ノート:光蔵寺

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出典と記載内容の関係について[編集]

本記事の出典と記載内容に関して、ウィキペディアで求められている「出典」の条件を満たしていないように見受けらる点があります。

たとえば、

「その伽藍は、小寺川に沿う形で小寺山に散在し「大門・御門(後門)・水上院・京上・前古寺・奥古寺・寺屋敷・寺床・京僧道・喪入道」などの遺跡名が残っていることから、南大門(大門)・中門(御門)・金堂(前古寺)・講堂(奥古寺)・方丈(寺屋敷)・坊舎(寺床)を整える「二門二堂」の伽藍様式であったことがわかる。」

という記述に対して、 「太田博太郎「僧房」(『国史大辞典 8』(吉川弘文館1987年)」という「出典」が挙げられていますが、まさか『国史大事典』に光蔵寺の伽藍構造が「二門二堂」だと書いているわけではないでしょう。国史大事典にあるのは「二門二堂」様式の説明までであって、「遺跡に二門二堂様式と共通した名称がある」ことまでは事実としても、そこから「光蔵寺は二門二堂様式だった」という記述には別の出典が必要で、それがなければその部分は「独自研究」ということになります。この点の記述の出典はどこにあるのでしょうか?

また、出典として文中への明記のない大量の参考文献は、いったいどの点に対する出典なのか、これだけ量が多いときちんと脚注として書く必要がありますし(一つの記述に複数の脚注を付けること自体は何ら問題ではありません)、それ以前に出典記載の様式を満たしていないものも少なくありません(記載方法はWikipedia:出典を明記するを参照)。また、出典の記載から執筆者が独自に考察した内容は書いてはいけません。ウィキペディアの方針としてWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源といったものがあり、記事内容はこれらを満たしている必要があります。

あと、これは憶測なので間違っていれば陳謝いたしますが、立項者である利用者:Kano giro会話 / 投稿記録さんに関しては、光蔵寺ウェブサイトでブログを執筆している方のハンドルが「雲水ギロウ」で、「」という名乗りもされており[1]、関連を想起させます。光蔵寺ウェブサイトの「お寺の歴史」というページには、公刊資料の村誌の記述が寺の認識と違っていて「事実性・学術性を欠く内容を多量に含んでいる」ことを残念だという記述があり[2]、それと同じスタンスで執筆者が調査研究した内容を発表されている疑いがあります。もし、Kano giroさんが光蔵寺の関係者の場合は、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないという方針にも抵触いたしますので、合わせて申し添えます。--Unamu会話2015年4月19日 (日) 02:03 (UTC)[返信]