ノート:フリードリヒ2世 (プロイセン王)

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他記事からのリンク[編集]

クラシック音楽の作曲家一覧に名を載せて、そこから投稿したが、「記事にリンクされていない」のはどうしたことか? ヨハン・ミヒャエル・ハイドンについても同様に、リンクしていない。不思議?何か手続きか処理作業が必要なのか? TF-gene 11:32 2003年12月31日 (UTC)

再度保存し直したら直りました。ここのところ調子が悪かったため、うまく反映されていなかったようです。 以上のコメントは、219.164.132.133(会話/履歴/Whois IPv4IPv6)さんが[2003年12月31日 (水) 11:38 (UTC)]に投稿したものです(Æskja会話)による付記)。[返信]
見出しを追加しました。--Æskja会話2016年3月10日 (木) 14:51 (UTC)[返信]

子供[編集]

フリードリヒに子がないのは王妃の凡庸さのせいにされているが、事実を書くべきではないでしょうか。本人自身の告白がないとしても歴史学的に実証されているし、名誉毀損にはならないのでは。Trek011 2004年8月8日 (日) 12:41 (UTC)[返信]

フリードリヒが「女嫌い」と言うよりも「男色家」つまり現代の性的指向から云えば「ゲイ」であったことは、既に万人周知の事実である。それを避けて彼の優れた能力や人間性は語れないであろう。--218.230.7.91 2004年10月20日 (水) 23:47 (UTC) 履歴に従って署名・時刻を追加。--124.108.198.37 2008年9月14日 (日) 12:24 (UTC)[返信]

フリードリヒ大王が男色家であったかどうかは解りませんが、フリードリヒには実際に生涯愛した女性がいた様です。しかしながら父王に反対され、結婚出来なかったそうです。  一利用者 2004年11月23日(火) 以上のコメントは、222.8.67.228(会話/履歴/Whois IPv4IPv6)さんが[2004年11月22日 (月) 18:05 (UTC)]に投稿したものです(Æskja会話)による付記)。[返信]

見出しを追加しました。--Æskja会話2016年3月10日 (木) 14:51 (UTC)[返信]

内部リンク[編集]

フリードリヒ大王の次のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の記事を見つけたので、内部リンクをしておきました。--Eroica 2005年9月25日 (日) 07:50 (UTC)[返信]

見出しを追加しました。--Æskja会話2016年3月10日 (木) 14:51 (UTC)[返信]