ノート:交響曲第4番 (シマノフスキ)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

IPユーザー87.117.205.29氏へ[編集]

貴殿は野田憲太郎先生ではなかろうかと思われるのですが、一先ずそれは措くとして、加筆していただいた部分については、次の理由からほぼ削除させていただきました。

「成立事情」[編集]

原文「本作はシマノフスキの存命中から代表作として評価を高め、そのため、皮肉にも、作曲者本人が国外で演奏旅行に出向く機会が増え、シマノフスキは体力を酷使することになり、寿命を早める結果を招いた。 」

加筆後「本作はシマノフスキの存命中から代表作として評価を高めたが、作曲者本人がピアノ奏者であることがわかると自作自演の要請が増えた。車椅子生活の作曲者にはあまりにも辛く、皮肉にも作曲者本人が国外で演奏旅行に出向かざるをえなくなり、体力の酷使から寿命を早める結果を招いた。 」

最初、この部分だけを読んだ時には、「へえ、なるほど」と思ったのですが……。しかし、よく読むとおかしな個所が見つかります。「作曲者本人がピアノ奏者であることが分かると……皮肉にも作曲者本人が」と、二重で「作曲者本人が」という主語が出てきます。この部分は書き直しが必要です。

そして次におかしいのは、シマノフスキ自身がピアニストに転身することを考えていた、という前提で話を書いてきたのに、貴殿は「行かざるを得なくなり」と、何だかシマノフスキが状況に流されて自主的に選択できなかったかのような加筆をしています。これでは、前提と帰結が不一致ということになり、話がちぐはぐな感じがするのは否めません。

「特徴」[編集]

最初の段落を改行して、2分割しておいでですが、ここは同時代の同傾向のピアノ協奏曲との類似や差違について論じているので、別々にせずにおいていただきたかった。長すぎて読めない、というわけでもないでしょう。

さて、次の一文は、低俗なレトリックも含めて、戴けないと言わざるを得ません。
破格の内容の重さから演奏は指揮とソロを含め至難であり、再演打率は高くない。
疑問1:この作品は、そんなに重い内容でしょうか?(しかもご丁寧に「破格の」とまで書いてありますが、一体どんだけ重い作品なのでしょうか。)
疑問2:音楽作品の内容が重いと、演奏するのが困難だというのは、話の流れとしておかしいのではありませんか? それなら、内容が軽薄ならば演奏するのが容易なのでしょうか?
疑問3:とどめをさすのが、「再演打率」という言葉(および結び)です。「打率」って言葉を使わずとも、普通に「再演率」でいいのではありませんか。
とはいえ、です。
もし「再演率」という言葉で締め括ったとしても、ここで気になるのが「再演」という言葉をどういう意味で使っているのか、ということです。「同じ演奏家・演奏団体が繰り返し演奏すること」という意味なのですか、それとも、単に「演奏者が誰であるかは別として、一つの作品が繰り返し演奏されること」という意味なのでしょうか? その点が曖昧です。

そもそも、シマノフスキの《協奏交響曲》が頻繁に演奏されないのは、シマノフスキが有名作曲家と言い切れるほどに復権を果たしたとはまだ言いがたく、作品もまだそれほど知られていないから、というだけの話です。ですから、わざわざ気取ってそんな一文を書き加える必要はありません。

「楽譜」[編集]

  • 「自筆譜は、1939年の戦火でワルシャワ国立図書館が火災に遭った際に焼失したため、存在しない。このために、校訂作業が難航していた。

どうせ言うなら「難航してきた」だろうと思いますが、それはそれ。
率直に申し上げますと、『シマノフスキ 人と作品』に基づいて、自筆譜は存在しないと書きましたが、実は同書に、スメテルリンの要請によって自筆譜が写真撮りされ、その写真コピーが遺されているということが書かれているのです。確かに、完全な一次資料とはいえないかもしれませんが、原本の比較的忠実な写しが存在する以上、そのせいで校訂作業が進まないというのは、下手な言い訳にしかなりません。

  • 「作曲者の旧知のアルトゥール・ルービンシュタインに献呈されたが、すでに現代音楽の分野から身を引きたがった彼は本作の演奏に熱心だったとは言いがたく、その生前に演奏会場のレパートリーに定着するには至らなかった。ルービンシュタインは戦後にロサンゼルス・フィルハーモニーとアルフレッド・ウォーレンシュタインの指揮によって本作を録音している。ただし、ルービンシュタインの演奏は民族舞踊に起因するテンポ感、タッチや節回しを含めてスタンダードと呼べる名演であり、彼以後に録音された演奏もこの盤を凌ぐものは、ない。(そもそも、大ピアニストと称される世代は、この曲の選択には意外なほどに消極的であった)。

失礼しました、確かにシマノフスキの友人は、アルトゥール・ルービンシュタインですね。さっそく訂正しておきました。

さて、気になる点ですが、ルービンシュタインってそもそも現代音楽に乗り気の演奏家だったでしょうか? 自分が不勉強なだけかもしれませんが、ルービンシュタインが同時代の音楽について行くことができたのはせいぜい1910年代止まりで、1920年代以降の作曲界にはほとんど無関心になっていったのではありませんか。ルービンシュタインが新ウィーン楽派やバルトークをバリバリ演奏したり録音したりしたという話は、あまり聞かないように思います。ましてシマノフスキの《協奏交響曲》は、1930年代の作品です。(貴殿も書いておいでですよね、「すでに現代音楽の分野から身を引き」、と。)たとえそうでなかったとしても、ここでわざわざ「現代音楽、うんぬん」を付け足すことに、何か重要性はあるのでしょうか。だいいち、原文で言わんとしたことは、「シマノフスキは昔馴染みのルービンシュタインに新作を献呈したけれども、ルービンシュタインはそれに冷淡だった」ということであり、なるたけ客観的にその事実を書いたつもりだったのですが、これだけでは不十分でしょうか。

もちろん、そんなことはないのです。書き足すことが逆効果ということもあるからです。ルービンシュタインが熱心でなかったのは「すでに現代音楽の人ではなかったからだ」と書いたところで、何になるでしょう? それは、ルービンシュタインの(あえて言うなら)「怠慢」を擁護し、本人に成り代わって釈明しているにすぎません。そしていかなる理由があるにせよ、それを言ってみたところで、ルービンシュタインが作曲者の存命中に無関心だったという結果は変わらないし、かつての友人に報いようとしなかったことが許されるわけでもないのです。付け足した文言によって、主観的な言い争いを招く(または招きそうになる)というのは、まったく不用意としか言いようがありません(ですから逆効果だと申しました)。(ちなみに、ルービンシュタインがなぜ晩年のシマノフスキに冷たかったのかは、いろいろな説明が可能ですが、自分なりに理屈をつけるなら、ルービンシュタインにとってはシマノフスキは「過去の人」に過ぎなかったので、かつての友人の置かれた立場や活動に無頓着でいられたからではないでしょうか。尤も、なぜ「過去の人」にしてしまったのかという点については、下世話なことも含めてあれこれ言えますが、下品になるのでやめておきます。)

それから、往年の大ピアニストうんぬんですが、名匠と呼ばれた録音時代の歴史的なピアニストに、現代音楽に積極的な人物がどれだけいたかを考えれば、わざわざ書くような文章なのかと思ったので、削りました。

そしてもう一つ。句読点の打ち方です。
「アルフレッド・ウォーレンシュタインの指揮によって本作を録音している」と自分が書いたところ、貴殿は「指揮によって本作を」としています。このことから、貴殿のテンの打ち方は、論理性や明晰さのためでなく、リズムや呼吸に従っているということが分かります。だから悪いというのではないのですが、やりようによっては、ある部分という部分だけが抜きん出て目立つので、読んでいて作為的な意図を感ぜずには居られません。批評やエッセイならまだしも、少なくとも論文むきの文体ではないということです。次の部分はその好例にほかなりません。

「彼以後に録音された演奏もこの盤を凌ぐものは、ない。」

この部分は、「彼以後に録音された演奏に、この盤を凌ぐものはない。」とすべきところでしょう。

最後に、 …… それにしても、「すでに……引きたがった」ですか? 大変失礼な言い方になりますが、自分が書いたものを是非ともじっくり読み返してから投稿されるよう、強くお勧めしたいと思います。 --間久部緑郎 2009年11月27日 (金) 15:25 (UTC)[返信]

IPユーザー74.117.61.54氏へ[編集]

>車椅子生活の作曲者にはあまりにも辛く

また野田憲太郎による加筆部分を復活させておいでですが(どうやら貴殿も野田先生のようですね)、自分が手許に持っている資料(春秋社による評伝やピアノ曲集)による限りでは、当時のシマノフスキが「車椅子生活」をしていたとか、そのせいで音楽活動が「辛かった」といったことは書かれていないのですが(むしろ、経済的な困窮や健康上の不安にもかかわらず、外国で自作を上演してもらえないかと意欲的に働きかけているということは触れられていますが)、どのような典拠に基づいてそのような加筆をなさるのでしょうか?

また、初演はスメテルリンが行なったにせよ、元々シマノフスキが自分で演奏することを狙って作曲した作品であるとことわっているにもかかわらず、「ピアノ奏者であることが分かると外国から招かれて云々」という一文を加筆・挿入するのはおかしいということが、なぜ分からないのでしょうか。--間久部緑郎 2009年12月9日 (水) 22:32 (UTC)[返信]