ノート:マルクス主義

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マルクスと暴力革命[編集]

晩年のマルクスとエンゲルスが暴力革命にやや否定的な見解を出していた、という議論はたしかにあるようです。 [1] [2] [3] 最後のはちょっとニュアンスが違うかもしれませんが。ただ、平和的に政権を奪取する可能性がある、という議論はしてるみたいですが、その後、旧支配階級による一大反乱が起きて鎮圧する必要ができる可能性が高い、みたいなこともいってるので、暴力革命を否定したかというと微妙なような気もします。ただ、このへんのマルクスとエンゲルスの議論はほとんど後世のマルクス主義に影響を与えていない、ということもあり、(最近の日本共産党は依拠してるみたいですが)、マルクスとエンゲルスは晩年やや見解を変えた、程度の表現なら妥当かもしれません。Clinamen 2006年3月4日 (土) 10:38 (UTC)[返信]

すみませんでした。そういうつもりではありませんでした。マルクスにおいて「革命」は暴力革命であることが自明ですので、あらためて「暴力」とつけるのを見て、「なぜココで強調?」と思ったというわけです。ただ、マルクスの見解の変化もたしかにありますが、ここは「マルクス主義」の項目ですので、「変遷」と書いたのは(言葉の選び方を間違えましたが)「マルクス主義」を掲げながら革命に至るための方法や組織の活動方針は無数に議論していたことを気にした次第です。Iosif 2006年3月19日 (日) 21:54 (UTC)[返信]
あと「広松らの物象化論は失当であり、後期マルクスにおいても疎外論が貫徹されていると見るのが妥当である」と書いてありますが、いいんでしょうか? Iosif 2006年3月19日 (日) 21:54 (UTC)[返信]
今更暴力革命は古いでしょう、民主主義から社会主義になるほうが懸命だと本に書いてあります。内容の危ない本なので題名は言えませんが。litteboy 2007年9月26日

北朝鮮[編集]

ノートに書くまでもない気がするので、節タイトルを「北朝鮮」と曖昧にしておきます。お花畑氏、ガラポン氏、Goriraseven氏、Welcome kiss氏(いずれもWikipedia:投稿ブロック依頼/Peace系 2006年9月で審議中のアカウント)が次々と同じ版に戻しています(例[4])。ただ……この部分は、自分の加筆を「わかりにくいな」と思って自分で修正したものでしかなく、審議中の4アカウントが戻している先の文章もIosifによるものなんですが(→[5])。--Iosif 2006年9月19日 (火) 04:07 (UTC)[返信]

再構成の提案[編集]

現在の記述は雑然としすぎていますので、再構成を提案したいと思います。(1) マルクス・エンゲルスの思想を唯物史観・経済学・共産主義に分けて簡単に説明し、詳細を別項目で記述する、(2) マルクス・エンゲルス死後のマルクス主義の展開については、思想・運動・体制に分けて簡単に説明し、詳細は別項目とする、というのはどうでしょうか。しばらく待ってみて異論がなさそうなら取りかかりたいと思います。--Kazhik 2007年2月13日 (火) 14:05 (UTC)[返信]

  • とくに反対はなさそうですので再構成の作業に着手します。--Kazhik 2007年3月25日 (日) 21:24 (UTC)[返信]
    • 最初の提案のうち、(1)の部分をとりあえず出してみました。(2)については、あらためて考えてみると思想・運動・体制の展開を別々に説明するのは不可能です。ロシアの十月革命までを第一期、スターリン批判までを第二期、ソ連・東欧の崩壊までを第三期、といったような区分のほうがよさそうに思えます。--Kazhik 2007年4月4日 (水) 10:38 (UTC)[返信]


マルクス主義≠共産主義[編集]

マルクス主義は共産主義でなくても使います。社会主義インターナショナルのフランクフルト宣言にも社会主義の理論としてマルクス主義を認めています。ですからマルクス主義の項目に共産主義のテンプリートは不要だと考えます。Keiryou 2007年6月10日 (日) 18:58 (UTC)[返信]

マルクス主義と共産主義はイコールではない、というのは御指摘の通りですが、代わりに社会主義のボックスを入れたのはどういう趣旨なのでしょうか。同じ論理で「マルクス主義は社会主義でなくても使います」とも言えるはずですが。--Kazhik 2007年6月11日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
すいませんが「マルクス主義は社会主義でなくても使います」というのが思い浮かばないのです。しかし私の中ではマルクス主義は広い社会主義の一つの考えだと考えています。--Keiryou 2007年6月11日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
このマルクス主義の項目では、「マルクス、エンゲルスの思想」というセクションが共産主義、唯物史観、経済学という三つのサブセクションに分かれています。共産主義はマルクス主義の三分の一でしかありません。これを社会主義に代えたとしても同じことです。唯物史観や経済学は共産主義や社会主義とはいちおう別枠です。また、マルクスとエンゲルスの自己規定は社会主義者ではなく共産主義者であり、彼らが属した組織は共産主義者同盟という名前でした。社会主義のボックスより共産主義のボックスのほうがこの項目にふさわしいと思います。--Kazhik 2007年6月12日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
では社会主義のボックスを消しますKeiryou 2007年6月13日 (水) 00:20 (UTC)[返信]

「マルクス主義に対する批判」について[編集]

現在の「マルクス主義に対する批判」という節は事実の記述というより意見の羅列になっています。しかも批判ばかりです。中立性の原則に従うためにはマルクス主義の側からの反論も併せて記述する必要があります。 批判的見解の紹介としても初歩的な間違いが多すぎます。例えば「マルクスは『哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。しかし重要なのは世界を変革することだ』と主張し、理論革命家が革命を先導すべきだと主張した」「マルクスは資本論の中で、商品過剰と労働者過剰による資本主義の没落を説いた」など、珍奇な解釈が頻出しています。フランシス・フクヤマや笠井潔など、マルクス主義の研究が専門ではない人に依拠しているためだと思います。信頼できる情報源を使うというWikipediaの方針に従うべきです。--Kazhik 2008年5月19日 (月) 12:50 (UTC)[返信]

出典は明記してあります。参考文献も書かれています。特に出典性に問題はないと思います。フクヤマは世界で最も著名な政治哲学者のひとりです。笠井潔も、日本で彼ほど観念的テロリズムを考察した人間はいないでしょう。マルクス主義の専門ではないといいますが、専門ではないからこそ多角的な視点で批判ができるのです。マルクス経済学しか知らない人が、マルクス経済学を批判できるでしょうか? 新古典派など、他の経済学にも精通しているからこそ批判できるのです。少なくとも、出典の明記というテンプレは適切ではありません。されているのですから。あと、意見の羅列といいますが、「そういう意見が存在すること」は検証可能性を持った事実なので問題ありません。反論があるのなら、あなたが併記すればいいではありませんか。そうしたら中立性が維持できます。--マイケル・トム 2008年5月19日 (月) 18:40 (UTC)[返信]

私が挙げたWikipediaの指針をちゃんと読んでください。問題はフクヤマが政治哲学者として最も著名かどうかではなく、マルクス主義の研究に関して専門家として認められているかどうかです。笠井潔について「日本で彼ほど観念的テロリズムを考察した人間はいない」というのはあなたの個人的な見解にすぎません。そもそもあなたの記述は間違いが多すぎるのです。微修正は不可能なので、私が編集するとしたら全部削除して書き直すしかありません。--Kazhik 2008年5月20日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
知りませんよw 私はただウィキの方針に従って、社会的に評価のある本を出典をつけて紹介しているだけです。独自研究のようにいわれては困ります。間違っているのであれば、私ではなく、フクヤマや笠井が間違ってるんでしょう。しかし、少なくとも、フクヤマや笠井はあなたよりもマルクス主義に精通していると思いますよ。いずれにせよ出典はつけておりますので、ウィキの方針に問題はありません。専門家かどうかなんて、あなたの主観でしょ。自称するだけだったらいくらでも専門家なんか名乗れるんです。あなたの言う信頼できるマルクス主義批判者とは誰なんですか? その論文名は? それらが、「歴史の終わり」や「テロルの現象学」よりも優れているという根拠は? だいたいあなたはこの2冊を読破してるんですか? マルクス主義の自称専門家なんて、イデオロギー色が強くてそれこそ中立性が損なわれるでしょ。他のマルクス主義批判を紹介したいのなら、削除するんじゃなくって、「~~という意見もある」と併記すればいいじゃないですか。有意義な反論がなかったら、出典明記のテンプレは外しますよ。--マイケル・トム 2008年5月21日 (水) 02:22 (UTC)[返信]
Wikipediaの指針を理解する気がないなら編集は一切しないでください。編集しても他の誰かが(または私が)否定するので無駄です。これ以上暴走するなら投稿ブロックを依頼します。そもそもあなたは既にブロックされているロッテルダムの旅人さんとよく似ていますし。--Kazhik 2008年5月23日 (金) 23:28 (UTC)[返信]
それは理屈がおかしいでしょ? 出典に信用性がないというのなら、フクヤマや笠井が信用性が低いと考える理由を述べてくださいよ。出典が提示された編集を否定するのならそれこそ荒らし行為ですよ。もし信用性が低いというのなら、あなたの言う信用性の高い出典によるマルクス主義批判を書いてみてくださいよ。どれだけレベルが高いのか興味があります。--マイケル・トム 2008年5月24日 (土) 01:31 (UTC)[返信]

どうも批判の部分で反論を書かれているようです。見にくいので、反論の部分を作りました。そちらに書いていただけませんか。以下はもともと書いてあった部分です。

しかし、資本主義は生産と消費の矛盾を克服することができず、2008年アメリカ発金融危機のように恐慌局面を招来してしまう。マルクス経済学の恐慌理論はそのたびに読み直されている。
とはいえ、これは価値と価格を混同する見解である。マルクス経済学では価格は価値の現象形態であり両者は区別される。労働価値説は需給関係による価格変動の重心としての商品価値についての学説である。
しかし、これはマルクスの資本家概念、賃金労働者の概念の過度の単純化である。賃金労働者は生産手段をもたないだけでなく、自分の労働力を資本家に販売して賃金を獲得する存在であり、この賃金は労働力の再生産費、すなわち生活費によって決まる。他方、資本家は資本の人格化として定義されている。資本家は賃金労働者を雇用して賃金を支払い、労働者が生み出す剰余価値を取得する。資本家の収入は資本の自己増殖度によって決まるのであり、生活費によって決まるのではない。また、所有と経営の分離とは、所有資本家(投資家)と機能資本家(経営者)へと資本家の機能が分化することである。所有資本家は投資に対する利子として、機能資本家は資本の価値増殖に対する成功報酬として、労働者が生産した不払い労働、剰余価値を取得している。労働者は株式を購入すれば資本家になれるわけではなく、金融的な収入すなわち不労所得に依存して生活することが可能になり、自らの労働力を販売して賃金を得る必要がなくなって、はじめて所有資本家となる。
しかし、中南米における新自由主義的経済政策の失敗と左派政権の成立は、単純な自由貿易主義の挫折を示している。

ただ、個人的見解を言わせてもらえば、一番上は「読み直されてる」じゃ反論になってませんし、3つめのパラグラフの機能資本家に関しては、その成功報酬が経営という労働に対する賃金として捉えられるのでは?また、賃金労働者は、例えば証券会社や保険会社などで取り入れられてる出来高制などのもとでは、生活費以上の賃金を得ていると思いますが。最後のパラグラフは特にこのパラグラフに付け加えることでもなければ、単なる自由貿易の批判です。--クラル 2009年1月31日 (土) 02:32 (UTC)[返信]

独自研究を解消する方向での編集になっていません。「例えばマルクスは、資本家階級を革命により没落させようと主張しているが、資本家はリスク管理や市場調査などの重要な社会的分業を担っているのであり、その役割を不当に過小評価している。」「マルクスは生産手段を持つ者を資本家、持たない者を労働者と定義したが、株式会社の発達により、所有と経営が分離し、その違いが曖昧化した。労働者でも株式を購入したら資本家になれる。」とは一体だれの説なんでしょう? 出典の付け方も間違っています。労働価値説を批判したのは小泉信三が最初ではないし、従属理論を批判したのはフクヤマが最初ではありません。結局のところこの部分は百科事典の記述としてまったく価値がなく、全部削除して書き直す以外ないものです。--Kazhik 2009年1月30日 (金) 20:33 (UTC)[返信]
記入した時点では参考文献及び各論の出典も、それぞれ明記されていますので、「独自研究」のテンプレートははずしても良いと思います。
ただ、この節だけで相当なボリュームの内容になっていると思いますので、ページ分割を検討した方が良いかもしれません。
例えば、マルクス主義のカテゴリ内に「マルクス主義に対する批判」という項を作成して、そこにまとめるというのはいかがでしょうか? --Open_drain 2009年7月10日 (金) 17:15 (UTC)[返信]
出典が明記されていない部分のほうが多いと思いますが、出典が明記されていればよいというものではありません。その出典がWikipedia:信頼できる情報源ではないことが問題です。批判者の見解だけが羅列され、マルクス主義者の反論がほとんど出ていないことも中立性の原則に反しています。--Kazhik 2009年9月23日 (水) 03:16 (UTC)[返信]

最初に問題提起してから2年以上経ちましたが、問題点が解消されそうにないので節全体を削除しました。-Kazhik 2010年11月5日 (金) 20:41 (UTC)[返信]

  • 中立性、特筆性、出典などに問題がある節の内容全体の削除自体は良いのですが、各国語版でも「批判」の節自体は存在しています。このため「批評・批判」の節を再作成し、内容は英語版の en:Marxism#Criticisms of Marxism をベースに簡潔な説明のみとして、「詳細は○○を参照」としました。(詳細内容はリンク先の各記事に一本化して充実するのが、ウィキペディア全体として適切なため)--Rabit gti 2010年11月6日 (土) 02:59 (UTC)[返信]
  • 出典はついているし、内容に問題はありません。長くなるので「反共主義」のページに移動させるのはいいと思いますが、丸ごと節を削除するほうが恣意的で中立性を欠いていませんか? 一方的に削除するのではなく、批判があれば両論併記するほうが中立的で建設的だし、荒れなくてすみます。他者の書き込みを生かす形で、ウィキを発展させていきましょう。--山姥 2010年11月13日 (土) 12:07 (UTC)[返信]
    • 山姥さん、私は削除者ではありませんが、反共主義を翻訳して新規作成した者です。「マルクス主義」の過去の「批判」は、出典はありますが、断片的でWikipedia:特筆性世界的な観点への疑問が多く感じます。次に移動先ですが、「反共主義」よりも、内容的に「反マルクス主義」を作成して移動すべきと思います。そして移動方法ですが、せめて単純追加にして頂けないでしょうか。せっかく世界的観点で作成した「反共主義」が、暴力的な上書きにより、日本独自の独自研究的な内容に戻ってしまいました。更に Wikipedia:ページの分割と統合の「項目一部転記」のガイドを守らないと、著作権違反で強制削除ともなりかねません。(今後、一時復旧と「反マルクス主義」の作成などを検討予定です)。--Rabit gti 2010年11月13日 (土) 12:41 (UTC)[返信]
    • 私は問題提起してから2年以上待ちました。一方的に削除したわけではありません。削除に異議があるなら、単純に復活させる前に私が提起した問題点に答えてください。-Kazhik 2010年11月13日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
      • とりあえず、マルクス主義の昔の「批判」は、マルクス主義批判を作成し、内容変更せずに移動(一部転記)しました(各国語版と相違が大きい記事になりましたが)。「反共主義」への移動はKazhikさんが取消済でしたので、マルクス主義批判などへのリンクのみ追加しました。--Rabit gti 2010年11月13日 (土) 13:10 (UTC)[返信]
        • 確かに、政治的立場としての「反共主義」と社会科学としての「マルクス主義批判」は微妙にニュアンスが違うので、記事を分けたほうが合理的かもしれません。余計な削除、編集合戦を避けるために、Rabit gti氏の提案を支持します。両方とも記事の内容そのものは有意義なものだと思われるので、削除を繰り返すのではなく、カテゴリーの錯誤や混乱を起こすことなくうまく整理、発展させていくべきだと思います--山姥 2010年11月13日 (土) 23:35 (UTC)[返信]
        • 「日本独自の独自研究的な内容」と評価するなら、なぜ復活させるのでしょうか。ノート:マルクス主義批判で改めて全面削除を提案したので、答えてください。-Kazhik 2010年11月14日 (日) 08:20 (UTC)[返信]