ノート:ラサ市

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観光欄のバスの種類、なぜ同じ地域に2項目があるのか[編集]

「観光」欄に、「2005年5月ラサとネパールの首都カトマンズを直通で結ぶ国際列車が開通した。」 とありますが、正しくは国際バスではありませんか。--210.170.207.121 2005年10月22日 (土) 16:17 (UTC)[返信]

何で同じ地域を説明するのに「ラサ (チベット)」と、「ラサ市」と記事を二つも作ってるんですか。英語版も一つしかないんだから、以前の「チベット自治区・西蔵自治区」問題の時みたいに統合してもらいたいもんです。リンクする時、混乱してしまいます。58.91.118.149 2005年11月10日 (木) 13:08 (UTC)[返信]


チベットの古都ラサと、中華人民共和国の地区級の行政体のひとつラサ市は、ぜんぜん「同じ地域」ではありませんよ。チベットの古都ラサは、6世紀に成立したチベットの古都です。一方、ラサ市は、中華人民共和国による直接統治の開始後に、チベットの古都ラサと、近隣のルンドゥプ、タクツェ、ニェモ、ダムシュン、チュシュル、メルドグンカル、トルンデチェン等の諸県とを合わせて形成されれた地級市で、面積も範囲もまったく違います。あなたの主張は、京都市京都府は「同じ地域」だから、「一つの記事に統合すべき」と言っているようなものです。リンクするときは、そのラサが、「チベットの古都」だけを指しているのか、「古都ラサおよび7県からなる行政体」を指しているのかで区別すれば、混乱は回避できるでしょう。--Dalaibaatur 2005年11月17日 (木) 14:50 (UTC)[返信]

Sionnach氏は、統合依頼を行った後、それを削除依頼に変更しましたが、議論の結果却下されたので、テンプレを外しておきます。--Dalaibaatur 2006年2月27日 (月) 07:17 (UTC)[返信]

Sionnach氏は、2006年2月13日 (月) 15:11の版で、「公用語による正式呼称は、チベット語で「lha sa grong khyer (ラサ・ドンケル)」、中国語で「拉薩市(らさつ-し)」である」という文面を、「チベット語(ラサ方言)での正式名はラサ・ドンキェル(lha sa grong khyer)。」と変更しましたが、

  1. 「ラサ」に対するラサ方言での発音は「ヘーサ」であり、「ラサ」を「ラサ方言」と呼ぶ氏の編集は誤り。#民族区域自治行政体における公用語による正式呼称は、中国語名、民族名ともすべて明示されるべきこと

という2点から受けれ入れがたいので、氏が手を加える前の版に則した記述に復元しました。--Dalaibaatur 2006年2月28日 (火) 18:43 (UTC)[返信]

誰もらさつなんてよまねえよ。[編集]

Dalaibaaturおめえなあ、チベット語にせよ日本語にせよいい加減な読み方にも程があるよ。長音とか母音とか滅茶苦茶だ。あとらさつと言うな。笑われるだろが。俺まで一緒にされたらかなわねえんだよ。塩菜っ葉 2006年3月5日 (日) 08:23 (UTC)[返信]

修正しました。--Dalaibaatur 2006年3月8日 (水) 06:21 (UTC)[返信]

その修正ってのはお前のが正しいとか言う意味か?なら証拠だしなよ。あのな、チベット語は綴りと発音の関係が不規則な事が多いからそういう場合の事を考えて資料を根拠にしてカタカナもつけなきゃなんねーんだよ。その点で参考できる資料もなしにたまにチベット語の発音規則ぶっ飛んでるお前のやり方は間違ってるとしか言い様がねー。塩菜っ葉 2006年3月15日 (水) 07:21 (UTC)[返信]

あと日本語の伝統的な読みでは拉はらとはよまねー。読むとしたららつだ。本当に日本人か?中国人?チベット人?インド人?韓国人?塩菜っ葉 2006年3月19日 (日) 14:32 (UTC)[返信]

公用語の公式呼称[編集]

原稿のフォーマットでは、公用語の公式呼称にもとづき、記事名を定めること、とされています。この地区の場合、公用語は中国語とチベット語です。フォーマットによって出力された【実際の記事名】の根拠として、【公用語による表記(中国語)】、【公用語による表記(チベット)】を明示することは、現行フォーマットに基いて【記事名の作成】、【自治体名の一覧表の作成】が行われているかぎり、不可欠です。「公用語による公式呼称の併記」および「公用語による公式呼称という説明」を消してまわる編集を行う人があるようですが、同意しないことを、ここで明らかにしておきます。--Dalaibaatur 2006年4月15日 (土) 11:51 (UTC)[返信]

統合テンプレの撤去について[編集]

IPユーザ「222.144.86.183 」が統合テンプレを貼付けましたが、二ヶ月以上まってもちっとも議論を始める様子がないので、統合テンプレを外しておきます。--Dalaibaatur 2006年7月23日 (日) 09:07 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

ラサとの統合を提案します。中国語の都市においては北京市北京のように現在と歴史的地区を別項目とはしないということでコンセンサスができています。--Clarin 2008年11月23日 (日) 13:21 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_中華人民共和国の行政区分でのClarin さんとYonoemonさんの議論をみるかぎり、そんなコンセンサスはできていないようですが。--Dalaibaatur 2009年10月31日 (土) 15:52 (UTC)[返信]
(統合は賛成)中国語ではなく「中国の都市」ということですよね。ラサはチベット語ですので(中国語では拉薩)。中国にせよ中国語にせよ、別に記事がある必要はないでしょう。上のほうで地域として違いすぎるという意見もありますが、ラサ市を名乗っているからには連続性があり、統合は問題ないでしょう。
ところで、どちらを残す予定でしょうか。--Kitany 2008年11月28日 (金) 08:30 (UTC)[返信]
それは北京ではなく北京市が項目名となっているのと同様の措置をとる予定です。--Clarin 2008年11月28日 (金) 23:12 (UTC)[返信]
このノートの上部でも述べていますが、コンセンサスもなしに勝手にそんな「措置」をとらないでください。--Dalaibaatur 2009年10月31日 (土) 15:52 (UTC)[返信]


重複する文面を削除します[編集]

いま本項と「ラサ」で重複している記述のうち、以下の文面は、もともと古都ラサのほうに私が投稿した文章です。本項のための代替の文面を執筆し次第、現時点でラサと重複している記述は削除します。--Dalaibaatur 2010年4月19日 (月) 01:09 (UTC) 2005年5月8日 (日) 01:54時点における版[返信]

一年を通じ晴天が多い事から「太陽のラサ (nyi ma lha sa)」とも呼ばれる。
7世紀前半にチベットを統一した吐蕃王朝第33代ソンツェン・ガンポによりチベットの都と定められ、641年には中国の公主(王室の皇族女性)がチベットのツェンポ(王)の妃として迎えられた。伝承では、このときネパール王女も同時に妃に迎えられ、二人がもたらした仏像を本尊として納めるため、トゥルナン寺ラモチェ寺が建立され、市街形成の核となったとされる。
9世紀吐蕃王朝の崩壊以後、チベットの政治的中心は、時期ごとの覇者たちの所在地を転々としたが、宗教的中心地としての地位は不動であった。1414年にはラサ三大寺の筆頭ガンデン寺の建立をかわぎりにゲルク派の本拠地となり、17世紀中期には熱心なダライ・ラマの信者であったオイラトホショト部のグシ・ハンがチベットの大部分を征服したことをきっかけとして、ダライ・ラマの宗派を超えた宗教上の最高権威としての地位が確立され、諸宗派に対するゲルク派の優位、とりわけモンゴルにおけるゲルク派の優勢が決定的となった。この結果、ラサは再びチベット全域の政治的、経済的、文化的中枢の地位を獲得しただけでなく、チベット人、モンゴル人満州人などから構成されるチベット仏教文化圏の中心ともなった。

2005年5月8日 (日) 01:30時点における版

チベット語「ラ(lha)」は神々、また仏たちを、「サ(sa)」は土地を意味し、すなわち「神の地」、「仏の地」を意味する。古くは「ラサ(ra sa)」(ヤギ(ra)の地)とも書かれ、従って後代に成立したラサの建都伝説では、池を埋め立てる石を運ぶのにヤギを用いた、という物語が付加されている。
トゥルナン寺を中心とした三つの環状道路「ナンコル」、「パルコル」、「リンコル」の周辺に広がる旧市街と、旧市街の西方に広がり、中国の支配下で建設された新市街から成る。


歴史的記述はラサのほうに記述していきます。[編集]

Clarinさんへ。 チベットの古都ラサは、中国の現行の行政区分では、「拉薩市」の一部「城関区」にあたり、「ラサ市」の市域はこの城関区と近隣の諸県からなります。どうしても統合したいのならそれでも結構ですが、それにしてはこの記事の「歴史」の説の文面が、(もともとは「古都ラサ」のために執筆された)「城関区」部分のみの記述を持ってきただけで、「城関区」とともに「ラサ市」を構成する近隣諸県についての情報を一文字たりとも追加しないのはどういうことですかね?歴史的地名と現行の自治体をどのように記事としてたてるかについてはYoneemon氏ともモメておられるようですが、ご自身の主張を強行するのであれば、たんなる「項目の立て方」だけではなく、記事にもりこむ情報も、きちんと充実させていただきたいものです。 私のほうは、あらためて「古都ラサ」「チベットの歴史的地名としてのラサ」について記事を独立させ、歴史や伝説についての記述をそちらのほうで充実させていきます。--Dalaibaatur 2010年4月10日 (土) 19:40 (UTC)[返信]

ラサを復帰されたようですが、差し戻しました。それは統合提案への提出・合意により処理済の事項です[1]。もしラサ市ラサを分割されたいなら、分割提案に提出して再合意を図ってください。ラサ市成立以前のラサを、現在のラサ市の歴史としてではなく、城関区に関するものであるという話は固有の解釈と思いますが、そうであるなら、城関区がある状態で何故さらにラサを再作成されるのでしょう。もし分割しても、一般読者が「ラサ」「ラサ市」を別々に検索することは滅多に無いだろうと容易に予測できますし、現在ラサと呼ばれている地名の項目から中華人民共和国による以前の歴史を全て省いてしまったら、味も素っ気も無い記事になるに違いないでしょう(特定の物の見方によってはそれが狙いということも予測できますが)。さらに、これが仮にインドのような国の地名だったら別項目にすらなっていません。なぜなら、これはたまたま中国の市の項目名に「~市」をつけるコンセンサスがあって、Wikiというシステム上「ラサ」と「ラサ市」として別項目となってしまっているだけだからです(「マニラ」と「マニラ市」を別項目にしないのは、フィリピンの地名に「~市」をつけるコンセンサスがないからです)。というわけで、分割および再作成には反対させていただきます。アバ・チベット族チャン族自治州の改名提案なき移動のようなことを、再度繰り返さないようにお願いします。--Clarin 2010年4月12日 (月) 02:36 (UTC)[返信]
古都「京都」の記事と現行の自治体「京都市」・「京都府」の記事は別記事になっています。
アバ・チベット族チャン族自治州の改名提案なき移動」←Clarinさんが行った移動のことですね。--Dalaibaatur 2010年4月17日 (土) 14:03 (UTC)[返信]
ノート:ラサではラサ市との統合を主張する人が独立した記事としてのラサを削除する提案をして議論が行われたうえで、「存続」と決定がくだされました。当時の議論の参加者の中には、私による「歴史関係の記述の充実を期待する」と私を名指しで「期待」してくださっている方もあります。Clarinさんのいう合意なるものを拝見しましたが、ノート:ラサにおける議論を踏まえた形跡がみられませんし、私のほうこそ、Clarinさんに合意なき統合を何度も強行なさらないようお願いします。--Dalaibaatur 2010年4月16日 (金) 16:57 (UTC)[返信]

ノート:アバ・チベット族チャン族自治州の改名提案による移動を「改名提案なき移動」というのは事実と全く正反対の主張ですし、ノート:ラサ市の統合提案による統合を、それよりずっと以前のSionnach氏との議論を引っ張り出して「「存続」決定がくだされました」というのは自己都合解釈です。と同時に、あなたがメーリングリストで管理者相手に主張していた「自分の意見だけがコミュニティの合意に沿っているのだから、誤認投稿ブロックである」というのも、全くの自己都合解釈以上の何でもない可能性がさらに濃厚になりました。わたしは、あなたとSionnach氏とのぐだぐだな議論を引き継いで相手をするつもりは毛頭ありません。そして、ブロック解除後にブロック前の問題点の改善が全くみられないあなたには、当然のことながら投稿ブロックの継続が検討されてしかるべきと考えます。--Clarin 2010年4月18日 (日) 03:49 (UTC)[返信]

  1. あなたのいうブロックって、依頼理由(そして上記でいう「ブロック前の問題点」)が、Clarin事実誤認(あるいは意図的な歪曲の虚偽)で、多重アカウントによる賛成多数でとおったブロックのことですか?
  2. 記事ラサノート:ラサの履歴をしらべてみましたが、こちらのほうでラサ市との統合が提案された痕跡がみあたりません。あなたのいういわゆる合意には、手続き上重大な瑕疵がありますね。--Dalaibaatur 2010年4月18日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
Clarin氏が2010年4月18日に私に対して再度申請したブロック依頼の申請とその結果。--Dalaibaatur 2010年5月4日 (火) 12:32 (UTC)[返信]

「ラサ市」の記事で、「ラサ市の情報」を削除するのはなぜ?[編集]

合意なく「統合」を強行したClarin氏の編集に疑問があるので、以下に指摘します。

この記事の名称は「ラサ市」です。

氏が「統合」を強行する直前の版(2008年11月14日 (金) 20:46)までは、記事名にふさわしい、中華人民共和国の「地区級」の自治体「ラサ市」としての定義が記載されています。

ラサ市(-し)は、中華人民共和国西蔵自治区の中央部に位置し、同自治区を構成する自治体のひとつ。
チベットの古都ラサとその郊外からなる「城関区」と、その周辺の7ゾン(県)で構成される地級市。「地
級市」は、中国の行政区画制度において、二級行政区画に分類される行政体の一種である。自治区人民政
府は城関区内に設置されている。本市の東方に位置するロカ地区とともに、中央チベット東部の「ウー地
方」を構成する。

しかしClarinが統合と称して書き換えた定義文の文面(2008年11月30日 (日) 12:13)は次のようになっています。

ラサ(ラサ)は中華人民共和国チベット自治区の省都。
チベットの政治的、文化的中枢都市であり、またチベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成される
チベット仏教文化圏の中枢でもある。
中国政府が1956年に設置したチベット自治区籌備委員会、1965年に発足したチベット自治区の人民政府な
ども、この市に本拠を置いている。自治区人民政府は城関区内に設置されている。

こちらで確認

この記事の名称は「ラサ市」のはずですが、なぜ定義文が「ラサ市は…」ではなく「ラサは…」となっているのですか?

また「ラサ市」という中国の地方自治体の属性である「中華人民共和国の「地級市」である」という情報を記事中から消去するのはなぜですか?

氏は自身の編集を「統合」と自称していますが、記事「ラサ市」だけでなく、記事「ラサ」に収録されていた情報にも、氏による「統合」の文面から消えている有為な情報があります。

以上、Clarin氏が「統合」と称して実行している編集作業は、他の執筆者が投稿した文面に対する敬意が欠落したずさんなものであることを指摘し、氏による、いわゆる「統合」の強行に反対する理由のひとつとします。--Dalaibaatur 2010年4月17日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

統合後の定義文には、ラサのものを採用しました。統合前のラサ市の定義は、「ラサ」と「ラサ市」を完全な別個として扱うというDalaibaatur氏の主張が濃厚であり、一般の読者の考えるラサとは乖離があると思ったからです。一言で言えば、「くどい」と思いました。中国の地級市が「古都」と「周辺の県」から成っているというのは、何もラサだけの話ではなく、自治体の構成要素については、定義文で述べなくとも、行政区画の節で解説すれば済みます。文化的歴史的中心地が地級市の解説の中心になったとしても問題とは思えません。繰り返しますが、一般の読者にとって「ラサ」=「現在のラサ」=「ラサ市」です。中国の行政区を完全に相対化したいがために、一般読者の不便を承知であえて分割するという方針は、百科事典としていかがなものかと思います。--Clarin 2010年4月18日 (日) 05:01 (UTC)[返信]

「くどい」などというClarinさんのたんなる「感性」で、ラサラサ市に投下した有為な情報を消去されるのは納得いかなかったので、大幅に増補して全部復活しました。「拉薩市(ラサ市)」という自治体が中華人民共和国により「地級市」として1960年に設置されたのは、Clarinさんのいう「Dalaibaatur氏の主張」などではなく、各種の媒体により検証可能な事実・史実であります。そして、元来は、「京都」と「京都市」「京都府」が別々の記事となっているのと同様、チベットの古都についての記事と、現行の自治体の記事とが別々にたてられていました。「あらたな分割」などではなく、「合意」のないまま強行され、手続き上も不備のあるClarin 氏による編集作業をとりあえずもとの形にもどしただけです。とくに氏の編集作業は「履歴継承」の作業を手抜きするという、他の投稿者への敬意に欠けるものであるので、とうていみとめられるものではありません。詳細なコメントはノート:ラサでおこなっています。--Dalaibaatur 2010年4月18日 (日) 05:36 (UTC)[返信]