ノート:ノーベル賞/過去ログ1

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日本人受賞者一覧について

文学賞の川端さんが抜けてますよ。

受賞者一覧については各部門別記事にすでに存在するので、MT.Stoneさんの差し戻し理由には無理があるのでは?yhr 2006年3月10日 (金) 08:33 (UTC)

先に削除された方の「差別」という理由に同意しかねたことと、他の海外の賞では日本人受賞者が列挙されることがあるので、まずは差し戻しと考えたのですが、強いこだわりを持って主張しているわけではないので、議論の結果で不要と判断されればそれで構いません。ただし、概要を知る上で困るリストではないと思いますよ。--Mt.Stone 2006年3月10日 (金) 09:01 (UTC)
まあ、僕も有って困るリストだとは思いませんが、ただNPOVの原則に照らし合わせたときにほとんど黒といって良いような記述であるとも思うのです。記述量を減らす方向での努力を現段階で行うのは時期尚早だとは思うので、多少のPOVは甘受して記述量を増やす方向性を持つほうが建設的であるというふうには思っていますが、この記事に全受賞者リストを載せるというのはバランスの面からも可読性の面からも避けたいと思いますし、現状でどちらに理があるかと問われれば、日本人に限ったリストは削除すべきという意見のほうなのかなと思います。yhr 2006年3月10日 (金) 09:20 (UTC)--追伸-Revert合戦だけは止めてください。一時的に記事の内容が問題のあるものになったとしても、議論の決着後に直せば良いだけの問題です。yhr 2006年3月10日 (金) 09:24 (UTC)
Yhrさんの意見と同意見です。--毛が生えた程度 2006年3月10日 (金) 09:27 (UTC)
私の問題意識が低いのかもしれませんが、POVと思われるというあたりについてもう少しお聞かせいただけますか? それから、各所で行動だけは起こして、議論になると「他の方に同意」というのは対話する態度としていかがなものでしょうか。--Mt.Stone 2006年3月10日 (金) 09:37 (UTC)
使い古された表現を使うならば「ja.wpは日本語版であって日本版ではない」というあたりですかね。yhr 2006年3月10日 (金) 09:41 (UTC)

(コメント)日本人受賞者の欄はあって困るようなものではないでしょ。特定アジアの方々にとってはご不満かもしれませんがね。--61.116.117.92 2006年3月10日 (金) 09:43 (UTC)

国際的な賞において、日本人だけが特別扱いされている点において、POVだと思ったからです。何か特別な理由があって日本人だけを抜き出したわけで無いわけですし。もし日本人の受賞者だけをピックアップしたいのならば、各国別の受賞者とでも題して国別に分別していかなければならないと思ったからです。
私も、何故MT.Stoneさんが日本の受賞者について明記することが大切であるかのように思われる理由を具体的に知りたいです。また、先に仰られている「他の海外の賞」というものの具体例を挙げていただけるとありがたいです。--毛が生えた程度 2006年3月10日 (金) 09:48 (UTC)
「POVだと思ったからPOVだ」ということでしたら、私も「POVじゃないと思うからPOVじゃない」と主張することにします。冗談はさておき、既に言明していますが、別に強いこだわりをもって当該の節を守りに掛かったわけではありません(正直、面倒くさいことに首を突っ込んだという思いはありますが)。確かに厳格にはPOVなのでしょうが、私には不都合がないので「そこまでやる必要はないでしょ」とは言いますが、この議論の参加者の多くが「これはPOVだ」と言うのなら逆らうつもりは毛頭ないです。強いて言えば、対話なしに編集が強行されたことに対する違和感とでも言ったらいいんでしょうかね。私のノートページに「お前の差し戻し理由の通りなら、他国の受賞者も列記するぞ」という書き込みがありますが、この論法だと毛が生えた程度さんはWikipediaの19万本の記事をすべて査読して国籍の偏りのない記述も検討してくださるのでしょう。期待しています。あと、他の類似の項目を提示せよとの事ですが、そんなことしたらその項目も編集合戦になるか、良くてPOVを貼られるのが目に見えてますので、申し訳ありませんが応じかねます。--Mt.Stone 2006年3月10日 (金) 14:50 (UTC)
ということで削除という方向でよろしいですか。私はできることならば、19万の記事全てを中立的にしたいと思ってます。しかしながら私一人の力では当然不可能なわけですが、できるところからやろうと思い、この記事に手をつけたわけです。今後も応援よろしくお願いします。--毛が生えた程度 2006年3月10日 (金) 15:09 (UTC)
よろしくありません。肝心な要のところはまったく同意に至ってないじゃないですか。間違いのない論陣を張っているのなら、どうしてそんなに結論を急ぐのでしょうか? 他のガイドラインでも、議論の終結はある程度の時間待つことが明記されています。これは警告ですが、対話不全と判断した時にはブロック依頼を検討します。--Mt.Stone 2006年3月10日 (金) 15:18 (UTC)

日本語版ウィキペディアのユーザーの多くが日本人意識を持つ日本人であり、日本人は「日本人」と「外国人」を分けたがる傾向があるのではないでしょうか? 個人的には日本人受賞者を列挙したほうがいいと思います。--経済準学士 2006年3月10日 (金) 15:23 (UTC)

(編集競合したけどそのまま)なんだか物騒な話になってますねぇ。たしかに、毛が生えた程度さんの行動は性急すぎるきらいがあります。とくに、こうして議論が始まっている以上、一方的に結論が出たといってしまうのは問題かとおもいます。が、MT.Stoneさんの言うような「編集の前にまず議論」というような論法にも違和感を覚えないではありません。僕にはMT.Stoneさんのおっしゃる「肝心な点」というのがよくわからないのです。
ところで、毛が生えた程度さんの行動はいくつかの記事で問題視されています。個々個別の記事ごとに考慮すべき事情もあるでしょうが、ある程度横断的な議論をする必要が生じているのかとも思えます。この点について毛が生えた程度さんはどのようにお考えでしょうか?yhr 2006年3月10日 (金) 15:34 (UTC)

上で冗談だとは言いましたが、「POVだと思うからPOV」では接点の見出しようもないですよね。私はなんの不都合もないと思ってるんですから。従って合意もできない、そこが「肝心要」(「肝心な要」はタイプミス)だということです。「編集の前にまず議論」が腑に落ちないということのようですが、一方で毛が生えた程度さんの行動について問題があることも認識されているようです。氏の履歴を見ればわかりますが、同趣旨の編集を短時間で大量に行っており、放置すれば少なからぬ影響が出ることは明白ですから手を休めて議論しましょうというのがおかしいとも思いません。
ついでに、上で述べられた「ja.wpは日本語版であって日本版ではない」という「使い古された」表現ですが、趣旨はわからないでもないですが使い古されているとも寡聞にして存じ上げないわけで、誤解を恐れずに申し上げれば楽をしないでいただきたいな、と思います。
余談ですが、毛が生えた程度さんがノートページに上記の受け売りを貼り付けていらっしゃいますが、そこまで仰るのなら日本語記事の見直しだけでなく、日本語版にない他言語の記事も翻訳していただけるものと期待しています。--Mt.Stone 2006年3月10日 (金) 15:50 (UTC)
Mt.Stoneさん、感情的になりすぎてていくらか余計なことを言ってる気がします。落ち着いてください。
Yhrさんの質問点についてですが、話し合いの必要が出てきたら話し合えばよいと思っています。また、話が大事になり収拾が付かなくなるのでは、と思われるかもしれませんが、私にとってむしろこちらのほうが歓迎すべきことだと思います。話が大きくなることによって日本POVということが広く知られるようになり、各々個人で見直す機会というものが増えると思うからです。--毛が生えた程度 2006年3月11日 (土) 06:05 (UTC)
議論というより「逃げ」ですよね。貴方が行動を起こしたのに貴方の言葉はどこにもない。「余計なこと」というのは多言語の記事云々のことを指しているのでしょうが、「日本語版であって日本版でない」と言い放つのならそこまで責任を持ってください。責任もてないなら取り消してください。感情ではなく、極めて論理的に申し上げています。--Mt.Stone 2006年3月11日 (土) 06:20 (UTC)

受賞者リスト独立項目化

横から失礼します。どうせなら、受賞者リストを独立させませんか? en:List of Nobel laureatesを翻訳(というか日本語表記化?)するだけです。ご希望なら国別リストもどうぞ。 → en:Nobel laureates by country(国別)--miya 2006年3月11日 (土) 07:45 (UTC)

「日本語版であって日本版でない」つまり、「日本人としての価値」で決めるなという意味で、しばしば聞かれるとおもうのですが、最近は口すっぱく言う人が減ってきたのかもしれませんね。私はずっと云ってきましたが。国際的な賞において特定の国籍を持つものに焦点をあてるのは執筆者が国籍を意識しすぎであるので内容として不適です。そういう点で、現在の扱いに疑義を示すことについては賛同するのですが、かといって、多くの部分で「日本中心的記述」に始終して居る現在のウィキペディア日本語版において、日本の部分だけを独立させるなどしても、この問題の顕在化にはなっても、ぜんぜん解決には導かれないのはあきらかです。「毛が生えた程度」さんには、手をつけたすべてのことについて、投げ出されずに問題解決をしていただきたいと思います。

扨、話を戻すのですが、ノーベル賞の受賞はいまや、国家を挙げて目指すものにもなっているようです。そのため、国籍別に受賞者を列挙するのは意義があることなのかもしれません。しかし、ほかの多くの国際賞は受賞者の国籍を問わないのですから、ただ受賞者のリストがあればいいでしょう。翻って受賞者の国籍が限られるような賞があります。芥川賞などはこれに含められることでしょう。このような賞において、他の国籍の受賞が出れば、それは特筆に価することが多いように感じます。それは、その受賞者の国籍が問題になるためではなく、その賞において画期的であるからです。

ノーベル賞に限った話をすると、受賞者一覧をつくったり、国籍別の一覧を作ったりするのが、いま一番いいように思います。 Kzhr 2006年3月11日 (土) 08:38 (UTC)

態度で示そうと思い、国別のノーベル賞受賞者を作成しました。これでここに日本人の一覧を残す意味はなくなったと思います。削除して宜しいでしょうか。--毛が生えた程度 2006年3月11日 (土) 17:12 (UTC)
(追記)ノーベル賞受賞者の一覧も作成しました。--毛が生えた程度 2006年3月12日 (日) 01:40 (UTC)

削除してよいと思います。ただ、ノーベル賞受賞者の一覧は、すでに分野別記事にある一覧で十分問浮きもしますけど。yhr 2006年3月12日 (日) 06:19 (UTC)

毛が生えた程度氏が他の国際的な賞、スポーツイベントなどにおいて同様の項目を作り上げてからであれば削除に賛成します。ノーベル賞だけ作ったから、はい削除では賛同いたしかねます。59.146.98.62 2006年3月12日 (日) 22:25 (UTC)

そうですねぇ。きちんとした論拠を示してくださるならともかく、ひたすら行動で示そうということですから、誰が見ても削除に納得できる量で解決していただくしかないかと。そうであれば他の日本人受賞者しか書かれていない項目をご連絡いたしますが。--Mt.Stone 2006年3月13日 (月) 01:10 (UTC)
他の国際賞で同様の項目が必要かどうかは、本項目ノーベル賞の議論と全く関係ありません。他の項目のことはその項目のノートで議論すべきです。ここで他の賞について言及することは議論の混乱を招きこそすれ建設的な議論につながる行為だとは思えません。
自分の意見としましては、日本人受賞者だけを記載することには特に意味はなく、中立の観点から逸脱したものと認められますので、他の代替項目も作られたことも踏まえ、削除してよいと考えます。shimoxx 2006年3月13日 (月) 03:50 (UTC)
問題を提起された方が議論ではなく行動による解決を打ち出しているため、譲歩案として提示しているつもりです。私としてもまずは健全な議論を希望しています。他の賛同者が多いこともあって問題になっていませんが、状況としては対話不全一歩手前だと思います。同じような態度でも賛同を得られない人はブロック依頼で賛同者が多かったら行動による解決も容認というのでは「日本POV」とかいうものとあまり変わりがないように思います。--Mt.Stone 2006年3月13日 (月) 04:19 (UTC)
なぜノーベル賞の記述に関しての討議で他の賞が関係してくるんですか?私はやれるところから順にやろうと思っているだけで、今全てをやろうとは思っていませんし、できません。不理屈な条件を突きつけて自分の主張を突き通そうとするのは極めて常識から逸脱している感を否めまず、非常に残念です。--毛が生えた程度 2006年3月13日 (月) 05:50 (UTC)

「日本版」ではなく「日本語版」ですし、国別のノーベル賞受賞者ができたあとで、なぜまだノーベル賞の中に日本人のリストが必要なのかわかりません。MT.Stoneさん、申し訳ありませんが、私などにもわかるように理由を教えていただけませんか?--miya 2006年3月13日 (月) 05:56 (UTC)

元々、残すべきという主張を強く打ち出してはいないと申し上げています。また行動を起こした側から明確な理由の説明がなく、行動が先行していることに違和感があるとも申し上げています。明確な理由がないので議論の接点がないとも申し上げました。さらに、「問題意識が低いのかもしれないが、なんで問題なのかわからない」とも書いたつもりです。で、返ってくる答えは「私は前から言ってました」とか「POVだと思うから」とか、そんな答えじゃないですか。ポインタすら示されない。まさしく「私などにもわかるような答え」はなかったんです。
別に一覧が無ければ無いでいいですよ、初めから議論の結果には従うと申し上げているんですから。でも、わからないことはわからないと言っているにもかかわらず、「申し訳ありませんが、私などにもわかるように理由を教えていただけませんか?」と問われるのは困ったものです。順序が違うように思います。
メタ議論を続ける暇はないんですけど(お忙しいのはお互い様だと思いますし)、一度言ったことには責任があるからこうして議論に応じています。私のノートページにやってきて人を土俵に上げたのですから「不理屈(それを言うなら理不尽でしょう)」などと言わずに最後まで責任を持って話に応じていただきたいですね。--Mt.Stone 2006年3月13日 (月) 06:26 (UTC)
うーむ、論点が完全にかみ合ってませんね。日本人だけのリストではまさに日本人の視点にしか立っていないという点でPOVであり、かつこの記事にすべての国の受賞者を列挙するのは記事の方向性から考えてデメリットが大きいというのが、削除すべきという立場からの主張なわけですが、ここに何か不明瞭な点がありますか?
ただ、他の国際的な賞も含めた議論をすべきという点に関しては、僕も理解は出来ます。Wikipediaが記事の集合体でひとつの百科事典として機能しているのだということを考えれば、NPOVを実現するための手段のような事柄は、個々の記事で議論するよりは統一的な基準を掲げてそれに基づいて作業するほうが良いのかもしれません。僕はそのような作業をWikipedia上で行ったことが無いので、実際にどういう手順で行うのが効率的なのか判断は出来ませんが、たとえば議論の場としてウィキプロジェクトのようなものを立ち上げるのもひとつの手段かとは思います。yhr 2006年3月13日 (月) 08:13 (UTC)

日本人受賞者は有用な情報であると考えますし、あったから困るものでもありません。他のものも押し並べて同様の行為を行うのであれば問題ありませんが、ことさらノーベル賞でのみ行うという行為に不自然さを感じます。59.146.98.62 2006年3月13日 (月) 10:30 (UTC)

他のものも押し並べて同様の行為を行うつもりですが、Category:学問の賞では日本人受賞者だけを特別扱いしている賞というのは現在「ノーベル賞」しかありません。ですのでノーベル賞でのみ行うという行為に不自然さを感じます。他の分野でも、日本人だけを特別に押し並べているものがあれば、「あった」とだけ言わず、具体例を出してください。そうでないと十分な対応ができません。--毛が生えた程度 2006年3月13日 (月) 11:01 (UTC)
「ですのでノーベル賞でのみ行うという行為に不自然さを感じます。」の部分が前後のつながりから浮いているように思えるので、もう少し詳しく説明いただけないでしょうか。yhr 2006年3月13日 (月) 11:06 (UTC)
IP氏が、「各賞の記事中にある日本人受賞者の一覧のうち、ノーベル賞のみでそれ(日本人受賞者の一覧)削除することに不自然さを感じる」という意味(少なくとも私はそう感じました)で述べた言葉を、皮肉の意味を込めて「学問の賞のカテゴリの中ではノーベル賞の記事だけが日本人受賞者を抜き出して別に羅列していることに不自然さを感じる」という意味で述べたつもりです。分かりにくかったことをお詫びします。--毛が生えた程度 2006年3月13日 (月) 11:12 (UTC)
了解しました。yhr 2006年3月13日 (月) 11:16 (UTC)

MT.Stoneさん、「別に一覧が無ければ無いでいいです」とのこと、明快なお返事をありがとうございました。残すことを強く主張されていたわけではなかったのですね。私の読み込み不足でした。見当違いの呼びかけをいたしまして申し訳ありませんでした。

59.146.98.62さん、「ことさらノーベル賞でのみ行う」のではなく、おそらく重要なものから順に適正化されていくと思われます。--miya 2006年3月13日 (月) 13:36 (UTC)

この問題は、結構他にも影響する話だと思いますので、すこし意見を述べさせていただきます。

  1. 論ずる場所は1箇所にまとめるべきです。確かに、個々の賞によって違いはありますが、論点が「POVだから日本人の一覧は不要」ということであれば、各所で同様の問題を議論するのは無駄です。
  2. 日本人の一覧はあった方が良いと思います。POVと言っても「質的な偏り」は、一切許すべきではないですが、日本語版で日本に関する記述が多いのは自然なことで「量的な偏り」はある程度は許容すべきです。さらに基本方針の中に「読者に役立つ記事を書く(読者のことを考慮して書く)」というのがあります。日本語版を読む人にとって「日本人の受賞者一覧」が作られるのは便利で役立つことだと思います。
  3. ここでは「国別のノーベル賞受賞者」が作られたため、「日本人の受賞者一覧」は消しても良いと思いますが、国別のリストを作ったり、維持するのはそれなりに手間がかかりますので、全ての賞で推奨すべきものとも思いません。その場合は、「日本人の受賞者一覧」は残すべきだと思います。

Zorac 2006年3月13日 (月) 15:25 (UTC)

yhrさんの「うーむ、論点が完全にかみ合ってませんね。~ここに何か不明瞭な点がありますか?」に対する答えですが、以下にやり取りを再掲して「いままで明瞭だったんですか?」という答えに代えさせていただきます。明らかに私の理解力に疑問を持った書き方であり、議論がかみ合う合わないの前にその努力を怠っていると指摘させていただきます。私のポジションは再三書いている通りですし、理解いただいている方もいらっしゃるようですので敢えて再掲しません。

「私の問題意識が低いのかもしれませんが、POVと思われるというあたりについてもう少しお聞かせいただけますか? 」⇒「使い古された表現を使うならば「ja.wpは日本語版であって日本版ではない」というあたりですかね。」⇒「誤解を恐れずに申し上げれば楽をしないでいただきたい」

--Mt.Stone 2006年3月14日 (火) 03:12 (UTC)

まずMT.Stoneさんの読解力を疑う気は毛頭有りませんでしたが、そうとられるような書き方になってしまったことに関しては謝罪します。その後の発言に関しては、僕としては、「ja.wpは日本語版であって日本版ではない」発言の時点ですでに明確にしたつもりだったし、その後のKzhrさんの発言により、より明確な形で提示されていたので十分だと思ったのです。yhr 2006年3月14日 (火) 13:32 (UTC)
ご理解くださいましてありがとうございます。どうも私はこの場では旗色が悪いようですが、この立場になってみると、それぞれの方が言いっ放しのまま狭いところに追い込まれるような印象をもちました。話がこじれて荒らし始める人がいますが、こういうのも一因かなという気がします。私も気をつけたいと思います。
閑話休題、本題に戻りますが仮に全受賞者を記述するなら別項にまとめれば良いと思います。紙の事典だって必要に応じてそのようになっているはずです。記事としての意義あるリストかどうか吟味することと、リストの記述方法を工夫することを一緒にしては話が進みません。yhrさんと毛が生えた程度さんの論法はこの点に於いて全く同じですが、「NPOVを意識するあまり、全部書くと可読性が良くないからばっさり削除」と読めます。有用な情報かどうかという視点がなく、機械的にやってらっしゃるのではないでしょうか。
概要を知る上で日本語話者にとって日本人受賞者のリストは有用です。確かに、これに「受賞者の○パーセントを日本人が占めていて云々」とあればPOVなのでしょうが、問題になっているのはただのリストです。またこの手のリストはよく利用もされます。記述されていて何の問題もありません。もしもこういう括りがダメだとなったときは、「関連項目」などに日本人受賞者が列挙されることにもなるでしょう。記事としての体裁がおかしくなるという意味ではこれもまたヘンなことだと思いませんか。
また日本人受賞者のリストが削除されかかったときに賞金の非課税の件まで削除されましたが、こういうのはどこに記述するんでしょうか? 「日本におけるノーベル賞の取り扱い」とでも項目を立てるのでしょうか? 書かれるであろう情報量を考えたとき、ナンセンスだとは思いませんか? 絶対にここの議論を読んでなかった人から削除依頼が出ますよ。そのときまた議論を蒸し返すのでしょうか。記事の記述をそっちのけにして。確かに、「日本語版であって日本版ではない」のでしょうが、日本固有の事情を記すのもまた日本語版しかないわけです。今回の件は「やりすぎ」だと思うんですけどね。
最後に毛が生えた程度さんについて一言申し述べますが、他の項目でも日本POVなる概念で問題を提起しているにもかかわらず、「なぜノーベル賞の記述に関しての討議で他の賞が関係してくるんですか?」という反問はおかしいです。また「他の分野の具体例を出してくれ」とも書かれていますが、上記の反問とは矛盾する上に、きちんと意見を出さないで「誰それさんと同意見」とだけ言って実行行為だけが先行している状況では、具体例など出したら新たな火種を生むという懸念があります。言い換えれば「落ち着いて話が出来ない」ということです。とりあえず、他の項目にも影響することをやっていることは他の方も認識していらっしゃるようですから、毛が生えた程度さんはまずこの件で他の項目を編集しないくらいの宣言は出していただきたいと思います。そしてこれまで書いたことには責任を持っていただきたい。また意見が同じだからといって黙認している方がいらっしゃるように思えるのですが、議論と合意を柱の一つとしているWikipediaでこういうのは看過されるべきではないと申し述べておきます。--Mt.Stone 2006年3月15日 (水) 02:40 (UTC)
横から失礼します。あちきは生粋の日本人で特定アジアとはぜんぜん関係ない愛国心たっぷりの人間ですけど日本の特筆には反対しておきます。それでは婆娑羅 2006年3月15日 (水) 12:32 (UTC)
いろいろ考えたのだけれど、うまく文章にまとめられないので、とりあえず答えやすいところだけ書いておきます。
まず、リストに関してですが、ここが日本語版だからといって日本人のリストだけをおいておくことはやはり問題だと考えます。日本人のリストが便利なのとまったくおなじ理屈で他の国の受賞者のリストもまた便利なものなのです。すでに毛が生えた程度さんが作ってくださった、国別の受賞者一覧をリンクしておけば良いだけですし、関連項目に受賞者が加筆されるなどを危惧するのはあたらないと思います。もちろん、そういう行動をとる人が現れないと言う保証はありませんが、ここできちんと合意を形成しておけば問題にはなりません。
ただ、この問題に関しては、国際的な賞すべてに関して統一的に適応できる基準を作っておくと後々便利なのかとも思います。国際的な賞に関するウィキプロジェクトを立ち上げて、ある程度記事のフォーマットとして共通に使えるテンプレートを作るのが現実的に意味のある対応なのかなと思います。本来ならばそのような枷は出来るだけはめたくないのが本音なんですけどね。
で、日本におけるノーベル賞受賞者の扱いの部分なんですが、消すべきではなかったと思います。理想的には、少なくともある程度の数受賞者を出している国に関しては、それぞれの国における扱いを併記すると言う形が望ましいと思いますが、そのような記述を一朝一夕に出来るかと言うと、英語版などでそれぞれの国の人間が集まってすでに有る程度まとまった形の文章があるとでも言うのでないかぎり、難しいと思います。英語版をざっと眺めてみたところそのような記述は無いように思いました。ですので日本POVと言う問題は残るけれども、それは十分認識した上で、本文中に記述を残すのが可能な限り最良な対応だと思います。
ただ、「日本固有の事情を記すのもまた日本語版しかない」と言うのはおかしいと思います。ある程度長期的な目標では有りますが、すべての言語版に日本における取り扱いに関する記述”も”存在すると言うのが目指すべき状態だと思います。yhr 2006年3月15日 (水) 14:01 (UTC)
そこまでしっかり仰るのであれば(また他の参加者が異議を唱えないなら)いわゆる日本POVなるものを解消するのもまた良いでしょう(元々、機械的にやっているという懸念を持ったから口を挟んだだけでそれ以上かかわるつもりはない)。ダメな記事になったら誰かが是正の議論を始めるでしょうし。ただ、国家POVなるものがここまで厳格に運用されているとは、方針を何度読んでもそう思えないんだよなぁ。--Mt.Stone 2006年3月20日 (月) 02:07 (UTC)

国別の受賞者の一覧

「日本固有の事情を記す」のもまた良いと思います。 ただ、ここで多くの人が問題としているのは、「ノーベル賞の中で日本人を特別に扱う」ことではないかと思います。ですから項目を分ければ、問題は解消されるのではないでしょうか?>たとえば[[ノーベル賞 (日本)]]あるいは[[日本のノーベル賞受賞者]]という項目を立てて、日本人とノーベル賞との関係を記述するのは有意義なことだと思います。同様に[[中国のノーベル賞受賞者]]、[[ベルギーのノーベル賞受賞者]]が出来るかもしれません。ハンガリー人のノーベル賞受賞者の一覧は随分前からあったようです。--miya 2006年3月15日 (水) 16:55 (UTC)

大賛成。是非やってもらいたいし、私も参加したい。タイトルはハンガリー人のと合わせた統一性のあるものを希望。--毛が生えた程度 2006年3月15日 (水) 16:57 (UTC)
基本的には賛成です。ただ、現時点では各国別の受賞者の待遇やノベール賞への取り組みなどはこの記事の中に置いておいたほうが加筆を呼び込めるんじゃないかという気がしているので、すごく積極的に賛成と言うわけでもないです。ちなみにすでにある記事はハンガリー人のノーベル賞受賞者が正しい記事名でハンガリー人のノーベル賞受賞者の一覧の方はリダイレクトですね。yhr 2006年3月17日 (金) 15:25 (UTC)

イグノーベル賞でよくわかったことですが、記事全体のクオリティを大きく下げ、かつその賞がどのような業績に与えられるのかも分からなくなり、かつ面白かった記事をつぶすという暴挙ですな。Wikipediaがつぶれるとしたら、こういう方向性でつぶれるのでしょうねぇ。向日葵三十郎 2006年3月17日 (金) 17:45 (UTC)

他の言語版では

参考までに、他の言語版を調べてみましたが、デンマーク語版ヘブライ語版ハンガリー語版ポーランド語版に、それぞれ、デンマーク人、イスラエル人、ハンガリー人、ポーランド人受賞者の一覧がありました。韓国語版には、金大中氏の名前がありました。

個人的な意見としては、例えば私がヘブライ語ができたとしたら(できませんが)、ヘブライ語版「ノーベル賞」を読んだ時に、イスラエル人受賞者の一覧が記事の中にあるのは望ましい事だと思います。(つまり逆に言えば、日本語版に日本人受賞者の一覧があるのは望ましいという事です。)しかし例えばアメリカ人イギリス人ドイツ人受賞者などは多過ぎて、もし本文の中に一覧があったとしたら煩わしいかも知れませんね。--Nudité d'Europe 2006年3月25日 (土) 13:48 (UTC)(追記・訂正)2006年3月25日 (土) 21:24 (UTC)

無意味なリバートについて

意味のない削除ばっかりやっていないで、まともに追記や編集ってーのをやろうよ、な? わかる? 追記。ミライカナイ 2006年5月3日 (水) 13:14 (UTC)

平和賞と文学賞について

平和賞のほうはあまりにもひどいsub-stub以下の子供じみた文章、文学賞にはなんら文章がないので一度コメントアウトします。特に前者はひどい。ひどすぎる。向日葵三十郎 2006年5月3日 (水) 16:07 (UTC)

同意です。批判に関するソースを公開すべきです。2007年3月3日(金)0:13

国別の記述について

国別の記述は別記事に譲った方が見通しがよくなると考えます。2006年3月の議論でもそのような意見が多かった。もしこのまま、「ノーベル賞」に国別の記述を入れるなら、上位10位の国に主な記述を割くべきでしょう。10位までの国でメダルの6割をとっているのですし。エジプトやアイスランドについて書いていけないとは思いませんが、アメリカ、ドイツ、イギリスについて細かい記述がないなか、アジアについてページを割くというのはバランスが悪く見えます。---Redattore 2006年5月4日 (木) 18:03 (UTC)

一覧表について

横合いから全く関係ない内容失礼します。当方、論文を書くための資料としてウィキペディアを利用している者なのですが、記事内の日本人受賞者の一覧表は大変便利なのですが、文学賞受賞者などが含まれていないのは何か理由があるのでしょうか?差し支えなければ私の方で勝手に追加させていただきたいのですが、宜しいでしょうか?あと、ノートも一応全部目を通させていただきましたが、ウィキペディアは本来「参考資料」として使われる物であって、日本語版なら日本語を使う人間にとって便利なように編集しておけばいいものであって、「日本の記述が特別扱いされている」と言われても書くのも読むのも調べ物の参考に使うのも主に日本人なので、特に何の問題もない、というか日本について記述してくれないと大変困るような気がするのですが。。。Kuro-hato 2006年7月9日 (日) 15:17 (UTC)

日本人受賞者の一覧は、日本人のノーベル賞受賞者(文学賞を含む)をご覧下さい。日本の記述にどの程度重みを置くかは項目によって異なると考えます。ノーベル賞についてはそもそもスウェーデンで始まった賞ですし、受賞者の大半は日本人ではありません。日本人受賞者について書かれていても何の問題もありませんが、それが大半を占めるとなるとあまり賛成できません。---Redattore 2006年7月9日 (日) 16:23 (UTC)
あ、いえいえ、大半を占めさせようなどという意図はありません。折角記事内に一覧表があるのに科学系の賞だけの一覧表になっているのは何でだろうと思ったので提案したまでです。最初に見たとき「あれ?川端康成は?」と思ってしまったので。Kuro-hato 2006年7月9日 (日) 16:58 (UTC)
だいぶ古い話にレスしますが、同意です。そもそも、「自然科学分野におけるアジア人受賞者」っていう基準の意味がよくわからないのですが(ちなみに、実際にはアフリカ人受賞者も含んでいる)。また、「日本人の受賞」という見出しの下に9人のリストがあると、この9人が日本人受賞者の全てなのかと思う人が出るのは当然だと思います(上の意見のように)。
それに、私には記事全体がごちゃごちゃしているような印象を持ちました。
別記事で「日本人のノーベル賞受賞者」というものがある以上(もちろん統合には反対)、そこへのリンクがあれば十分じゃないでしょうか? 今ある「自然科学分野におけるアジア人受賞者」については、上で「国別のノーベル賞受賞者」が作られた以上、「自然科学」「アジア人(+アフリカ人)」というくくりの一覧はすでに必要ないと私は思います。
できれば「日本人のノーベル賞受賞者」と「国別のノーベル賞受賞者」へのリンクを残して、一覧をばっさり削除したいところなのですが(「一覧の作り方の根拠がはっきりしない」ことと、「ごちゃごちゃしている状態からの脱却」のため)、これまで議論がだいぶあったようなので、とりあえずノートに意見を残しておくだけにします。異論がなければ、十分な期間の後に削除したいと思います。竹田 2007年10月29日 (月) 01:25 (UTC)
異論はありません。---Redattore 2007年10月29日 (月) 06:24 (UTC)

個々の記事が別の加筆や展開の可能性がありますので慎重な対応が必要と考えます。今暫く残しておくことを提案させていただきます。--Tokyo Watcher 2007年10月29日 (月) 06:28 (UTC)

まあ、「ごちゃごちゃしている」っていうのがメインの理由なので、急がないといえば急がないのですが、ずっとこのままというのも避けたいとも思っています。今暫くというのはどのくらいの期間をお考えでしょうか? 私のほうとしては、1ヶ月ほどをめどに(議論が続けばもちろん延長)を考えているのですが。--竹田 2007年10月30日 (火) 05:35 (UTC)
特に議論がなければ、あと10日ほどで削除します。--竹田 2007年11月18日 (日) 17:24 (UTC)
(存続) 武田さんには申し訳ないのですが、存続を希望させていただきます。理由は各国の受賞者を比較する便宜性を評価してです。--Tokyo Watcher 2007年11月18日 (日) 21:39 (UTC)
今の形の、「自然科学」の分野の「アジア・アフリカ」の受賞者一覧という形が便利だということでしょうか、それとも他の形の一覧として掲載ということでしょうか。私としては、「自然科学」というくくりが誤解を招く(日本人受賞者の一覧だと思ったら文学賞等がない-上のKuro-hatoさんのレスをご覧ください)ということと、「アジア・アフリカ」というくくりに必然性がないという理由で、完全なリストである日本人のノーベル賞受賞者国別のノーベル賞受賞者にリンクを張った方がいいのではないかと思ったわけです。--竹田 2007年11月19日 (月) 04:07 (UTC)
下の方上の「日本人受賞者一覧について」の節で、また「日本人の受賞」に関する誤解が出ています。「自然科学」に限定するというのに無理があるのではないでしょうか。
引き続き議論を募集します。特に、存続希望のTokyo Watcherさんから、上で述べた「なぜ『自然科学』なのか」「なぜ『アジア・アフリカ』なのか」の2点に関してご意見がいただければと思います。多数決というのは最後の手段だと思いますので、議論によるお互いの合意の上での削除あるいは存続の決定を目指しています。議論が止まるようでしたら(1ヶ月程度)、削除させていただきたいと思います。--竹田 2007年11月28日 (水) 16:25 (UTC)
議論が止まっているようなので、数日後に削除します。削除に反対の方は、「現在の形の」リストを維持することを支持する論拠をお願いします。--竹田 2007年12月23日 (日) 13:59 (UTC)
アジアの自然科学賞受賞者・アフリカの受賞者の一覧を削除しました。Kuro-hato さんの「『日本の記述が特別扱いされている』と言われても書くのも読むのも調べ物の参考に使うのも主に日本人なので、特に何の問題もない、というか日本について記述してくれないと大変困る」というご意見を参考に、日本人の文学賞・平和賞を加えた一覧表を一番下に復活させました。--竹田 2007年12月29日 (土) 07:13 (UTC)
事後ですが、一覧の削除という形での編集に賛同を表明します。ただ、日本人受賞者の一覧を復活させる特別な理由も存在しないのではないかとも思います。yhr 2008年1月1日 (火) 11:01 (UTC)

私が削除したリストは、なぜその形でここにあるのかという必然性がないものでしたので削除しても問題ないかと思いましたが、「日本人の一覧」には「利便性」という明確なプラス要因があるため、そこまで踏み込んだ判断をするだけの自信が持てず、とりあえず残しておきました。上でのログを見ても微妙な問題だと思いますので、慎重な議論が必要ではないでしょうか。個人的には、あってもなくてもどちらでもいいと思っています。--竹田 2008年1月3日 (木) 07:45 (UTC)

本文「自然科学分野におけるアジア人受賞者」について

「理論物理学というものは究極的には鉛筆と紙さえあれば成立するものであることが大きな要因として考えられる。」 このような記述は客観的視点を欠くと思います。学界などの公の場、もしくは有力な理論として理論物理学に対する このような定見が広く定着しているのであれば、その証左になるものを提示するべきです。

本稿では見出しとして「自然科学分野におけるアジア人受賞者」を挙げているのですから、理論物理学の定義に関して触れるべきではありません。題意に沿った記述を望みます。

備考について

「ノーベル自然科学賞のめずらしい記録」から「備考」に修正されていましたが、自然科学賞以外の賞については私は知りませんので誤っているかもしれません。 あとは「ノーベル賞を受賞していない意外な人」は幼稚ぽかったですかね?小中学生には参考になると思いましたが。

提案

ノーベル協会のサイトを呼んで確認したのですが、他の五つの賞は物理賞と言わず物理とし、経済学賞だけは経済の賞と明記しています。その意図を反映するために少し表記を変えます。

9月1日の版に戻しませんか?

賛成ですよyhr 2004年9月9日 (木) 17:28 (UTC)

戻しました。ただし、9月2日の版です。Modeha 2004年9月10日 (金) 11:08 (UTC)

備考の出典

(受賞の決め手となる功績から)最短記録 ヨハネス・ゲオルグ・ベドノルツとアレキサンダー・ミュラー酸化物高温超伝導体の発見の論文発表から約1年後の1987年に受賞

(受賞の決め手となる功績から)最長記録 ペイトン・ラウス発がん性ウイルスの発見の約55年後の1966年に受賞 エルンスト・ルスカ電子顕微鏡の開発の約55年後の1986年に受賞

出典 ノーベル賞研究会 『ノーベル賞おもしろ雑学事典』 ヤマハミュージックメディアISBN 4-636-20658-4

222.159.97.251 2009年7月28日 (火) 13:37 (UTC)

要出典の削除に関して

北里柴三郎と野口英世のノーベル賞選考時の問題に関しては、多くの文献に触れられており、2次ソースには事欠きません。ただし、ノーベル財団などの公式の書簡など、こういった負の面の1次ソースは公開されていないのは周知のことと思います。 という論拠で、要出典を削除したいと思いますが、いかがでしょうか?10日間程度、音沙汰が無ければ対応します。--さんちゃまん 2007年5月17日 (木) 06:52 (UTC)

ノーベル委員会のホームページによると、野口英世が候補になったのは1913年~1927年となっています。 要検討です。北里柴三郎は第一回の候補になっています。--Chappypapa 2009年10月30日 (金) 15:26 (UTC)

統合提案について

日本人のノーベル賞受賞者およびハンガリー人のノーベル賞受賞者ノーベル賞に統合されるべきです。理由は以下の通りです。

  • 日本人のノーベル賞受賞者およびハンガリー人のノーベル賞受賞者の内容はこの記事に書かれていることに少し付け加えられただけであり、この記事でまとめて解説した方が読者の便宜にかなう。
  • 既に国別の受賞者一覧が存在しており、個別の国でそれぞれ別個に記事を立てる必要はない。
  • それぞれの国の受賞者へのリンクが必要であれば[[ノーベル賞#日本人の受賞|日本人の受賞者]]あるいは[[国別のノーベル賞受賞者#日本|日本人の受賞者]]などとすれば十分である。

もし、日本およびハンガリー以外の国別一覧表があればそれも随時統合提案致します。--秋の虹 2007年6月8日 (金) 01:31 (UTC)

  • (コメント)ノーベル賞には賞自体について記述し、各受賞者個人の記事はそれぞれ立てる、これだけで必要な情報は網羅できます。あとは一覧記事をどうするかですが、最も必要とされるのは分野別のもの(例えばノーベル生理学・医学賞)でしょうね。これ以外は、重要度は落ちますが国別、年度別などが考えられます。現在は国別のノーベル賞受賞者がよくできていて国別のノーベル賞受賞者#国籍別の受賞数といった表も付いています。各国別の一覧表自体は国別の…がある以上、あまり必要性を感じられません。現状の日本人のノーベル賞受賞者の内容は一覧表を除くと痩せています。対処法については、ノーベル賞内のインド、エジプト、日本、台湾、中国、パキスタン、南アフリカ共和国に関する記述を外して、それぞれの国別記事に加えるとちょうどよいかなと感じました。秋の虹さんのご意見と正反対の結論となったのは、ノーベル賞の8割以上を獲得している上位10カ国の記述がこのままノーベル賞に入ってくると、賞自体の記事ではなく、もう一つの一覧記事になってしまうと考えるからです。1年前は赤リンクが目立った各ノーベル賞受賞者の記事が現在はすべて埋まっていることを考えると、300人近くいるアメリカ人受賞者の記述がノーベル賞本体に入ってくるのも時間の問題だと思います。---Redattore 2007年8月25日 (土) 14:05 (UTC)
  • 統合には反対します。Redattoreさんが述べられていらっしゃることもありますが、アジア、アフリカの受賞者が少ないことは事実でしょうが、出典が明記されないままの批判が多く見られます。Template:Globalizeを貼る編集が最近目立っていることからも国別の受賞者記事は別々に存在すべきと思います。国別のノーベル賞受賞者は簡潔な一覧として成り立っておりそれらとの並存は十分問題ないと思います。--Tiyoringo 2007年8月26日 (日) 08:25 (UTC)
  • 統合には反対です。なぜこの記事中に「アジア・アフリカ」、しかも「自然科学系」の受賞者一覧があるのかという点で(主観的でない)理由が明確でない(上で削除を提案しています)上に、ハンガリー人の受賞者一覧まで加えるとなると、いったいどういう基準の一覧なのかますます不明になります。ハンガリー人の一覧を載せるなら、それこそアメリカ人の一覧がないのはなぜだということになるでしょう。--竹田 2007年10月30日 (火) 05:51 (UTC)
  • 提案者の秋の虹さんはもう4カ月近く活動なさっていない様子です。他に賛成の方も見えないですし、統合提案をいったん取り除いてもかまわないでしょう。---Redattore 2007年10月30日 (火) 07:11 (UTC)
特に問題がなさそうなので、統合提案を削除しました。--竹田 2007年10月31日 (水) 02:38 (UTC)

工学に関する言及がそこここにあることについて

  • 工学分野において大きな貢献のあった研究も、原著論文をたどれば数学か物理学か化学に帰着するということを考えれば、また、ウィキペディアの工学の項冒頭の説明「科学、特に自然科学の蓄積を利用して、実用的で社会の利益となるような手法・技術を発見し、製品などを発明することを主な研究目的とする学問の総称である。」を考えてみても、工学賞がないのは当然だと思います。そこかしこに工学賞がないのは不当であるかのような書き方がされているのがむしろ変な気がします。英語版のページでは、"technic*"も"engineer*"も一度も出現しません。日本の大学に(大学Universityではなく工科大学Polytechnikの流れをくむ)工学部が遍在しているので、理学と工学が同列の学問分野に見えるのかもしれませんが。工学賞がないのが不当であるという言説のソース(特に英語での)を示していただけませんか? 特になければ工学賞に言及する部分を省いてしまいたいと思います。--Matto 2007年10月3日 (水) 02:45 (UTC)
  • 「部門」の項全体がネガティブな文章だと思いませんか?批評は最後のほうに独立した項があるので、そちらに移して、簡潔に事実だけを書けばいいと思います。--Matto 2007年10月3日 (水) 03:14 (UTC)
  • 編集を実行しました。数学賞がない理由が分野の説明の中に(しかもソースが明示されない形で)あるのも不自然だと思うのですが、ほかに移す先がなかったので残しました。どなたか適切な編集をおねがいします。--Matto 2007年10月4日 (木) 13:54 (UTC)

<<大学の社会実績(公認会計士合格者数等)は掲載しない方向で合意されたはず<<

削除合戦になる危険性があります。再議論を、また上記についてリンクを貼ってください。2008年10月7日 (火) 11:35 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、学士会員会話投稿記録)さんによるものです。

なぜ、出身大学によるランキングを作る必要があるのでしょうか。受賞当時に所属していた研究期間のほうが、情報として重要なはずです。資金や情報は所属機関から得ているはずです。また、なぜ大学院ではなく、学部に限定するのでしょうか。明確な理由をお聞かせください。

私がご注意申し上げたのは、削除を繰り返す行為に対してです。これが行われますと管理者によって保護処置を受け、記入が出来なくなることがあります。ノートで当事者と話し合ってください。私個人としては大学院のランキングを作成することには反対ではありません。2008年10月8日 (水) 15:21 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、学士会員会話投稿記録)さんによるものです。

社会実績についての議論は、どのノートかは失念しました。司法試験か公認会計士試験、もしくは各大学のページだったと思います。--202.247.127.1 2008年10月7日 (火) 23:49 (UTC)

出身大学には明らかに何らかの傾向、偏りがあり、なんらかの重要な事項を反映している気はします。ただ、大学院のランキングとなると、例えば湯川先生なんかどうなるのですか?多分、論文博士ではあるまいかと思うのですが。出身大学ランキング自体を無くしたほうがいいと思います。--以上の署名の無いコメントは、Tatsutatsu会話投稿記録)さんによるものです。2008年10月9日 (木) 02:38

私もなぜ出身を学部に限定するのか疑問がありますが、学部に限定した場合、下村脩さんは、名古屋大学ではなく長崎大学出身で、ご本人も地方大学出身であることを誇りにされているようです。(ランキングを大学院にした場合、田中さんは自然科学の分野であっても修士・博士の学位をもっておらず、一律にランキングすることは難しいと考えます。)--220.213.210.44 2008年10月9日 (木) 02:50 (UTC)

下村脩さんはいくところが無くて長崎大学に行ったと聞いてます--以上の署名のないコメントは、202.236.144.3会話/Whois)さんが 2008年10月9日 (木) 04:42 に投稿したものです。--以上の署名のないコメントは、202.236.144.3会話/Whois)さんが 2008年10月9日 (木) 04:52 に投稿したものです。

タイトルで言われているような合意が当ノートでいつ、どのように形成されたのかの説明をまずはお願いします。 まさか、

>社会実績についての議論は、どのノートかは失念しました。司法試験か公認会計士試験、もしくは各大学のページだったと思います。

を根拠に、当ノートで有りもしない合意を謳ったタイトルをつけたわけではありませんよね?--以上の署名のないコメントは、119.47.41.241会話/Whois)さんが 2008年10月9日 (木) 07:53 に投稿したものです。

例えば、論博を北海道大学で取ったからと言って、出身大学院=北大とはなりません。アカデミックの世界の常識と思うのですが、、分野によって異なるのでしょうか?学歴の詳細に関しては日本人のノーベル賞受賞者の項目に記載されており、そちらで充分と思います。--202.236.144.3 2008年10月9日 (木) 12:49 (UTC)

授賞者決定への異議

編集合戦にならないようにしてください

編集合戦にならないよう各位のご配慮をお願いします。要約欄で議論をするのではなく、ノートページを使って合意点をさぐって下さい。本記事はただいま保護依頼にかけられています。実際に保護につながってしまわないよう、編集ボタンを押す前のご配慮をお願いいたします。--Su-no-G 2008年10月9日 (木) 11:24 (UTC)

南部陽一郎博士について

読売新聞10月9日版の「ノーベル賞日本人受賞者」一覧に南部博士のお名前が掲載されています。博士の扱いについて議論をお願いします。2008年10月9日 (木) 12:21 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、学士会員会話投稿記録)さんによるものです。

新聞記事に間違いや大衆迎合はつきものですから、気にすることはないと思います。南部氏はアメリカ人。日本政府は今度の南部氏の件で二重国籍を認めることを検討するとか。ばかばかしくてあきれます。--寂華 2008年10月10日 (金) 13:30 (UTC)

英語版とイタリア語版ウィキペディアの「国別受賞者一覧」には、南部氏は「日本人」にカテゴライズされています。読売新聞同様、朝日新聞(10月8日付)も日本人とする記事を掲載しています。これで南部氏が現在の国籍はアメリカであっても、日本人とするウィキペディアの出典要件は示せたことになります。博士号を取得したのも東京大学ですし、若かりし頃、大阪市立大学で武者修行もしています。また同じくノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士に師事しており、研究業績の素地は日本でつくられたものです。したがって南部氏は日本人受賞者としてよいでしょう。生まれも育ちもアメリカならばアメリカ人となりましょうが、途中で渡米してアメリカ国籍を取得したと付記すれば問題はないと思います。南部氏を日本人とすることに反対しているのは、反日在日アジア人の疑いが強いと言わざるを得ません。--218.33.184.113 2008年10月15日 (水) 10:32 (UTC)

毎日新聞(15日付)によると、「文部科学省は南部陽一郎氏を、白書等に掲載する国別受賞者数に、米国人として数える一方、受賞対象の業績を挙げたのは日本国籍時代で、今年の日本人受賞者は『4人』との見解だ。国別受賞者数について受賞時の国籍を原則に算出してきたが、出生国で数えると、移民の多い米国の受賞者数が大きく変わることから原則を維持することにし『現在の国籍上、日本国民とはいえない。だが、

“業績を挙げた時点の国籍は日本”であり、

心情的にも日本人としてお祝いしたい』と説明し、日本人受賞者の業績紹介などで南部氏も加える。」とあります。現在国籍は米国だが評価された研究は日本国籍時代もの、と注釈で説明した上で、日本人受賞者にすることに賛成です。--218.33.184.113 2008年10月15日 (水) 12:46 (UTC)

1970年に米国籍を取得したとはいえ(日本では二重国籍は認められていないから)、ノーベル賞として評価されたのは、日本国籍時代のものです。現在、大阪府豊中市に自宅もあります(2008年10月17日朝日新聞)。注釈で、「現在は米国籍であり、公式には、米国人として扱われる」とすれば日本人としても何ら問題ないでしょう。


218.33.184.113さん、ここは2ちゃんねるではありませんので、「反日在日アジア人」などの問題発言をしないよう、ご注意下さい。--寂華 2008年10月18日 (土) 01:56 (UTC) ・・・・・・・・・・・↑も↓の投稿も、218.33.184.113さん、または218.33.136.180さんでもありますよね。署名なりIPなりがないと誰の発言か分からなくなるので、せめて投稿にはIPを入れてください。--寂華2008年10月21日 (火) 03:13 (UTC)


寂華さん、日本政府が二重国籍を認めることを検討していることを「ばかばかしくてあきれます」などと問題発言しないように注意してください。それに、私は2ちゃんねるなどやったことがありません。あなたは2ちゃんねるをやるのですか?反日在日アジア人というのも、あなたを指して使った訳ではありません。なのにその言葉に過敏に反応することは、あなたは日本人ではないのでしょうか。南部氏を日本人受賞者とすることに強く反対していることを見ると、日本に敵意を抱いた反日在日アジア人と疑われても致し方ないでしょう。

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アメリカは移民の国、国籍取得したらアメリカ人じゃないんですか?業績をあげたのは日本国籍のときだけど、受賞したのはアメリカ国籍のときだから、やっぱりアメリカ人の受賞者なんじゃないですか?心情的には日本人なんて言うけど、御本人は希望してアメリカ国籍を取得したんですよね?この場合の「心情」は少しでもノーベル賞受賞者を増やしたい日本人の勝手な願望ではあるまいかと思うんですが。--202.236.144.3 2008年10月20日 (月) 06:15 (UTC)

推論で議論を進めようとしないでください。議論は建設的にお願いします。記事の内容に関しては、一言「アメリカ国籍を取得している」と注釈を書いておけば問題ないでしょう。--akane700 2008年10月20日 (月) 22:12 (UTC)

現時点で氏はアメリカ人です。それなのに何故日本人受賞者リストにあるのか?という疑問を持ってはいけないのか?英語版とイタリア語版ウィキペディアを根拠にあげるのは笑止千万です。米国のマスコミはアメリカ人受賞者として報道したと思うが。 ところで、外国人が日本に帰化して、帰化前の国の業績でノーベル賞を受賞したら、この人はどこの国の ノーベル賞受賞者に分類されるのでしょう?日本人受賞者を心情的に増やしたいから現時点の日本国籍を重視して日本人受賞者ということにするのですか?

ノーベル賞の政治学

NBオンライン(伊東 乾):日本にノーベル賞が来た理由~幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

なかなか読み応えのある解説で、ノーベル賞#エピソードの書き方の参考になると思います。--Backyard Editor 2008年10月10日 (金) 19:13 (UTC)


下村先生の分類

旧長崎医科大学附属薬学専門部は旧長崎医科大学とは違いますよね。 これを同じにするのは、旧東京教育大学附属駒場高等学校を筑波大学附属駒場高等学校ではなくて旧東京教育大学とみなすようなものだと思います。 202.225.179.143 2008年10月11日 (土) 12:48 (UTC)


薬学専門部って医学部薬学科か薬学部に相当するんじゃないんですか??大阪大学医学部も昔は大阪医専だったような。。。?--202.236.144.3 2008年10月20日 (月) 06:04 (UTC)

ノーベル平和賞を人文・社会科学系としていることについて

日本人受賞者の所に、ノーベル平和賞受賞者が「人文・社会科学系」と分類されていますが、同賞はそのどちらでもありません。「人文科学系その他」とすべきではないでしょうか。

確かにそのとおりですね。ご提案に同意します。--202.236.144.3 2008年10月20日 (月) 06:02 (UTC)

保護解除に向けて

編集合戦の当事者による議論がしばらく停止しており、そろそろ保護の解除依頼をしようと思うのですがどうでしょうか。--akane700 2008年10月18日 (土) 22:55 (UTC)

保護解除しても、また編集合戦が始まるだけではないでしょうか?--202.236.144.3 2008年10月20日 (月) 06:06 (UTC)

そう考える根拠を教えてください。--akane700 2008年10月20日 (月) 22:18 (UTC)

南部陽一郎氏の欄の某氏の発言をご検討の上、保護解除できるかどうかを判断してください。—以上の署名の無いコメントは、寂華会話履歴)さんが[2008年10月20日 (月) 08:26 (UTC)]に投稿したものです(akane700による付記)。

解除に対する具体的な反対意見がこのまま3日間出なければ解除依頼に持って行こうと思います。--akane700 2008年10月23日 (木) 13:06 (UTC)
解除依頼をしました。--akane700 2008年10月26日 (日) 09:23 (UTC)

受賞者へのアイコン付与について

ノーベル賞受賞者のインフォボックスにメダルのアイコンを付与する編集を見かけたのですが[1] こうしたことを行なうという合意はどこかでなされているのでしょうか。「ノーベル賞受賞」ということをそこまでして顕示する必要があるのか疑問ですし、そもそも人物別インフォボックスのしたに既にノーベル賞用のインフォボックスがあって、そこにまったく同じアイコンが使われておりくどく感じるのですけれども。合意なき編集ということであれば差し戻しても構いませんか。--頭痛 2010年10月1日 (金) 09:17 (UTC)

リョサをふくめスタブ記事に同じアイコンが三つも重なってしまっているんだけれど、これは他の分野ならよくあることなんだろうか--ЧК 2010年10月7日 (木) 11:18 (UTC)
作家インフォボックスと受賞者インフォボックスと一覧のテンプレートですね。特に反応もないようだし冒頭の人物インフォボックスに付けられているものは目に付いたものから除去しておくことにします。--頭痛 2010年10月7日 (木) 15:10 (UTC)

一部記述のコメントアウト

圧力という節の移動と削除しました。 パステルナークの話はエピソードに近いですし、ノーベル賞関連の政治話はほとんど平和賞に限られるため、ノーベル賞そのものの記事にあるのは不自然であり、該当の内容はノーベル平和賞の記事に記述されているため。 --222.5.108.27 2010年10月8日 (金) 12:51 (UTC)

始めまして、ノーベル賞のページで編集をした者です。

ノーベル賞の圧力という項目ですが、ノーベル賞で圧力、というか政治色が強まるのはほぼほぼ平和賞に限定されるので、これらの話は平和賞のページに書いたほうが良いと思います。 一部転記の提案か、様式を変えての転記をしようかと思いましたが、ノーベル平和賞の記事が半保護状態なので、今はできませんが。 文学賞の話は凄く稀な例なのでエピソード節への転載を提案します。 ついでにノーベル平和賞の保護が解除されたら、エピソード説の平和賞の政治からみのネタは全部転記することを提案します。

以後の話はノーベル賞のノートページでお願いします。 --222.5.108.27 2010年10月8日 (金) 15:13 (UTC)

222.5.108.27さん ご提案、拝見しました。ご使用のIPは今日から使用を開始されたみたいですが、いままでもウィキペディアは利用されている方ですよね?わざわざ新IPの解除を待たなくても、その際に利用されていたものでログインし、提案を実行すればいかがですか。(こちらで話した方がいいみたいなので、書き込みはこちらに移動しました。)--.9098 2010年10月8日 (金) 16:18 (UTC)
NederlandsNederlandsさん、私は普段IPのまま編集をするのですが、とりあえずアカウントを作りました。
私の提案としては、すでに書いているように、政治的な色合いや圧力といった話は特に平和賞に集中するものなので、ノーベル賞の記事ではなく、平和賞のほうの記事にかくべきでは、というものです。
ノーベル賞という制度全体に関する圧力であるならばこの記事に書くのが妥当であると考えますが、すでに各賞毎の記事が作成されているので、各賞毎に関する話は各賞の記事に書いたほうがすっきりすると思います。
しかし、NederlandsNederlandsさんが、この話はこのページにあるべきだ、と考えるのであれば、特段否定はしません。--にににごいちれい 2010年10月8日 (金) 18:35 (UTC)
わざわざアカウントをおつくりいただいたみたいで失礼しました。いまの保護が解除されたら、ご判断にお任せいたしますね。宜しくお願いいたします。どうもありがとうございました。--.9098 2010年10月9日 (土) 02:48 (UTC)
返答ありがとうございます。保護解除を待って、より分かりやすい内容となるように善処します。--にににごいちれい 2010年10月9日 (土) 14:49 (UTC)

世界的観点

利用者: 211.16.221.58さんにより、Wikipedia:日本中心にならないようにに基いて世界的観点のタグが貼られました。ただし、「海外」を「日本国外」に一箇所変更しただけで、どの部分が世界的観点に違反するのかの説明もありません。今後、きちんとした問題箇所の提示がないなら、タグを外したいと思います。--neuropower 2010年10月9日 (土) 09:03 (UTC)

一部転記の提案:日本人の受賞

ノーベル賞#日本人の受賞日本人のノーベル賞受賞者一部転記することを提案します。2つの記事でそれぞれ書かれるより、1つにまとめた方が読む人にも書く人にも便利だからです。ご意見よろしくお願い致します。--neuropower 2010年10月9日 (土) 09:11 (UTC)

出典要請

本多勝一は、佐藤栄作大江健三郎の受賞がノーベル賞の問題点を表していると主張している。>>
の出典を示してください。もし本田さんがノーベル文学賞受賞者に決定し、自らの意思で辞退し、この主張したたならすごい説得力がありますね。--2012年10月9日 (火) 13:22 (UTC)

保守論客うんぬんのコメントアウトに関して

2012年10月14日 (日) 12:31‎のIPユーザーによる編集で、「エピソードと評価」項の末尾の1段落がコメントアウトされました。

日本の一部の保守派の論客からは、ノーベル賞を日本人が過大評価すべきでは無いとの意見も存在する。評論家の富岡幸一郎、水島総は「戦後日本の左翼的・グローバリズム的なイデオロギーを含むものであり、無国籍な民主主義の象徴である」として、日本の堕落及び脱ナショナリズムを助長するものであるとしている[7]。また、本多勝一は、佐藤栄作、大江健三郎の受賞がノーベル賞の問題点を表していると主張している。

この記述のどこに問題があるのかについて、編集者は一切コメントしておらず、またこのIPユーザーはほかに編集を行った記録がないので、彼がどのような意図をもってこの記述をコメントアウトしたのかは推測のしようもありません。

しかしこの記述には出典とみなせるリンクがついており、また各見解の論者の氏名も明示されているので、言葉を濁しているようにも思えません。

ここで述べられている各評論家の意見に私自身が賛同するかは別ですが、検証可能性を(将来)十分に満たしうる限りは削除したり隠したりする必要はなかったと思います。たとえそれがポピュラーな意見でなかったとしても、ある事物に対して複数の見方(反対意見や批判も含めて)を掲載することは有用であると考えます。国際的な賞には政治的な事情や解釈がつきものですから、上述各氏の意見が的はずれであるとか、ただちに唾棄されるべきものであるとは到底言えないと思います。

本多氏の意見に対しては出典が示されていませんが、これについては、単に「要出典」タグを貼り付けて出典の提供を呼びかけるだけで十分だったのであって、また、前半部の富岡氏・水島氏の論に対する出典が仮に不十分であったとしても、コメントアウトするほどのものではなかったと考えます。

そもそもこのIPユーザーは、この部分のコメントアウトと同時に、他のいくつかの部分に「要出典」や「誰?」を貼り付けています。それなのに、なぜかこの部分に限っては、コメントアウト(編集に携わらない読者から見れば削除と同然)という一歩も二歩も踏み込んだ処理を行うことにしたようです。ひとつだけ、あえて他と違う処理を選択した理由が大変気になるところですが。

編集合戦を避けるため、まずはこちらで合意を形成してから、コメントアウトを解除したいと思います。--Faci会話2012年10月18日 (木) 15:00 (UTC)

一括りにノーベル賞のイデオロギー性を述べていますが、例えば山中教授のiPS細胞の研究がなぜ「無国籍な民主主義の象徴」なのか、「日本の堕落及び脱ナショナリズムを助長するもの」であるのか読者にその意味が伝わってきません。--220.210.2.193 2012年10月19日 (金) 00:16 (UTC)

読み違いではないですか?コメントアウトされた部分の記述は、あくまで「ノーベル賞を過大評価する風潮」に対して「無国籍な民主主義の象徴」とか、「日本の堕落及び脱ナショナリズムを助長するもの」と述べているのであって、ノーベル賞の受賞対象となった研究そのものを批判しているのではありません。あなたのおっしゃる山中教授の例に合わせて言うのなら、彼らが批判しているのはiPS細胞の研究でも山中教授本人でもなく、むしろ山中教授のノーベル賞受賞を熱望していた周りの人々、すなわち日本人全体です。例えば今年の例で言うなら、村上春樹氏の文学賞受賞が有力視されたことに日本人は大きな期待を持ち、受賞を逃したことがわかれば落胆する。彼らは日本人のこうしたさまの中に「左翼的・グローバリズム的なイデオロギー」を見出しているのです。
また、その意見の理由が述べられていないことについてですが、それは掲載しないことの理由にはならないと思います。複数の評論家が、(理由はどうあれ結論としては)こういう意見を持っている、という事実さえ証明できれば、Wikipediaに記述するには十分です。事実を述べているのであれば問題はないはずです。理由については、リンク先の番組や各氏の著作にあたれば見つかるでしょうから、「さらなる出典を要する」として掲載しながら提供を募るので充分かと思います。--Faci会話2012年10月21日 (日) 09:56 (UTC)

例えば韓国の「ノーベル賞を過大評価する風潮」はまさに「脱ナショナリズム」ではなく「ナショナリズム」を煽るもののようにおもいますが、どうでしょうか。私が思うに「日本の堕落及び脱ナショナリズムを助長するもの」というのはノーベル賞全般に対して言っているのではなく、特定の文学賞、平和賞の受賞を指しているのではないのではないでしょうか。事情はよくわかりませんが、そうであるなら発言者のその発言の前後の文脈を紹介しないと誤解を招くように思います。--27.231.231.119 2012年10月21日 (日) 12:10 (UTC)220.210.2.193継承

私はその出典とされている番組を見たわけでも各氏の思想に通暁しているわけでもないので、前後の文脈がいかなるものであったかについては私にもわかりません。番組の討論テーマがノーベル賞そのものであったか、それとも単にほかのテーマを論ずる上での引き合いに出されたに過ぎないのかによっても、この記述の重要性は大きく変わるでしょう。
しかしここで私が問題にしているのは、コメントアウトという処理の必然性についてです。少なくとも形式的には、コメントアウトされた部分の記述はWikipediaへの掲載を認めるための要件を失格しているとは思えませんでした。述べている話題は間違いなく「ノーベル賞」に関連した話題ですし、論者は(その政治思想は別として)身元の知れている人物ですから調査を行おうと思えばいくらでもできます。わずか三行ですが、今ここで不適切な前例を作ることは、今後も不適切な編集を認めることにつながってしまいかねません。
かりにこの記述が、誤解を招く不十分なものであったとしても、一般に無批判な権威付けが行われがちなノーベル賞というものに対する新たな視点を提供するという意味でこの部分の記述は(記事の発展のために)とても有用なものだと考えます。「エピソードと評価」項に限らずこの記事全体に亘ってもっぱらノーベル賞の負の側面ばかりが強調されているのも問題だとは思いますが、それは否定的な記述が多すぎるのではなく、むしろ肯定的な記述があまりに少なすぎるからです。いま否定的な記述をさらに一つ追加することは、記事の中立性を下げることにはつながらず、むしろ将来加筆されて良質な記事となるための価値ある一歩となったでしょう。成長する可能性を持った芽を潰してしまうことは、とてももったいないことではないでしょうか。
論者らが、日本と諸外国(韓国も含みます)では状況が違うと考えているのか否かについては、コメントアウトされた部分の記述からはわかりません。しかしそれはどんな問題を生ずるのでしょうか?かりにあなたのおっしゃるとおり「韓国では(富岡・水島氏の主張に反して)ナショナリズムを煽っている」のが真実だったとして、その「現状」に対する説明がWikipedia上にないことで読者は不利益を被るでしょうか?この主張はあくまでも上述各氏らのものであって、Wikipediaの主張ではありません。また、記事に掲載されたからといって、Wikipediaがその主張を支持していると解釈されることもありません。主張の責任はあくまで原論者にあり、Wikipediaはあくまで事実を事実として伝えているにすぎません。
また、文学賞や平和賞に限った話ではないかということについてですが、経済学賞以外のノーベル賞は間違いなくノーベル賞の一種であり、自然科学部門の賞とそれ以外の賞を明確に区別する根拠は(少なくともノーベル財団の公式見解には)ありません。また、文学賞や平和賞もノーベル賞の一種であることには変わりないので、当該部分の記述に嘘はありません。私個人の見解としては、本多氏以外の2氏の主張は自然科学部門の賞にも当てはまるだろうと思いますが、ここで当該記述についての私とあなたの私見をぶつけ合うと議論の本筋からそれるので詳しくは割愛します。
長文失礼しました。--Faci会話2012年10月26日 (金) 11:03 (UTC)

最後の投稿から1週間が経ちました。あと3日ほど待って、何も投稿がなければ、当該記述を「要出典」タグ付きで復元いたします。--Faci会話2012年11月2日 (金) 13:11 (UTC)

現状での復元には強く反対させていただきます。理由は上記に記しましたが、発言者がどのような状況で具体的にどのような事例に対して記したのかの説明がなされない限り問題は解決されないと思います。「要出典」を付けるのではなく、出典を調べ、上記の説明を付加した上での復元を求めます。220.210.2.193継承--27.231.242.38 2012年11月2日 (金) 23:56 (UTC)

では本件は保留ということにいたします。しかし、私はこれで議論が尽くされたとは思っておりません。この議論に参加した人数が2人しかいないということは、議論の信頼性の欠如を示すものであります。当該処理を行った編集者の真意が不明なままなのも残念です。今後もこの場で長期的な議論を継続すべく、多くの方々の見解を募りたいと思います。

それから、ノートページで議論をする際はログインして下さい。議論に継続的に参加する際はもちろん、一度きりの投稿のつもりでもできればアカウントを使用するべきです。「継承」と書かれるだけではアカウントの代わりにはなりません。--Faci会話2012年11月20日 (火) 13:22 (UTC)

一部転記の提案

「日本人の受賞」の節を日本人のノーベル賞受賞者に一部転記することを提案します。この記事は概説記事としておき、日本の受賞者については転記提案先での記述するほうが、WP:JPOVの観点からも好ましいと思います。なお 2010年10月に一度提案されてますが、かなり前のことであり提案自体が消滅したものと考えます。また 2013年1月30日(水)(UTC)に提案もないまま履歴不継承の転記が行われたため、事後的ではありますが差し戻しのうえ提案致します。(私が提案するのもおかしな話ですが。)--RvRt会話2013年1月31日 (木) 03:14 (UTC)

賛成  日本のみのこのような記述は適切ではありませんし、日本人の受賞者記事があるのにそちらよりこっちの記事のほうが詳しいのもおかしな話でしょう。(すいません、自分がしようと思っていたのですが。)--Kuzumochi会話2013年2月1日 (金) 23:11 (UTC)
チェック 1週間反対がなかったため転記を行いました。--RvRt会話2013年2月7日 (木) 14:38 (UTC)