ノート:トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565

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BWV565のトッカータとフーガはニ短調ですよ。「ト短調」と書いたのは誰ですか? 訂正方法が分からないので、分かる方、速急に訂正お願いします。

移動させました[編集]

2005年9月20日 (火) 14:28 58.93.204.113から移動させました。Izayohi 2005年9月20日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

ありがとうございます[編集]

Izayohi様が訂正して下さったんですか?ありがとうございます。 クラシック音楽が好きなので、こうした点にこだわりがありますので…(笑)。 クラシック音楽をある程度知ってれば、調については基本事項です。

どなたかわかりませんが、ケアレスミスの可能性もありますから。もう少し、文章に気をつけましょうね。
できれば、あなたもログインしてみてください。仲良くしましょう。--Pluto 2005年9月24日 (土) 01:11 (UTC)[返信]



それまでたくさんの人が書き加えて蓄積してきたものを、一人の軽々しい判断で大幅にカット変更してしまう編集方法は良くない。過去からの継承が途絶えてしまうし、インターネット百科辞典の目的である知的財産の蓄積が失われてしまう。これがウィキペディアの問題点だろう。 たとえば多数決方式とか重みズケ方式とか開発されることを願う。--内藤勘解田 2008年10月22日 (水) 16:33 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

『トッカータとフーガ ニ短調 BWV565』への改名を提案します。「ニ短調」の前にはスペースが必要でしょう。ただし他のページに倣ってBWVの後にはスペースを入れないのが無難と考えます。--Kagefumimaru会話2013年1月7日 (月) 23:41 (UTC)[返信]

コメント 改名以前にバッハのフーガ作品が当記事以外でスペースが入っているのが以前から疑問に思っていましたので、ノート:ヨハン・ゼバスティアン・バッハでそのあたりのことを議論された方がよろしいかと思います。--Louis XX会話 / 投稿記録2013年1月8日 (火) 04:31 (UTC)[返信]
これは別にバッハ作品に限ったことではありませんのでノート:ヨハン・ゼバスティアン・バッハは議論場所にしたくありません。カタカナのあとに調性表記が来ると読みづらい、ということには多分同意していただけると考えているのですが、方針として一貫性をもたせようとするとひどく大掛かりになってしまい、割に合わないと思い、とりあえず可読性を確保するため改名を提案しています。--Kagefumimaru会話2013年1月8日 (火) 11:22 (UTC)[返信]
コメント 類似の先行議論についてはノート:幻想曲D940をご覧ください。--アルビレオ会話2013年1月9日 (水) 23:20 (UTC)[返信]
ありがとうございます、思ったより面倒な問題のようですね。ただ私としては作品番号のみで指定するのは肯定できますが、作品名と作品番号の間にはスペースが必要だと考えます、なぜなら作品番号は作品名に含まれないからです、両者は区別されなければなりません。さらに言えばBWV565は単に"Toccata"であって、ニ短調というのは補足説明で作品名には本来含まれていません。--Kagefumimaru会話2013年1月9日 (水) 23:39 (UTC)[返信]
ご提案の内容は2つの項目の組み合わせになっていて、区別して議論した方が良いと思います。
第1に、記事名に含まれるべき語句は何か。現状は「トッカータとフーガ」と「ニ短調」ですが、それに加えて「BWV565」も含むべきか否か。
第2に、記事名に含まれるべき語句が複数ある場合に、その区切りをどうすべきか。
第2の観点の議論が進められようとしていますが、私の意見では、まず第1の観点で議論を進めてから第2の観点の議論をすべきだと思います。(第1の議論を進める途中で第2の観点の議論も必要となるかもしれませんが)
Kagefumimaruさんの今回の提案では、記事名に「BWV565」を含めるものになっていますが、まずその理由を説明して頂けますか? 特に、BWV538と区別するためにBWV565を含めようとしているのか、BWV538とは無関係にBWV565を含めるべきとお考えなのかを明確にして頂くと、議論がスムースに進むと思います。--アルビレオ会話2013年1月11日 (金) 21:37 (UTC)[返信]

BWV565を含めることで、それがJ.S.バッハの作品であることと、BWV538との区別をシンプルに示すことができます。「トッカータとフーガ ニ短調」だけでは他の作曲家の「トッカータとフーガ ニ短調」の記事が将来的に書かれた時に困りますし、「トッカータとフーガ ニ短調 (バッハ)」でもBWV538との問題があるので、BWV565を含めるのは必須と考えます。--Kagefumimaru会話2013年1月12日 (土) 01:39 (UTC)[返信]

良くわからないのですが、J.S.バッハの作品の記事を全てBWV番号付きにしようと考えているのですか? また、BWV538は現状トッカータとフーガ「ドリア調」なのですが、この記事をトッカータとフーガ ニ短調 BWV538のようにしたいということでしょうか?
目的が良くわからないので反論になるかどうか不明ですが、私としては「トッカータとフーガ ニ短調」として同程度有名な他の曲が今後出てこない限りは困らない、すなわち事実上問題にならないと思います。Kagefumimaruさんはこの曲以外に「トッカータとフーガ ニ短調」として広く知られる曲がある、ないし今後同程度知られるようになる可能性がある曲が存在する、というご意見でしょうか? --アルビレオ会話2013年1月12日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
前述のように、私には統一的な方針を打ち立てる意思は全くありません。ただ現在の記事名がわかりにくいと感じたため改善を提案したのみです。私のスタンスは、読んで分かるならそれでいい、というものです。それから記事名の付け方に有名か無名かというものを考慮するべきではないと思います、同じ名称のものがあればそれは平等に扱われるべきでしょう。ですからサフィックス抜きで「トッカータとフーガ ニ短調」とするのには反対です。またブクステフーデのBuxWV 155などは無名というほどではないと思いますが、問題がややこしくなると思うので、有名無名と関係なく「トッカータとフーガ ニ短調」だけでは良くないという立場を取ります。--Kagefumimaru会話2013年1月12日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
確認ですが、他に同名の曲がなければ「トッカータとフーガ ニ短調」で良いが、同名の曲があるから「BWV565」をつけるべきだ、ということで宜しいでしょうか。
その前提で議論を進めると、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避の種類と方法では、よく参照される項目とそれ以外との項目とであまり差があると考えられない場合は平等な曖昧さ回避が向いており、他と比べて圧倒的に参照されることの多いトピックは代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避としています。
私は「トッカータとフーガ ニ短調」では本項目が圧倒的に参照されることが多いと考えていますが、そうは考えない、ということでしょうか。それともWikipedia:曖昧さ回避の上記の記述には従うべきでない、というご意見でしょうか。前者であれば、参照の比率についての話になりますし、後者であればまずはWikipedia:曖昧さ回避の現行規定を変えてから話を進めるべきだ、ということになると思います。--アルビレオ会話2013年1月12日 (土) 03:50 (UTC)[返信]
私は「トッカータとフーガ ニ短調」は単なる汎用的な形式と調の組み合わせで、個々の作品を特定する名称としては弱すぎると考えています。曖昧さ回避は《内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすること》ですが、私は「トッカータとフーガ ニ短調」を適切な記事名と考えていません。私の提案は曖昧さ回避とは無関係です。--Kagefumimaru会話2013年1月12日 (土) 09:42 (UTC)[返信]
反対 提案者が合理的な改名理由を示せていないため、改名に反対します。合理的な改名理由を示した場合は反対を取り消す場合があります。--アルビレオ会話2013年1月12日 (土) 10:28 (UTC)[返信]
合理的な改名理由とは何でしょうか、私の説明の不合理な点を指摘してください--Kagefumimaru会話2013年1月12日 (土) 10:35 (UTC)[返信]
横から失礼します。Kagefumimaruさんのいう「トッカータとフーガ ニ短調」を適切な記事名と考えていませんの理由が「トッカータとフーガ ニ短調」は単なる汎用的な形式と調の組み合わせで、個々の作品を特定する名称としては弱すぎるなのだとすれば、その認識は大いにズレていると思います。曲を知っている人なら「トッカータとフーガ」と聞いただけでメロディが頭に思い浮かぶほど弁別性は高いでしょう(その理屈だと「ニ短調」すら不要になる)。そもそも「汎用的な形式」としての「トッカータとフーガ」を知っている人なら、真っ先に思いつく曲がBWV565であることに疑いはありません。
「トッカータとフーガ」という汎用的な形式を説明するページと紛らわしいというならわかりますが、曖昧さ回避とは無関係なのですよね? だとすれば改名の合理的理由が見当たりませんし、あえて変える必要を感じません(積極的に反対はしませんが)。ただ可読性に欠けるという意味で「フーガ」と「ニ短調」の間にスペースを入れたくはありますね。--Kokusui会話2013年2月4日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
「真っ先に思いつく」のと「曖昧でない」のはまた別の問題です。私はたった6文字加えるだけで完全に排除できる曖昧さを放置することがWikipedia:記事名の付け方の方針に沿っているとは考えません。--Kagefumimaru会話2013年2月5日 (火) 10:51 (UTC)[返信]

すいません、見づらくなってきたのでインデント戻します。それでは私もWikipedia:記事名の付け方の方針に沿って述べさせていただきます。

  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。

→上で私が述べたとおり、「トッカータとフーガ」だけで認知度は十分に高いです。

  • 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。

→見つけやすいかどうかについては微妙ですが、他記事で編集者に[[トッカータとフーガ ニ短調 BWV565|トッカータとフーガ]]といちいち指定させるのは「自然に」に反している気がします。

  • 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。

Kagefumimaruさんの論拠はここでしょうか。BWVがなくても曖昧さなく見分けるのに必要な程度はクリアしていると私には思えるのですが、ここで意見が分かれてますね。

  • 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)。

→現行の記事名のほうが簡潔であることは明白です。

  • 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。

→曲単独で記事が作られている他のJ.S.バッハの曲でBWVがついているのは幻想曲とフーガ BWV542前奏曲とフーガ BWV548フーガ BWV578の3曲だけ、調性とBWVの両方がついている曲はありません。この曲にだけ調性と作品番号をつけるのは、記事名の一貫性を欠くことになります。もっともこの視点から話をすると、最低限でも調性の前にスペースをあけるのは必須になりますが。

さらに言えば、記事名の付け方には「記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します」という原則もあります。作品番号は作品名に含まれないというのはKagefumimaruさん自身が述べておられることです。つまり作品番号を入れた時点で曲の正式名称でなくなることになります。

結論:Wikipedia:記事名の付け方の方針に沿うと、改名すべきでない合理的理由のほうが多いようですが、いかがお考えでしょうか。--Kokusui会話2013年2月6日 (水) 06:53 (UTC)[返信]

  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。

→「信頼できる情報源」を音楽関係の専門書籍とするならば、「トッカータとフーガ ニ短調」だけでBWV565を指すことはありえません。

  • 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。

→「トッカータとフーガ」あるいは「トッカータとフーガ ニ短調」だけでBWV565を指すことはウィキペディアのどの記事にあっても不正確で推奨できるものではありません。

  • 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。

→私もここに問題があることは認識しますが、不備のある方に合わせるのは本末転倒だと考えます。

「記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します」という項目は、省略や慣用名を使用すべきではないということを意味しています。作品番号を付することがそれに反するとは思えません。--Kagefumimaru会話2013年2月6日 (水) 14:25 (UTC)[返信]

「「信頼できる情報源」を音楽関係の専門書籍とするならば」とありますが、専門書籍では基本的にすべての曲名に作品番号を付しているのが当たり前で参考にはなりません。Wikipediaは専門書ではなく百科事典です。Wikipedia:記事名の付け方にも「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とあります。「トッカータとフーガ BWV」の検索結果=87,400件に対し「トッカータとフーガ -BWV」の検索結果=189,000件です。一般人は「トッカータとフーガ」だけでBWV565を指しています。
「トッカータとフーガ」がもし「不備」「不正確」だとすれば、同じJ.S.バッハの作品の「ミサ曲 ロ短調」も汎用的な形式+調性という意味では同様に不正確だと思われます。本項目を変えるならそちらも変えるべきなのではありませんか? 実際は、本曲とロ短調ミサについてプロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割#調性つきの項目名にて改名提案(理由は違いますが)がなされていますが「ほぼ固有名詞化している」という理由で見送られています。
そもそもモーツァルトやシューベルトの曲でもKVやDを記事名につけることは一般的ではありません(統一されてはいないが、ない記事のほうが多い)。その慣習を変えるとなれば「クラシックの曲名表記を変えるプロジェクト」を立ち上げるぐらいの大事です(プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/テンプレート・形式・書式でかつて議論は提起されていましたが結論は出ていないようです)。その手続きを「大掛かりになる」という理由で回避し統一的な方針を打ち立てる意思は全くありませんというスタンスで本項目のみを変えることは、あまりにも恣意的で賛成はできかねます。--Kokusui会話2013年2月12日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
「トッカータとフーガ BWV」の検索結果=87,400件に対し「トッカータとフーガ -BWV」の検索結果]=189,000件 まず「トッカータとフーガ」が一般的形式でけしてバッハだけのものではない、という私の主張を思い出してください、BWVを消して数が増えるのは当然です。最も有名であるということが百科事典においてサフィックスを要求しないということには成り得ません。私が改名を提案する理由もそこにあります。「トッカータとフーガ」と題される曲は膨大な量がありますし、「トッカータとフーガ ニ短調」として知られる曲も無数にあります、そしてそれらはけして無名とはいえません。それらを蔑するような記事名は適切ではないというのが私が改名を提案する理由です。仮に「トッカータとフーガ」がBWV565の他に無いという誤謬が蔓延していたとしても、それをwikipediaに反映することは許されません。また統一的な方針を打ち立てる意思は全くありませんという私の主張はトップダウンな形での統一性をあたえるのにwikiという形式は適していないという私の考えに基づいています。完全な合意を得ることは困難で時間を要し経済的でないという判断です。実際に合意が得られていません。それ故に放置するよりは個々の記事に可能な限り適当な記事名を与えていくことが必要だと考えます。「これを変えるならばこの記事も変えなければおかしいのではないか」とやっていては何もなすことができません。それは私個人の能力を超えますし、個人の能力を超えた事業を仮託するのがwiki形式の本質と考えます。--Kagefumimaru会話2013年2月13日 (水) 10:25 (UTC)[返信]

議論を読んでいて気になったのですが、Kagefumimaruさんの改名提案のそもそもの理由は一体なんなのでしょうか。最初の方では「現在の記事名がわかりにくい」と書かれてます。「読んで分かるならそれでいい」ともあります。その後論が進むにつれて「不正確」という理由になっていますが「わかりにくい」と「不正確」は全く違う概念のはずです。『トッカータとフーガ』は確かに不正確かもしれませんが、(Kokusuiさんも述べられていますが)一般人にわかりにくいタイトルでは決してないでしょう。さらに「私の提案は曖昧さ回避とは無関係です」と書いておきながら「たった6文字加えるだけで完全に排除できる曖昧さを放置することがWikipedia:記事名の付け方の方針に沿っているとは考えません」と曖昧さを問題にされています。主張がぜんぜん一貫していないように思えるのですが、一度改名理由を整理されてはいかがでしょうか。アルビレオさんの反対理由もそのへんではないかと推測されます。--116.82.18.31 2013年3月3日 (日) 07:36 (UTC)[返信]

私の提唱する改名の理由は「読んで分かるようにすること」です。現状の記事名は読んで分かる水準に達していないと私は考えています。それに関係しますが「曖昧さ回避」は曖昧な記事名を付けざるをえない場合の非常手段であって、私が行おうとしているのは曖昧さのない記事名にすることです。したがって「私の提案は曖昧さ回避とは無関係です」。私の考える「分かるようにする」とは即ち曖昧さを無くして記事の対象の特定を可能ならしめることです。--Kagefumimaru会話2013年3月3日 (日) 08:59 (UTC)[返信]
論点整理ありがとうございます。そのお蔭でひとつ確信いたしましたが、Kagefumimaruさんは「曖昧さ」の意味を履き違えておいでです。ご自分でも引用されているように、Wikipediaの曖昧さ回避の方針は「内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすること」です。「異なるトピックを判別しやすくする」が目的ですから異なるトピックが存在しない以上判別しやすくする必要もありません。この場合の「曖昧さ」は英語で言えばambiguousであってobscureではありません。たとえ記事名がobscure(不正確でわかりにくい)なものであろうと、他に「トッカータとフーガニ短調」という記事がなければambiguous(他のものと紛らわしい)ことは決してありませんから、記事名の慣例を破ってまで冗長な要素をわざわざ付け加える必要はありません。
何度も述べているとおり、一般利用者は「トッカータとフーガ」と聞いてBWV565を思い浮かべるでしょう(Googleの検索結果についてはお説ごもっともですが、かといって一般人の認識を覆すものではありません)。両者をイコールで結びつけるのが誤りであるという主張はそのとおりですが、結びつけることを妨げる権利は誰にもありません。一般人の誤謬を正すことがWikipediaの目的ではありません。明らかに記事名が誤りであれば訂正する必要はありますが、「トッカータとフーガ」は曲の正式名称であり記事名としては誤っていません。繰り返しますが「トッカータとフーガ」は一般利用者が読んで分かる水準に達している正しい記事名であり、一般利用者は「不正確さ」も「わかりにくさ」も感じていません。
それでもなお一般利用者の誤認識を正したい、obscureさを回避したいというのであれば、次のように提案します。
  1. 本記事のタイトルを「トッカータとフーガ」に変更する
    現在は「トッカータとフーガ」から本記事へとリダイレクトが張られていますが、これは一連の議論からするとおかしいと私は思います。
  2. 記事の冒頭部分に汎用的な形式としての「トッカータとフーガ」の解説を入れ、その後に「本稿ではヨハン・ゼバスティアン・バッハのニ短調の作品(BWV565)について述べる」というような記述を入れる
  3. {{Otheruses}}を利用して「ドリア調」へのリンクを作る
    Wikipedia:曖昧さ回避で推奨されている、「他と比べて圧倒的に参照されることの多いページ」での曖昧さ回避に使われる方法です。
これはマタイ受難曲ヨハネ受難曲で行われている方法です。Kagefumimaruさんの改名提案の目的はあらかた達成できると思うのですがいかがでしょうか。
もっと厳密にしたい場合は次のような方法も考えられます。
  1. 「トッカータとフーガ」という汎用的な形式を解説するページを新たに作成し、{{Otheruses}}を使用して曲(BWV565)の記事(次の2で述べる)へ飛べるようにする
    必要があればその中で、膨大にあるという「トッカータとフーガ」や無数にあるという「トッカータとフーガ ニ短調」を紹介すればよいでしょう。
  2. 本記事を「トッカータとフーガ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハの曲)」という記事名に変更する
    この記事名は他の記事と区別するためにWikipedia内で最も一般的に使われている形式です。(ヨハン・ゼバスティアン・バッハの曲)は汎用的な形式の説明である「トッカータとフーガ」との曖昧さの回避が目的です。BWV番号をつけることで大バッハの曲であることを主張する方法は一般的ではありません。
  3. 2の記事内に{{Otheruses}}で「ドリア調」へのリンクを作る
手順としては2→3→1あるいは2→1→3ですが、あくまでも1が(最悪スタブでも)あること前提の2(と3)です。1を飛ばして2を行おうとする改名提案は許されないと私は考えます。--Kokusui会話2013年3月16日 (土) 15:43 (UTC)[返信]
まず第一に確認したいのはKokusuiさんは「トッカータとフーガ ニ短調」ですらなく「トッカータとフーガ」で一般的にはBWV565を指すとお考えなのでしょうか。それはさすがに同意出来ません。また「一般人の認識」について述べることは誰にとっても不可能なはずです、どんな人間も「一般人」を代表することはできません。一般利用者は「不正確さ」も「わかりにくさ」も感じていませんとありますが、それは確かめることも反証することもできないので不正な議論です。したがってできることは簡潔さと正確さのバランスのとれた記事名をつけることだけです。作品番号を付すことはそんなにも煩雑でしょうか。また私の言う「曖昧さ」とは単にウィキペディア内での重複の有無を意味しているのではなく、グローバルな意味での特定性を問題にしています。「BWV番号をつけることで大バッハの曲であることを主張する方法は一般的ではありません」とありますが、これはたとえば英語版のウィキペディアでもこの方法が採用されており一般性を欠くことはないと考えます。--Kagefumimaru会話2013年3月17日 (日) 03:43 (UTC)[返信]
コメント 提案者が一向に譲歩する様子がないので、議論の場をプロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割#ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品におけるタイトルと作品番号の併記についてに移しました。--Louis XX会話 / 投稿記録2013年3月17日 (日) 03:54 (UTC)[返信]
こちらに書くのはこれで最後にしますが、
「トッカータとフーガ」で一般的にはBWV565を指すとお考えなのでしょうか。
これに対してはYesとお答えします。理由はGoogleの検索結果です(前回はミスりましたが今回は大丈夫です)。「トッカータとフーガ」でGoogle検索をかけると
  1. BWV565について書かれてあるページやCDの紹介・解説ページ
  2. 「トッカータとフーガとロック」という太鼓の達人の曲(原曲はBWV565)についてのページ
  3. BWV565をアレンジした曲やCD等の紹介・解説
  4. 「トッカータとフーガ」という汎用的な形式についての解説(これは少ない)
は出てきますが、これ以外のページが見当たりません。膨大にあるはずの「大バッハ以外の作曲家によるトッカータとフーガ」も、無数にあるはずの「ニ短調のトッカータとフーガとして知られる曲」もありません。かるが故に、一般的に「トッカータとフーガ」と言えばBWV565のことを指していると言っても差し支えありません。
それともうひとつ単にウィキペディア内での重複の有無を意味しているのではなく、グローバルな意味での特定性を問題にしていますと述べておられますが、今問題となっているのは記事名のつけ方でありこれはWikipediaのルールの話ですから、グローバルな意味を持ち出すのは全くのナンセンスです。--Kokusui会話2013年3月17日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

私が"トッカータとフーガ"で検索すると2番めにはウィキペディアのBWV538がきました。また"トッカータとフーガ"で検索結果に現れる230,000件のサイトをどのように確認されたのでしょうか。 一応反例を挙げておきます。 [1] [2]--Kagefumimaru会話2013年3月17日 (日) 22:48 (UTC)[返信]

賛成トッカータとフーガ ニ短調 BWV565』への改名に賛成します。ただし、「トッカータとフーガ」と「ニ短調」の間も、「ニ短調」と「BWV565」の間も、異なる概念のものを3つ並べるという理由から半角スペースを当然のごとくきっちり入れるべきであると思われます。また一般論として、1)特定の作品を明確に指し示す固有名詞 がなく、2)交響曲第何番とか協奏曲第何番とかディヴェルティメント第何番とかのような番号 も打たれていない作品の記事名には、積極的に 3)作品番号 を付していくべきだと思われます。当然の話だと思われます。 -- NeedsLove会話2013年3月18日 (月) 05:54 (UTC)[返信]
ということで、ちょっと訂正します。賢くて合理的な英語版に倣って、「トッカータとフーガ」と「ニ短調」の間は半角スペース、「ニ短調」と「BWV565」の間は半角カンマと半角スペースにするのが最善だと思われます。つまり、『トッカータとフーガ ニ短調, BWV565』への改名に賛成します。(以上、補足と訂正) -- NeedsLove会話2013年3月18日 (月) 06:27 (UTC)[返信]