ノート:元禄地震

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

六義園の塩害の出典[編集]

六義園のほとんどの松が塩害で枯れたという記述がありますが、出典は何でしょうか。--miya会話2012年6月5日 (火) 14:53 (UTC)[返信]

確かに東京湾の津波遡上状況から考えて、標高3020m以上はある六義園が津波被害を受けるのは不自然です。火災か?柳沢吉保が記した『楽只堂年録』の元禄地震被害記録( 『新収 日本地震史料 二巻 別巻 元禄十六年十一月二十三日』)に六義園の記述が見当たらないのも不思議です。--As6022014会話2012年6月29日 (金) 08:24 (UTC)[返信]
六義園は標高30m以上の地点にあり、ここが水没したのであれば江戸城下東側はほぼすべて水没し江戸城も相当な被害を受けているはずで、そうであれば少なくとも数万単位の犠牲者数が記録されていて然るべきである。しかしそうした記録はない。六義園が遠く離れた隅田川の遡上の被害を受けるということも考えられない。両国で1.5mの津波が本郷台地まで達したとすら到底考えられない。また、六義園には松以外の樹木の方が多くあり松にだけ言及があるのは極めて不自然である。六義園は当時完成直後で被害にあったとしても復旧は数年程度で済んだはずであり、復旧に30年というのは事実とは考えられない。六義園が被害を受けたとする記述は削除する。--125.30.125.42 2013年8月23日 (金) 21:45 (UTC)[返信]