ノート:全体主義

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「特徴」と「欠点」について[編集]

(整理のため、上記のように題をつけてみました。Eine kleine 2006年3月8日 (水) 22:24 (UTC)[返信]

全体主義の特徴や欠点を列挙しているのは、いった誰の見解なんでしょうか? 全体主義に関する解釈、理論も色々あるわけで、出典もなく唐突に大上段な話を始めるのはまずいように思います。Hermeneus (talk) 2005年6月19日 (日) 15:18 (UTC)[返信]

>ただし全体主義の経験がある場合は保守側から求められることもある。

これがどういう場合であるか理解できなかったので削除してしまいました。しかし、私が勉強不足か何かかん違いしているような気がします。具体的な例があって書かれたように思われてしかたありません。おっしゃりにくいようだったら外国の例などでご教示いただければ幸いです。再度復活させようかな...。siyajkak2005年6月21日 (火) 13:32(UTC) これは・・・・正直構造が破綻しているような。特徴を羅列するのではなく、定義に基づいた解説をすべきでは?

本文の中で列挙された形で書かれている「特徴」や「欠点」についてですが、初版[1]執筆者(207.74.149.254氏)が「参考文献」に挙げている塩野七生『サイレント・マイノリティ』を確認してみましたところ(この参考文献は、2005年9月11日 (日) 14:11 の版[2]で削除されています)、その「特徴」や「欠点」は、塩野さんがエッセイで書いている「全体主義」からの引用でした。全体主義の本文を執筆する上で参考になる(触発される)エッセイだとは思うのですが、いかんせん、それを切り貼りして列挙するだけに終わっています。そして、その後の編集も、その列挙の体裁を崩さないまま、加筆・修正をつづけてきたために、均整のとれていない、いびつなものとして、記事本体が成長してきたのではないかと思います。--Eine kleine 2006年3月8日 (水) 22:24 (UTC)[返信]
初版が投稿されたのは2004年9月26日で、もうずいぶん前のことですし、執筆者もIPユーザの方なのでコンタクトを取ることも難しいと思います。私の提案としましては、現在の「特徴」「欠点」から残せそう部分は残して、装いを新たに再編集した方がよい(「全体主義体制」と重複する部分は削除する、などなど)と思うのですが、いかがでしょうか。ご意見がございましたら、ぜひお寄せください。--Eine kleine 2006年3月8日 (水) 22:24 (UTC)[返信]

冒頭文の整理[編集]

とりあえず、冒頭文の部分を整理させていただきました。わたし自身、理解の足りないところもあると思いますので、今回の編集部分にも適宜手を入れていただけますとありがたいです(J・リンスの研究などをうまく紹介できる方などいらっしゃったら、ぜひ)。あと、問題は「概要」と「欠点」のところだと思いますが、正直、どう構成したらよいのか悩んでしまいます。いっそ「加筆依頼」や「修正依頼」に出してみてはどうでしょうか。Eine kleine 2006年2月14日 (火) 22:40 (UTC)[返信]

こういう「解釈も理論も色々ある」という場合、どうすればいいんでしょうね。とりあえず、全体主義体制の項目でJ.リンスの概念規定が書かれていたので、そちらのほうで少し補足したところでした。ですが、そちらのほうも、リンスの規定を見つけたので補足したにすぎず、修正予定です。とりあえずリンスについてのみ週末に参照してさらに補足を加えようと思います。ただ、(こちらの項目であれ同じことが問題になっていると思うので、こちらに書きますが)、迷う点があります。Hermeneusさんの懸念と方向は近いと思うのですが、さらに細かい懸念を述べますと、単にリンスを紹介するにしても、私が考えるに、リンスの規定は先行研究の批判としてまずは注目されなければという思いがありまして(どんな研究もそうですが)、実際、その点に焦点を当てて書いておかないと「リンスさんはどうして勝手にそんなふうに定義できるの?なんで勝手に決めてるの?」と思わせるくらいぶっきらぼうな定義を紹介するだけになってしまわないかと心配です。もちろん、どんな議論も先行の議論の批判なのだからそんなこと言い始めたらキリがないよ、辞典だから紹介だけで良いんだよと言われればそれまでなのですが……。とりあえず、J.リンスが整理と定義に着手するまで、長い期間最も支配的だったフリードリヒとブレジンスキーの定義(6点症候群)の紹介と、先行の定義は実際に存在する体制をまず「全体主義」と規定したうえでその特徴を抽出する方法をとっている(リンスは違うけれども、まあ、それを土台にしている)という点くらいは記述しなきゃいけないかなと思っています。このへんのことを「概要」部に盛り込んだうえで、再度、定義部の検討(議論)が必要になるかもしれないという気がしています。個人的に考えていたことにすぎませんが、全体主義の定義については、現代日本での「軍国日本と全体主義とは別モノ」という議論にも影響されかねないと思ったので、非難のための政治用語である色彩の強い軍国主義の定義部をメインに議論を行ったのち(あるていど合意できたのち)でないと手がつけられないかなと思っていたというのを追記します。お手すきの際に同項目ノートを参照いただけますと幸いです。取り急ぎ。Iosif 2006年2月15日 (水) 05:19 (UTC)[返信]
それから、全体主義とは支配や政治体制だけのことではないという点も留意しなければいけないかと。全体主義体制ならば比較的定義しやすいかと思います。現在のところこの項目ではもっぱら支配体制について書かれていますが、全体主義的熱狂に注目したうえで「現象」として理解する立場もあります。全体主義“体制”を論じるにしても「全体主義とは、運動(提起)→熱狂(魔女狩りと政治体制化が同時進行)→儀礼化・沈静化の、一連の現象のことだ」としたうえで、そういった特徴をもつのが全体主義体制なのだとも言えます。藤田省三も無視できないし、「安楽の全体主義」論も最近では無視できません。そのようなわけで、政治体制としての全体主義体制のほうが先に手をつけやすいのではないかとご提案まで。Iosif 2006年2月15日 (水) 05:42 (UTC)[返信]
たいへん参考になるご意見、ご提案をありがとうございます。あと少し時間を置いて、他のご意見が出揃うのを待ってから、論点の集約をおこなうようにしたいと思います。Iosifさんも最近、「全体主義体制」の方での編集もなさっているようですね。とても心強いです。わたしも「全体主義体制」と「全体主義」、双方での執筆状況やノートでの議論の状況にも注視しながら、これらが良い項目になるよう微力を尽くせれば、と思います。Eine kleine 2006年2月16日 (木) 00:03 (UTC)[返信]
挨拶が遅れました。おいおいやりたいと思っている事柄で、ご期待を裏切る可能性も大きいところに、過分なお言葉、恐縮の極みです。今後とも、のんびりと、よろしくおつきあいくださいますようお願いします。Iosif 2006年2月18日 (土) 20:36 (UTC)[返信]
こちらこそお返事がこんなに遅れてしまいました。まあ締め切りはないことですし、ゆっくりじっくりやっていきましょう(笑)。ここしばらくは、作業の合間合間に、全体主義ともかかわりをもつ項目やそのノートでの議論(全体主義体制ファシズム、そして軍国主義などなど)も覗き見したりしていました。とくに軍国主義のノートでの議論は参考になりました。Eine kleine 2006年3月8日 (水) 22:48 (UTC)(以下、インデントを戻します)[返信]

現段階では、こちらの「全体主義」の項目は「歴史(背景)」を中心に執筆され(概要と欠点は保留ですが^^;)、「全体主義体制」の項目は「学説史(解釈と理論)」を中心に執筆されていきそうな感じですね。当面は、そういう方向性でいいのではないかと思います。とりあえずの作業としましては、私の方では、全体主義体制(あるいは全体主義国家)が登場する前夜までの「背景」の部分を、もっと丁寧に(かつ簡潔に)書きたいと思っています。Iosifさんがご提案下さった「概要」に盛り込むべき内容についても宿題とさせていただきます(政治用語、レッテルとして用いられる「全体主義」にも言及しないといけませんね)。そして、さらに時間がかかるかもしれませんが、動員の対象となる社会の側(住民組織や任意団体など)の「熱狂」や「運動」のことまで、筆を進めることができればいいなと思っています。これからも急がず焦らず、おつきあいをよろしくお願いします。Eine kleine 2006年3月8日 (水) 22:48 (UTC)→追記Eine kleine 2006年3月9日 (木) 01:46 (UTC)[返信]

編集合戦[編集]

2007年2月下旬から本文「概要」部分において、短期間のうちに同一箇所をめぐって削除と再記載をくりかえす編集合戦となっているようです。「愛国無罪」「マンセー」といった語を「大衆のわかりやすいスローガン・プロパガンダ」の例として表記するか否かをめぐる争いのようですが、このまま事態が収拾されないままですと、記事の編集自体が保護の対象となる可能性もあります。その箇所の編集に参加されている方々も、このノート上で、それぞれの拠って立つ論拠を提示されるなどして、議論を前進させていただければと思います。本文の履歴に、少々見るに耐えない痕跡が残るのは、不毛以外の何ものでもないと思います。 --Eine kleine 2007年2月28日 (水) 15:33 (UTC)[返信]

当該箇所、全部削除しました。「概要」部分自体、すでに指摘されているとおり典拠のない感想の列挙ではありますが全ては削除しませんでした。アーレントについての説明で「階級概念に人種概念を代入した」云々という箇所の文意が取れないのでコメントアウトしました。少なくとも「愛国無罪」は全体主義運動のスローガンとして取り上げるのは不適当でしょう。民主化運動のスローガンとして出発したということと、昨今の中国における愛国運動を全体主義と評する人など見たことがない(全体主義体制の崩壊過程と見る人はいますが)。「マンセー」の語の使われ方は日本語の「万歳」とほとんど変わりませんし(使われ方が多様であるということも含めて)、北朝鮮のパレードみたいなもので見るものから、三・一独立運動から、ごく私的空間まで見られます。こんなものまで取り上げていたらきりがないし、具体的なスローガンを紹介することに無理があると思います。紹介するとしたら敢えてナチとソ連に限定するとかしないと終わりがないのではないかと思います。--Iosif 2007年2月28日 (水) 20:32 (UTC)[返信]
お返事とすばやい対処、ありがとうございます(おひさしぶりです^^; ごぶさたでした)。その後も合戦が繰り返された形跡がありますので、脱力感とともに、いよいよ編集保護かという懸念が高まってまいりました。私も関連箇所の削除が妥当だと思います。そもそも既に指摘しましたとおり、塩野さんの著書からの引用・列挙にすぎないところですしね。私自身は本文での編集合戦に介入しない立場を取りますが、このまま他の執筆者の方々のご発言もないまま、この事態が続くようでしたら、きわめて遺憾ですが、記事の保護の手続きを取りたいと思います。落ち着いたらまた、内容がより良く豊かになるような編集に加わりたいと思います(最近はインドネシア関係ばっかりです^^;)。そのときはIosifさんにもご協力を仰ぎたいと思います。 --Eine kleine 2007年3月1日 (木) 20:22 (UTC)[返信]

こんにちわ。利用者平和対策委員、Dream100などの荒らしが続いていますので一旦戻します。[3]概要のスローガンについての議論引き続きお願いします。個人的には理解の助けとなるものはあってもよいと思います。Seventests 2007年3月2日 (金) 09:40 (UTC)[返信]

Seventestsさんに3つ質問します。リバートはこれに答えてからにしてください。
  1. Seventestsさんが戻して復活させた記述の何がどういうふうに「理解の助け」になるのか教えてください。リバートはこれを説明してからにしてください。
  2. またSeventestsさんが版を戻すことで消えた加筆は、なぜ消えるべきだと考えるのか説明してください。リバートはこれを説明してらかにしてください。
  3. SeventestsさんはWikipedia日本語版においてPeaceであるとしてブロックされた諸々のアカウントのどれかを使って活動したことはありますか? イエスかノーか3秒で答えられる質問です。
以上、ご回答をよろしくおねがいします--Iosif 2007年3月2日 (金) 10:12 (UTC)--修正加える。--Iosif 2007年3月2日 (金) 12:05 (UTC)[返信]