ノート:ドイツ空軍

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末期の戦いについて[編集]

ドイツ空軍はベルリンの戦いにおいては殆ど活躍できなかったかのような記述がなされていますが、末期においてもエースパイロットは相当数生き残っており、終戦直前まで出撃していますし、15日間の戦闘で917機もの連合機を撃墜・撃破しています。これらの殆どが高射砲によるものとは考えづらいです。ルフトバッフェは最後においても相当な活躍を見せたのではないでしょうか?関する文献をお持ちの方がいたら正しい記述をお願いします。--122.134.156.253 2008年3月17日 (月) 08:51 (UTC)[返信]

出典について[編集]

元の版がウィキペディアンによる出典元が不明な微妙な批評によって構成されているので中々編集が難しいのですが、(Wikipedia:独自研究は載せないの方針を御守り頂く様に・・・)出典が大変少ないので追加していきたいと思ってます。元の版の執筆者の方がいたら是非出典の明記を御願い致します。--紅美鈴 2008年3月19日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

末期の戦いについて(解答)[編集]

15日間に917機を撃墜したという数値は過大だと思われます。1日に平均すると60機強にも上り、護衛機が存在しなかったシュヴァインフルトの爆撃行の米軍本隊の損害の63機と同等の数値を出せるとは考えられません。また、1945年のイギリス空軍の損害が約500機。米軍が約300機であるので、爆撃機の迎撃に専念していたドイツ空軍は何を撃墜したのか?という疑問が浮かびます。917機の内約に関する資料の出典も提示するべきです。

また各資料、資料写真を見る限りでもドイツ空軍の作戦遂行能力は激減しており、ゲリラ的な出撃を余儀なくしていたと言われています。そのような状況下で、公式な撃墜記録も存在するとは考えられず、組織的な抵抗をしていた1944年時点と同じような戦果を挙げられるのは無理だと思います。--219.109.70.193 2008年3月22日 (土) 03:46 (UTC)[返信]

損害917機(撃墜だけでなく損傷も含まれている)は英語版のBattle of Berlin(出典付)が元でしょう。向こうの記事は人が多くかなり充実しているし誇大ではないと思います。ベルリンの戦いは最後の戦いですから、燃料や機体の温存など考えずに出撃できたのかもしれません。自分個人が思うには、燃料もパイロットも無く機体も旧式の日本軍が本土空襲で500機程度のB-29を撃墜しているのでおかしいとは思いません。--紅美鈴 2008年3月24日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
ですから、15日間に撃墜された連合軍機の内約を調べるべきです。また、15日間で917機を撃墜したとする事と、八ヶ月にわたる日本本土空襲で500機を撃墜した事とを比較する、あなたの憶測には根拠がありません。また航空燃料の合成石油の依存率は1944年当時92%を越しており、同年の五月には空襲により合成石油の生産が十分の一に落ち込んでしまいます。燃料や機体の温存ができたとは考えられません。

また、温存できるような状況下で「エルベ特攻隊」といった体当たり攻撃部隊を編成し、出撃させるということも考えられません。そもそも、何故高射砲の戦果であるとお思いになったのですか?--219.109.70.193 2008年3月25日 (火) 06:35 (UTC)[返信]

ウィキペディアン同士ノートであれこれ推測したところで独自研究の域を出ないので無意味です。貴方が検証可能な情報を示さない限り議論は意味を成しません。それと、米英機の損害を重要視しておられるようですがベルリンの戦いはポーランドとソ連が殆どを戦っています。--紅美鈴 2008年3月25日 (火) 09:56 (UTC)[返信]
自らは検証しないのですか?検証可能な情報ということで、『ドイツ本土戦略爆撃 著:大内健二 光人社NF文庫』『【歴史群像】欧州戦史シリーズVol.19 ドイツ空軍本土防空戦 学習研究社』を提示させていただきます。これなら日本国内でも手に入りやすいでしょう。ソ連空軍、ポーランド義勇軍の情報は皆無といっていいので、資料を提示してもらえると嬉しいのですが。--219.109.70.193 2008年3月26日 (水) 03:06 (UTC)[返信]
当議論はベルリンの戦いに関するものですのでその文献に戦闘についての情報が無ければ意味がありません。--紅美鈴 2008年3月26日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
ではあなたが資料を提示すべきです。何故自分で検証しようとしないのですか?そもそもベルリンの戦いというのは「ソ連軍の陸上戦力がベルリンを制圧」するまでの短い期間の戦いであって、連合軍の空爆はそれ以前から実施されているのです。「ベルリンの戦い」に限定した正確な資料、戦果を記載した資料は皆無に等しいのです。ただ、それ以前のドイツ空軍の行動や状況を見る限りでは『917機という数字は過大であり、内約が示す事ができなければ確実ではない』という見方が一番だと思います。不正確な情報は載せる事はできません。

『燃料や機体の温存など考えずに出撃できたのかもしれません。』とするあなたの考えにはまったく根拠がありません。相手の意見に根拠が無いとするなら、自分から根拠のある資料を提示すべきです。--219.109.70.193 2008年3月27日 (木) 06:34 (UTC)[返信]

それはただの推測です。誰もそれを記事に掲載しようなどとは思っていません。臭い揚げ足取りをしていると誰でも怒りますよ。--紅美鈴 2008年3月27日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
では、臭い揚げ足取りもしません。ここで議論は終了です。特に資料を提示するわけでもなさそうですし。あなたの『15日間の戦闘で917機もの連合機を撃墜・撃破しています。これらの殆どが高射砲によるものとは考えづらいです。ルフトバッフェは最後においても相当な活躍を見せたのではないでしょうか?』という質問に対する、私の解答は『いくつかの資料の検討の結果、15日で917機というのは過大であり、内約を示す事ができなければ不正確である』というのが結論です。これ以上の論議を要するのであれば、Wikipediaの論争の解決のガイドラインに従って、コメント依頼に移ってもらうのが最良だと思われます。ですが、ひとつ忠告させてもらえるとすれば、投稿者がいて、はじめて成り立っているWikipediaというのは100%正しい情報を記載しているわけではないのです。ですから、議論をするにしてもムキになる必要は無いと思いますよ。自ら資料を吟味する事があっての、Wikipediaでもあるんですから。--219.109.70.193 2008年3月27日 (木) 15:55 (UTC)[返信]

この記事の内容構成の妥当性に関して[編集]

この記事は「ドイツ空軍の戦歴」に終始し過ぎており、その題名からは的外れになっている感があると思います。本来なら、時代による組織の構成や体制の変化をメインにすべきでしょう。何機撃墜したかどうかだの戦闘機の性能がどうだったかとかの具体的な話はこの記事には不要で、その専門の記事へ引っ張ればいいだけの話ですし、ましてやそれに関する議論なんて別所でやるべきです。--58.81.232.83 2008年3月28日 (金) 03:59 (UTC)[返信]

以前は時代による組織の構成や、体制の変遷を記述していたようですが、第二次世界大戦の事ばかりに編集が固執しており、題名とはかけ離れた内容になっているのは事実です。実は他の軍関連の記事も似たような傾向にあり、分離化を促進する方向(たとえば、第二次世界大戦を境目にするなど)に進んではいますが、根本的な解決にはいたっていません。というのも、そうした組織の変遷を書くには一部歴史的事実と重ね合わせて説明する必要があると思いますが、それが過分な説明になり過ぎている記事があり、その最たる悪例のひとつがドイツ空軍の記事だと自分も思います。自分も記事の大幅な改変をすべきだと思いますが、個人だけでどうこうできる事ではないと思いますので、皆さんのご協力を求めた方が良いと思います。また、ドイツ空軍に関しましては、ドイツ連邦空軍と第二次世界大戦以前のドイツ空軍と二つに分離化するのが適当だと思います。 追記:この記事は改訂の回数が非常に多く、また“独自研究”と断定されて消滅した記事も多いようです。ウィキペディアの記事は投稿に依存しているため、投稿者の質・モラルの方が問題だと思います。--219.109.70.185 2008年3月28日 (金) 06:20 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

ドイツ空軍の一部をドイツ空軍 (国防軍)へ分割する旨の分割提案を行いました。議論はノート:ドイツ陸軍へ。

特に反対等なかったので分割を行いました。--Sugarman会話2012年7月6日 (金) 11:50 (UTC)[返信]