動詞は1つしか載っていませんし、学問として日本語を勉強していない人にとって助動詞は1つだけです。やはり助動詞の記事の内部でどれかを中心に記事を作り後で「~でいう助動詞は・・・」とするのがベストだと思います。SEEK 2007年4月29日 (日) 07:13 (UTC)[返信]
おっしゃることは分かりました。一般に「助動詞」と呼ばれている、本来なら活用語尾または接尾辞に分類されるものも、助動詞に載せるべきだとのことですね。なお、学校文法とは国文法の一種なので、観点は二つです。ちなみに大辞林では、助動詞の項にちゃんと二つの意味がありますが、(2) が補助動詞と同じであることは書いてありません。
しかし、言語学の助動詞と国文法のいわゆる「助動詞」とは、「完全に同一のもので無い」というのではなく、共通の語は何もないのです。なぜなら言語学で助動詞と呼ぶものを、国文法(=学校文法)では補助動詞と呼ぶのですから。
あの表を作った方には悪いですが、助動詞 (国文法)は削除してしまうのも可です。しかし今後、国文法の観点で記事を書く人が現れないとも限らないので、むしろ助動詞 (国文法) を充実するべきではないか、と思います。 - TAKASUGI Shinji 2007年4月29日 (日) 14:42 (UTC)[返信]

利用者‐会話:TAKASUGI Shinji から移動しました。 - TAKASUGI Shinji 2007年5月2日 (水) 01:31 (UTC)[返信]


先ほど、図書館で薄い本ですが読んできました。完璧では無いものの自分の間違いに気づき理解した気がします。ただ最後に1つだけ。記事の名称についての問題です。どちらに「助動詞 (○○)」を付けるべきでしょうか。国文法で助動詞という言葉を使うのが言語学の観点から見て例外的だというのは分かります。しかし、日本語において助動詞といえばやはり「れる・られる」のことを指していることが多く、Wikipediaにおいても助動詞という言葉はこちらを指すことが多い気がします(あくまで推測ですが)。そして、英語などの記事で使われる助動詞という言葉が「いる・ある」を意味しているのも事実です。分かりにくくなってしまうかもしれませんが、助動詞を曖昧さ回避の記事するのも手だと思うのですがどうでしょう。 --SEEK 2007年5月2日 (水) 10:14 (UTC) [返信]

確かにそうですね。今の助動詞の記事を「助動詞 (言語学)」に移動するべきかもしれません。 - TAKASUGI Shinji 2007年5月2日 (水) 12:39 (UTC)[返信]
2007-07-08T06:13:23 に本記事は助動詞から助動詞 (言語学) に改名されました。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年3月4日 (火) 09:39 (UTC)[返信]