ノート:ナキア

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翻訳協力依頼(作業完了)[編集]

この記事は、プロジェクト:新アッシリア帝国の対象記事です。 英語版の記事en:Naqi'aからの翻訳作業に協力してくださる方を募集しています。 (この記事に限らず、プロジェクトに参加してくださる方も募集中です)--つちくら会話2019年9月28日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

返信 英語版の全導入完了しました。もともとの日本語版の文章もなるべく残すために要出典範囲を使っています。最期は個人的にも気になるのですが、「分からない」と書いてる英語版以外だと「アッシュールバニパルの即位後の公文書残ってないからすぐ死んだんじゃねーの」的なのが多い…ものの脚注ついてるのはなかったです。加筆できそうなソースについては、古代史百科事典と新アッシリア時代の女性たちからもう少し情報引っ張れそうな感じです。他国語版の脚注で残ってるのはヘブライ語版(ソース見たら何が<ref>なのかすら分からない謎表示に打ちのめされて断念)ぐらいですが、内容的にはほぼ新アッシリア時代の女性たちでカバーできそうなので無理する必要は無さそうという印象です(あと導入していいのかどうか迷うフランス語版の脚注もありますが)。正直、英語版のソースは相当強力な印象で、それ以降に新しい粘土板が見つかってない限りは「単なる著者の憶測では」しか見つからない気もします。つまり信頼性低そうなソースに頼らないと要出典範囲を消せる見込みは小さいような。難しいところです。--シダー近藤会話2020年10月20日 (火) 06:14 (UTC)[返信]
返信 作業、ありがとうございます。m(_ _)m しかも、毎回、英語版以外の記事も参照しながら作業していただいて、さらに記事の厚みを増していただき、ありがたい限りです。史料については、今後の進展を待つしかないかもしれません。いずれにせよ、ありがとうございました。--つちくら会話2020年10月20日 (火) 19:58 (UTC)[返信]
返信 加筆お疲れ様です。ありがとうございます。もともとの日本語版の文章は大昔に私が書いたもので全て「選ばれてあることの恍惚と不安-エサルハドンの場合」『古代オリエントの生活』河出書房新社〈生活の世界歴史1〉に基づいているのでとりあえず出典として追加しました。もっとも、今見てみると「有力である」系の記述はあくまでこの本では「きっとこうだった」という体裁で書いてあるというだけなのでちょっと書き方は変えました。ナキアの最期についてはこの本でもシャマシュ・シュム・ウキンの反乱発生、あるいは死亡の頃までは生きていた、という体で書かれていますが、具体的にいつどのように死亡したのかの情報はなく、「その後間もなくナキアも死去したと考えられる」は出典の内容からはちょっと乖離した書き方でした。--TEN会話2020年10月21日 (水) 16:35 (UTC)[返信]
追記です。エサルハドンの長子として言及されているSin-iddin-apliは、大英博物館のサイトなどではSin-nadin-apliと表記されており要検証かもしれません。検索する限りSin-iddin-apliと書いている書籍等もあるようですが、それぞれの表記がorで併記されることが無いように見えるのがちょっと気になるところです。--TEN会話2020年10月21日 (水) 17:23 (UTC)[返信]

ナキアはアッシュルバニパルとシャマシュ・シュム・ウキンの戦いを見たのか?[編集]

気づいたので、メモのように書いておきます。現時点の記事の最後に、こう書かれています。

だが彼女も加齢とともに政務に付く事が困難になるや二人の兄弟の対立は表面化し、紀元前652年兄弟戦争が勃発した。この戦いでシャマシュ・シュム・ウキンは敗れ戦死に追い込まれることとなった(自殺説もあり)。その後、ナキアも死去した

参考文献は佐藤進「選ばれてあることの恍惚と不安-エサルハドンの場合」『古代オリエントの生活』河出書房新社〈生活の世界歴史1〉p.164。私もこの本を持っていて、当該部分を確認し、確かに「老いたナキアはもはやこれを調停することができなかった」と書いてあります。ですが、ナキアの没年は前668年とされています。ナキアが前570年生まれなら、この時点で62歳です。一方で、この内戦が勃発したのは前652年。仮に生きていたなら、78歳。古代ではさすがにちょっと厳しいのでは・・・? ナキアの没年を前668年としているのが誤りか、内戦を目撃したのが誤りか、どちらかだと思います。問題提起しておきます。

参考年表[編集]

年(紀元前) 年齢 出来事
730年頃 0 ナキアが生まれる
713年頃 17 エサルハドンが生まれる
681年 49 エサルハドンがアッシリア王になる
669年 61 エサルハドンが死亡、アッシュルバニパルが王になる
668年 62 ナキアが死亡(?)
652年 78(?) シャマシュ・シュム・ウキンが反乱、内戦勃発

--つちくら会話2021年8月12日 (木) 21:03 (UTC)[返信]


  • コメント 78歳は絶対ありえない年齢ではないとは思いますが、ナキアの年齢については明記している英語版・ドイツ語版いずれも無出典で、そもそも前730年頃出生というのがどの程度信憑性のある推定なのか(これはエサルハドン等、関連する他の人物についても同様なのですが)が個人的に疑問ではあります。フランス語版のように単純に「不明」とする方が実態にあっているような気がします。--TEN会話2021年8月16日 (月) 15:43 (UTC)[返信]
返信 返信ありがとうございます。よく見たら、このノートの上でもナキアの最期について、議論がありましたね・・・(汗)。出生年については、エサルハドンを産んだ時の年齢を考えると、あながち外れでもないのではないかと思っています。ナキアの出生年が多少前後しても、アッシュルバニパルとシャマシュ・シュム・ウキンの内戦時には(もし生きていれば)ナキアはかなり高齢になっていたことは間違いないのではないでしょうか。ナキアについて確認できるのは、エサルハドンが死んだ前669年前後に作成された、王子・家臣にアッシュルバニパルへの忠誠を誓わせる文書が最後のようです。フランス語版では、この誓約締結後、すぐにナキアは死んだことになっています。「ナキアの最後は不明」みたいな方向で、現在の日本語版の最後の段落を修正しようかな、と考えています。--つちくら会話2021年8月16日 (月) 20:11 (UTC)[返信]