ノート:マイナー・シール・ベイツ

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保護中の編集依頼について[編集]

[[no:Miner Searle Bates]] [[pt:Miner Searle Bates]]

が追加されています。英語版を一番上に移動させると共に2言語版へのリンク追加を提案します。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 06:36 (UTC)[返信]

顧問[編集]

この編集ですが、信頼できる情報源には、「ベイツが顧問ではない」という主張がありませんし、ベイツが顧問であったことを「顧問説」などといっているものもありません。ベイツ本人の手紙にも書いてあることですから、「という説もあるが、アメリカの新聞記事の外に証拠はない」と書いてしまうのは完全に独自研究となります。Zhang Kaiyuan (章开沅) さんはベイツの教え子だったのですが、2003年に書いた从耶鲁到东京:为南京大屠杀取证において、日本の研究者が、ベイツが顧問であったとする新聞記事を提示してベイツが反日宣伝をやったというようなことを主張していると非難しています。また、 2013年に出た同じく章开沅さんの論文には、ベイツの手紙が掲載されています (Zhuo Xinping、Caroline Mason 編のChristianityという本の315頁)。ベイツが手紙に書いたことが本当であれば、「欧米人顧問」と「南京大学副学長」は「抱き合わせ」というか「表裏一体」のようなものであり、何の相談もなかったうえにベイツ本人が同意したわけでもないのに選出されてしまったようです。残念ながら、詳細な情報、例えば顧問の正式名称や任命された日付や退任した日付などはわかりませんね。KUIDAORE2014さんが追加してくれたソースによれば1944年には顧問を退任しているようですね。いずれにしても、顧問であった「事実」は複数のソースから判明していますので、「顧問説」というのは独自研究になっちゃいますね。もちろん、顧問であることを示す新聞記事のみを示して、「顧問だから反日宣伝に従事していた」式の主張を展開するのはいかがかとは思いますけど。。。ベイツが親中であることは、ベイツや彼の仲間の教会関係者が合衆国に帰国した後になっても、自分たちのことを「我々支那人は (We Chinese)」や「我々南京人は (We Nankinese)」という表現を使用し続けたことからもわかりますが、「親中」即ち「反日」というわけにもならないような気もします。Takabeg会話2016年6月13日 (月) 13:21 (UTC)[返信]