ノート:八高線

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2005年1月[編集]

削除記事の次に書くのは勇気がいるが、電化が計画発表されたころ八高線は「首都圏最後のローカル線」と呼ばれていたそうな。Mint22 2005年1月26日 (水) 13:00 (UTC)[返信]

らしいですね。ただ、そのころにはキハ35系が全線通しで運行されていたので、その辺も書ければ書いても構わないかと思いますね。Sat.K 2005年1月26日 (水) 17:02 (UTC)[返信]

第三の事故爆撃機墜落事故について[編集]

舟越健之輔著、"「大列車衝突」の夏"によると、興味深い記述がある。要約すると、 昭和22年7月14日、2時40頃ごろ多摩川鉄橋上を通過中の貨物列車に米軍軽爆撃機が墜落し、4人が死亡し、3人が重症を追った。しかし、現場一帯は立ち入り禁止となり、報道管制が引かれた。米軍からの遺族に対する賠償もなく、この事故のけが人の手当ても拒否された。(同書ページ260-261付近。) とあります。同書によると、この事故は国鉄の事故史には一行も記載されていないそうです。 これはこの項目に記載するべきでしょうか。ご意見をいただきたいと思います。 (「ノート:多摩川橋梁 (八高線)」にも記載しておきます。)blank--61.213.64.48 2007年6月30日 (土) 13:05 (UTC)[返信]

快速列車について[編集]

キハ110に、快速の幕が入っていると聞いたのですが、過去に快速列車が運行されたことはあったのでしょうか。--Majimaru 2009年9月17日 (木) 19:11 (UTC)[返信]

沿線概況について[編集]

この沿線概況はどなたが書かれたのでしょうか。ほとんどが個人の見たまま情報で構成されており検証可能な資料が提示されていないと感じます。 例えば

  • 箱根ヶ崎駅に到着。箱根ヶ崎は拝島方からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

これですが箱根ヶ崎駅にも待避線の撤去に関する出典はありません。 要出典が多すぎるとの理由で差し戻しをするくらいならいっその事この節の内容を大幅に削減する必要もあるのではないでしょうか。 また

  • 多摩川両岸に向き合う東京都下水道局の二つの下水処理場を右手に見ながら

のように「~が見える」といったものもやはり出典が乏しいと感じます。 もちろんこれは極端な例ですが地図上で隣接していたとしても双方の敷地間に壁があっては見ることはできません。もしかすると全面展望DVDなどを出典とすることはできるかもしれませんが少なくとも現状では出典がなされていないといって問題ないのではないでしょうか?219.104.111.144 2011年10月17日 (月) 16:33 (UTC)[返信]