ノート:モーリタニア

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「イェメン起源のアラブ系の支配が続き」との記述について[編集]

イェメン起源のアラブ系というのは、ベルベル人が自分の出自を隠すための方便として使用するのですが...日本人が先祖を源平藤橘に結び付けたがるように... --siyajkak 2005年5月2日 (月) 9:50 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。勉強になります。英語版から記述をそのままいれましたので、間違った記述を鵜呑みにしてしまったことになるでしょうか。お詫び申し上げます。よろしければ英語版のほうにも訂正をいれていただけるとありがたく思います(英語版の記述の感染力というのはなかなかに強いものがありますので)。--Aphaia 2005年5月4日 (水) 21:14 (UTC)[返信]

社会の支配層とモーリタニアの部族について[編集]

ベルベル人の子孫である、イスラム系のムーア人住民が社会の上層を占める。」(特別:固定リンク/6606952

現在モーリタニアを政治的・経済的に支配しているのはアラブ系ベニ・ハッサン族の下部部族に属する部族出身者のようです。『イスラム』というのは宗教概念であって民族を指示するものではないので、ここで『イスラム系のムーア人』というのは無理があります。
この現在モーリタニアを支配する部族はアラブ系であってベルベルとは別とするのが普通のようです。ベルベル系としてはサンハンジャ族が有名ですが、こうしたベルベル系民族がアラブと混血したというのは、可能にしても大勢ではないようです。私は2004年11月から2006年3月までモーリタニアに滞在しましたがベルベル人には一度も出会いませんでした。政府にもベルベル人はいないようです。奴隷出身者(クデタで転覆されたタヤ大統領支配下最後の政府の首相は奴隷出身者でした)はいました。黒人系はハル・プラール族が一番多く、ついでウォロフ、バンバラはタヤ政権の迫害にあってほとんどいなくなったとのことです。ハル・プラール出身者は公務員に多いのですが、1980年代後半にあったタヤ政権による軍粛清により軍にハル・プラールはほとんどいません。最後に付け加えるとモールというのはヨーロッパ人がこの土地の住人に与えた呼称であって、住民自身はこの言葉を使わなかったということです。以上、お役に立てば。--temjinus 2006年7月27日記 / 意味が取れるように主ページからの引用部を判別できるように変更、改行を1点追加。再編集ご海容ください。--Yumoriy会話2024年1月11日 (木) 12:13 (UTC)[返信]