ノート:三河平坂駅

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

港前駅に乗り入れできなかったのは平坂漁民の猛反対か?[編集]

三河平坂駅の開業が1926年、新實氏は1926年より後の生まれであり 新實氏自身が実際に平坂漁民からの反対に遭遇したわけではない。 平坂漁民が西尾鉄道の建設には反対せず、三河鉄道の建設のみに反対する理由もなく、 平坂漁民が原因で三河鉄道の港前駅乗り入れや交差部での駅ができないというのも 不自然である。 三鉄ものがたりには「一説には裏で西尾鉄道が絡んでいた」とあり、 西尾鉄道による三河鉄道の平坂進出の妨害のほうが自然である。

平坂漁民の話を書くのであれば「一説には裏で西尾鉄道が絡んでいた」の文を 付け加えるべきでしょう。--HQA02330会話2020年6月3日 (水) 11:40 (UTC)[返信]

コメント - 西尾鉄道の関与について当該書籍では「風評」とあるので、むしろこれを書くとHQA02330さんに噂と一蹴されると思って省いたのですが、支持されるのであれば記載することに異論はありません。
なお「西尾鉄道の建設には反対せず、三河鉄道の建設のみに反対する」理由はあります。平坂は西尾鉄道に駅建設用地を提供するなど平坂線の延伸に協力的で、地元有力者も同社に参画していたため、西尾鉄道の経営に影響を及ぼす三河鉄道の進出に反発したのです。逆に一色では三河鉄道が先に開業し、西尾鉄道→愛知電気鉄道の一色口(福地)からの一宮延伸に反対していますね。結局は直接の誘致反対者が地元民という形になっている(なので出典を求めるとまずこちらが理由として表れる)だけで、実態としては会社間の争いというわけです。--ButuCC+Mtp 2020年6月3日 (水) 22:06 (UTC)[返信]

HQA02330さんの主張にも一理あると考えており、例えば川島令三氏の著書における「好評」「不評」のように、本人が直接見聞きしたわけでもなく判断した根拠も不明である場合には、出典に書いてあっても記載しないという選択はあり得ると思います。ただ、この件については、海岸線に直行する線路と並行する線路では漁民の生活に与える影響が全く異なることは容易に想像でき、理由がないとか不自然とかいうことはないと思います。西尾鉄道云々とあわせ、書き方に注意して記載すれば問題ないでしょう。--210.48.133.123 2020年6月4日 (木) 00:22 (UTC)[返信]