ノート:ナショナリズム

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定義について[編集]

とりあえず、ゲルナーにしました。アンソニー・スミスの師匠ですし、ホブズボームの定義よりは簡潔ですので。厳密には「政治的単位と民族的単位」ですが、そのままですと自己撞着気味なので、微妙にアレンジしてあります。 コータ 2006年10月24日 (火) 17:08 (UTC)[返信]

国家を優先?[編集]

「国家を優先」って、ちょっと意味が分かり難いのですが、何に対して国家が優先するのでしょうか。ネイション、ステート、エスニシティの関連から説明して頂けると助かります。また併せて出典(その様に定義している研究者、専門書)などがありましたらお願いします。 コータ 2006年10月28日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

スミスと原初主義[編集]

スミスはゲルナー、アンダーソンらの「近代主義」を否定していますが、同時にナショナリズムを自然、あるいは普遍的とする「原初主義」も否定しています。近代以前からの連続性を指摘しているからといって、「原初主義」を擁護していると言うことはできないと思うのですが、どうでしょうか。 コータ 2006年11月1日 (水) 17:11 (UTC)[返信]

コータさん、はじめまして。ご指摘の趣旨は理解しております。「原初主義の立場をとる」ではおかしいので上のような表現にしたのですが、「擁護している」でも大してかわらないですね。(むしろ、「支持している」より強いニュアンスになりかねないと思いました。)いったん該当箇所を消して出直してきます。
余談ですが、自分がこの項目を書き始めたきっかけは、ナショナリズムが民族主義へのリダイレクトになっていたということと、民族主義の項目に書かれている内容に呆然としたからです。本来「ナショナリズム」について記事を書くなどという大それた真似をするつもりはなかったのですが、せめて、ある程度の知見をお持ちの方が「ツッコミをいれてやるか」と思えるレベルになれば記事発展の捨て石くらいにはなるかと思っておりました。至らぬ点がありましたらまたご指摘ください。また、是非加筆も加えてくだされば幸いです。それでは失礼します。--Hasi 2006年11月1日 (水) 18:13 (UTC)[返信]
はじめまして。私も民族主義へのリダイレクトは問題だとは思っていたものの、書き換える場合の困難を考えて二の足を踏んでおりました。Hasiさんが執筆して下さったことで大きく前進したと思います。Hasiがナショナリズムについての知識をお持ちでいらっしゃることは記事の内容から窺えますし、実際、件の部分以外は妥当な記述であると思います。ナショナリズムについての解説を書くことは中々に大変な作業ですが、私も出来る限りのことはしたいと思います。 コータ 2006年11月3日 (金) 15:56 (UTC)[返信]

独立と発展[編集]

定義部の「独立、発展させようとする」という記述は、どのような論者による見解でしょうか。アンダーソンの最近の研究に代表される様に、ナショナリズムは必ずしも独立を志向するとは限りません。また発展についても、19世紀において国民経済の確立と発展がナショナリズム興隆の大きな目的であったことは否定しませんが、必ずしも常に発展を目的とするとは言えないと思います。ということで、この部分に関して根拠となる文献がありましたらお願いします。 コータ 2006年11月19日 (日) 14:06 (UTC)[返信]

『広辞苑 第五版』と『知恵蔵』にあります。
ナショナリズムとは、大変難しいものなのですね。--Sashisu 2006年12月29日 (金) 01:15 (UTC)[返信]
お察しの通り、ナショナリズムは非常に複雑な概念です。専門外の方の手による辞書ですと、ほとんど理解の助けにはならないかもしれません。社会学系の用語集か、専門書の序章(あるいは「はじめに」)などであればある程度解り易く、かつそれなりに詳しく書かれていることが多いので、取っ掛かりに向いているかと思います。 コータ 2006年12月30日 (土) 15:48 (UTC)[返信]

パトリオティズムについて[編集]

「巨大な共同体を志向するので、地域主義的な傾向を帯びるパトリオティズムとは対立することが多い。」とのことですが、「巨大な」とは何に比べて巨大なのでしょうか。また、具体的にどの程度の大きさなのでしょうか。また「地域主義的な傾向を帯びるパトリオティズムとは対立することが多い」とのことですが、この根拠ないし出典をご教示ください。

どうも『国家の品格』あたりからナショナリズムとパトリオティズムを対置するのが一部で流行っているようなのですが、これは多少なりともナショナリズムについて勉強した者にしてみると、ナショナリズムの復興運動に他なりません。そもそも「パトリオティズム」は正規の学術用語ではありません。"Patriotism"という言葉は社会学の用語集であるOxford Dictionary of Sociologyにも辞書にも載っていません。辞書(OALD)にもほんの一行ちょろっと「自身の国に対する愛、守ろうとする意思」みたいなことが書かれているだけです。ナショナリズムと別ものという点では間違ってはいませんが、対立するしない以前にナショナリズムとは次元の違う話という気がします。仮にナショナリズムと対立するとしたら、より従属的な下位集団のナショナリズムか、スミスの言う所の「エスニシティ主義」ではないのでしょうか。「パトリオティズム」がどうとか言うのは藤原正彦氏以降の話であって、ナショナリズム論というよりもむしろ、ナショナリズム研究の対象です。あまり位相の異なる言説を真に受けて記事に反映させてしまうのはどうかと思います。というか、こういったナショナリズム論の基本を無視した編集を見ると基礎的な文献を読まれていないのではないかという気がしてしまいます。もちろん、アンダーソンを読んでいなければ編集に参加する資格がないなどと言うつもりはありませんが、なんというか、学術的なアプローチについて議論する準備が足りないという批判は免れないのではないかと思います。 コータ 2007年1月27日 (土) 17:42 (UTC)[返信]

主な研究者について[編集]

とりあえず、アンダーソンとスミスは書きました。出典は、勉強している人には言うまでもないと思いますが、『想像の共同体』、『比較の亡霊』、New Left Reviewの"New World Disorder"、『ネイションとエスニシティ』、『ナショナリズムの生命力』です。参考文献と注はそのうち暇が出来たら付けます。その他の主な研究者は、ゲルナーとホブズボームは本も手元にあるので、そのうち(誰も書かない様なら)書きます。シートン=ワトソンまでは手が回らないかもしれません。 コータ 2007年1月28日 (日) 14:57 (UTC)[返信]