ノート:伏見宮博明王

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事名について[編集]

15歳で皇籍離脱しているので、記事名は「伏見博明」の方が適切ではないでしょうか。--115.162.99.37 2012年2月29日 (水) 05:19 (UTC)[返信]

コメント 皇籍離脱後に家(旧竹田宮家)を継いだ方(例:竹田恒正氏)や誕生した元皇族の子弟(例:竹田恒泰氏)とは違い、伏見宮博明王殿の場合は、本文にも書いてありますが、14歳で伏見宮家を継いでおり、11宮家の臣籍降下という出来事を伏見宮家当主として迎えています。要するに皇籍離脱の時点で宮家の当主であったということで、それが優先されてこの記事名になっているものと考えられます。--利用者:Geogie会話 / 投稿記録 / 記録 2012年2月29日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

ご説明、どうもありがとうございます。この方は、民間人になってからも「伏見宮博明王」名義で「日本文化振興会」(怪しい表彰通知を送りつけて100万円の寄付金を取ろうとする妙な団体)の広告塔を務めているようなので、ウィキペディアがその片棒を担ぐ形になるのは好ましくないのではないかと思って問題提起した次第です。--115.162.99.37 2012年2月29日 (水) 06:24 (UTC)[返信]

コメント 北白川道久氏も皇籍離脱の時点で既に宮家の当主になっていますが記事名は「北白川宮道久王」ではなく「北白川道久」になっています。皇籍離脱の時点で宮家の当主であったからこの記事名になっているという理由だと、伏見博明氏が「伏見宮博明王」で北白川道久氏が「北白川道久」であることが説明できません。北白川道久氏については伊勢神宮大宮司や神社本庁統理として知名度があるので現在の記事名で妥当だと思いますが。以前、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物の記事名についてで元皇族の記事名を一律に定めるという提案がありましたが合意には至りませんでした。--まさふゆ (会話) 2012年3月1日 (木) 12:11 (UTC)[返信]

記載内容のご説明[編集]

>ただし、叔父華頂博信(1926年(大正15年)に皇籍離脱)に男系の子孫がいる。

このような記載が追記されています。この記載の意味するところが理解できないのですが、なぜ絶家した華頂宮、臣籍降下した侯爵華頂家だけが引き合いに出ているのでしょうか??「男系の子孫がいる」のは、伏見宮様から分かれた旧十一宮家も同様だと思うのですが。(おかしなこと聞いてるようでしたら申し訳ありません)--Oresama777会話2022年8月23日 (火) 03:05 (UTC)[返信]

色々調べてみたのですが、最近自称「旧皇族 華頂宮当主、殿下」と名乗る方がSNSにおられて、その方の関係する方が更新されたような気がしてます。特に異論がないようでしたら記載箇所を削除する方向にしたらいかがでしょうか。--Oresama777会話2022年9月14日 (水) 12:16 (UTC)[返信]