ノート:マンハッタンカフェ

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エピソード(サイン馬券)について[編集]

そもそもこのエピソード自体の扱いも含めて考えたほうがよいかもです。 アメリカンボスは新聞などでも話題になってたような記憶があるのですが、デスポットについてはこの記事で知ったもので。これも新聞とかで記事になっていればいいんですけれどね。それでも出典として見つかるかどうか。。。 いろいろ検索してみると当時の話題で HIT はしてくるので、ファンの間でそういう話題はあったのでしょうが、記事として取り扱うべきかは微妙なとこでしょう。(デスポット=暴君)の意は判っているんですけれど、ざっと検索してみた様子では、(デス=死)ととらえてる例ばかりでした。もともとが(デスポット(デススポット))なんて記述でしたし。そういうとこもあやふやな話題だなぁと。(デスポットという単語に皆あまりなじみがないのが一因でしょうね。)--202.211.223.194 2007年12月25日 (火) 03:10 (UTC)[返信]

(追記)アメリカンボスの出典記事がどの新聞の何号とかご記憶のかた、いましたら追記お願いします。有馬でしたので、たしか一般スポーツ紙でも記事になっていたかと・・・ --202.211.223.194 2007年12月25日 (火) 03:18 (UTC)[返信]
    • 申し訳ありません。書き込み時系列をはっきりさせるため下に移動させてもらいます。
--202.211.223.194 2008年1月28日 (月) 01:33 (UTC)[返信]
一般のファンなら有馬のエピソードを取り上げますが、競馬にコアなファンだとどう考えても有馬記念は菊花賞の再現として「又だ!」という声が多く、有馬だけを主軸に取り上げ後世に残していくのは本当に正解なのか?と疑問を持たざるを得ません。競馬で12年以上生活をしている者としては、いっそ有馬の方も消して欲しいくらいです。個人的な意見ですが、何かここが俄か知識の場でしか無い様で、最も掘り下げた知識を得る場所で無い為、知識を探そうとしたら更なるネットサーフィンが必要になるということが多く、書き込んでいる方々はそれで達成感や高揚感を得られるのでしょうか?決して馬鹿にするわけではなく、折角持ち寄った知識で最高のものを作り上げるという気持ちがあるのに残念でなりません。たしか私の記憶では菊花賞の時も翌日のスポーツ紙に取り上げられていた記憶が有ります。証拠は提出できませんが…。同時にここのサイン理論という項目には両者取り上げられているのに、こちらだけを消すのは偏ったサイトを証明している事の裏づけではないのでしょうか?
202.211.223.194 = えーす です。有馬を取り上げた記事が見つかったので出典追加しました。wikipedeia はコアなファン向けサイトではありませんよ。マイネルデスポットの件は、記載するにやぶさかではありませんが、上にも書いてますよう加筆されるたびに デススポット(死の地点??)→デス(死)→デスポット(独裁者)と記事がころころ変わっていたのがいかがなものなのかと。記事になった際はどれで取り上げられていたのでしょう?明らかになればそこも解決しませんかね?『サイン理論という項目には両者取り上げられているのに、』という点は、逆にそちらの記事も典拠無く書かれているとも言えますね。(ノートに記入の際は記名を忘れずに。)
--えーす 2008年1月28日 (月) 02:11 (UTC)[返信]

井崎『週刊100名馬』云々[編集]

なんかウォッチリストに入っているので目に入りました。

結論からいうと、下記のような感じではどうでしょうか。

  • (1)「評価」節みたいなのを新設し、(例オグリキャップ#特徴・評価
  • (2)そこに『週刊100名馬』掲載の井崎による評を、適切に帰属化して載せる
  • (3)前段のうち、「SSの時代-88」を出典とすること自体はOK。ただし現状の文章は、リンクも特殊だし、文脈にも難がある。「『SSの時代』では「長距離向きの優しい気性」と評された」だけでしょう。
  • 『SSの時代』は「気性」節でも出典として利用されており、そこでは種牡馬として「繁殖牝馬への接し方」的な文脈で「優しい」と叙述していますね。私は同書を直接読んでいないので憶測混じりですけど、その話から「距離適性」に持ってくのは、ちょっとどうかなー、とは感じます。
  • なんかもっと直接的に、「(実績からいって)マンハッタンカフェはステイヤーでした」的な言及がありそうなものだとは感じますが・・・
  • (4)一方、その次の「新馬戦を除き長距離戦だ」部は、個別のレースの距離の情報源を示してはいるものの、「マンハッタンカフェの勝鞍が長距離です」という文脈に対する情報源としては不適です。いわゆる独自研究になってしまいます。
  • (5)井崎による評の記述のなかで、注釈で「本が出版された2002年時点ではホニャララだけど、その後2023年までにはアレとコレとアレが・・・」みたいに列記する部分は、よくある冗長化しやすいパターン。程度問題の面はあるとは思いますけど、なにか別の情報源でひとまとまりの記述として言及があるのがベスト。ウィキペディアンが個別の戦績表を出典として個々に列記するのは、今後も継続的に更新を要するというのもあって、あんまりよくはないとは思います。絶対ダメとまでは言いませんが・・・。
  • この井崎評がどの時点のものかというのは重要で、それによって記述の性質は変動させてもよいですね。今回は引退後の総評とのことなので、「評価」節でよいでしょう。もし春天直後の井崎談みたいのであれば、現役時の記述の方が適している。・・・まあ井崎先生は「常に大言壮語」みたいなタイプなので、井崎評オンリーだとちょっとなあ・・・とは感じます。
  • 基本、評価というのは人によりけりなので、いろいろな人によるいろいろな評価を並べるようなスタイルになるかと。「事実」と「評価」は明晰に区別する必要がありますし、厩務員・調教師・騎手・馬主といった「一次」的な関わりの人物による評と、記者や評論家とかの「二次」的な人物による評も、扱いを変えるべきかも。(具体的には私は知りませんが)マンハッタンカフェのことを徹底的に調べ上げて単著を刊行したライター、みたいな場合には、「1.5次」みたいになるのかも。
  • すでに相当数の情報源が示されています。が、引退後に歳月が経ってからの情報源は少なめで、そこらへんが課題。こればっかりは情報源が存在しなければどうしようもないですが、今後の調査・加筆に期待といったところ。--柒月例祭会話2023年10月3日 (火) 06:54 (UTC)[返信]
コメント まさかの同時にノートでの発議を行ってしまいました(ブレイク中と聞いていたのに…)。私の差し戻しに関する説明も下にありますので、目を通していただけると。--OKfarm会話2023年10月3日 (火) 07:23 (UTC)[返信]

2023年10月3日の差し戻しについて[編集]

2023年10月3日、私OKfarmが、この差し戻しを断行したところ、加筆者であるIP利用者より、異議を唱えられて、再差し戻しとなり、編集合戦となりました。この件について、議論する場を設けることにします。

加筆者のIP利用者は、特徴の節に、新たに「戦績」という項目を追加し、菊花賞と有馬記念、天皇賞(春)3連勝の事実について取り立てて説明しようと試みました。主だった出典には、井崎脩五郎のエッセイを用いていました。しかし私は、これについて「多分の独自研究」があること、既に「説明済み、さしたる情報追加、新観点提供できていない項目の除去」として、加筆部分を除去しています。ところが直後に、加筆者は、私の除去を不服として内容の差し戻しを行いました。

これについて私の説明を補います。「独自研究」は、初めの長距離レースを三本列挙した部分が該当すると考えます。出典は、2020年のプログラムという極めて一次資料に近いものです。しかも2020年で2001年を説明しようとする点もいただけず、情報を都合よく合成しているように、独自に研究しているように感じました。

続いて「説明済み、さしたる情報追加、新観点提供できていない項目の除去」は、肝心の内容が不足している点、または重複している点があると考えています。既に競走馬時代の節において、史上5頭目…、史上2頭目…という単なる事実の説明は済ませております(ちょうど1年前くらいに私が加筆改稿したのでした)。改めて特徴節で述べるには、説明されていなかった深堀りした情報を加えながら、説明するほかありません。特別な主張には特別な証拠が求められるわけで、その特別な証拠が、井崎による深堀りされていない、単なる事実列挙のエッセイでは、ふさわしくないように思います。

それに引用の意図もあまり理解できませんでした。第一に長距離戦は負担が大きいというのも疑問ですし、シンボリルドルフとマンハッタンカフェのその後は順調じゃないじゃんという疑問も浮かんでいます。少なくともエッセイの文末が引用部であるような薄い出典で、特徴の一節を担わせるのは、難しいように思ったため、差し戻しに至ったのでした。--OKfarm会話2023年10月3日 (火) 07:16 (UTC)[返信]

この議論の発端となった2023年10月3日 4:13(UTC)時点における版をIP:2400:4050:9061:fff0:a470:f8cd:644f:bf13の名で編集した者で御座るが、当該議論について、編集当事者で御座る拙者は、参加を断固拒否する。その理由は、下記の通りで御座る。
  1. 議論発起人がいきなり「独自研究を多分に含んだ文章」と勝手に断言して、拙者の編集をそのような扱いにしたこと
  2. その後上記のように議論の場を設けて、差し戻した理由を述べられたが、全てが後付けのように感じらること
  3. 本記事を含め多数の競走馬記事に出典として利用されている『優駿』の方が信頼に値する出典とされていると思える現状では、議論発起人をはじめ、拙者が示した『週刊100名馬 EX5 マンハッタンカフェ』は出典として使えないもので、その中の井崎脩五郎著 「【連載エッセイ】僕のはなしを聞きなさい」に記載されている文章は、信用に値しない文章であるといわんばかりであるかのように感じられること
  4. 議論発起人がしきりに「独自研究」と申し上げており、そもそも議論として「独自研究とは何ぞや」という疑問も浮かぶし、拙者は本記事「戦績」の節の冒頭部分については、独自研究とは露ほどにも思って御座らんし、議論発起人の説明を見ると、拙者とでは根本的にそれに対する思考の隔たりがどうも大き過ぎる様に感じてならないこと
  5. 上記1. - 4.から、拙者がどんなに論理だてても「それは独自研究に当たる」だとか「内容が薄すぎるから、これを編集するのは相応しくない」なとど、ほぼ確実に編集を拒否される恐れが増大していると感じ、これではまともに、そして建設的な議論ができるとは到底思えないこと
以上が理由で御座る。ただし、拙者は『優駿』という競馬誌に関しては、非常に優秀な書物であると思っているし、決してそれらの出典を信用に値しない書物だとは断じて思っていないことだけは強調しておきます(編集中に拙者は、『優駿』の出典は消去していない)。また、『優駿』については、出典として起用している該当バックナンバーも入手困難で、拙者は所持しておらんので御座る。
拙者はシンボリルドルフと同様の戦績を挙げたマンハッタンカフェの偉業は後世に残すべきものと考えて編集するつもりであった。出典の中の締め括りの文章の「3歳時に菊花賞、有馬記念連覇は、過酷な負荷であり、その後の順調さを奪うことかもしれない。そして、その負荷を厭(いと)わず、大仕事を成し遂げたのが、シンボリルドルフとマンハッタンカフェであるということである。」、これをどのようにして伝えればよいか、さらに、3歳時に菊花賞、有馬記念連覇した5頭が、連覇したことによってどのようになってしまったのかを信頼できる出典(『週刊100名馬 EX5 マンハッタンカフェ』井崎脩五郎著 「【連載エッセイ】僕のはなしを聞きなさい」 28 - 29頁やギャロップの臨時増刊など)を示しながら伝えたい、それには節立てして伝えた方が良いのではないか、と熟慮した末での編集であった。本来であればこの版の「シンボリルドルフ以来の功績」の節における、下部の比較対象の記述を利用したいところだったが、この記述を本記事に再び編集すると、内容が少し誇大すぎて過剰になってしまうと思えたし、この記述は百科事典にある種の論文を載せてるような形となり、これこそ拙者は「独自研究は載せない」に抵触するものと感じたので、当該部分を基に編集することは取りやめた。また、当該節の冒頭部分の菊花賞などの出典を競走距離に対して裏付けを取れる出典を示したつもりだが、出典を付ける場所を間違えてしてしまったため、発起人に上記のような誤解を与えてしまったこと、上記の節から変に出典付きで引用してしまったこと、一部の出典(ギャロップの臨時増刊など)を出すのを失念してしまい、そのためそれを効率よく伝えきれなくなってしまったというのは拙者のミスではあると思うが、それを差し引いてもである。しかし、当該議論は「独自研究」における根本的な考えの隔たりにより長期化する恐れがあることは確実な情勢であるように思い、そこでエネルギーを消費するより、双方かどちらかが妥協した方が良いのではないかと考慮し、少し日を置き、拙者の思いをしっかりと信頼できる出典を示しながら編集するには、他に方法がないかと模索した。
(結論)そして考慮の末、何も特別に節立てせずに注釈の中でもよいのではないか、他の競走馬記事においてもそのように編集している記事もあることが判明(例:オルフェーヴル#神戸新聞杯 - 菊花賞など)したので、現状に編集しなおしました(一応、信頼できる出典を示しながら編集したつもりで御座る)。よって、この議論を継続するか、それとも終了するのかは発起人のご判断にお任せします。そして、このような結果となったのは、議論発起人の最初の差し戻し編集の要約欄の言葉によって拙者は気分を大いに害され、その後の説明も信用が置けなくなるという発起人の接点ミスと、拙者の思入れが強すぎるが故の編集ミスなどが招いたお互いが不幸となる結果だったということなのであろう。そこのことついては拙者も肝に銘じたいし、議論発起人も肝に銘じてくれることをお願いしたい次第で御座る。最後に、皆さまとはしばらく間お別れします。さようなら。--2400:4050:9061:FFF0:4939:FB22:B321:FA00 2023年10月4日 (水) 15:37 (UTC)[返信]