ノート:不毛地帯

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統合提案[編集]

唐沢寿明主演の本作のドラマに関する事項が不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)として独立していますが、唐沢主演版の記事に独立する程の分量ではなく尚且つ、現段階では原作も唐沢主演版も肥大化しているという域を脱していない段階で分けて説明することにメリットがないと考えます。それに唐沢主演版の記事にあらすじが書かれていますが、放送されていない段階ではストーリーが原作準拠なのか改変が施されるのかがわからないことと大きく内容が違うのかもわからないのに唐沢主演版の記述にあらすじを書く必要性はないと思います。

故に、唐沢主演版の不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)を本記事に統合を提案します。ですが統合後原作、唐沢主演版双方に一記事として存在する量になったら不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)の分割は検討してもいいと考えます。--B.R 2009年9月25日 (金) 14:41 (UTC)[返信]

賛成 大幅な変更は無いと思われるので本記事でまとめた方が分かりやすいです。よって統合に賛成いたします。--ヘチコマ 2009年9月27日 (日) 05:08 (UTC)[返信]

異論は無かったので統合を実施しました。--B.R 2009年10月2日 (金) 16:13 (UTC)[返信]

あらすじについて提案[編集]

現在のあらすじは、おおよその筋道というよりは、キャラクターごとの出来事と顛末を筋道に関係なく列挙しているような文章になっているので、再編成して、「登場人物の紹介」等のタイトルに改めた方が良いと思います。その上で、筋道を示す、本来的な意味のあらすじは、新編集した方が良いのではないでしょうか。--Innergroove 2009年11月20日 (金) 12:12 (UTC)[返信]

それは、「あらすじ」の定義に依存する問題であるとおもう。それは、書き手の趣味の問題に帰着する。紀伝体で 書いただけです。



「あらすじ」の定義に依存するといっても、あらすじを紀伝体で書くということが一般化していることにもならないし、書き手の趣味の問題と断じてしまっては、ノートの存在意義もない。一般に「あらすじ」とは、粗い「筋道」であって、本紀、列伝などに分類して記述する紀伝体を「あらすじ」という枠の中に収めてしまうことに疑問を感じる。書き手の趣味で、紀伝体で書きたいのなら、「あらすじ」という枠の中でやらずに、「不毛地帯本紀」、「不毛地帯人物列伝」、「近畿商事志」、「近畿商事組織表」などの項目に分けた体裁を取るのが本来の紀伝体。ひとつの「あらすじ」という項目の中で暗黙に紀伝体を使ったときに読み辛さを考慮した方が良いのではないか。--Innergroove 2009年12月2日 (水) 08:14 (UTC)[返信]


「一般化」とは、何か。こんなものは、検証することもできない。あなたのいう「あらすじ」=あらい道筋が一般化しているというのは、あなたの妄想にすぎない。原理的にいえば、あなたのいう「あらすじ」の定義を確認したり検証することはできない。 「あらすじの定義は、書き手の趣味の問題」かどうかを議論する意味でも「ノートの存在意義」はある。さらに、あなたの言うあらすじとは「あらい道筋」つまり、この小説のプロット(plot)のことだとおもう。それらなら、「あらすじ」の冒頭に書いてある部分で終わっている。これは、わたしが書いたものではないが、あれで終わっている。以下、引用します。これがあなたの言う「あらすじ」なのだ。これで十分じゃないか。これでは、不満だから、わたしがわたしの「あらすじ」を 書き加えたのだ。

主人公の壱岐正(いきただし)は陸軍中佐で大本営参謀。終戦の詔に対し、参謀総長の命令書が出されていない以上武装解除に応じる必要がないと解する関東軍部隊の説得に努めた。日ソ中立条約を犯して侵攻してきたソ連軍に拘置され、重労働の刑(25年)を宣告されシベリアに送られる。そこで11年の抑留生活をおくることになる。帰国後参謀としての経歴を買われ商社の近畿商事に入社し航空自衛隊の次期戦闘機選定争いの仕事で辣腕を振るうことになる。後半部では日米の自動車会社の提携、中東(イラン)での石油発掘プロジェクトにも携わっていく。


少なくとも、多くの辞書では、あらすじとは「あらましの筋道」であるとか、「あらかたの筋道」のような記載になっており、「あなたの妄想にすぎない。」と断ぜられるようなものでもなく、また、あらすじの定義などに検証可能性を求めること自体がおかしい。語は語なのであって、特殊な解釈を「書き手の趣味」でやることよりも、日本語の用語法として確立してるとみて良い語に関して議論するのは、この場を不毛地帯にするようなものである。 また、そのような前提がなかったとしても、私の提案は、読み手の趣味の問題として意義がある。(書き手の趣味の問題かどうかを議論する意義があるのなら。) それに対して、趣味の問題だと一蹴する返答に、どのような意義があるのか。また、署名をしないのも趣味の問題なのか。--Innergroove 2009年12月5日 (土) 13:27 (UTC)[返信]


「多くの辞書」とは、なにか。あなたは、広辞苑を単に引用しているだけではないか。それでは、聞こう。それでは、あなたに聞こう。その広辞苑の「あらすじとは、あらましの筋道。とくに、事件の経緯……のあらかたの筋道。梗概(こうがい)」という定義は、どのような手続きで導かれたのか。この広辞苑の定義は、どのようにして導かれたのか。

さらに、聞こう。定義の定義について、あなたはどう考えるのか。つまり、この場合、「あらまし」「筋道」など 定義に使われていることば、つまり、「あらまし」や「筋道」とは何かという問題をどう解決するのか。つまり、defining vocabulary をどう「定義」するのか。ことばの定義というのは、原理的に「ことばのまやかし」では ないのか。あなたこそ、ほんとうにだいじょうぶなのか?


あらすじが個人の主観満載、内容も順序がめちゃくちゃで非常に分かりづらいです。 本来あらすじというのはもっと客観的に書かれるべきでしょう、これではただの読書感想文です。 直ちに書き直すべき。--Guruguruabebe 2010年1月28日 (木) 12:37 (UTC)[返信]


私もGuruguruabebe様と同様、直ちに書き直すべきという意見です。 検証可能性が要求されるのは、その記事の内容であって、語自体ではないはず。 紀伝体で書いたとの言であるが、その言を念頭に読んでも、段落を変えている部分で、前段落に続く記述で新段落にしている部分と、 伝として、別の人物の伝に移る部分とが混在し、紀伝体の体を成していない。 直ちにあらすじとしては削除し、列伝として、壱岐正伝、妻佳子伝などの項目に分割する事を薦める。--Innergroove 2010年1月30日 (土) 03:41 (UTC)[返信]


どこが「主観満載」なのかを明示すべき。

どこが「順序がめちゃくちゃ」なのか明示すべき。

どこが「非常に分かりにくい」のかを明示すべき。

「客観的なあらすじ」とは何かを定義すべき。

なぜ「これでは読書感想文」なのか理由を明示すべき。

あなたがたのいう「あらすじ」は冒頭に書かれている。それで満足すべきではないか。

よって、書き直す必要性は存在しない。たんなる言いがかりにすぎない奇弁。

あなた方は、なぜ、わたしの質問に答えないのか。あなた方が、正しいのなら、誠実にわたしの 質問に答えるべきだ。あなた方は、正しいじゃないのか。


「直ちにあらすじとしては削除し、列伝として、壱岐正伝、妻佳子伝などの項目に分割する事を薦める。」

そこまでする必要ない。不毛地帯の内容がほんとうに知りたければ、原典を読めばいいではないか。わたしの 「あらすじ」を否定するなら、原典を読んだ読者が、各自おのおの否定して、べつの見解をもてばいいではないか。 山崎豊子は、ところどころで、いままでのストーリーの要約をいれている。それをつないで、「あらすじ」なり 「要約」とすればよい。これは、わたしの「あらすじ」であり、あなた方の「あらすじ」ではない。あなた方の「 あらすじ」は、ほんとうに「客観的なあらすじ」なのか。そこで、ノーム・チョムスキーのことばを引用しよう。

「真実は、ナゾなのです。真実は、あなたが決める問題なのです。」


署名をしないことは、誠実なのか。署名をした上で、議論してもらいたい。

さて、「あらすじ」がいかなるものであるかの論争は、あなたとは不毛のようなので、やめますが。 まず、紀伝体で書いてある事が明示もされていないので、「順序がめちゃくちゃ」ととられても仕方ない事でしょう。 紀伝体で書いている以上、順序はめちゃくちゃなのであるから当然です。 「順序がめちゃくちゃ」ととる人が存在すること非難できません。逆に、紀伝体で書くならばそうであると明記するのが親切だと思うが如何か。 その意味で、列伝とすることを薦めている。 「不毛地帯の内容がほんとうに知りたければ」というような人を念頭に置いたのではなく、 あなたの言うあらすじを読もうと思った人への親切として、列伝であることを明記することを薦めたのだ。

紀伝体を念頭に置かないで読む人が存在することは、十分、考慮すべき。

さらに、紀伝体で書くつもりのない人が書いたあらすじに、あなたは、なぜ、紀伝体で追記したのか。 途中から形式を紀伝体に変更したことになるが、その区切りは、読者にはわからない。 最初に書いた人のあらすじに、あなたの紀伝体だという文章をくっつけてしまえば、おかしな印象を与える文章になるのではないか。

また、紀伝体という形式と、最初に書いた人のあらすじに続けて書こうという意識からか(推測)、 あなたの書いた部分は、後半部分が主になっている。 また、何の説明もなく、人物に関する話の顛末が語られているので、不毛地帯を読んだ人間にしか、なんのことだかわからない。 こういうものは、あらすじとは言えないと思うが(私見)、なぜ、あらすじの項目に拘るのか理解できない。

そして、最後に、箇条書きで5つの項目が示されているが、これは何か。 列伝という文言に拘ってはいないが、登場人物欄に大半を移し、最初の人が書いたあらすじのみに戻せば、あなたの文章も生きてくるのではないか。

紀伝体であるが故に、順序はめちゃくちゃで、 紀伝体であるが故に、突然、人物に関する話の顛末が語られるので、非常にわかりにくく、 紀伝体で書いてない最初に書いた人のあらすじ部分に、紀伝体文章を付け足したことでも、非常にわかりにくく、 (1)最初に書いた人のあらすじとの区切り、(2)各登場人物の列伝の区切りと、(3)ひとつの列伝内での段落分け、それらすべてが、改行のみで行われているので、見分けがつかないので、非常にわかりにくい。

そのようなことがあるので、文章を生かすなら、列伝にする(登場人物の説明欄に移す)ことを薦めているのである。 少なくとも、上記3つの意味での区切りを、同じ改行のみで表現するのは、読者を混乱させるだけ、また、最後の箇条書きも本文がないなら、削除すべきだと思う。--Innergroove 2010年1月30日 (土) 09:01 (UTC)[返信]


「紀伝体であるが故に、順序はめちゃくちゃ」ではない。紀伝体と順序は無関係。紀伝体というところから、「順序が めちゃくちゃ」という帰結は得られない。紀伝体の定義には、「順序が正しくない」という内容は含まれていない。

そんなに気に入らないなら、あなたがあらすじを書いたらどうか。


「紀伝体であるが故に、順序はめちゃくちゃ」であるというのは、 私が前回指摘した内の「(2)各登場人物の列伝の区切り」が、改行のみで行われているから、全体を読めば、順序はめちゃくちゃになるのです。 項目分け・題などなく、紀伝体で複数の人物を書けば、読む側からは順序がめちゃくちゃにしか読めない。 それは各人物ごとの記述が、それぞれの人物に合わせた時系列になるので、それを並べれば、人物ごとの時制のスタートラインに戻るので、順序はめちゃくちゃにしか読めない。 また、各人物の時制のスタートラインもその人物の物語中の初登場時点でないことから、唐突な印象を受ける。

私は、あなたの文は登場人物の紹介であってあらすじとは思っていない(私見)。そして、あらすじは最初に書いた人の部分だけで十分と思っているので、自分で書こうとも思わない。そうやって匙をなげるようなことをおっしゃるのなら、削除したらどうか。私は、あなたの文章を生かそうと思って、最初から「登場人物の紹介」にしたらどうかというスタンスなのがお分かり頂けないのか。--Innergroove 2010年1月31日 (日) 05:06 (UTC)[返信]


「お分かりいただけない」んだよ。というのは、わたしは、まだ「あらすじ」を書くつもりなんだな。下に項目を設けているでしょう。あれは、あらすじの続きを書くつもりなんだな。もう少しディテールを書くつもりなんだよ。ただ、最近、テレビの視聴率もよくなったことだし、このままにしておいたほうが、いいのでは…とおもう。岸部さん(里井副社長)が好演しているわけだし、このままでいいのでは…。たいてい、数字がわるいと、出演者はやる気をなくして演技が投げやりになりがちにもかかわらず、岸部さんはよくやっている。あなた方が批判するわたしの「あらすじ」がすこしでも役に立ったなら、望外のしあわせだな。  よって、テレビの不毛地帯が終了するまで、いじるつもりはない。「あらすじ」のおもしろさなら、フジのホームページより、こちらのほうがおもしろいと自負している。たとえ、あまりに主観的だとののしられても。


「お分かり頂けないのか」と申しているのは、私のスタンスであって、削除したらどうかということではありません。 まず、はじめに、「キャラクターの記述に対するガイドライン」の該当欄を引用しますので、お読み下さい。 「キャラクターの詳細は一覧記事で

長大な作品や多くの登場人物が登場する作品においては、キャラクターそのものの解説がより深く作品を理解する事を助ける事があります。しかしこうした解説が役に立つのはある程度作品に対する知識がある読者であり、あまりに詳しい解説を作品記事内で行なう事は前述の通り初見の読者にとって極めて不親切となります。 従ってより詳しい登場人物の解説が必要だと感じた場合には、作品記事のノートで提案をして合意を計り、登場人物一覧記事として「○○の登場人物」を新規に作成する事を検討して下さい。作品記事内の登場人物節を分割して一覧記事を作成する事は効率的である様に見えますが、視点の違う登場人物節における記述はキャラクター解説には適さず、作品記事からの分割では適切な人物解説記事とはなりません。また、一覧記事の作成後も目的の異なる作品記事内の登場人物節は除去しないで下さい。 ただし本当に登場人物記事が必要かどうかは熟慮を要します。例えばそのキャラクターの全て行動を網羅する様な記述であれば、原著を読む方がよいかもしれません。 場合によっては、既に肥大化している記事から登場人物節を一度分割し、その後改めて作品記事内に相応しい登場人物節を加筆する方が現実的な場合があります。しかしこれは「肥大化させても分割すればよい」との誤解を助長する事となるため、推奨されません。」

そして、「ストーリー紹介の在り方についての解説素案」の該当欄を引用しますので、これもお読み下さい。 「ストーリー記事の独立化 上記のプロットの概要での説明にあるようにストーリーは出来事を再構成せず、時系列順に記述するため一般的にプロットに比べ長い文章となります。ストーリーの記述が長くなるようなものなら他のセクションとの分量のバランスをとるため、小説や漫画では各巻単位、ドラマやアニメでは各話単位で内容をまとめ、「○○のエピソード一覧」といった名称でスピンアウト記事を作成することを検討してください。」

そして、大事なのは、百科事典であるので、あらすじに「面白さ」は必要ないということです。 引用したものは草案ですが、尊重した方がいいと思います。

面白さを追求するならば、それは個人でおやりになれば宜しいでしょう。--Innergroove 2010年1月31日 (日) 15:29 (UTC)[返信]


わたしは、虚偽を書いたわけではない。原典「不毛地帯」の「解釈のわく」(法律学の隠語)をこえた内容は書いていない。「あらすじに面白さ」は必要と考える。ずいぶんむかしのことで恐縮ですが、たとえば「無機化学」がなぜ勉強しにくいのかといえば、無味乾燥でつまらないから、教科書や参考書を読みたくないわけ。

百科事典といえど、読者を想定しなければならない。つまらない「あらすじ」など読む価値はない。原典「不毛地帯」は、おもしろいが、あのおもしろさは、「白い巨塔」と同様に、一定の読者しか伝わらない。

たとえば、辻ちゃんには、このおもしろさは、たぶんわからない。そもそも、辻ちゃんは、漢字が読めない。たとえば「強風」が読めない。わたしは、そういう読者にも、「不毛地帯」のおもしろさをすこしでも伝えたいわけ。ハイソな人々がたのしめれば、それでよいというわけではない。

わたしは、漢字の読めない辻ちゃんのような人々にも、このおもしろさを伝えたいわけなのだ。


数字の取れないドラマの原作は、一部のマニアがたのしめばよい。よって、「あらすじ」の大部分を 削除しました。

さようなら。

外部リンク修正[編集]

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月24日 (日) 00:18 (UTC)[返信]